百足と書いてムカデ、お好きですか?
足が何本もあって、ちょっと大きくて、ちょっとこわい。
足が何本もあって、ちょっと大きくて、ちょっとこわい。
甲府駅から、そう遠くない当館ですが、自然が豊かでもあり
ムカデのように、あまりお目にかかりたくないものに出会ってしまうことも😨
ムカデのように、あまりお目にかかりたくないものに出会ってしまうことも😨
信玄ミュージアムの左手正面、武田氏館跡に建つ武田神社
その存在感ゆえに(!?)ムカデは、信玄公も信仰した毘沙門天のお使い✨
毘沙門天が、日本で最初にご出現されたのが、奈良の信貴山朝護孫子寺。
現在、毘沙門天王の総本山のこちらには、信玄公の寄進状も伝えられていて。
現在、毘沙門天王の総本山のこちらには、信玄公の寄進状も伝えられていて。
そんなご縁からでしょうか。
信玄公の使い、武田軍の伝令役も「百足衆」と言われていたとか。
戦という場で、お館さまの指示を前線の武将に迅速に伝え、
信玄公の使い、武田軍の伝令役も「百足衆」と言われていたとか。
戦という場で、お館さまの指示を前線の武将に迅速に伝え、
ある時は、敵の動きを探るためにムカデのごとく戦場を移動する。
とっても重要なお役目で、武田家家臣の中でも、”重役”への「登竜門」だったとか。
それにしても、どうしてムカデ(!?)と思ってしまいますが、
ムカデを自分の使いに任命した(?)毘沙門天の教えは奥深く。
それにしても、どうしてムカデ(!?)と思ってしまいますが、
ムカデを自分の使いに任命した(?)毘沙門天の教えは奥深く。
曰く、
(実際におっしゃってはいないと思いますが('◇')ゞ)
「たくさんの足のうち、たった1本でも方向やテンポが狂うと前に進めない。
困難に立ち向かうときは、みんなで心をひとつにすべし。」
さらに、戦という究極の場での伝令役です。
ムカデは前進あるのみ。決して後ろに退かない。
「たくさんの足のうち、たった1本でも方向やテンポが狂うと前に進めない。
困難に立ち向かうときは、みんなで心をひとつにすべし。」
さらに、戦という究極の場での伝令役です。
ムカデは前進あるのみ。決して後ろに退かない。
もちろん、その攻撃性も、戦国の世では強みとして評価されて。
伝令役にとって、ムカデの姿はその心得そのもの。
伝令役にとって、ムカデの姿はその心得そのもの。
ゆえに「百足衆」と呼ばれたのでしょうか。
「兵部は我が両目なり」と信玄公が本当におっしゃったかどうかはわかりませんが、
真田昌輝も「百足衆」に抜擢された武将のひとり。
「武田二十四将図」(個人蔵)で描かれた真田昌輝
戦では先鋒に殿(しんがり)にと活躍したと伝えられる真田ファミリーのおひとりですが、
1575年の長篠の戦いで、惜しくも命を落とします。(享年33才)
しかし、その子孫は徳川家に使え、越前真田家として存続。
(ムカデは子孫繁栄の象徴でもあります😁 )
(ムカデは子孫繁栄の象徴でもあります😁 )
武田二十四将にも名を連ね・・・
只今、信玄ミュージアムの夏のイベント「あなたが選ぶ 武田24将総選挙!」でも奮戦中。
只今、信玄ミュージアムの夏のイベント「あなたが選ぶ 武田24将総選挙!」でも奮戦中。
8月23日現在、総合第13位!
手前のエントリーNo.26が真田昌輝さまの投票用ポケット😊
総選挙は9月末まで続きます。
あなたのお気に入りの武将を見つけに、応援に、「武田24将総選挙!」にぜひご参加ください。
お待ちしております😊