発掘調査で出土する鉄砲玉って、大きさもちょっといろいろなんです。
当館で展示している鉄砲玉のサイズも、3種類くらいでしょうか。
というのも、当時の火縄銃、銃口の大きさが、それぞれびみょーに違ったようで、
各鉄砲にあった玉型があり、それに合わせて鉄砲玉も作っていたようなのです。
まさにハンドメイドの世界で、鉄砲玉も鉛だけでなく、鉄、青銅、陶器製まで見つかっています。
もともとは、石を削った石弾であったものが、威力を高めるために金属製になったとか。
特に鉛が好まれたのは、他の金属(※)と比べ、融点が327.5℃と低く、扱いやすかったのではないかと推測されています。
(※)金や銅の融点は1000℃を越え、銀も961.93℃です。
鉛の特性以外にも理由はあったかもしれませんが・・・
いずれにせよ、皆さまの第1希望は、鉛(!)だったようです。
実際、西日本から出土する鉄砲玉は鉛玉が多く、東日本においては鉄や銅玉が多い傾向があり、
その差は、貿易港からの距離など、単なる地理的要因・・・だけではなさそうで、
堺を直轄地とした織田信長など、西国の大名がそのあたりを抑えてしまった、というのも、どうやら一因。
さらに、同じころ導入された、金や銀の抽出法「灰吹法」(※)では、鉛が不可欠。
銀の産出がさかんだった西日本では、そういった需要もあって、
国産であろうと、輸入ものであろうと、東日本に鉛が流れにくかったのかもしれません。
鉄砲玉がなければ、火縄銃もただの鉄の塊(言い過ぎ?)
東国の戦国武将の頭を悩ませたに違いない、鉄砲玉問題。
あと、もう少しだけ、お付き合いください🙇
(※)灰吹法。お皿の上で、金や銀を含む鉱石を鉛と一緒に溶かし、金銀をいったん鉛に溶け込ませます。
ある一定の温度で、銅は固体化、鉛は液状化のまま皿にしみこんで・・・すごい!粒状の金や銀が残ります。
旧約聖書にも記述されるほどに古い技術ですが、朝鮮から日本に導入されたのは戦国時代・・。
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