ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

立ち幅跳び

2011-05-29 18:48:28 | Weblog
6月に開催されるトラックミート(陸上競技大会)にぞな子が出場することになった。
これは各学校で希望者が集まり、週2-3回の練習をし、練習態度優先で選手を決定する。
小3-5年生が対象で、ぞな子は今年初めてトライアウトに参加した。
練習といっても休み時間を利用したり、放課後は金曜日だけの30分-1時間弱といったおままごとのようなものだ。
アメリカには日本のようにしっかりした体育がないので、走り方もなってないし、その前に体操着というものもない。普通の格好でたらたらする事が多い。毎年あるのかは不明だが、希望者と熱心な先生の力でようやく成り立っている。
出場しない子供にも速い子はいるかもしれない。でも自分の意志で参加するのが原則だ。
募集が4月頃あり、試合は6月。たった2ヶ月のシーズンなので、やってみることにした。
まあ、私も元陸上部だし、否応なしに出させることにした。ちょっとここは親の意志が入ってる

ともかく、どの種目になるのかは練習を見て先生が決めるようだ。
そしてその種目が決まったある日、ぞな子が言った。

「ぞなちゃんね~、出るのが決まったの・・・・・・スタンディングジャンプ・・・・・」

ちょっと「言ってもいいのかな、怒られちゃうかな、馬鹿にされるかな」という雰囲気の言い方だった。
聞いた私は、スタンディングジャンプ?????

立ち幅跳び???????
そんなの競技にあんの?????????

なんじゃそりゃ、と私が言うか言わないかのその時、ぞな夫が素早く、

「それはすごい! よく頑張ったね!」

と褒めた。

はっとして、私もオウムのように、
「すごいよ。選ばれて良かったね!」
と、ほめ殺しに近いほど褒めまくった。

日本育ち、とくに我が家で育つとぼろくそに言いがちであるが(ぼろくそに言われて育った)、ここはアメリカ。褒めて伸ばすお国である。
ぞな夫はそこはちゃんとしていたので、先手で褒めてくれた。助かりました。

それにしても、本当に立ち幅跳びなんてあるんだろうか・・・・
主催者も気を使ってるんだろうか・・・
まあ、いいや。

そして数日後、最終的に出場種目が発表された。
400mも追加となった。
今度はもっと褒めてあげた。

ぞな子は本当のトラックを走った事がないので、練習と自分の見学も兼ねて、今日は会場予定の近所の高校のスタジアムに行ってみた。
とってもきれいなスタジアムだ。
そこで走った。私も走った。
今朝すでに7時から80分ぐらい走ったので、へろへろです。ぞな子も思ったより走ってた。
20分ぐらいでもう退散。
ぞな子は今日お友達の家でお泊まりなので、私はもう帰宅して寝た。





ラジオ体操

2011-05-26 21:12:00 | Weblog
ぞな子の親友Nちゃんが帰国して約半年。
Nちゃんの小学校ではもう運動会があるそうだ。そこで最初にするのはラジオ体操。
日本に住んでいるとラジオ体操は出来て当たり前だが、アメリカにラジオ体操はないので、日本から来た日本人以外出来ない。Nちゃんもずっと海外で育ったので、ラジオ体操が上手に出来ないそうだ。お母さん曰く、「変な踊りを踊ってるみたい」なんだそうな。

そのメールを読み、はっとした。
ぞな子もラジオ体操できないじゃん・・・

後ろにいたぞな子に、
「ラジオ体操って知ってる?」
と、聞くと、意外にも、
「知ってるよ。これでしょ?」
と、最初のさわりの屈伸しながら腕を振る体操を始めた。

おおーっっっっ
教えてないのに、どうして知ってるの?!?!?!?!?!

