武田氏に仕える忍者?!

2019-08-01 14:54:31 | 紹介
武田氏に仕える忍者はいましたか? 
という質問を頂きました。

 忍者、いました! 

ただし! 
手裏剣を投げたり、 
水の上を走ったりするような 
活動ではなく スパイに近い存在でした。 
相手の情報をひそかに探って 知らせていたようです。 
また武田氏に仕えていた忍者は
 「透波(すっぱ)」 
または「乱波(らっぱ)」 
と呼ばれていました。

 『甲陽軍艦』 品第二十二「甲信境せざわ合戦之事」 に書かれています。 
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7 コメント

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Unknown (Biin)
2023-06-05 20:04:46
武田側の忍者(忍び)で霧丸と言う名の人はいたのでしょうか?「服部半蔵」と言う本の中に、霧丸と言う名の半蔵よりも強い忍びが出てきているのですが…(手裏剣を投げたりと忍びらしい感じです!)

わかる方、教えて下さい。もしわかったらで大丈夫です。
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少々お待ちくださいませ。 (記事担当)
2023-06-06 16:45:15
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
当方も忍びについてはそこまで専門的に調査しておりませんでしたので、少々お時間をいただければと思います。
来週にはお返事をしたいと思います。
返信する
Unknown (Biin)
2023-06-06 17:13:48
わざわざありがとうございます。
お願いします。
返信する
おまたせしました。 (記事担当)
2023-06-14 10:37:11
お問い合わせの「霧丸」につきまして、私も無知で存じませんでしたので、お時間をいただきました。
当時の記録等には確認できませんので、出版物の物語として登場するキャラクターとして、描かれた人物と思われます。

当時の古文書や記録などを見ますと、確かにいわゆる忍者のような役割の者は実在しました。その中でも大名家に召し抱えられて家臣化し、組織的な活動をする者もあったということになります。服部半蔵は、その中の代表的な人物として語られることが多いですね。

ちなみに、1556年の下総国結城城主の結城氏が制定した「結城家法度」の27条には「草や夜業は、悪党などの素早い特技を持った者が専門に行う・・・」と規定しています。草や夜業とは忍びのことと思われますので、実在したことは間違いありません。
草は奥州から関東で見られる言い方で、小田原北条氏も草を使っていたようですし、『北条五代記』には「乱波」(らっぱ)とも記されています。
武田氏の場合は、史料などから「透波」(すっぱ)と呼ばれた忍びを使っていたようですし、徳川氏では「かまり」が活躍したとされます。
いずれも情報収集や破壊工作、撹乱のほか、攻城も行ったようですので、活動の幅はかなり多岐に及んでいたようです。
答えになっていないかもしれませんが、ご容赦ください。
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Unknown (biin)
2023-06-14 18:33:25
霧丸は実在人物ではなかったんですね!
とても参考になりました。
ありがとうございました。
返信する
ありがとうございました。 (記事担当)
2023-06-15 08:53:43
記録上、名前が残る者はひと握りですので、
実在したかどうかは定かではありません。
もしかしたら、お尋ねいただいた内容の霧丸ではありませんが、
霧丸を名乗る忍びがいた可能性もあります。
記録に残るものが歴史のすべてではありませんし、
すべてが正しいわけではありませんので、
想像力をたくましくして、歴史をお楽しみください。
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Unknown (Biin)
2023-06-15 21:13:09
たしかに、歴史はある事ない事が混ざり合っているので、想像力を働かせて楽しみたいと思います!
本当にありがとうございました。
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