「一点の雪❅」は誰の言葉!?

2023-02-15 20:21:06 | 紹介
甲府はまた寒さが戻ってきまして、風も強く体感温度も一層寒く感じます。
ミュージアムを縄張りとするニャン親子も今日は珍しく2匹揃って顔を見せ、
お互いいい感じの距離感で寒さをしのいでおりました。
先日の雪も日陰にはまだ残雪もありますが、かなり溶けましたので
あと少しの辛抱です。
お兄ちゃんは風をよけながら丸まり。
母ニャンはマットの上が大好き。
足元冷えるから気をつけてね。

さて、雪にちなんだ逸話を一つ。
信玄公の数ある戦歴の代表格といえば
徳川家康との「三方ヶ原の戦い」がありますが、
上杉謙信との「川中島の戦い」も捨てがたい。

・・と思わせる何かが「川中島の戦い」にはあるのかもしれません。
軍記物、錦絵、歌舞伎など、多くの作品のインスピレーションの源にもなり、
作家のみならず、庶民から武士まで、ファンの想像を駆り立てたようで、
とりわけ謙信公vs信玄公の一騎打ちは、武田軍の陣幕の中だったとか、
信玄公は床几に座っていたとかいなかったとか、
場所は、御幣川(おんべがわ)の流れの中、馬上の一騎打ちだったとか・・
シチュエーションはいろいろですが、
それぞれに、ストンと腑に落ちる「川中島」が頭の中で展開したに違いなく。

ところで、この大将同士の一騎打ち、予断を許さぬ最中、
お二方の間で言葉が交わされた(!?)ことをご存知ですか。

謙信公 「如何なるか是剣刃上(けんにんじょう)の事」
    (刀を振りおろされる心境やいかに!)
信玄公 「紅炉上(こうろじょう)一点雪(いってんのゆき)」
    (ただ刀を受けるのみ!)

意訳しちゃいましたが(^^ゞ
信玄公の返し「紅炉上一点雪」、
晩唐の詩を原典に、宋の時代に成立した仏教書「碧巌録」(※)に記された
この言葉の意味するところは?

イメージは・・・
燃えさかる炉に、ひとひらの雪が舞い落ち、瞬く間に消え去る様子

そのココロは・・・
これは、現代においても、さまざまな解釈がなされています。

・真理を見極め、智慧を得た心(=紅炉)に、
煩悩(=雪)が近づいたとしても、それは瞬く間に消え去るもの。

・燃えさかる心に雪が近づくことができないように、
ただ信念の火を灯し続けることだけに心を尽くせば、それで良し。

・燃えさかる炉に落ちる雪のように、運命に身をまかせながらも、
最後の最後まで生き抜くことが大切。など。

「紅炉上一点雪」は、肥前国(現在の佐賀県と長崎県)を治めた
戦国大名・龍造寺隆信(1529−1584)の辞世の言葉とも伝承されていますが、
現実問題、辞世の言葉を言う間もなかったと考えられています。

謙信公と信玄公の問答も同様で、出典も定かでないほどですが、
さらに意訳してしまうと・・・
謙信公の「死とはなにか。」という問いかけに、
信玄公「生も死もない。生きるもよし。死ぬもよし。」

なんだか、「真理」なるものに迫る問答・・じゃないですか(゜o゜;
江戸時代には、共に軍神キャラで人気を博したお二人。
生と死を巡る問答を実際にした、しないは、(多分)重要ポイントではなくって、
二人の武将の高い精神性を、ぜひとも目の当たりにしたい!
そんなファン心理に応えたやり取りだったのかもしれません。

乱世に散った武将たちが、太平の世に伝説となり、
神格化されていった背景に必要だったのは、
事実よりも真実だった、ということ・・でしょうか。

(※)「碧巌録」とは、臨済宗の祖師の言行録を主に集めた、中国の仏教書。
1125年に成立し、「宗門第一の書」として高く評価されました。
日本でも、室町時代、禅宗では「教科書」のように愛読され、
信玄公と親交が深かった快川紹喜(1502−1582)の辞世の言葉
「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」もまた、「碧巌録」に記されています。

余談ですが、施設に入居されている蕎麦・カフェ由布姫では、
2月に入って「ほうとう」を始めました。
これまでリクエストも多かったので、ようやくと言ったところですが、
この時期の寒さを吹き飛ばす、アツアツな鉄鍋入りのほうとうを
お越しの際はぜひ召し上がれ。

コメント
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