どうやら日本語補習校で教わったようだった。
すばらしい・・・・なんて素晴らしい先生方であろうか・・・
日本語教育は主要科目に目が行きがちだが、ラジオ体操なんて当たり前すぎて盲点中の盲点である。
しかし帰国する子供たちは出来なくて恥をかくのである。

youtubeでラジオ体操を検索して、親子でラジオ体操をした。

結構しんどい・・・しかし、ぞな子のためじゃ。
第二もしなきゃ。

3つの刃

2011-05-26 07:35:16 | Weblog
何年も前に「床屋」さんに転職した男性が言った言葉でとても印象に残ったものがあった。その一つが思い出せなかったけれど、今やっと思い出せた。

たしか中国の言い伝えだったと思うが、人が生きて行く上で生き残れる職業がある。
3つの刃のどれかを扱えれば食うに困らない、という。その3つの刃とは、

大工

床屋

シェフ

床屋が美容師でもいいいし、シェフは板前でもいい。とにかくこのうちの一つを身につけておけば、世界中どこに行っても生き残れるという訳だ。
そしてそれは大正解。
昔は勉強嫌いの子がなる職業、家庭の事情が進学を許さない子がなる職業だったが、今は違う。
仕事の相性と耐ゆまぬ努力が必要だけれど、それさえクリアしたら、アメリカでも上記のどれかの職業についていればちゃんと生活していける。
特にシェフなんかすごい。大小の規模の差はあるにしても、投資家と一緒になって大きなレストランを運営することも可能だ。ちゃんと修行を積み、魚を扱うことが得意な日本食シェフは引っ張りだこ。アメリカにはそんな修行を積む場所すらないもの。
ホームパーティーや会社のパーティーが多いこの国では、ケータリングビジネスも盛んなので、1回で3000-5000ドルの収入を得ることができる(材料込み)。だから日本で技術を積んでアメリカに来れば、大活躍できる可能性があるのだ。

野球もそうだけど人を育てる環境としては、日本は厳しいからいい人材が育ちやすい。
そこを出て活躍するにはアメリカは適所だ。力のある者は、人種国籍に関わらず評価してくれるからだ。そうやって人材をどこぞから持ってきて、会社なり組織なりを強くするのがアメリカ流だ。既に出来上がった人や物を「輸入」して国力を強めている。
なにもいい大学に行く事だけが人生の成功ではなくなった。会社は潰れるし、昔みたいな「公式」はもうない(大学には大学の良さがあるけどね)。
上の3つはクリエイティブな仕事だ。完成品も目の前で見える分、評価もその場でくだされる厳しい仕事だ。
だけどいい物を作り続ければ次の仕事につながり、人からも感謝される。
いい職業だと思うんだけどな~、日本人はどんどん手に職をつけて、海外進出してほしいな~。

きつい日曜日

2011-05-23 00:50:43 | Weblog
日曜日も朝から家の仕事でてんてこ舞いだ。
前日、ぞな子のお友達が泊まっていたので、大事な大事な睡眠がじっくり取れない。でも、朝は7時からKさんと1時間のランニング。そのためには6時前には起床。ちょっときついけれど、決めた事だからしょうがない。ストレッチをして出かけた。
彼の住んでいる近辺は穴場というか、こんなに静かなエリアがあったのか初めて知った。中々歩いたり走ったりして地元の道や風景を見ることがないので、こういう機会があると新鮮な発見がある。そしてとても得した気持ちになる。
Kさんは子供がいないので、自分の生活を楽しんでおられる。長野出身でスキーの技術がプロ級なので冬にはヨーロッパまで出かけている。
そんな話をしながらゆっくり走った。
後半、気が付かないうちに足が上がらなくなったのか、何度もつまずき始めたので最後は歩いた。結局1時間走った後歩いたので、自宅に戻ったのは2時間後の9時になっていた。
10時からぞな子たちのチアの練習があったので、大急ぎで朝食を食べさせて子供たちを送り届けた。

そのまま、バーバンクにある子供病院へ向かい、知人のお見舞いに行った。
知人のお子さんが6歳の時に脳卒中になり寝たきりなのだ。転院したのでどういう状況か見ておきたかった。
結構遠い所にあるけれど、長期入院が必要な施設は都会に置く事は出来ないため、通常郊外、それも郊外の郊外に置かれる事が多い。こんなことも彼が入院したからこそ知った事だ。
行くのに約1時間。病院に1時間いてまた娘たちをピックアップのために戻る。
途中、眠くて眠くてしょうがなかった。

