ぞな通信

四国・松山生まれ、在米25年、Zonaの日常生活。

試されるとき

2007-08-29 21:51:02 | Weblog
いろんなことが次々起こる。

まるで神様が、私に、

「これはできるか」

「あれはできるか」

と、難題をぽんぽん投げているようだ。

試練はそれを越えられる人に与えられる。

そう言い聞かせて、四つに組んで立ち向かおうと心に決めた。

taxしんどい

2007-08-24 21:54:42 | Weblog
日常の業務の上、遅れているタックスの処理で、夫から毎日怒られている。

帰宅拒否の気持ち・・・・

はあ~、仕事というのは幅が広くて嬉しいのと苦しいのとしんどいのが混在するものである。

一番楽なのは人から給料をもらうのが一番楽かもしれない。


バケーションの副産物

2007-08-21 00:10:14 | Weblog
1週間の休みでとってもいいことがあった。

なんと娘の日本語が飛躍的に伸びた事である。
その上、親の私がぎょっとするくらい、松山弁がばりばり上達していたのである。

24時間7days、兄の家族とびっちりいたため、朝から晩までいとこたちと遊んでいた娘。
松山に帰った時よりも方言が上手くなっていたのは何故だろうか・・・・
やっぱり子供同士で遊びまくるのが語学上達には一番いいみたい・・・

「ぞな子ちゃん、痛いけん・・・」
「しんどいけん・・・」
「やらんといかんけん・・・」

などと語尾に「けん」をつけるのが抜群に上手くなっていた。

竹中直人がいたホテルのエントランスは池に鯉がたくさんいるのだが、そこでも

「(鯉が)おったおった~!!!!!!!」

と、叫ぶのである。

この時は恥ずかしかった。

誰もこの子がアメリカ生まれとは思わないであろう・・・・

素晴らしく垢抜けてないではないか。

そして、こっちに戻って、義母のうちに遊びに来ていたアメリカのいとこたちが、娘にたずねた。

「ぞな子ちゃん、『けん』ってなんのこと?」

アメリカのいとこたちは、流暢な方言を操る娘の日本語がわからなくなってしまっていたのだ。
ぞな子はどうして自分の言っていることが相手に通じないのかわからない。
いいぞ、ぞな子。
その調子でしゃべってくれ。




バケーション(4)

2007-08-21 00:08:31 | Weblog
兄家族のフライトは土曜(8/11/07)の朝6時35分だったので、午前3時半に起床して、家を出たのが4時半。
6歳と9歳の甥と姪もさぞ眠かろうに、ぽーっとしながらも起きていた。
日本人らしく,4時半きっちりに家を出た。
辺りはまだ真っ暗で、星空が素晴らしく美しかった。
溶岩しかないので、運転していてもあたりは真っ暗である。
それでもぽつぽつ車が見える。
ホテルに勤める早番の人たちであろうか。

予定通り空港に着いて、荷物を下ろし、車をパーキングに停めてようとしたら•••
ありゃ、財布を忘れたがなっっっっ。

荷物を持って向こうへ行こうとする兄に、焦りながら、

「おにいちゃーん!!!、さ、財布忘れたっっっっ。駐車代がなんぼになるかわからんけんお金かして!!!!」

と、$20もらった。

財布がなけりゃ、免許証もない。
ゆったり見送るのが、焦るはめになった。

パーキングで「どのくらいかかるの?」と聞いて、数ドルということなので、ひとまず安心。ターミナルに戻り、チェックインの手伝いをした。
朝一なのもあって、比較的スムーズに済んだ。
おそらくホノルル経由で日本に帰ると思われる人々もいたので、

「あの人たちにも多分そうだから大丈夫だよ」

と伝えた。

セキュリティーゲートからはもう入れないので、そこで別れを告げた。

急いでパーキングに戻って支払いを済ませようとすると、短時間だったのか、駐車場のおばちゃんが「金はいらん」という仕草で手を振った。
あ、いらんの・・・・・ありがとう。

感謝しながら、安全運転で帰宅。

兄家族が発って空港から帰宅しても午前6時前だった。
予定ではこんなに早く終わるはずもなかったから、Kマートに寄って旅行鞄を購入して帰宅する予定だったが(夫に頼まれた)、朝早すぎたのと財布を忘れたので、早く帰りたくてしょうがなかった。
こういうときおまわりさんに捕まったらアホらしいし。

帰宅したらどっと疲れが出て、結局その1日は何もしなかった。
後片付けもあったが、気力も体力もなくなり、だらだら過ごした。
どうせLAに帰ったら翌日からすぐ仕事だし、最後の日はリカバリーする日にしようと決めた。

