戦国の世、武田信玄が暮らした躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)とその城下町跡。
発掘調査で出土するものは多岐にわたり・・・
発掘調査で出土するものは多岐にわたり・・・
儀式饗宴に不可欠だったかわらけに始まり、
軍馬であった可能性の高い、在来馬の全身骨格まで。
その中に、小さな素焼きの土人形なんかもあるんです💕
土人形、4.7㎝、武田氏館跡大手門の東、字三角
信玄ミュージアム、常設展示室にて展示中
この手の土人形は、戦国の館や城下町から出土することが多いとか。
大きさも手のひらサイズで、手びねり、素焼きがスタンダード。
出土範囲も幅広く、北は東北、南は九州まで。国内、約40か所から。
出土範囲も幅広く、北は東北、南は九州まで。国内、約40か所から。
土人形は、人の形をしたものだけでなく、猿、犬、馬などもあるそうで。
戦国から江戸初期にかけては、とりわけ犬型の土製品が、各地で出土しているようですが、
その用途は、安産や子孫繁栄へのご利益が求められたとも、
魔除け、火除け、盗難除けとも、
いやいや、戦乱の世の人たちは土人形に癒しを求めていたに違いない(!?)説もあり。
それでは、当館所蔵のこの土人形は?
館に近い城下町から出土しましたが、誰が誰のためにかもわかっていません。
子どものおもちゃでしょうか。
安産祈願のお守りでしょうか。
死産した子どもの供養のためでしょうか。
人の厄などを引き受けて海や川に流す人形代(ひとかたしろ)でしょうか。
もしかしてもしかすると、猿(!)をかたどったものだったかも!?
その後、江戸時代に受け継がれていく各地の土人形。
基本的に彩色されていたようですが、
戦国期の土人形は果たしてどうだったのでしょうか。
まだまだ謎の多い戦国時代。
誰が、どんな目的で、どんな気持ちでこの土人形を手にとったのか。
あなたはどんなふうに想像しますか。
※上記ご紹介のかわらけ、馬骨は現在閉館中の特別展示室での展示のため、
ご覧いただけません。ただいま、再開に向けて最終調整中です。
もう少々お待ちください。
※土人形は常設展示室での展示のため、ご覧いただけます😊
※土人形は常設展示室での展示のため、ご覧いただけます😊
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