ぞな子とお友達をピックアップして自宅に戻る。
もう眠くてしょうがない。
しかし、体力がありあまっている子供たちは、
「公園行こう~!」と、引っぱり出された。

渋々公園に行って、ベンチで爆睡した。
約30分後、ぞな夫が子供たちをピックアップしてくれた。私はとぼとぼ歩いて自宅に帰り、食材を買いにスーパーへ走り、速攻で夕食を作り、もう寝た。耐えられない・・・

明日はもう月曜日。まだやらなければならない事がたくさんあるのに、時間が足りない。
激務をこなす方はどうやってタイムマネジメントをしているのだろうか。
もう寝よ・・・

大阪マラソン

2011-05-23 00:20:16 | Weblog
当たるとも思わないで冗談で応募した大阪マラソンに当選してしまった。
当選通知が来ていたのも知らず、知人から聞かれて、再度過去メールをチェックした。すると、(これかなあ・・・)と思われるメールがあった。
当選しました!みたいな内容ではなかったので、ちょっとわかりにくかったが、どうやら当たっていたようだ。

あらら、どうしましょう・・・

知人と「当たってから悩みましょう」と言っていたが、本当に当たってしまった。本当にここから悩むのである。といっても根は明るいので、要は行くか行かないを決めるだけ。
仕事を休み、家族もおいて、速くもないマラソンにお金をかけて行く必要があるのか。でも、こんな馬鹿な事できるのは体力がある今だけだし、来年行くとも思わない。当たるかもわからない。そうなると行動に移すしかないかなあ、行ってみたいかも。どうしようかな~。行ってみようかなあ~。あ、母も大阪に呼べばいいか。ちょっと親孝行できるかな。
うん、行こう。

そう、自分の中で決めた。
決めたら次は夫に伝えなければならない。どうやって伝えよう。
申し込んだ事も言ってないのだ。

しかし、奇跡的にいいタイミングがやってきた。
その日はアーノルドシュワルツネッガーの不倫と隠し子騒動が報道された日であった。
そして夫が、「アーノルドシュワルツネッガーって愛人が二人いたんだって」
と、話し始めた。
普段冴えない私が、この時ばかりは頭がシャキーンとした。

「実は告白したことがある」と真顔で言った。

夫の顔、引きつる。

そして畳み掛けるように、

「大阪マラソンに当たったんだけど、行っていい?」(かなり姑息な手段です、はい)

というと、ぞな夫はほっとした顔で、

「面白そうじゃ~ん」

と言った。イエスと勝手に解釈した私は、

「ありがとうござーまーす。じゃ、申し込むね。」

と、さっさと申し込む事にした。もちろん仕事も2-3絡める。我が家の会計は50/50なのでもちろん支払いは全部自分持ちだ。家庭で一人いないと生活の手間がかかるので、その負担は申し訳ないなあと思う。でもね、しゃーないわ、こんな機会滅多にないんだし。

という訳で、新たな目標が出来た。

これで生活にメリハリが出来る。仕事もプライベートも頑張るぞ~!
とはいえ、冷静に考えるとこんな嫁を持つぞな夫も大変やね。

2011-05-20 07:21:24 | Weblog
ドラマの「仁」が面白い!
パンドラTVで随時見ているが、面倒な家事を「仁」を見ながらだと俄然進むのである。時々手は止まるけど。
「仁」と言えば、「エースをねらえ」の「宗方仁」、このドラマも「南方仁」。ゴロがいいだけであろうか・・・・どっちもいい名前だけど。
仁先生の治療院「仁友堂」も、私と姉の名前がばっちり入っているので、エピソード1で仁先生が看板を上げたときは、どっひゃーんと来た。
祖父が掲げていたおんぼろの木でできた看板がこれにだぶるのである。
なんか運命か!?

