かわらけ君の世界 番外編で主役登場!?

2020-05-21 15:28:37 | 紹介
武田氏館跡からは、たくさんの茶色い「かわらけ」が出土しています。
でも、ちょっと風合いの違うものもあるんです。

それが「白かわらけ」。
清少納言も「枕草子」で「きよしとみゆる物。かはらけ。」と表現していますが、
「白かわらけ」は、この「かはらけ」に近い姿ではないかと思われます。

かわらけ君の背景も白ヴァージョンで。
気づきましたか?


その名の通り、白っぽくて、さらさらした質感の「かわらけ」(ケース内左)。
「かわらけ」は、大量消費ゆえに、ほとんどがその土地での生産になりますが、
展示品の「白かわらけ」は、粘土と作り方が違い、出土する数も少ないのです。
そんな特別な「かわらけ」を儀式や饗宴で使う人は、当然のことながら、限定されます。
展示品が出土した場所は、現在の武田神社の本殿を含む、まさにお館さまの住まいがあった曲輪の中。


武田神社の拝殿、左手のあたりが「白かわらけ」の出土場所


地図上では☆印のあたりになります。
信玄ミュージアム(武田氏館跡歴史館)は主郭を囲む堀の南側。

宮廷の年中行事から発展し、その後各地に広まった武家儀礼。
とは言え、全国各地がみんな同じだったわけではなく、地域それぞれに発展したと考えられています。
「白かわらけ」も地元工房で作っていた国もあり。
たくさん作れるようにとなると、その価値や意味合いに変化が生まれ、
「白かわらけ」の使い方や使う人、場所なども多様化。

ただ、少なくとも、武田氏館跡で出土した「白かわらけ」は、
とても限定的なものですので、権威の象徴という意味ももっていたと言えそうです。

出土品には、その土地や時代を知るヒントがたくさん。
「刀剣とかないんだ~」なんて言わないで、
信玄ミュージアムにも遊びにいらしてください😉 

新型コロナウイルス感染防止のため、
ミュージアム再開後も、通常のご見学が難しいかもしれません。
申し訳ございませんが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。
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オンラインの時代だからこそ

2020-05-19 12:23:13 | 紹介
日本の歴史で、どの時代を面白いと感じるかは人それぞれ。
それでも、戦国時代がとってもドラマチック😉 な時代のひとつであることは、
皆さまご納得いただけるかと思います。

信玄ミュージアムで展示しているものは、武田氏の館跡から発掘されたもの。
信玄の父である信虎、信玄、その子勝頼が活躍した時代をリアルに知る足がかり。

例えば、戦国の世を生きた軍馬の全身骨格を目の当たりにすれば
武田信玄や配下で活躍した二十四将の生きた時代がぐっと近づいてくるはず。

戦国時代の馬の全身骨格としては、全国でも唯一の例。(こちらはレプリカ)
武田氏館跡、甲府盆地を見下ろす梅翁曲輪(ばいおうくるわ)で発掘されました。


写真中央の芝のスペースが馬骨が出土した場所。
館跡の西曲輪の虎口(出入り口)から撮影📷

甲斐国は古代より名馬の産地。おそらくその血を継いだ在来馬。
時代劇にさっそうと登場するサラブレッドとは違うけれど、
大切に育てられ、大切に葬られたからこそ、状態よく出土しました。
どなたの軍馬だったのかはわかりませんが、この馬と主の関係が偲ばれます。


馬鎧の破片。

館跡からの出土した展示物を前に、想像をたくましく💪
新型コロナウイルスの影響で、オンラインサービスの活躍著しい今日この頃ですが、
そんな時だからこそ、リアルな出会いの大切さが身に沁みます😷 
当館にお越しの際、ちょっとでもリアルに武田氏の時代を体感する機会となれば幸いです。


武田氏館跡(現在の武田神社)西曲輪
当時の遺構、雰囲気を残す館跡のお散歩もおすすめ。

【お知らせ🎶】
信玄ミュージアムでは、再オープン後に「武田二十四将総選挙!」を企画しています。
開催時期や企画内容などの詳細は、HPやこちらのブログでお知らせします。
ぜひぜひご参加ください😊

新型コロナウイルス蔓延防止のため、
臨時休館終了後も、しばらくは通常のご見学が難しいかもしれません。
申し訳ございませんが、どうぞご了承ください。よろしくお願いいたします。
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かわらけ君の世界から、ちょっと脱線

2020-05-16 13:49:34 | 紹介
信玄ミュージアムのゆるキャラ「かわらけ君」


なんで「かわらけ君」なの?
それは、武田氏館跡から、もっとも多く出土されるものだから。
そしてその正体、単なる素焼きの器・・ではありません。
実は実は、武家社会の儀礼・饗宴の非日常を演出する
大切なお役目を担っておりました。

よろしければ、こちらもご覧ください。
かわらけ君の世界(その1) - 信玄ミュージアムと甲府市歴史文化財課の情報発信ブログ
かわらけ君の世界(その2) - 信玄ミュージアムと甲府市歴史文化財課の情報発信ブログ
かわらけ君の世界(その3) - 信玄ミュージアムと甲府市歴史文化財課の情報発信ブログ