翌日、昼の便に乗るべくコナ空港に出向いたが、早朝の便と異なり、ものすごい人出である。チェックインするまでに汗だくになった。
夫は雨を浴びたほど汗をかいている。

「汚いな~」

というと、

「ちゃんと着替えのシャツを持って来ている」

と、後で着替えていた。

スムーズなフライト後、ジョンウエインエアポートに予定より遥かに早く着いたが、機内で30分以上待たされた。
そして、バゲッジクレームでは2時間近く待たされるはめになったのである。

そう、空港のコンピューターシステムが壊れて、荷物を運ぶベルトコンベアーが作動しないのである。
おまけに次々到着する飛行機の荷物が全部一緒になってえらいことになっていた。

この空港最悪・・・

2時間後ようやく荷物を取り、家に向かった。
近所のラーメン屋が12時まで開いている事を確認して閉店前に駆け込んだ。

最後の最後に疲れた。

帰宅したら12時を回っていた。

翌日に知った事だが、空港のシステムダウンは私たちが使った空港のみならず、LAXではもっと大規模なシステムダウンがあったことがわかった。
土曜日(8/11/07)の国際線がめちゃくちゃになってアメリカ入国がかなり困難を来したらしい。
ジョンウエイン空港もあかんかったが、LAXはもっとだめだったんだ・・・

それと、LAに帰った日に、ハワイ島で震度5の地震があったことを知った。
まさにあのキラウエア火山である。
かなり大きなハリケーンも来た。
お盆休みでハワイ島に行った人たちはすべてを直撃されたのではなかろうか。
すべてくぐり抜けた形になったが、巻き込まれなくてよかった~
本当に充実した1週間であった。

バケーション(3)

2007-08-20 23:56:56 | Weblog
木曜日(8/9/07)と金曜日(8/10/07)はキラウエア火山に行った。
ここまで行くのには車で数時間かかるため、子供には退屈でしかない。
車内ではひたすらしりとりをしまくったのであった。
おかげで子供たちの語彙が飛躍的に伸びた。
くねくね道と退屈さが手伝って,姪と甥がくたばった。
ああ、やっぱりこの子たちには無理だったかなあ~。

ボルケーノビレッジのB&B(Bed and Breakfast/アメリカ版ペンション)に泊まったんだが、ここは去年も泊まった。
多分地震のせいだろうが、家が傾いている。
民宿みたいな感じで、食べる所が共同。
食べるといっても朝食だけで、それも簡単なフルーツとコーヒー。
パンは自分で焼いて食べるだけ、という超簡単な宿泊施設なのである。
前日の夕刻は,ピザとカップラーメンで済ました。
簡素な施設なので、姪にはきつかったようだ。
朝晩は相当冷えるし。
まあ、特上リゾートと民宿も経験するのもよかろう。

ボルケーノはかなり活発に活動中らしく、群発地震が頻発。その影響で周辺各所は亀裂が入り、今まで溶岩を流し続けてきたプウオオ火口の活動が止まってしまった。
そのかわり別の場所に亀裂が入り、そこが活発になっている様子だった。
現在、赤い溶岩やオーシャンエントリーの水蒸気は見えない。
去年は海岸線の方まで足を伸ばし、真っ暗な中懐中電灯持参でかなり遠くまで歩いて、遠目に海に流れ込む溶岩や丘から流れる溶岩を見ることができたが、今年はこの地震のため、閉鎖されている地域が多かった。
この場所で歩くこと自体がハイキングだったので、それが出来なかったのは残念。
しかし、数日後震度5の地震があったことを思えば無茶をしなくて正解だったのだ。あんなところで地震があったら(それも溶岩の上で!)命がけで走らなければならない。
いや、その前に真っ赤な溶岩の中で焼死しているであろう。

火山の国立公園内はハイキングコースも充実しているのだが、うちはもうちょっと後かな。
恐るべきなのは、ボルケーノマラソンというのがある、ということだ。
かなりきついと書いてあったが、そりゃそうでしょ。
高所だし、硫黄もある。
マニアックなマラソンではないか。
ここはアイアンマンレースが行われる土地柄、だんだんMが増加する傾向にあるのだろうか。

ボルケーノの溶岩歩きは日中だったため懐中電灯が不要だったが、lava tube内は必要だった。
全員1個もって、真っ暗なlava tubeを歩む。
本当に真っ暗なので、甥は腰が引けていた。
この先ずっとずっと行ったら白骨死体とかあるんちゃうか、と想像したりするともうだめ。
10メートルかそこらで引き返した。
7人で歩いてもスリル満点であった。

