私が死んだら棺桶に絶対入れて欲しいもの。
だたし今後も増える予定。
現在の所、絶対入れて欲しいのは、
亀田の柿の種
と、
某先輩の漬けた沢庵
と、
娘が初めて縫ったうさちゃん
の3つ。
でも今後もどんどん無限に増える予定。
亀田の柿の種は永遠に続くベストセラーだから次の50年はなくならない前提で書いているが、某先輩の漬ける沢庵は危ない。なぜならその先輩は私より最低でも10歳は上だから、順番から言うとどう考えても彼の方が先にあの世に逝く訳で、そうなると彼が漬けた沢庵を入れることは出来ない。彼といっても、好きな彼という人ではなく、単純に沢庵が本当に上手いんだ。あんな上手い沢庵食べたことない。
だから代替を考えなければならん。
考えてみたら、うさちゃん以外は食べるもんばっかりじゃん
・・・・・
しかし、もし希望が多すぎて棺桶に入りきらなかったらどうするんだろう。
特大サイズを頼んでおくのだろうか。
それとも、残った人が「ばーちゃん、えー加減にせえよ!!!」と言いながら、仕分けするのだろうか。
そういう光景を見てみたい。100個ぐらいリスト書いたろかな・・・。
そして神輿までは出さなくてもいいけれど、たくさんお友達が来て、にぎやかにやってほしい。
宴会に近い形でもいい。餅まきとかもいいなあ~。
とにかく陰気くさいのは嫌です。
150歳くらいまで生きてしまったら、友達もいなくなっちゃうなあ・・・(なわけない)
そのときのために若い友達も作っておかなくっちゃ。
90歳ころ逝っちゃうとしても、若い友達って70とか80か・・・若い友達の方が先に逝っちゃったりして。
ぼけちゃって、わけわからん婆さんになってるかもしれないし。そのときはどうでもええわ。
家族もなくてお金もなくて普通に死んでしまうと、葬式代も出せなかったり、お墓も建てられなかったりする。
でも、松山で戦士したロシア人兵士たちは、ちゃんと立派なお墓を建ててもらって、頻繁に近所の中学生が清掃活動をしている。きっと松山で一番きれいに整備された墓地じゃないんか? 清掃活動は、ずっとずっと続けられるだろうから、異国で亡くなったのはかわいそうではあるけれど、永遠に祀られることを思えば彼らは幸せではなかろうか。
試合前になくなった巨人の木村コーチしかり。
37歳で亡くなったのは不幸だけれど、あれだけの人から愛されて追悼試合や(おそらく)巨人主催の社葬をしてもらえたのは、野球人としては本当に幸せなことではないんだろうか。引退して年老いて普通の人になっても、忘れられるだけで人の心には残らなかったかもしれない。
そんな話を知人としていたら、彼は「言われるまでそんなこと考えたことなかったなあ・・・」と言った。
そして、「強いて言えば・・・・・妻かな。一人で棺桶に入るのは寂しいから、一緒に入りたい」
と言った。
ぶは~!!!!
多分迷惑だと思います!!!!
少なくとも私は嫌です。なんで一緒に入らないかんねん・・・・
人にもよるだろうけど、笑っちゃう程、男ってロマンチスト。
そういえば、私と同じ年のバツイチの男性も似たような事を言っていた。
UCLAかどっかの有名な大学のコーチの奥さんが亡くなった。数年たってもその傷が癒えない彼は、毎日毎日亡き妻へラブレターを書いているという。ニュースは「永遠の愛を誓う夫の美しき姿」を映し出していたんだろう。
このニュースを聞いて友人は、
「素晴らしいと思いませんか?! 僕はこのニュースを聞いて涙が出ました!!!」
と言ったのである。
(そんなん毎日書かれても困るわ・・・鬱陶しい・・・)
というのが本音。さらに言えば、そんな暇があったら落ち込まんように働け、と言いたい。
女性の場合、亡き夫にお経はあげても、毎日ラブレターを書く人は、おそらくいないのではなかろうか。さんざん「子守り」をしてきて、亡くなってまで「子守り」は出来ない。
だから女はすぱっと割り切って、長生きするのかもしれない。
女が長生きしたら、おっさんみたいになるもんな~。
おばあちゃんみたいなおじいちゃんもいるし、おじいちゃんみたいなおばあちゃんもいる。
私はおじいちゃんになるかもしれない。