祈るも天道 祈らぬも天道

2022-03-24 18:50:16 | 紹介
春分の日の3連休もあっという間に過ぎ去って、いよいよ全国的に「まん防」が解除。
おかげさまで当館も臨時休館を終え、再開が叶いました。
このあたりも桜が美しいところですので、お花見がてら、ぜひ当館にもお立ち寄りください。

少し日が過ぎてしまいましたが、春分の日は「宇宙元旦」とも呼ばれることをご存知ですか。
毎年、春分の日に、西洋占星術の12星座の新たなサイクルがスタートするそうで、
いつからこのように言われているのかはわかりませんが、だから「宇宙元旦」なんだとか。

日本において「宇宙」という言葉は案外古く、すでに「日本書紀」で使われています。
ただ、ここでは「アメノシタ」と訓読みされ、「地上」「天下」「国家」を意味したとか。
現在の「宇宙」という意味では、仏教語「世界」(=時空間すべて)の方が近い意味で使われていたようです。

その「世界」は「天」という言葉にも通じていたかもしれません。
「天」とは、宇宙万物を生み、そして支配するものであり、人はその天命に従わなくてはならない・・・
儒教の根本となる思想で、日本に持ち込まれて以降、武士の生き様にも大きな影響を与えました。
実際、「甲陽軍艦」にも「天」や「天道」という言葉が多出しています。

「天道」、すなわち天の道理、摂理では、神仏を信仰することも重視するけれど、
ほとんど宗教とは関係ない、世俗的な道徳も大事にしなければ、と人々は考えていたようです。
だから「祈るも天道 祈らぬも天道」(「甲陽軍艦」品第六より)とあるように、
天に祈ったからと言って願いが叶うものでもなく、祈らなかったからといって天罰が下るものでもない。
天のなされることはあくまで公平で、天道に適う行動をとることが大切とされました。

勝頼公の妻、北条夫人が武田家の安泰を祈念して、武田八幡宮に奉納した願文でも、
「かつ頼うんを天とうにまかせ〜中略〜てきちんにむかふ」
(勝頼は運を天道に任せて〜中略〜敵陣に向かっています)
夫の出陣は天道に適ったことであるのに、家臣の心はまちまちで…と訴えています。
さらに「志んりょ天めいまことあらは…」(神慮天命まこと有らば…)
勝頼に勝たせてほしい(!)とすがる思いがしたためられて。

この願文は、天正10年(1582)2月1日、織田信長による甲斐国への侵攻で、一部家臣が離反。
それを受けて、同年2月19日、なんとか夫を、武田家を助けてほしいという一念で奉納されたもの。
でも、北条夫人には厳しい運命が待っていて…。
同年3月11日、追い詰められた夫・勝頼公と嫡男・信勝(※1)と共に、
天目山(現在の甲州市田野)にて自刃します。
享年19才。
(※1)信勝は勝頼公と正妻で織田信長の養女・龍勝院との子。北条夫人は継室で、信勝の実母ではありません。

すべては天命天運次第。
天道は、時に厳しいけれど、きっと道理に適っていて、
明日もわからぬ戦国の世の人の生き死にを説明してくれるものであり、
納得させてくれるものの一つ…だったのかもしれません。

当館の旧堀田古城園のお庭に、今年も紫蘭が芽吹き始めました。

恵林寺住職、快川紹喜が北条夫人に例えた「芝蘭」(※2)ではないけれど。
(※2)霊芝と蘭。転じて、かおりの良い草。またはすぐれたもの。

<お知らせ>
再開後の特別展示室のテーマは、
「信玄公生誕500年記念特別展「遺産から語る武田信玄」
〜信玄公の後継者〜

後継者といえば、武田勝頼公です。
特別展示室では、勝頼公の菩提寺法泉寺に伝わる「武田勝頼画像」(複製)や
天目山での勝頼軍を描いた錦絵、
江戸時代のベストセラー「甲陽軍艦」を展示しております。

武田氏館跡の御城印(獅子朱印・龍朱印版)も配布中です。
こちらも、通常版とは異なる、勝頼公が使用した御朱印をあしらった
この時期だけの限定バージョンです。
特別展示室ご入室の際には、記念にお受取りください。

皆さまのお越しをお待ちしております。


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