ちなみに、世界3大パワースポットは、アリゾナ(アメリカ)のセドナ、フランスのローデスと、ハワイ島のマウナラニ。ガイドブックによると、火口までのchain of crators roadも含まれるらしい。

当地のツアー会社の「太公望」は、(現地のパンフレットによると)この会社を立ち上げられた社長さんが、84年にハワイ島に来られた時、稲妻が走るような地球とのエネルギーを感じ、それを伝える使命を感じて起業なさったという。
人を突き動かす、自然が放つエネルギーを体で感じられる感受性が素晴らしい。
過去3年間マウナラニに来た。
火山にも過去2年来た。
が、そこまでのバワーを感じえなかった。
私は腐っとるのかもしれぬ。

昼くらいまで火山をぐるぐる周り、その後はヒロ経由でマウナラニに帰る事にした。
途中、マカデミアンナッツで有名なマウナロア・マカデミアンナッツ工場兼農園に寄った。
これがまたばかでかいのだ。
道路から私道に入り、工場兼店舗に着くまで一体何分かかっただろうか。
広大な敷地を期待していなかっただけに、驚いてしまった。

観光地で買うよりも格段に安い。
立ち寄る予定もなかったけれど、立ち寄って良かった~。

あとは、もうヒロ経由で帰るだけである。
ヒロはちょっと裏寂れた街である。
私は明るいマウナラニが好きだけど、兄嫁は「このちょっと寂しい雰囲気がいい」という感じでえらくお気に入りであった。

家に着くのは夕方であろう。
子供たちが後ろの席で、すやすやと寝ていた。

バケーション(2.5番外編)

2007-08-20 23:35:16 | Weblog
なんでそういう話になったのか覚えていないが、キラウエア火山にゆで卵を持って行く事になった。硫黄の匂いがどうのこうのという流れでこうなったのかもしれぬ。

私にはうら若き乙女の頃、ゆで卵にまつわるエピソードがあった。

今までずっと忘れていたのに、20年以上も経った今、それもハワイ島で思い出すのも何かの因縁であろうか。

東京の大学に行っていきなり体育会に入ったものの、部員には付属校上がりの先輩方もいらっしゃった。
彼らはカレッジリングをしていたり、なんかこう都会的な匂いがしたのであった。
だいたいカレッジリングなんかしてる男、松山にはおらんかった。

ちゃらい、ちゃらすぎる・・・・

適当に遊び慣れている彼らであったので、厳しい上下関係の中でも、夏になったら海に行こうという話が出た。
1年生は奴隷であったため、有無を言わさず私たちも付いて行った。というより連行された。

ボーイフレンドでもない、友達でもない、先輩後輩の縦社会で、一歩外に出た環境で一体私はどういう風にふるまっていいのかわからなかった。

昼頃だったのか、先輩のうちの一人が、

「腹減った~、何か持って来た~?」

と、今考えるとそういう発言自体男尊女卑なのであるが、私はすかさず、

「ゆで卵もってきました」
と、数個のゆで卵と気を利かしてお塩まで出したのであった
もちろん爆笑されました・・・・・

「こういうときにはおにぎりかサンドイッチだろ!!!!」

と、つっこまれたが、おにぎりも持って行っていたのだが、とーってもへたくそなおにぎりで、海苔にご飯粒がたくさんついた代物だったのだ。

地方出身者の匂いがまだぷんぷんしていたあの頃、気の毒がってくれたのか、4年生の先輩が、うまいうまいと食べてくれた。

申し訳なかったし恥ずかしかったし、なにより気の利いたサンドイッチを作って来れなかった自分を呪った。

以来ゆで卵は自宅でサラダを作る以外は作ってなかったなあ・・・・・

今なら何を持って行ったらいいかなんてすぐわかるのに、当時の自分に教えてあげたいくらいだ。

すると、兄か兄嫁が言った。

「板東英二は新幹線に乗ったらゆで卵を6個食べるらしい」

そうか・・・・私は板東英二といい友達になれるかもしれない。

その夜、マウナラニのリゾート地で、いそいそとゆで卵をゆでまくった私であった。

そしておもむろに兄は、沖縄で買ったという塩まで出して来たのだ。

認めたくないけど、私たちって似た兄妹なのかもしれない。

バケーション(2)