当館の特別展示室には、「かわらけ」をさわれるコーナーがあります。
戦国時代の地層から出土した、本物です。

とても良い状態のこれらの「かわらけ」
館跡よりほど近い、武田二十四将にも名を連ねる武田氏家臣の屋敷跡から出土したもの。


「躑躅が崎館と城下絵図」(岩下家所蔵)一部
オレンジ色に塗られたところが、武田氏家臣の屋敷
この中に、その方のお屋敷もありますよ♪

屋敷の主は、土屋昌続(または昌次)(1545(?)-1575)
奥近習6人衆の一人として信玄のそばで仕え、後に側近。
また、信玄の嫡男義信らが、信玄の暗殺を企てたとされた後、
家中の動揺を収めるために奉納した、家臣の起請文徴収に関わったという。
最期は、長篠合戦で一斉射撃を受けて戦死したと伝えられる。

この土屋氏の屋敷跡から出土した「かわらけ」に触れるということは・・・
「何かある!」という発掘現場のわくわく♪には及ばずとも、
その時代を生きた人たち、彼らが手にしたかもしれない「もの」を介して
戦国時代からの何らかのメッセージを受け取る(!?)疑似体験になるかも!?

戦から戻った武将たちが、どんなところで、どのように暮らしていたのか?
そんなところにも、注目してみてください。

【お知らせ🎶】
信玄ミュージアムでは、再オープン後に「武田二十四将総選挙!」を企画しています。
開催時期や企画内容などの詳細は、HPやこちらのブログでお知らせします。
ぜひぜひご参加ください😊 

新型コロナウイルス蔓延防止のため、
臨時休館終了後も、しばらくは通常のご見学が難しいかもしれません。
ご了承ください。よろしくお願いいたします。



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鳩を連れ戻したのは?

2020-05-13 14:15:25 | 日記
甲府は、今日も晴天🌞日差しが強く、暑い一日です。
5月11日には最高気温33度でした😅
山梨の春は短いのです。

これまでも夏のような日、確かにありましたが・・・
それを、突然(!)と感じるのは人間だけ!?

旧堀田古城園の木々花々は、すっかり夏の準備ができていたようで
枝葉を思いっきり伸ばして、素直にお日さまの光を浴びています🌞
花の季節から、実りの時に移行しつつあるものも、そこここに。

信玄公の見守る紫蘭も、ずいぶん背が伸びて。


ザクロの葉も、気が付けば青々と🍃

そして、金木犀の木に巣を作りっぱなしで、
そのまま行方知れずだった鳩も戻ってきました♪

鳩の巣のお話はこちら。よろしければご覧ください。
ミュージアムがオアシス化!? - 信玄ミュージアムと甲府市歴史文化財課の情報発信ブログ


写真中央に、一応、鳩がおります。キジバトでしょうか?

「巣を作りっぱなし!」なんて言ってごめんなさい。
巣の状態は、お留守にしていた頃と変わらずスカスカですが、
もしかして、鳩はこの時期を待っていたのかもしれません。
葉が生い茂って、いい感じの木陰の中で
何があろうとも、じっと巣を守る鳩✨
まだ卵は確認していませんが、
これぞ子育てする親の鏡(!?)でしょうか?

風も強めの一日ですが、木漏れ日の中でじっとしています。



 
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かわらけ君の世界(その3)

2020-05-12 16:52:55 | 紹介
信玄ミュージアムのゆるキャラに「かわらけ君」?


なぜって、武田氏館跡からは、たくさんの「かわらけ」が出土するから。
それにしても、「かわらけ」の占める割合は本当にかなりのもの。
発掘された武田氏館跡出土品の約8割から9割が「かわらけ」!
他の場所と比較すると、その差は歴然。
館跡の周辺だと約半分。城下町になるとだいだい3割くらい。

手前が館跡(現在の武田神社)、その先が城下町跡(甲府市街地)
見晴らしがいい場所です。

出土量の差も、大名の居館であることの証になります。
当時の館で、かなりの規模の、かなりの回数の献杯儀礼が催されたという証拠。
イベントも、お金がなければできません。自ずと主催者が絞られます。

非日常パワーで無礼講の場を作り、主従関係を確かなものに。
まるでオセロの石のように、白と黒が一体化した場を作る「かわらけ」。
おもしろいのは、城下町でもそれなりの量の「かわらけ」が出土しているということ。
こうした献杯儀礼も、社会階層の枠を越え、下剋上の世の中を体現していたのでしょうか。

ところで、甲府出土の「かわらけ」の場合、3~7種類の規格が確認されています。
当然のことながら、土の質や大きさ、厚みなどに、その変遷も見られます。
「かわらけ」の移り変わりと一緒に、土地の歴史を辿ることもできる。
「かわらけ」は、時代を図るものさしにもなっちゃうんですね。
特別展示室に展示中のかわらけです。
再開の際は、ぜひ、そんなことを考えながらご覧ください。
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