ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

成長の一こま

2011-04-29 07:02:10 | Weblog
学校でインターナショナルデーというか、多国籍の生徒の父兄によるランチというのがあった。
要は外国人父母の手作り料理で先生たちをもてなそうという日なのだが、今週が「先生感謝週間」というのもあり、その一環である。
この週は、月曜日に花を持って行く、火曜日はフルーツ、水曜日は・・・とそれぞれやることがある。小学校の先生が一番物をもらったり、サービスを受けているのではないだろうか。
普段お世話になっているから、これぐらいはしようと思う反面、ここまで父兄におんぶに抱っこでいいのだろうか、という疑念もある。

それはともかく、私は、おいなりさんと枝豆をもっていくことにした。ずっとその場にはいられないので、大きな容器に入れて、登校時に持参してそのままドロップする予定だ。

ぞな子と手をつないでおしゃべりをしながら登校。
広い校内に入ったら、自然にぞな子が手を離した。そして私から距離をおいた。
1m、2m、3m・・・。

(あ、恥ずかしいのかな)

と、思ってそのままにして、

「じゃあ、お母さんこれ置いてくるから、またね。」

と、伝えた。

ぞな子は口パクで、

「I love you」

と、私に言った。

こうやってパブリックでお母さんと一緒にいるのが恥ずかしい年頃になったんだなあ。
もう9歳だもんね。

少しずつ、少しずつ、成長しているぞな子。
いつまでも赤ちゃんでいて欲しいけれど、いつまでも赤ちゃんでいてもらっても困る。
嬉しいような寂しいような、そんな複雑な心境だった。

便座はおろそう

2011-04-28 19:39:17 | Weblog
甥っ子がうちに遊びに来ていた。
ちなみに甥っ子のうちは男3人+父親=合計4人。そして義理の妹、女一人。

夜、急いで私がトイレに入ったら、そのままお尻ごと便器に落ちた。

ぎゃ~!!!!!!!!

そして甥っ子にどなった。

「トイレを使った後、便座はおろしとけ~~~!!!!!! 落ちたやないか~~~~~!!!!!」

Wiiに夢中になっている甥っ子とぞな子とぞな夫は「うん」と言ったっきり、画面に吸い付いていた。

「ちょっと! 聞いてんの!?!?!?!?!」
お前らいい加減にしろよ~~~!!!!!!

翌日、「本当にしつけがなっとらん!」

と、怒ると、ぞな夫は、

「おれがいかに気を使って便座をおろしているか、ありがたく思え。」

と、のたまった。

うちはトイレが3つある。彼は自分のトイレがある。私たちも女子トイレがある。というか勝手に女子トイレにしている。だから彼が気を使うことはないはずなのだ。
どうやら男の子が多い家は、便座をおろさないのが日常化しているそうだ。
あーあ、女の子で良かった。

母の爆発

2011-04-15 21:13:46 | Weblog
昨日の朝はいつもより30分早く家を出なければならなかったので、娘の弁当も早めに準備しなければならない。前日には夫にも「ぞな子を学校に連れて行ってね」と伝えておいた。
朝起きてキッチンに行くと、目の前にはシンクにてんこ盛りになった食器の山。
蛇口が動かないぐらい山盛りになっている。
ぞな夫は机の上に残った食器類を一気にシンクに積むが、その先をやることはあまりない。蛇口が動かないとか、下にぞな子のお弁当箱があって、翌日必要なことまでは気が回らない。
朝の5分10分はとても大切なんだが、いきなり朝、このシンクの山を見ると、げげっと思う。だって洗うだけで20分はかかってしまうからだ。
その日も、お弁当箱まで辿り着くのに20分かかった。すぐ掴めないぐらい奥の底にあったからだ。まさに瓦礫の撤去作業である。8時に家を出る予定だったのに、すでに7時40分。自分の支度も入れるともうお弁当を作る時間がない。
8時に開店するパン屋さんでパンを買ってくるしかない。行って帰るのにも朝のラッシュに巻き揉まれる事も想定すると15分はかかってしまうが、もうしょうがない。
家の中をどたばたしているのに、ぞな夫は前日からそのままの姿勢と思われるソファーの上で寝ていた。