とにかく目が離せないし、テレビのおかげで生活も潤うのである。
仁様、ありがとう


PVハーフマラソン

2011-05-16 07:00:37 | Weblog
土曜日は午前中、仕事をお休みしてハーフマラソンに出場した。
1週間前にスキーの師匠Kさんにレースの話をしたら「僕も登録した」という無謀さ。家が近所なので、一緒に現地まで行くことにした。結構コースが近いので登録したが、坂が多い。でも試走してないし、する訳もないので現実的にはどんなコースかさっぱりわからない。
朝4時半頃起床し、5時半に家を出てKさんのお宅へ。
車はKさんの自宅前に置いて、Kさんの車に乗り指定されたショッピングモールの駐車場に車を置いた。そこからシャトルバス(アメリカの学校の黄色いバス)に乗り、スタート地点のterraneaホテルに着いた。
http://www.terranea.com/

バスの運転手がどこに行くのかわかってなかったようで、途中でUターンしたり、ゲートを間違えたりしてもたつきながらやっと到着した。大丈夫か~。

スタートまで40分ぐらいあったので、Kさんとおしゃべりをしながらストレッチした。
現場で友人のAさんにも会い、Kさんを紹介した。私は全然知らなかったが、KさんはラジオCMにご出演していたそうで、Aさんが、
「あ、あのKさんですか! 有名人に会えて嬉しいな~。このコースすごいですよ。いきなりのハーフがこのコースなんて無謀ですよ~」
と、いつものAさんから想像できないほど饒舌だった。酔っぱらってるみたい
Kさんも人懐っこい方なので、すぐAさんと打ち解けて、「いやお恥ずかしい」なんて言ってた。
Aさんは几帳面な性格なのでちゃんとコースを試走していた。相当きついとこのことであった。新聞には「去年より平坦なコース」とあったがガセか?!

ランニングの師匠のOさんにも会った。
緊張感がさして無いローカルの大会なので、結構雰囲気も緩い。

スタート間近になったので、ぞろぞろとスタート地点に行った。
するとOさんが、「一番後ろに行こ。後ろからだだーっと追い抜いて行こっと。じゃ、また!」
と逆行する形で後ろへ後ろへ歩んで行った。
何考えてんねん・・・・ 

国歌斉唱の後、フワーっっっっ、というサイレンの合図でスタートした。
いきなり上り坂である。
最初はまだ元気だからいいけど、この先どうなんのよ。
そして10分ぐらいしたら、師匠のOさんが、
「もう追いついちゃったよ~ん」
と、軽々と追い抜いて行った。
何という軽い走りよ・・・(遠い目)

スキーの師匠のKさんもゆっくりだけど安定した速度で走っていた。私のちょっと前を走っている。すごいぞー。
それにしても坂が凄い。
下りも急斜なので体を後傾させないと足がもつれて転びそうだ。
どこがフラットなコースやのっっ

走っても走っても上りか下り。もう上りでは歩くことにした。気力も体力も失せてきた。
スタート/ゴール地点を通り過ぎ、ガラスの教会で折り返すそうだが、遠い。遠くて遠くて、もう止めて帰ろうかと思った。
すると、先に折り返したKさんが、
「ぞなさーん、もうちょっとで折り返しー!!がんばれー」
と応援してくれた。
本来なら私が励まさなければならないのに、ごめんね~、Kさん。もう気力がないよ。

もうちょっと、もうちょっと、とそれだけ思い続けて歩いたり走り続けた。

そして、いつも私がレースに出たときに必ずと言っていい程抜かれる謎のびっこの黒人のおばさんに、最後の1マイル辺りでまた抜かれた。
彼女は体を右に倒して今にも倒れそうな格好で左足を引きずりながら走る。いや、歩く。なのに何故か抜かれる。なんで?!?!?!?
もう、誰に抜かれようが早く終わりたい。

