<孫正義>原発問題について熱く語る
先週の対談組で、
孫さんが繰り返し語っていた、
原発を抱える日本とそこに住み続けるであろう、
娘さんの将来を真剣に憂える熱い思い。
「もし自分の娘が原発の20キロ以内のところにいたとしら、
そんな中途半場な避難命令を出せるのか!」
娘さんへの思いを引き合いに出しつつ
原発付近の住民の方々を自主的避難を促すに留まった
政府の甘い指示に対する痛烈な批判。
斉藤和義の「ずっとウソだった」の背景に見え隠れする、
彼の生まれたばかりの子供の将来を憂う熱い思い。
そういえば、
藤原先生の「国家の品格」にも身近の人への愛が人間の基本だ
って書いてあったっけ。
ま、考えてみれば当然のことなんだけど、
「自分の郷土、家族、祖国に対して心底愛することができてこそ一人前の人間だ」と。
つまり、
我々が属する最も大きな組織のひとつである、
国家の幸福を左右させる重要案件を決定付けるときにでも、
というか、そういうときにこそ精神的支柱となるのは、
やっぱり、子供、家族への愛なんだよね。
きっと。
日本ほど国家の像がはっきりしない国は何のではないかと最近思います。
それは国会議員が悪いからでもなく、国民全体が理解をしていないのではないかと思うのです。
国家とは国民が安全で暮らせるような枠組みであり、それには、福利厚生のような、将来、不安なく暮らせる仕組みづくりや他国から守る防衛も含まれていると思います。
以前読んだ本の中で面白いことが書いてありました。「言霊」とその作家は書いていました。それを読んで、日本は平安時代から現在まで全く変わっていないという風に思いました。
「言霊」とは、発した言葉が意思を持つといった考え方で、現代でも不吉なことは言わないとか、自分があんなことを言ってしまったからこうなった・・・とかいう風に考える人がいるので、なるほどと思います。
平安時代、日本は武装放棄を当時の政府がしてしまったという事実。平和に暮らすには「平和でありたい」と祈ることでその言霊が実現できるという思いが平安貴族社会には存在したらしい。その後、実体は武士という武装勢力が歴史の中心になるが、明治時代まで日本には日本軍といったものが存在しないらしい。
今の日本はどうだろうか?
確かに戦争は間違った愚かしい行為だと思う。だが、国家を守る。ということを我々は軽んじてはいないだろうか?
戦争反対!平和になれと祈るだけで武力を持つなんてとんでもないことだと思うことは本当に現実的な考えなのだろうか?
日本は周りを気にして、メディアを気にして、軍事に関してなるだけ触れないようにしているように思う。領土問題にしてもそうだ。
何故強い態度で臨まないのか?
国家とは政治家が作るのではなく、国民が「言霊」信仰のようにただ、平和を祈るのではなく、行動を起こし作るのではないかと思う。
ひさしぶり!
って思ったら、国家論ですか!
しかも超マジだね。
話がアリストテレス的哲学論になってきた(笑)ね。
祈りじゃなく行動。
100%賛成です。
それが、たとえなんらかの犠牲を伴うものであった
としても、「守る」ためには致し方ないのでは
と、
思ったりもします(石原都知事じゃないけど)。
>『平和に暮らすには「平和でありたい」と祈ることでその言霊が実現できるという思いが平安貴族社会には存在したらしい。』
↑へーなるほど。
この考え方、おもしろいね。
それが我々日本民族の発想の根底に今もなおある
とは!でもたしかに、そうかも。。。
家を守るために、強い家を建てる。
国を守るために、強い武力をもつ。
日本近代史を省みると、こと武力についてはなかなか
決断しにくいことなんだろうけど、たぶん、世界の常識から判断すると、日本の、イチイチ人目を気にした外交・国家安全保障政策(原発政策も?)は、かなり歯がゆいものに見えるかもね。
ていうか、このトピックで「国防」の話題に飛ぶとは・・・
原発→核兵器 ということをMENTIONしたかった?もしかして?
私は戦争反対論者でありながらの軍事防衛必要論者ですが、
核兵器となるとちょっと話は別です。
あーたまに真面目な話すると疲れるね(笑)
ただ、マスコミや世論が軍事に否定的なことについて、いかがなものかと思っています。
今回の原子力発電にしたって、そんな危険なものは廃止するという風潮がありますが、
そんな簡単な理由で世論をあおってどうするのか?と思います。
それが危険なものであることは知っていても、今のところ、小生は原子力賛成です。
代替案の無い、廃止論は無責任すぎると思います。もし本当に廃止を望むなら、我々は金銭的な負担を更にし、今よりも不自由な暮らしをしても仕方ないということを思ったうえでそういう決断を下すというならいいと思います。
昔、農業国家だったとき、それほど電力は必要なかったでしょう。それに伴う形で、稼げるお金だってそんな多くはなかったでしょう。そういう生活に戻ろうというのでしょうか。今の我々はそういう生活をしている時代じゃないんだから、リスクと責任をはっきり認識しないといけないと思います。
では、そういう電力を使う工場などは海外に移すのか?そうしたら、どんどん日本の失業率が高くなり、日本という国自体、活力が無くなっていくと思います。
日本は元々資源の無い国です。
では、資源のない我々がどのような方法で生き残っていくのか?そのために国は何をすべきか?また、国民は、その国を守るために何をすべきか?何を我慢し、何をリスクに感じながらも受け入れないといけないのか?
そういうことを最近よく考えていたので・・・
あ~、疲れたから、ケーキ食べよう!!
日本のみならず、世界全体が一緒に考えるとき、地球規模で、資源や産業、ひいては生活スタイル
まで共に再考するときが来たと個人的に思っています。
>代替案の無い、廃止論は無責任すぎると思います
まさにその通りで、日本でも、そのあまりに残酷な被災地の悲劇的被害状況と、未来永劫続くんじゃないかと思われる事後処理状態と、世論の動きに従い日本政府も産業界も新エネルギー政策に向けやっと重い腰を上げ始めました。
今、銀座も、渋谷でさえ、夜は真っ暗で怖いくらいらしいよ。
あまりに残酷なきっかけではあったけど、東京を中心に日本人のライフスタイルも代わったりしてね。
いずれにしても、いろんな意味で、日本にとって2011年は大きな転換期になりそうな予感がします。
さて、私もジュースでもしぼって飲むとするかな