2007-08-20 21:07:18 | Weblog
週の初めはひたすらビーチとプール通い。
子供たちも恐ろしい勢いで泳ぐのが上手くなって行った。
何曜日か忘れたが、マウナラニホテルのプールで大大大好きな竹中直人の家族を見た。
プライベートのようだったので、もちろん何も言わないし、大好きな人を遠目に見るような感じで、近くにいた。
水中1mくらいまで接近だ~い
同じプールにいることが幸せ・・・・・
彼は小柄だったが真っ黒で、引き締まった体をしていた。とても鍛えているようだ。
夫でもわかったくらい、テレビと同じだった。

兄と兄嫁は、彼の奥様、元アイドルの木之内みどり(木内みどりのちゃうよ)の方が気になっていたようだ。
ああ、生竹中直人に会えてもう満足・・・・

それはともかく、水曜日はワイメアのDahana Ranchに乗馬に行った。
あまり乗り気ではない兄嫁を強制連行したのだが、結果は大正解!
そもそもここに最初来たのは、夫たちがゴルフばーっかりして、業を煮やした私が娘と勝手に馬に乗りに行ったのが始めだった。
当時3歳だった娘でも乗れる乗馬がここしかなかったのだ。
おまけに普通の馬をあてがわれ、農場の子供(というかイケメンお兄ちゃん)がちゃんと娘の手綱を引いてくれるのだ。
だから安心して任せられるし、それより何より自分のことで精一杯の私には助かるのだ。

そういう広大な牧場で海なんか全然見えない風景も知って欲しかったし、とにかく360度ずっと見渡す限り緑の牧場と青い空というものを兄家族に見て欲しかった。
ゆっくり馬が歩いてくれるので、兄嫁も安心したようだ。
娘と姪をリードしてくれたお兄ちゃんが、馬を走らせると、娘たちはきゃっきゃっ言いながら笑い続けていた。

かわいい~
もう可愛くていとおしい笑顔だった。
これだけでもおつりがきたものよ。

今でも思い出すけれど、最高の笑顔だった。


バケーション(1)

2007-08-20 21:06:15 | Weblog
もう先々週の話になるが、海外旅行というか国内旅行というか、ハワイ島(ビックアイランド)で8月4日から12日までバケーションをとった。
兄家族も参加して中間地点で会おうということにしたのだ。
うちに来てくれてもよかったが、私の負担が倍になるので逃げた。
そしてそれは大正解であった。

兄もお盆休みしか休みは取れないはずであったが、肝心の航空券が取れなかったため、1週間早めたのであった。これも結果的には大正解。

コナ空港では私たちが先について、ほんの15分後に兄家族が着いた。
なんだかアメリカって感じじゃないなあ・・・・
とにかく元気で到着してくれて嬉しい。

さっそくレンタカーを2台借りて出発した。

家に到着後から、甥や姪のテンションは最高で、家にあるプールにすぐ入っていた。
もちろん娘も一緒だ。
しこたま泳いで夕食。

私は自宅から米10合、食パン1片、カレーやシチューのルー3箱。ふりかけや乾物を持って来たが、これが1週間大活躍することとなった。
決して家事はうまくないが、皆で食べると何でもおいしいおいしい。

今後予定は、とにかくビーチとプール。
水曜日に乗馬。
木金がキラウエア火山。
空いた時間はプール。
プールは家と、ゲート内のプールと、5分運転すればホテルのプールも利用できる。
子供が小さいので、プールとビーチさえあれば実のところ事は足りる。
でも移動時間が0分~5分というこの環境は、地元では求められない。
親も楽ができるというもんよ。

兄と夫は何となく体格が似ていた。
どちらもメタボリック症候群まっしぐら

さてどんな休暇になるやら。




バタ子さん

2007-08-16 22:07:02 | Weblog
娘と夫がアンパンマンゲームをしているようだ。

夫が言った。

「バタ子さんって女なの?」

娘「うん」

バタ子さんに失礼ではないか。

よし子ちゃんに似ているような気もする。

Back to real life

2007-08-14 07:34:18 | Weblog
1週間のバケーションから帰ったら、もう平常生活に戻ったがこれが忙しい。
書く事はたくさんあるけど、ちょっと待ってくらさーい。

バケーション地では竹中直人がいたのが嬉しかった。
昨日はその場所でかなりの地震もあったそうだ。
火山まで私たちは行っていたから危ない危ない。たしか数日前もマグマが噴火したようなことを言っていた。
ともかくけがもなく戻れたことが嬉しい。

注意書きみたいな書き方ですが、ほんと時間がないので。

姉よ、50歳の誕生日おめでとう。