湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

オネゲル:ラグビー

2017年08月03日 | Weblog
コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(GRAMOPHONE/lys)1929/3/4・CD

パシフィック231と対をなす爽快な運動的小品で、ここではコッポラはオケの捌きの腕を存分に発揮し立体的な書法により巧みに錯綜する音楽を不断のリズムとテンポにのせてしっかり突き通していく。オケは時代なりの精度ではあるが、コッポラらしい、時代を超越した現代的な演奏にもなっている。
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フローラン・シュミット:サロメの悲劇

2017年08月02日 | Weblog
コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(lys他)1929/9パリ・CD

ルーセル、オネゲル、ラボーとの組み合わせというさすがにスキモノしか買わないようなCDだがSPではすでに何曲か聴いていたのでその耳で未聴のこれを聴くと、板起こしの段階でパワーダウンしてるところはあるんだろうなあ、というところ。だがしかしフローランのロマンティックで稀有壮大な音楽はsp向きではないし、この曲はそうは言ってもとくに前の方は典雅な雰囲気もあるので、逆にそういう空気を醸すには音がこもりすぎている。あくまで記録として(自作自演を除けば初録音だろうか)、何でも振る職人指揮者のレパートリーのひとつと捉えるのが良い、というところだ。
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オネゲル:夏の牧歌

2017年08月02日 | Weblog
クーベリック指揮ACO(RSR/cascavelle他)1959/11/4モントルー音楽祭live・CD

クーベリックの芸風からしてオネゲルは交響曲向きであり、落ち着いた趣の同曲には正直向かない。オケが中欧的なためブラスなど管楽器の重い響きに違和感があり、満を持して弦楽器が出てくるまで余りにもリアルで、あと残響付モノラル音源の硬質さが馴染めなかった。ただ、この静かで穏やかな高地の夏、という趣の曲にはやっぱりオネゲルらしい立体的な書法が施され、削ぎ落とすRVWとはまったく異なる。ロマンティックなディーリアスとも異なる。構造性をはっきり浮き彫りに、力強く表現するところは独特のおもしろみと迫力がある。余技的演奏かもしれないが、同曲と、幻想交響曲が好きならどうぞ。
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☆ショスタコーヴィチ:祝典序曲

2017年08月02日 | Weblog
◎パシャーエフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(MELODIYA)1955-62

初演者/団体による演奏だが驚くほどクリア。録音も演奏もすこぶる見通しがよく、覇気に満ちていて清々しい。決してそれほど人好きするような旋律ではないと思うのだが、この演奏で聞くととにかくワクワクする。私は同曲あまり得意ではなかったのだが、流れ良いこの演奏に我を忘れて聞き込んでしまった。あっけらかんと、じめじめしたところのミジンもない。弦はきわめて統制されており、ブラスの叫びも吹き散らかすのではなく重量感のあるきちんとした響きに制御されている。ボリショイとは思えないほどしっかりした演奏だ。ムラビンスキーを一瞬思い浮かべたのだが、やはり違う。音色が地味めなのは同じだが、もっと素直な喜びがあり、娯楽的な要素もおろそかにされていない。スヴェトラーノフなどに比べて自由度は無いけれども、ロシアオケの迫力と西欧オケのアンサンブル力をかけあわせたような極めて完成されたものを感じた。今まで聞いてきた中で一番面白かったので、◎にします。ボルガとドンの運河開通式典用としてかかれたことを初めて知った。プロコフィエフも「ボルガとドンの出合い」を書いている。

※2004年以前の記事です
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オネゲル:交響曲第2番

2017年08月02日 | Weblog
クーベリック指揮ORTF(ina/forgottenrecords)1956/2/23live(3/1放送)

