お金を埋めるのって、どんな時? 埋蔵銭💰のお話

2020-12-25 17:52:15 | 紹介
今年もあとわずかとなりましたが、寒い日が続いています。
今日はクリスマスですが、武田神社では新年の準備が進んでいます。
年末年始とお金を使うことも多い時期ですが、昔のお金について
展示のご紹介をしながらお話しします。

武田神社

さて、信玄ミュージアムでは、武田氏館跡をご紹介しております。
展示しているものは、館やその城下町跡からの出土品が中心です。
こうしたものの多くは、とても控えめで、とても寡黙。
でも、確かにそこに存在し、誰かが手にした時代の証。

例えば、「古銭」。
多くは中国で鋳造されたものですが、それをまねた模鋳銭も。
当館では、館跡から出土した古銭も展示しておりますが、
ぜひご覧いただきたいのが、さし銭された古銭。
こちらの古銭、染付は、特別展示室にて展示中!

古銭はきちんとひもに通されて・・・
武田氏家臣の屋敷跡から、貴重な食器と共に出土しました。
他に展示されている陶磁器と比較すると、違いは一目瞭然。
こちらの染付と天目茶碗は、水路にきれいに重ねられ納められた状態で出土。
故に割れも最小限の状態✨

誰が、いつ、何のために、この場所に、こんなふうに納めたのでしょうか。

・・・この地は、かつて信玄公の弟・武田信繁の屋敷があったとされる場所。
その次男の信豊は、信玄公の4男・勝頼公を最後まで支えました。
発掘調査から、これらの食器類は勝頼公の時代に使用されたことも分かっています。

長篠の合戦敗退後、領国支配を強化するため築かれた新府城。
1581年、館・城下町の完成を待たずに、勝頼公は新たな城に移りますが、
その時、さし銭と食器の主も家臣として同行したのかもしれません。

出土品は、その直前に埋めたものだったとすると・・・

その後の武田家の辿る道を知る私たちにとって、
いずれ戻った時の財源というよりは、
「もう戻ることはない」という覚悟や複雑な思いがこもったものに・・・見えませんか。

16世紀前半をピークに、日本各地で、それなりにまとまった量で出土する銭貨。
地中、水中に埋める目的は備蓄のため(?)、
または呪術や祭祀にかかわる(?)など論議はわかれるようですが・・・。
いずれにしても、「永楽通寳」と刻まれた中国の古銭が、
どういう訳で、東国甲斐の水路に埋められるに至ったのでしょう。
次回は、このさし銭を別の視点で見てみたいと思います。
よろしければ、お付き合いください😊 


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