ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

注射

2006-01-27 21:15:49 | Weblog
先週の日曜日からよりよい卵を育成するための注射を打ち始めた。
朝2本、夜1本、プラスbaby aspirinとprenatal vitamin。
あさってからはもう一本増える。
初日、注射をするとき震えるかなあと思ったが、全然平気だった。
いつのまにか針に対する恐怖感が消え去ったとみえる。
どっちにしても打たなきゃならないので、震えたりびびる時間がもったいない。
ぶすっといったら、あーら簡単

最初の最初の一本目はもたもたして、うっかり自分の手に刺したりしていらぬ出血も伴ったが、6日目にもなると慣れたもんで、すいすいすーいのすいすい、である。
我ながら上手い・・・・

しかし、今朝は超急いでいたので、使用済みの針にキャップをする時、ぶすっと自分の手に刺してしまった。

いで~!!!!

注射は臍から下左右に打つが、右はまだしも左は痣になりやすい。わざわざ血管に打っているのか?私は。
やっぱり利き腕側の方が断然やりやすい。

多少の痣を残しながら、1日おきに1時間かかるクリニックに通うのは結構大変である。卵がちゃんと育っているかモニターするためである。
そこでは超音波で卵の発育を検査し、血液検査も行う。
腕も腹も刺しまくりじゃ。
そしてそれが全然平気なのである。
今の所順調に事は運んでいる。
仕事にも皺寄せがくるけれど、背に腹は代えられぬ。其の分余計に働くしか無い。

短期決戦のつもりだが、注射を打ち続けなければならない糖尿病の方は,本当に大変だなあ。
平気とはいえ、決して心地の良い行為ではないからなあ。



ディアマンテス

2006-01-25 21:13:10 | Weblog
日曜日ふらっとコンサートに出かけた。

スーパーの掲示板でディアマンテスが1日限りのコンサートを1月22日にするというビラを見た。
本当にビラ。
知らない人は絶対気にかけない程度の代物であった。

随分昔にディアマンテス、特にアルベルト城間のことを新聞で読んだことがあったので聞いてみたいな~とは思ったけれど、子供もいるしなあ、と、行けたら行くか程度に気に留めておいた。

当日1時半、時間がぽっかりあいたので、よし、ぞなを連れて行くぞ、と家を出た。
当日券があればいいし、なかったら帰ってくればいいや。

幸い会場で当日券を購入する事が出来、子供は抱っこすればいいということで二人で$25で入場した。

恐らく日本ではクールな人たちが好むバンドであろうが、このコンサートは沖縄県人会主催である。その上、彼らは翌日ペルーに旅立つ。なんでもペルー日系人移民100周年記念祝賀会に呼ばれているらしいのだ。
アルベルト城間はペルー日系3世。
出世頭の彼が呼ばれるのは当然であろう。
ペルーに凱旋帰国する途中、LAでこのコンサートを開いてくれたという訳だ。

県人会主催とあって、会場は老人と家族連れが目立った。
そういう私も子連れだし。

一度も彼らの曲を聞いた事がなくて、私はまっさらの状態で聞きに行った。

したら、すっごいいいでないの!

ギターも上手いし歌も上手い。

私も大好きなサンタナから入ったということもあり、ラテンジャズ、ボサノバ系、チャチャ、などなど母国語のスペイン語をばりばり使って歌っていた。

サイコーでねーの!

しかし、観客は立ち上がるでもなく、呼吸しているのかさえわからぬ。
寝とるんだろうか。
それくらいじーさんばーさんが多い。
観客の反応でペルー系日系人もかなりいると察した。

途中、ディアマンテスは観客に気を使い、五木ひろしの「ヨコハマたそがれ」と細川たかしの「北酒場」を歌った。

優しすぎる・・・・
そしてどんな曲に対しても本当に歌い慣れている。
日本に行ったときは言葉がわかんなくて苦労したんだろうな。

歌を聴きながら、そういう背景を想像するだけで胸がじーんとした。

来年も是非来て欲しいです。

余談だが席が遠かったので、アルベルト城間がホリエモンに見えてしょうがなかった。


溶連菌感染

2006-01-19 01:26:45 | Weblog
公園だのプリンセスティーパーティだの連日遊び疲れたのか、マーティールーサーキングホリデーの月曜日、娘は熱を出した。体は熱いが、本人いたって元気である。

夫が自宅で懐中電灯片手に娘の喉を見たら「すごく腫れているからお前も見てくれ」と、心配してオフィスに連れて来た。

元気印の娘の口を開けて喉を見たら、扁桃腺がすごいことになっている。
腫れている上、毛こそ生えてないが、野いちごみたいにぶつぶつができて熟しているというか、血を含んだ水泡みたいになっていたのだ。舌も赤い。
熱も38度以上あった。

