東日本大震災から11年、そして、3.11は武田勝頼公のご命日

2022-03-11 19:54:43 | 紹介
2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で11年。
時間の経過とともに人々の記憶も風化していきますが、地球が活動を続け、そこに人々の
営みが続くかぎり、どこに居ても長い年月の中で自然災害は避けて通ることはできません。
災害が少ないと言われる山梨県でさえ、過去には様々な災害に見舞われ、
多くの犠牲者が出ていることが記録されています。

東北の震災については、山梨県の窪八幡神社別当の普賢寺に伝来した『王代記』という記録に
1454年に発生した大地震の様子が記されています。
「11月23日夜に奥州の海岸から百里まで(かなり内陸まで)津波が押し寄せ、
引く際に多くの人をさらっていった」、ということが綴られています。
現代ほど情報伝達手段が未発達な室町時代でも、奥州から遠く離れた山梨まで
被災状況が伝わるほど、甚大な被害があったものと思われます。
過去から繰り返し発生してきた災害から身を守るために、人は文字で歴史を伝え、
警鐘を鳴らしてきました。
今は、音声や動画もあり、さらに多様な手段で記録を残すことができますので、
思い出したくない記録でも、また次の世代に伝えていかなければなりません。
被災された方々には本当に辛いことですが、未曾有の大震災の記憶を後世に伝えることで、
将来、一人でも多くの方の命が救われるよう、歴史を語り継いでいくことが
大切になるのではないでしょうか。

ちょうど同日になってしまいましたが、3月11日は戦国時代の雄、名門甲斐武田氏の
宗家が滅亡した日でもあります。
天正10年(1582)、織田信長、徳川家康の軍勢に同時侵攻され、成す術もなく、
中部地方一帯を治めた武田勝頼公とその家族は、田野(甲州市)の山中で自害し、
武田氏は滅亡しました。
敗因は様々あろうかと思いますが、家臣や一族の多くが勝頼を見限ったことが大きかったことは言うまでもありません。
なぜ、勝頼がそのような扱いを受けたのか、そこはまだわからないことも多くありますので、
これから武田氏の研究がさらに進み、当時の状況が把握できるようになる日を待ちたいと思います。
本来ですと、この臨時休館中は信玄公生誕500年記念特別展の最後のテーマ、
「信玄公の後継者」として、ご命日を迎えられた勝頼公に関わる展示を開催する
予定でした。
再開のタイミング次第では、中止という可能性もありますが、3月中に短期間でも
開館ができましたら、
一人でも多くの方にご覧いただければと思っております。

信玄ミュージアムでは、小さな取り組みですが、武田氏、あるいは中世の城館という
ジャンルを中心に、少しでも歴史に興味を持ってもらえるように、と思っています。
歴史をただの趣味や興味、学校の授業の一環で終わらせるのではなく、
人類の記録の継承ではないですが、歴史から学んで活かす、なんてことは言いません。
まずは、興味を持ってもらう、楽しく知ってもらう、
そのための入り口になればと思いますので、どうぞ、お気軽にお越しください。

そして、4月から始まる新たな企画展のため、本日、長野市の善光寺大本願様から
貴重な資料を借用させていただきました。
各地の善光寺様では、まもなく7年に1度の御開帳が行われます。
それにちなんだ企画展となります。
きちんと調べていないのでわかりませんが、
おそらく山梨県内では初公開の史料になるのではと思います。
近日、詳細を告知させていただきますので、ご期待下さい!

コメント
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