すると、とっくの昔にゴールしていたAさんが、

「ぞなさーん、頑張れ~! ここからラストスパートしないと~!!!!!」

と、応援してくれた。そして、

「年齢別で3位でした~!!!」
と、教えてくれたので、ハイタッチして、そこから力を振り絞った。すごいなーAさんは。
そしてゴール。

もうへろへろ。

先にKさんが見えたので、
「お疲れさまでした~」
と、声をかけた。

Kさんは初めて挑戦したハーフマラソンを完走した充実感に満たされていた。すごいぞ~。
私は2時間36分。Kさんは2時間35分。
でもこの1分が10分ぐらいの差に感じるのだ。距離にしたらものすごい長さなので、走っていた私は10分ぐらい空いてるかなあ、と思っていた。ランニングの1分は長い。
Aさんは55歳だけど、1時間45分で完走されていた。
もう、ありえないっしょ。あのコースで1時間45分は。平地と変わらないじゃん。
彼は今年進化してるなあ。

アフターイベントで果物がたくさんあったので、Kさんとつまんでがっつり食べた。
お腹が落ち着いたのでシャトルバス乗り場(これがわかりにくい)に行ってバスを待つが、待てど暮らせどバスが来ない。
もう11時半だ。1時から仕事が入っていたので、ちょっと焦る。
大会運営側としては、今回シャトルバスの運営が初めてだったようなので、不手際はあって当たり前。しかし、ランナーは走った後体が冷えるので、良くない。
もう待ってられないので、夫に電話をしてピックアップを頼むことにした。
幸い15分ぐらいで来てくれたので、急いで乗って、車を停めていたショッピングモールの駐車場まで連れていってもらった。
その間、フルマラソンのランナーが走っていた。このコースのフルはきつい。
結果を見たけれど、1位のタイムが2時間45分。私と一緒じゃん~! 1位の方はなんと同じ市に住む日本人の方だった。
Aさん曰く、日本人ランニング界では知る人ぞ知るという有名人らしい。
この人は鬼の形相で走っていたので、よーく覚えている。折り返し型のレースはトップランナーと会えるから楽しい。トップの方も苦しいんだな~と。ここまで自分を追いつめて走ったことがないので、私には出来ない走りであるが、本当に尊敬する。日本人としても嬉しい。

自宅に12時10分に着き、急いで準備をして1時ぎりぎりにオフィスに着いた。
何とか間に合った~。

あとで関連記事を読んだが、誰もが「どこがフラットやねん!!!」とつっこんでいた。「ロッキー山脈よりは平坦ということだろっ」と書き込んでいたアメリカ人のあんちゃん。あんたは正しい!!!!

ゆっくり休みたいけど、仕事は仕事。
頑張っただよ~。
充実した日であった。






Navy SEAL

2011-05-09 21:59:01 | Weblog
昨夜録画されたCBSイブニングニュースを夕食をとりながら見ていた。
ニュース最後に、今回ビンラディン殺害を遂行したNavy SEALの殊勲の過去には、2005年6月28日にアフガニスタンで殺されたNavy SEALの犠牲があったと、彼らにスポットライトがあてられた。レッドウイング作戦と名付けられたその作戦は、Navy SEAL史上最悪の結果をもたらした。そのチームのリーダーであるMichael Murphyの名前が軍艦に付けられ、母の日の昨日、彼のお母さんと多くの関係者の参列と共に進水式が執り行われたのだ。
普通に見ていたが、ニュースを見ているうちに見たことのある写真や、唯一の生存者が映った。

http://www.youtube.com/watch?v=tdh2qIu4xR8

あっっっっっっっっ

もう一度巻き戻して見る。

唯一生き残ったMarcus Luttrellが映った所で思い出した。彼は犠牲になったMichael Murphyのおかげで助かった。そして、Lone Surviverという本を書いたが、殺されたNavy SEALの一人が患者さんの秘書メリーの甥っ子だったのだ。その話を4-5年前に聞いた。彼の名前はMatthew G. Axelson.