「だめだ、すごい熱だよ。今日はもうおうちでゆっくり休もうね」

と、「公園に行く~」と言う娘をなだめて夫につれて帰ってもらった。

翌日火曜日、朝すぐ小児科でアポを取り数時間後来院できた。
日系人の女医先生が診てくれて、「急な発熱、膿みを伴う扁桃腺の腫れ、足の痛み」など、娘が呈している症状を全部言うと、検診後すぐ綿棒で喉のカルチャーを取ってくれた。

数分後、先生は、

「イヤー、ユーアーライト。ヨーレンキン、ショーコーネツ(麻原ショーコーが思い浮かんだ)」と片言の日本語を並べて私に言った。

一瞬??????となった私はおそらくそれが顔にモロに出てしまったのであろう。

すぐさま彼女は、

「streptococcal infection, scarlet fever, rheumatic fever」

と言い直してくれた。

あれ?スカーレットフィーバー(猩紅熱)って大変なんじゃなかったっけ?
リウマチ熱? それって心臓の弁が何たらとかじゃなかったっけ?

確か各種菌名はBiochemの授業で嫌と言う程学んだが、知らぬ間に記憶の彼方に追いやられていた
しかーし、streptococcusが溶連菌というのはこれで二度と忘れまい。

小児科に来る前は「こわい~こわい~」を連発して泣いていた娘であったが、注射もないこと、女医さんで優しかった事、帰る時には大好きなエリアルのステッカーをもらったことで、「ぞなちゃん、おいしゃさんだいすき!」と手のひらを返した発言を繰り替えした。

娘よ、そうはいかんのだ。
2月末にはずっとさぼっていた定期検診で注射は打たれるのだ。

抗生物質の処方箋をもらって引き上げた私たちであった。

本を読んだら親も抗生物質を飲んだ方が無難みたいなことを書いた本もあったが、幸い私は体外受精を控え、抗生物質を飲んでいる最中なんである。ラッキー。
体内を除菌すると共に、部屋の掃除と車の中の掃除もしなきゃなーとふと思ったのであった。

プリンセス・ティーパーティー

2006-01-17 12:49:29 | Weblog
話が前後するけれど、土曜日は娘のお友達の誕生日会に呼ばれてウェストハリウッドまで出向いた。家からは結構遠い。
その某店はフランチャイズ店らしく、いろんなところにあるが、うちに近辺にはなかった。
本人がプリンセス系の友人は、是非娘さんにプリンセス系バースデーパーティーをさせたいとのことで、この店を探し出したそうだ。

私なんてこの機会を逃したら絶対こういう所に来ることはないだろうと思っているので、勉強も兼ねて参加した。
今後娘の誕生日を開くに当たり、「アメリカの誕生日会の常識」みたいなのを学び取っている最中である。
といっても、今はまだ日本人のつきあいばかりなので、呼ぶのも呼ばれるのも日本人なんだけど。そして、まだお友達を招待した御誕生日会というのを開いた事が無い。まだまだ身内のみ。

遠いから夫にも来てほしかったけれど、
「女の子のパーティーだから俺は行かない」
ということで、しぶしぶ自分が運転して行く事に。

そのプリティーな現場は、小さな一軒家を改造したもので、中にはたくさん可愛い飾り物が置かれていた。
子供たちはドレス室で好きなドレスを選べる。
図らずも迷って遅れて到着した私たちは、すでにメーキャップに突入していた子供達に圧倒された。

みんなかわい~。

急いでドレスルームに入り、ドレスを選んだ。
娘も圧倒されていてどれを選んでいいのかわからない。
とりあえずフラメンコ調のドレスを着させた。

メーキャップは口紅とマニキュアをしただけ。それだけでも十分ケバい。

おもちゃの大きな指輪やネックレスをかけ、頭をアップにして大きな花をつけてもらった。それだけでとてもゴージャスに見えるから不思議不思議。
子供達も急に大人になったように見えた。

全員着替えたらミニファッションショー。
ポーズをとって、はいパチり。

その後、子供達は席についてサンドイッチやソーセージを頂く。飲み物はレモネード。
用があれば「クイーン」(バースデーガール)に言い、クイーンがチリンチリンとベルを鳴らして、
「レモネードください」
とか
「ナプキンください」
とか言うのである。

簡単な食事が済んだらギフトをあけ、それで終了。

スタッフは早く帰りたいのか、どんどんかたずけを進めていた。
2時間の枠があっという間に済んだ。

これは女の子は喜ぶんじゃないのかな。
ドレスは使い古されてくたくただったし、安全ピンはあるし、決してきちんとしているとは思えなかったけれど、花嫁衣装じゃないのでそれで十分である。