こんなに一生懸命しているのに、なぜこの人は毎日夜遅くまでテレビを見てソファーで寝て朝ゆっくりしているのだろうか。その時間にこっちは、新聞をピックアップして娘を起こして弁当を作り、学校に送り、出社しているというのに。
一度もお弁当を作った事がないくせに、ぞな子の弁当に「飽きるから毎日同じ物をいれるな」という。
それならお前が作ってみろ。
毎日毎日何年も何年も同じ事を続けてみろ。
仕事だってどんだけ働いてると思ってんだ?!
人生は修行、家事も修行と思って我慢してきたが、その我慢にも限界がある。

そんな鬱積した気持ちが忙しさも手伝って一気に爆発した。

「いつまで寝とんじゃ~。何でもかんでも私にやらせるな~。うぎゃ~!!!!!!」

と、洗濯物が入った大きな容器ごと2階から1階に放り投げた。

ドッスーン!!!!

ぞな夫もいきなり爆音と私の声で起こされたので、
「そんな言い方するな~!」
と、半分寝ぼけながら、逆切れしながら怒鳴り返した。

でも私はもう怒りで泣いていた。
情けない事に自分で投げた洗濯物を拾って洗濯機に入れる習性。この辺りが主婦なのである。

ぞな子はまだ寝ていたの急いで起こして、その合間にパンを買いに行った。
自宅に戻って8時20分。
急いで急いで出社した。
もうぞな子が独り立ちしたら、さっさと日本に帰ろう。こんな奴とはつきあいきれない。

気持ちを入れ替えて仕事仕事。これがないと自分の気持ちが切り替わらない。

仕事中も主婦やお母さんの立場にある人と話していると誰も彼も似たような事を言っていた。どこの家も口に出さないだけで、似たり寄ったりである。

シングルマザーとか、夫が身体障害者になったとか、鬱病になったとか、家族に病人がいる、同居している人の世話をしないといけない上に働かないと行けないお母さんもいるけれど、そういう人に比べたら私の立場なんかへのカッパ。私の100倍はご苦労も多い方々がいることに敬意を表するのであった。

立教新座高校の校長の言葉

2011-04-15 07:33:20 | Weblog
とても力強く、心を揺さぶられるようなメッセージだった。シェアすべくここにも転載します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司

ママとしての活動

2011-04-04 05:45:33 | Weblog
日本の震災の活動があちこちで行われている。
小規模なガレージセールから募金、大人数が集まるバザーやイベントなどなど。
土日はお母さんたちが集まってバザーをする光景が多い。
残念ながら土日も仕事や会合などに行かねばならないことが多い私には、お母さんとしての参加が本当に難しい、というか出来ない。
お母さんのつながりというのは本当に大事で強力だ。でも、もうそういうつながりの中では活動が出来ない。だから諦めて入るけれど、働く一般人として社会に参加するしかない。

今週から子供は1週間の春休みだ。
ママ友から、
「春休み前のまったりした休日を過ごしました」
というメールをもらって、ちょっとだけ(いいな~)と思った。
まったりなんて、感じる生活は皆無だもんな~。
ばたばた走り回って、もう月曜日来ちゃうよ~、ってのが正直な所だもんね。
それはしょうがない。自分が選んだ道だから。瓦礫の中をかき分けて前に進むという体感である。こんな母親の元で育つ子供は一体どういう人間に育つのであろうか。

子供の休みは色々なイベントを入れて、夫にかなり強力してもらって乗り越えることにしている。済まぬ、夫。
友達もイベントに「連れて行くよ」と言ってくれている。
持ちつ持たれつで、うちもできることはする予定だ。
その分ばりばり働いて、税金納めて、社会に還元します。