「利剣名号」のお力で疫病退散(その2)

2020-05-10 11:23:30 | 紹介
昨日の続きでございます。
旧堀田古城園にもある「利剣名号軸」(りけんみょうごうのじく)


その本家本元は、京都の浄土宗寺院・百万遍知恩寺が所蔵する掛け軸。
驚きなのは、その作者が真言宗開祖である空海(774-835)であるということ。
どうした訳で、浄土宗の「ひゃくまんべんさん」に
時空を超えて~は大袈裟ですが、宗派を越えたちょっとふしぎな(?)組み合わせ。

・・・そのきっかけは、元弘元年(1331)、真夏の京都を襲った大地震にありました。
紀伊半島を震源地としたらしいこの地震、
京都の町にも大きな被害を与え、多くの命が犠牲になったと伝えられています。
地震からほどなくして、追い打ちをかけるように、今度は疫病が京都を襲います。

時の帝は後醍醐天皇(1288-1339)。
鎌倉幕府討幕を試み、次いで建武新政。足利尊氏との戦いの末、南朝を樹立。
かなり行動的な(!?)帝にとっても、最後の頼みは神仏のご加護だったのでしょう。
しかし、京都の名だたる寺社に命じた悪疫退散の祈願もむなしく、疫病はなかなかおさまらない。
そこで、白羽の矢が立てられたのが、知恩寺第八世・善阿空円上人。
帝からの勅命を受け、宮中にて悪疫退散に臨みます。
七日七夜を徹し、百万遍(100万回)に及ぶ念仏を、
弟子たちと大念珠繰りをしながら、唱え続けたとか。

この時、空円上人の前に掛けられたお軸こそが、
当時、宮中の秘宝とされた、空海作の「利剣名号軸」。

祈願の効果は絶大で、
祈りを込めた護符が町中に貼られると、まもなく疫病も鎮まったと言われています。
念仏の数が百万遍に及んだことから「百万遍」の勅号が、後醍醐天皇から知恩寺に。
以降、知恩寺は、百万遍知恩寺と名を改め、また国家安穏の祈願所にもなります。
そして、祈願に使用された空海の掛け軸と大念珠も知恩寺に与えられ。
百万遍知恩寺の秘宝「利剣名号軸」の誕生です。

毎年4月に行われる法然上人の忌日法要・御忌大会(ぎょきだいえ)では、
この「利剣名号軸」と「大念珠」が使用されるそうです。
まだまだ現役(!)というところもすばらしいですね✨

残念ながら、今年の御忌大会、
新型コロナウイルス蔓延防止のため、寺院の方々のみで行ったそう。
皆さまの祈りが通じることを祈ります。

それにしても、こちらの「利剣名号軸」(右)、
どんな経緯で、旧堀田古城園のものとなったのでしょう、ね?


コメント
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