こういうサービスは日本でもあるのかしら。

料金も比較的安価なのでいいアイディアだと思う。

パーティーが終わって、駐車場を出る時、車を思いっきり壁にこすってしまったのはご愛嬌。(よかった、パンバーとれなくて・・・・)

普段絶対来ない、ロサンゼルスの青山通りな店を横目にしながら帰路についたのであった。

お掃除

2006-01-15 21:11:14 | Weblog
今朝は45分ジョギングから始まった。
走ろう走ろうと思っていたのに、全然走っていない。
でももうだめ。今日は絶対走らないと。

体がこちこちで腰が痛い。
30分くらいでやっと体が動き始めた。
45分走った所で終わり。
「走り」は短くてもいいから継続しなければ全く意味がない。
こまめに走らんとなあ~。

家事をこなし、スーパーで食材を購入し、昼ご飯は野菜たっぷりにした。

午後娘はいただいた日本語ビデオ(お母さんといっしょ)をひたすら見続けていたが、夫が娘を公園に連れて行ってくれたので、ずっとずっと掃除を片付けをした。

掃除って勢いがつかないとできないので、今日みたいな日に一気にやってしまわないと大変な事になる。いや、もう大変なことになって長いんだが。

すっきししてオフィスにも立ち寄った。

やっぱ朝走ると1日が本当に充実する。
走ることで体がきれいになる気がする。

仕事面では考える事が(私なりに)多いんだが、ここには日々のくだらない出来事を書く事で、精神面の浄化をしている。
教会に行く人は1週間に1度は精神を浄化するためにお祈りするって言ってたけど、私は無宗教だから、書く事が浄化。

娘はお昼寝なしのぶっ通しで遊んでおき続けていたので、へろへろだった。

8時前床につかせようと本を読んでいたら、私の方が眠くなってしまって,ハードカバーの絵本を娘の顔に落としてしまった。
娘は泣きながらすぐ寝た。
悪かった。

祝!五輪出場

2006-01-13 21:42:02 | Weblog
帰宅するために車にのってラジオをつけたとたん、とても嬉しいニュースが飛び込んだ。
今開催されているUS figure skating championshipでRena Inoue & John Baldwinペアが見事米国代表として五輪切符を手に入れたのだ。
思わず手を叩いてしまった。

帰宅後夫にそのことを知らせると、すぐテレビ番組を探してくれて7時半から放映予定との事。もう8時過ぎていたので急いでESPNをつけたら、延長につぐ延長のバスケットの試合をしていた。それが9時前に終了したので、それからフィギスケートが始まった。

最初のアイスダンスが終わって、ペアが始まったのはかなり遅かった。

演技を見続けて、ついにrena and john.

オリンピックの出場権を得るために9月日本国籍から米国籍に変えた事。
そうすることへの心の葛藤。
この試合でオリンピックに出られなければ、努力が水の泡と課すプレッシャー。

そしてついに彼女達はなんとペアでは初のスローイング・トリプルアクセルを成功させた。

会場は湧き、本人達も高揚しているのがわかった。

私たちは涙していた。

トリノに応援は行けないけど、本人たちが後悔のない演技をしてほしい。

頑張れジョン&れなちゃん!

ついてない割には満足度高し

2006-01-12 22:12:36 | Weblog
今朝はX線ライセンス更新のためセミナーに行くことになっていた。
8時から開始なので自宅を7時過ぎには出なければならない。
それまでに子供の洋服の準備とお弁当の準備を仕上げていかなければならないので、緊張もあってか夜中の3時前から目が覚めてしまった。

習性で自動的にコンピューターのスイッチを入れ、メールを確認すると結構ずこーんということがあった。
その返事を書くのに2時間。
でも本人に送れず、何度も何度も返送されてしまった。

夜明けが近づき何気なく娘をチェックするとお漏らししてた。
目ぼけ眼の娘のパンツを取り替え、布団の上にタオルを敷いて再び寝かしつけた。

一応全部準備は済んだので、7時過ぎに家を出て、目的地のホテルに向かった。駐車場の停めて、会議室を探すとあったあった。
さっそく登録しようとした。

「君はX線更新だけだよね」

「はい」

「・・・・・X線の講義は2時からだよ」

「え・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!」

そ、そんな馬鹿な。

午前中は全部クローズにして午後は全部予約入れている。

いつの間にスケジュールが変わってしまったのか・・・・。

かなりショック。

このまま居てもしょうがないので、講義の変更は出来るか尋ねた所、大丈夫と言われた。3月末の更新まで間に合いそうなので、3月に同じ場所で開かれる講義に変更してもらった。

なんで、いきなり変更するんじゃい!