ああ、彼はこのミッションにいたんだ。
こんなに凄い人達だったんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=XcRffZTe-ZY

メリーの中学生の子供は、戦死したおじさんを偶像化して、「自分もNavy SEALに入る」と決めている。そして海軍学校の見学まで行った。すると名誉の戦士をした親族だったので、レッドカーペットの歓迎を受けたそうだ。さらに子供の希望は膨らむ。
いいか悪いかは別にして、こういう人達の犠牲があって、この国の「自由」は保たれている。
見たニュースが自分に近い人だったので、本当にびっくりした。
自分が盾になって人を助けたMichael Murphy.
国に自分の命と人生を捧げた人。
母親としては複雑な気持ちである。







吊るし上げ

2011-05-04 07:12:33 | Weblog
東電の幹部が避難所の女性の前で土下座している写真がヤフーニュースにあった。

こういう写真は見ていてつらい。
だって悪かったのは彼らだけではなく、こういう体質を作り上げてきた歴代の幹部だもの。きっと10年20年前からの幹部が全員来て、「このような体質の会社を作り上げてきてしまって申し訳ございませんでした」と、同じような事をすれば「なるほどなあ、それでこうなったんだなあ」と納得するけれど、たまたま今の時期に幹部であっただけで、このような仕打ちを受けるのはちょっと酷な気がする。

今の東電の社長の前に社長だった人は「自分のときでなくて良かった」って棟をなで下ろしているのだろうか。
それとも、「今自分に何か出来ないか」と、協力しているのであろうか。

何よりも心配なのは、陣頭指揮を執らなければならない社長が、憔悴しすぎて自殺してしまわないか、ということだ。
公衆の面前で辱めを受ける社長・幹部の姿は、あたかも中国の文化大革命で人々が公衆の面前で罵倒されている、あの残酷なシーンとだぶってしまうのである。
日本は訴訟は少ないけれど、こういう形で社会的制裁を受ける国である。

ただ、何でもかんでも頭下げて「はい、終わり」という会社もあった。
それだったら、企業専用の「あやまり隊」という会社を作って、不祥事があった時にその会社の制服を来て、「申し訳ありませんでしたっっっ!!!!!!」と、これでもか!と謝る人が専門でいてもおかしくはない。彼らの謝る度合いで会社の真意をはかるのである(もっと怒らせることは間違いないが)。
韓国で葬式の時に呼ばれる「泣き屋」「泣き女」(とにかく大げさに泣くことが彼女たちのミッション)、あるいは演芸場とか会場でわざと大声で笑う「笑い屋」。同じにしちゃいかんし、、実際はそういう分けにはいかないの、よくわかってる。ただ、「怒り狂った被害者」が「反省している加害者」にここまで詰め寄る姿を見るのが、ただただ、見ていてつらいだけなのだ。

アメリカは公衆の面前の辱めは受けないけれど、その代わり訴訟を頻繁に起こされ莫大な費用と制裁金を出さなければならないのである。大雑把に言えば、気持ちで示す国と金で示す国。
被災者の命、会社社長の命。
なかなか難しいです。




土曜市

2011-05-02 22:54:33 | Weblog
先週の土曜日、LA郊外のG仏教会で「藤まつり」があった。
長年この地に住んでいても一度も行った事がなかったが、今回は初めて行った。
仕事を午前中で切り上げて、午後はお母さんの仕事。
ぞな子が所属するチアのチームが演技をするので、見に行くのと送り迎えの手伝い。

仏教会というと物々しいが、要はお寺である。お寺の広場を使って、ゲームや出店がある。ちょっとした土曜市のようなものだ。小さなホールもあって、そこで高校生や小中学生の演技が披露される。本当にどこにでもある地方の出し物だ。とーっても田舎っぽくて心地がいい。

そこで、友達が「キュウリや茄子の苗を売ってるよ」と教えてくれた。一苗1ドル。安いっ!
我が家のキュウリの消費量は相当なもので、ぞな子はキュウリをまるまま食べる。カッコいいと言えばカッコいいが、行儀が悪いと言えば行儀が悪い。
日系スーパーでは一バック3本入って、夏場なら$1.15-2.50ぐらい。オフシーズンになると$4以上もする。野菜にそんなにお金をかけられないなあ、庭に植えたいなあと思っていた所だったので、即買いした。
キュウリと紫蘇の苗を2つ、合計$2で買った。かなりお買い得。

