DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

ざんげ、塵(チリ)、スヌーピー

2016-02-25 09:10:46 | 日記
(1)
昔、「ざんげの値打もない」という歌がはやった。
今は、そんな気分。

「後ろ向くようながらじゃない」という歌もあった。
そうかもしれない。

「つひにゆくみち」の和歌もある。
その日が、いつか来るのだろう。

「ひとえに風の前の塵(チリ)に同じ」では、癪だ。

(2)
今、スヌーピーを読むのが、気晴らし。

①スヌーピーとウッドストックが、仲がいい。
②チャーリー・ブラウンは、心優しい。
③ルーシーは、合理主義者だが、意地悪でない。

人の心をなごませる。
作者の人柄のあらわれ。

うらやましい。
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希望もあるかもしれない

2016-02-24 08:08:14 | 日記
「自分がとても豊かで恵まれていると知ったので、それを、みんなと分かち合いたいと思った。」
ある国の大金持ちの女性歌手が言った。

社会貢献活動にこの人は力を入れる。

不信と傲慢、悪意と狭量ばかりのこの時代。
こういう素直な人もいるのだと、感激した。

大金持ちなのだから、自分の贅沢だけに、カネを使ったっていいのに、人のためにカネを使う。

「売名だ!」と貶める人も当然いる。
この非難者は、人は利己的にしか生きない動物だと、考える。

人には、共感の能力もそなわっている。
寂しい時代だが、希望もあるかもしれない。

この国では、非寛容と分裂、攻撃、憎悪が広がっている。
個人的には、私の心の気分が、落ち込んでいる。
うんざりだ。
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それにしてもヤな奴だ

2016-02-23 09:00:23 | 日記
一つの不愉快なことが、繰り返し、思い出される。
とんでもないヤツ。
吐き気がする。

これからもつきあっていかねばならない。
憂き世は大変。

喧嘩はしないが、きっと私の態度に出てしまう。
ポーカーフェイスは無理。
私は、自分の気持ちを隠すのが下手。

長く生きてきたのに、海千山千の訓練不足。

言葉で非難したら、終わり。
何と思われようと、とぼけていること!
ともかく冷静になるしかない。

それにしてもヤな奴だ。
忘れてしまえ。
くだらない、ばかばかしい出来事。
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心は、心であり、その環境、つまり身体・脳を含む物世界と、別物である

2016-02-22 22:55:04 | 日記
(1)
再び不安。
後悔ばかり。

さっきの自信が消え去る。
気分があてにならない。

自分を支える確かなものがない。

(2)
だが、身体があるのは、確か。

身体がここにあることは、疑えない。
私の確かなものは、この身体だけ。

身体が属するこの物の世界だけが確か。

身体に心が宿るのは、心が、身体を、心に応じて、あるいは心の意図・欲求に応じ操作できるし、また心の状況を反映するから。
また身体は感覚器官として、心の出来事に圧倒的な影響を与える。
さらに身体に属す脳は、心の出来事の在り方を、相当程度に決定すると言ってよいほどである。

(3)
しかし、心は、身体をふくむ物の世界に属さない。
身体は心に影響を与えるが、それは物の世界一般が、心に影響を与えるのと同じ。

(4)
見えるという出来事、聞こえるという出来事、味がするという出来事、匂いがするという出来事、触れているという出来事、熱い・冷たいという出来事、痛みという出来事、からだのだるさという出来事、からだの内部が充実し動いていているという出来事等々、これら感覚の出来事は、心の世界に属し、物世界の出来事ではない。

(5)
心の世界の不確かさが、身体の確かさによって、確かとなるわけでない。
身体も、心を取り巻く環境にすぎない。
身体は環境であって、心でない。
脳も、身体環境であり、物にすぎない。
脳は、心でない。
もちろん、身体・脳は、心に決定的な影響を与える環境である。

(5)
だが心は、心であり、その環境、つまり身体・脳を含む物世界と、別物である。
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生きる意味は、たくさんある

2016-02-22 19:12:54 | 日記
(1)
今、生きる意味は、何か?
すでに年を取り、生きるのは、平均して、あと20年くらい。
生まれて、66年経った。

(2)
老人と呼ぶには、私は、微妙な年。
だが、もちろん、私を老人とみなす人もいる。
老人として扱われたら、私は、素直に、それに従う。
親切な人が多い。
感謝して、親切を受け取る。

(3)
足取りがやや危うく、注意力が落ち、のろのろする私。
邪魔だと思う人もいる。
老化によるからだの機能低下を、私は、受け入れるしかない。

元気な人には、少し老人の事情を、理解してもらえるとうれしい。
もちろん私も、老化阻止のため、よく歩くなど、運動する。

(4)
生きるためには、経済的裏付けが必要。
生きる意味の重要なものは、カネを稼ぐこと。
今のところ、生活していけそう。

(5)
私には、妻がいる。
妻と仲良く暮らすことも、大切な生きる意味。
ともに生活する者とは、良い関係を気づきたい。

(6)
私は、ものごとを考えるのが、好きだ。

人の心は、物とどう違うのか?
想像した世界、思い出された世界、私の感情世界などは、物の世界とどう違うのか?

見えることと、視神経システムとは、どこが違うのか?
心が身体に宿るとは、どういうことか?
心と脳は、どう違うのか?

人が、互いに、分かり合うとは、どういうことか?
最初の言葉は、どのように生まれたのか?

これらのことを考えて、答えを捜すことも、私の生きる意味。

(7)
趣味がある。
昔の由緒、云われのある場所を訪ねること。
時の流れを知り、私は、ロマンを感じる。
『ブラタモリ』の私版。

歌川広重『江戸名所百景』の場所を、今、訪れている。
時の流れにロマンを求めるのは、私の生きる意味のひとつ。

(8)
私は、清掃、整理、整頓が大切と教えられて、育った。
私の身の回り、家、庭、部屋、家の周囲などは、綺麗・清潔にしたい。
これも、私の生きる意味。

(9)
人としての品位を保ちたい。
礼儀正しくしたい。
人は、理性的存在であって、初めて、人となる。
仁と義は、人の道であり、人生の意味である。
がんばりたい。

(10)
私は、映画を、毎週1本、映画館で見る。
これも私の生きる意味。
映画は、私の心を豊かにする。

(11)
ブログにDIARYを、毎日書くのも、私の生きる意味。

私の心は不安定で、掴みがたい。
文字に書けば、私の心が対象化され、見えるようになる。

言葉が、私の心に、ピッタリするかは、難しい。
しかし書かないよりはいい。
私は、自分の心を知り、そして、私は、落ち着く。

(12)
生きる意味は、たくさんある。
あと20年余、この道を進もうと思う。

20年余でなく、もっと短いかもしれないが、それは天に任せる。
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