もーぷんぷん

ホテルを急いで出て駐車場から車を出すと、10分足らず停めていたのに$2.75チャージされた。

ぐやじい。

そのまま運転して時計を見ると、まだ8時半。これなら娘をプレスクールにつれていける。夫に電話して事情を話し、「私がドロップするから」と伝えた。

あー,なんてスタート。

信号待ちの度に、ファックスされた要項を確認した。

(全く、なんでいきなり予定変えるんよ・・・・)

と、むっとしていたら、

あれ?

要項にはしっかり「X線は2時から」と書いているではないか。

・・・・・・・・・・
何だ私が読み間違えてただけなんじゃん。

馬鹿。私の馬鹿。

数ヶ月前に行ったセミナーの時間割が8時からだったので、信じて疑わなかったのであった。

ともかく午前中は空けてあるので、気を取り直して雑用を片っ端から片付けることに決めた。

銀行
クリーニグ屋
コピー屋
娘の友達の誕生日プレゼント

1時間くらいで全部の用事が済んだ。

あー気持ちえー。

オフィスでも気になっていた仕事を少しこなした。

クリーニグ屋で聞いた話が興味深かった。

経営者の韓国人のおじさんが、私の顔をじーっと見て、

「君の目はアジア人にしては大きいね。うちは娘が2人いるけど上の子が17歳のとき二重の手術をしたんだ。両目で1500ドルもしたんだよ。」

「え~! それをあなたは許したの?」

「許すも何も俺がお金出したんだから、しょうがないよ。娘に頼まれちゃーね。整形はとてもポピュラーで列をなして順番待ちしてるんだよ。美容整形外科医は本当儲かってるよ」

ひょえ~!

韓国人の美容整形に対する敷居はかなり低いようである。
奇麗になって当たり前なんである。
それで素晴らしい出会いがあるとか、仕事に恵まれるならいいんでないか。
クリーニング店を出ながら、
(私は1500ドル得してんだ)
と思う事にした。

その後、心理的にプレッシャーを感じていたことが一つずつ解決して行った(ような気がした)。

気持ちよく仕事を終えて帰宅。

夕食後、娘がお風呂に入って来た。
入る瞬間、私が入っている湯船にじょ~っとしてくれた。

今日はおしっこに始まり、おしっこに終わった日であった。


平成の数え方

2006-01-11 06:47:31 | Weblog
海外に住んでいると平成何年というのが本気でわからない。

年末帰国した方が、3日という短い滞在期間中、歯医者に行った。

衛生士さんが、

「平成6年から来ておられませんね」

と言った。

彼は、

「今、平成何年ですか?」

と、素直に尋ねた。

彼は,フーテンのような格好をしていたため、怪訝な顔で見られたという。

こういうのはしゃれじゃなくて、よくある話だと思う。

今年は姉が「今年は平成18年、2006年」と唱えていたので、わかった。

別の方が教えてくれたのは、1988年が平成1年だから今年は18年ということだ。

ありゃ、それだったら、簡単。

88年っつったら私が渡米した年じゃないですか。

平成と私の滞米年数は同じということになるので、それだったら計算が簡単になる。

と言う訳で、サブタイトルの年数増やしました。


なにゆえカツラなのか

2006-01-10 22:46:54 | Weblog
日曜日のon & off2時間半の自転車乗りで、お尻というより股が、いや、股と言うよりお尻の骨が痛む今日この頃。

MrFと話していたら、仕事柄こちらの夜中2時頃が一番ピークにくるような生活をなさているらしい。日本と仕事をしている方はそれぞれピークの持って行き方が違うと思うが、彼の場合NYも視野に入れなければならないので、一体いつ休んでいるんだろうと不思議にさえ思う。

さすがの彼も疲労困憊のご様子。

しかし家庭を持つ彼に家族は容赦ない。

休みの日には、奥様から
「休みの日くらい子供を見てくれ」と、彼は子供の水泳大会につきあい、それもぼーっと見ているのではなく、ボランティアとしてタイムを計ったりしなければならない。これも一つの仕事である。

一方、彼女はカラオケに行った。

(ほお~、大したもんだ)とかなり感心した私(羨望も含む)。

続いて彼は、

「それがカツラ持参なんですよ」

と付け足した。

カラオケにカツラ持参とは一体どういうこっちゃ?

話によると奥様のカラオケ仲間がかなり上手いらしく、ド演歌ばかり歌いまくっているらしい。カツラを持っていくということは変装しているのではないか、と私たちは想像した。

「それはサブカルチャーとして取材の価値があるのでは?」

と提案すると、

「『是非俺も呼んでくれ』と頼んでるんですけどね」とのこと。

「私も是非参加させてください」と依頼するのを忘れなかった。