ちょっと知っておくと楽しい♪ ミュージアム、散歩のすすめ(その2)

2020-05-03 14:58:29 | 紹介
信玄ミュージアムは、展示物を見るだけではもったいない施設です。
建築、土地、交通網など、すべてひっくるめた環境もミュージアムの一部。

信玄ミュージアムは、
信玄の父・信虎による甲府開府500年を記念して、武田氏館跡のガイダンス施設として1年前にオープン。
たたずまいを通して、甲斐府中(甲府)の歴史が伝わるように設計されています。

ミュージアムの顔、メインエントランス側の外観🏠
切妻屋根が連なる光景は、
戦国時代の町の区画が残る、歴史的町並みをイメージしたもの。
屋根の間には、ちょうど富士山が現れるようにデザインされています。
ちなみに、館の庭園からも、富士山が借景として眺められていたとか。

屋根と屋根の間に富士山が🗻

メインエントランスをはさむ総合案内と常設展示室では、
山梨県の古民家にみられる棟持柱(むなもちばしら:屋根の棟木を支える柱)を採用。

総合案内ではひのきの磨き丸太を用いて、棟持柱が唐傘屋根を支えます。
立派なひのきをすりすり✋する人、後を絶たず😁 


常設展示室でも棟持柱を用い、天井の高い、広々とした空間に。


武田氏館跡や信玄ミュージアムの建つ一帯は、なだらかな斜面。
館や城下町は、土地を階段状に造成し、平らな場所を作って屋敷を建てていました。
館跡の西曲輪でその様子を知ることができます。
常設展示室も、当時の城下町の区画をイメージして段状にすることで、
斜面だった土地がどのように利用されていたかが、視覚的にわかるようになっています。

武田氏館跡・西曲輪(武田神社の西側)

メインエントランスを抜け、総合案内と常設展示室の間の通路へ。
あれ?よくよくみると、平行じゃない。どっちか、ちょっとななめ。
それもそのはず。
総合案内の建物だけ、信玄の父である信虎時代の町並みの軸線に沿って建てられ、
その他の建物は、戦国のある時期から今日まで続く町の軸線を基準にしています。
また、通路の石積みは、発掘調査で出土した地下遺構の再現です。


当館は、国史跡の中に建てられたミュージアムで、遺跡の保護が大前提(※1)
場所は、武田二十四将のひとり、穴山梅雪(※2)の屋敷跡と伝えられています。
こちらをスタート地点に、旧城下町の武田二十四将・屋敷跡をめぐるのもおすすめです。

【お知らせ🎶】
信玄ミュージアムでは、再オープン後に「武田二十四将総選挙!」を企画しています。
また、お知らせしますので、ぜひぜひご参加ください。お待ちしております😊 


(※1)信玄ミュージアムでは、木造で平屋建てにして軽量化し、基礎工法も工夫することで、地下の遺跡を保護しています。
(※2)穴山信君(のぶただ)または梅雪(1541-1582)
武田家家臣であり、御一門衆(御親類衆)のひとり。
信玄・勝頼の下で重臣だったが、信長の甲州攻めで武田氏離反。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする