「信玄公、ご異動!」の巻

2020-08-22 15:17:27 | 紹介
今年の夏は、酷暑というにふさわしい暑さです。
ここ甲府でも、照りつける日差しに、山から吹き降りてくる熱風が。
戦国の世の方々であれば、この異常気象になにを見て、なにを感じたことでしょうか。

とにもかくにも、ここは信玄公の出番!
というわけで、これまで内勤(!?)だった信玄公が北方守護(!?)に転勤になりました😉

ごめんなさい🙇一体何の話やら(?)ですよね💦

信玄ミュージアムには、富永商太先生に描いていただいた信玄公の肖像の
幕絵が2種類ありまして・・・

総合案内入口を、これまで、ずーっと守っていた陣羽織の信玄公

一方、臨時休館中のかくかくしかじかな事情により、
メインエントランス・控えの間にいらした鎧武者姿の信玄公

その後、おかげさまで6月に再開館することができましたが、
梅雨明け後はこの暑さです。
それでも、新型コロナウイルスの感染予防対策として換気も不可欠。
とは言え、ちょっとでも、ご来館の皆さまを快適なお部屋にお迎えしたい(!)
ということで発表された人事異動。
異動先では、照りつける日差しより、総合案内を守る任。
これまで、メインエントランスにて内勤されていた鎧武者の信玄公が、北方守護に、
陣羽織の信玄公は北面から西面へ。

こんな感じで♪


北方守護と言えば~
仏教世界の中心・須弥山で、帝釈天の四方を守護する四天王がいらっしゃいますが、
その北方を守るのが「仏陀の近くで多くの説法を聞く」多聞天✨
インドの財宝神「クベーラ」が、中国でこのように訳され、日本にお渡りになりました。
独尊※として安置される場合は、呼び名変わって毘沙門天となりますが、
この毘沙門天、北方の守護神・武神であるのはもちろんですが、
もともとのご専門、富と財宝の神としても人気です。
言わずと知れた、七福神のうちの一柱ですので。
※独尊として祀られる理由は、中国でも日本でも、侵略や征服の対象は主に北に存在。
結果、北方守護が重視されるようになり、
毘沙門天が多く信仰を集めるようになったから、と言われています。

毘沙門天と言えば、上杉謙信の旗印の「毘」を連想される方もいらっしゃるかもしれませんが、
信玄公も、毘沙門天を篤く信仰されておりました。
躑躅ヶ崎館の北東、現在の武田神社「宝物殿」のあたりに毘沙門堂を立てたり、
刀八(とうはち)毘沙門天を軍陣のご本尊として、勝軍地蔵尊とともに安置した、と伝えられています。
今日、これら守本尊は、信玄公正室の三条夫人の眠る円光院に・・・。

円光院所蔵の毘沙門天と勝軍地蔵尊はこちら


ちなみに、西方守護は広目天✨
サンスクリット語で「特殊な力を持った眼」という意味で、千里眼、すなわち広目と訳されました。


信玄多聞天さん、信玄広目天さん、今日もありがとう💗
お客さまをお迎えする総合案内、涼しげで快適な環境になったかな~と思います🍀

コメント
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