演技が終わって、記念撮影を待つ間、また苗の所でうろうろしていたら、日系人のおじさんが黙って一つの苗を私のバッグに入れてくれた。
「あ、ありがとう。でもこれは何の苗ですか?」
と聞くと、
「ハワイアンビーン」
と教えてくれた。
ハワイアンビーンってなんだろう・・・・
わからなかったが、せっかくサービスしてくれたので、ありがたく頂くことにした。
移動前にまだ時間があったので、沖縄団子とやらを食べた。
うまい、うまい。こりゃー素朴な味です。

演技は無事終わり、娘を次の練習場に連れて行った。
そこは毎週練習している場所だが、小さなギャラリー(アート博物館)が併設されている。
ぞな子をスタジオにドロップした後、ぞな夫が、
「面白い展示物があるんだよ。youに見せたいんだ~。」
と言うので、裏にあるギャラリーを初めて訪れた。

すると、そのギャラリー入り口にコンセントを組み合わせて人の形にしたたくさんのコンセント人が床に並べられていた。

「はは~可愛いね~」
「ね、発想が面白いでしょ
面白い面白いと二人で言っていたら、何だか見覚えのある後ろ姿の初老の男性を見かけた。
(なんだかI先生に似てるなあ・・・・)
と、そのとき、初老の男性が振り返った。

「I先生!!!」

思わず声をかけた。

「おー、ぞなさん。久しぶり。お変わりないですね~。」

と、懐かしい声で話しかけてくれた。

I先生はリトル東京で長年開業しているお医者さんだ。何故彼がここにいたか疑問であったが、

「あそこに展示しているのが息子のイチローが作った物なんです。」

と、教えてくれた。

そこにはホッチキスの芯だけで作ったモノトーンの顔、顔、顔。
陰影を見事に利用した秀作であった。
近くで見るとなんだかわからないけれど、10mぐらい離れるとよーくわかる。
私たちは遠くにいたので、それがホッチキスの芯で出来ているとはわからなかった。てっきり白黒の写真かと思っていた。
(へえー、こんな凄い物を作ってるんだ)
正直感心してしまった。

I先生の奥様とお嬢さんも一緒にいらっしゃったので、お互い自己紹介して、ちょっと立ち話をしてお別れした。

私は91-2年頃、彼のクリニックで働いていた。そして彼の勧めというか、一言が、今の職業につくきかっけとなった。そもそもI先生のクリニックで働くことになったのは、彼の著書を亡き父が送ってくれたのが最初だ。父はきっとロサンゼルス在住の著者の読み物程度の感覚で送ってくれたんだと思う。彼がばりばりの左翼で学生運動を開始したに近い人物であること、アメリカに来てからの苦労話など、びっくりするやら過激やら、ちょっと気持ちもわかるだけに、偉い先生でもご苦労はあるんだなあ、と思っていた。
偶然、彼の息子さんが私の友人と同じ東京にあるオフィスで働いていたので、縁あってI先生のオフィスで約1年パートで働くことになった。
当時は、日系史を勉強するか、医学の方に進むか悩んでいた時期でもあった。結局後者を選んだ訳だが、彼のオフィスで働いたのはいい経験になったし、今でも心から感謝している。

それにしても親となったからわかるが、お医者さんの息子が芸術家になるなんて、親としてはどういう心境だろうか。
「先生もよくその道を許したよね。」
と、私たちは話した。
もちろん無理強いして上手く行く訳もなく、イチロー君はイチロー君で彼が幸せと思える道を選んで生きている訳だ。そして、こうやって一般人に(やるな)と思わせる作品を創造しているのである。

はじめて行った場所で、キュウリの苗は買えたし、10数年ぶりにI先生にも会えた。
なんだかとっても得した気持ちになった。