ina配信とAmazonデジタルはおそらく同じ音源。実直な演奏で、メリハリがなく終始重苦しい。これはあまり解釈せずになじみのない異国の作曲家の曲のような感覚で、スコアのままに仕上げたものか。最後のトランペットも地味で、しかしそういう表現は私はあっているとは思うのだが、録音のモノラルでけしてよくはない、その状態では単に力を抜いて吹いたように聴こえてしまう。とにかく、教科書的と言っておこうか。同曲は1978/2/2のNYPライヴがありアルヘリチとの一期一会の記録とともに著名だったようだが現在聴けるかどうか不明(10年近く前はweb配信されていたがリンク切れ)。オネゲルについてはモノパルティータがtahraから(もともとは当のイリノイ大学が無料配信していた)、3番がFKM(裏青)からでていた(る)。1959/11/4の夏の牧歌のライヴ(ACO)があり、最初はcascavelleが発掘した音源のようで、私もさきほどまで知らなかった。RSR(RTS Radio Television Suisse(Evasion Music))よりCOLLECTION SEPTEMBRE MUSICAL Vpl.6として正規再発があり(一部日本代理店でも扱いあり、ただラインナップは少ない)、ベルリオーズの幻想とともにモントルー音楽祭ライヴとしてAmazonデジタルで配信販売されている(単曲可能、ただ海外だと全盤としては配信は半額近く、クラウド利用できるかどうか、安心感があるか価値を認めるかどうか。CDはリンク先で買えるが高い)。これがすべてのようである。
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ルーセル:弦楽四重奏曲

2017年08月02日 | Weblog
パレナン四重奏団(vega/westminster/forgottenrecords)1956

vegaではイベールと組み合わせられていたがfrはソゲを加えた三曲でお得。モノラル時代のこの楽団の勢いが伝わってくる。しかし後年をおもわせる濁らない響きで、晦渋な二楽章でルーセルが本来響かせたかったであろう透明な美しい音響を美麗に再現しているのもよい。こういう解釈を施ししっかり音にした録音は意外とすくない。三楽章もしっかり軽やかにコントラストがつき四楽章の盛り上げはバッハ的構造性に囚われざるを得ないながらもともとのルーセルの嬉遊性を拾い集め、最晩年の散漫な暗がりから、もうカルヴェ譲りの力強いファーストで押し切っている。この曲を初めて知ったのはこのvega盤だったが裏のイベールの印象がつよかったせいか何故か今まで全く触れてこなかった。私の中では同曲の基準である。
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フランセ:2台のピアノとオーケストラのための 協奏曲(1965)

2017年08月02日 | Weblog
作曲家、クロード・フランセ(P)シュトル指揮南西ドイツ放送交響楽団(wergo)1967/6・CD

私にとって非常になつかしい盤で、プーランクより先にこちらを聴いたがためにプーランクに紛い物感をかんじてしまった次第。楽想は少ないしムードは一貫して世俗的で皮肉っぽさを兼ね備えた嬉遊曲、しかも長い四楽章制ときて、漫然と聴くと飽きてしまうことは飽きてしまうが、立体的な構造を含むメカニカルな点ではプーランクの比較にならない創意の緻密に組み込まれかつ常に変化しつづける、譜面からすればけして「飽きる」類の曲ではない。ピアノは和声的なフレーズはほとんどなく、ひたすら指を横に鳴らし続けるタイプの、ペダルなんかいらない類のスポーティなもの。色んな意味でプロフェッショナルな作品で、フランセとしては暗さもはらむ引き締まった全盛期作品より、委嘱作品的な面の目立つ後期作品だが、旋律や動きには一般にもアピールする面は多々あり、人気もまたあるようだ。胡麻を撒くようなスタイルの演奏で曲にあっていることは言うまでもない。すこし録音がノイジーか。
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☆ルーセル:弦楽四重奏曲

2017年08月01日 | フランス
◎ノヴァーク弦楽四重奏団(SUPRAPHON)

これは軽やかで喜遊的で素晴らしい。ルーセルの室内楽だからといって晦渋だというイメージは誤りだ。この団体は現代的な硬質な音(でも一種東欧的な音ではあるのだが)で統一されていながらも表現がしなやかで自然であり、透明感がばっちりで生々しさが無いぶんルーセルのドロドロしたところが完全に「機構」として機能しており、余計な雑念を持ち込まない。そこがバッチリ曲にはまっている。ファーストの雄弁ぶりも鼻につかず(実際感傷的ではないが瞬間ポルタメントなどそれなりにやっている)、旋律が決して埋没しないのでスケルツォからフィナーレの流れが晩年ルーセルにしては異例に「楽しい」のだ。2楽章ですらアイヴズの「賛美歌;アダージオ・カンタービレ」を更に親しみやすくして、書法のアマチュアぽさを払拭したような、とても完成度の高い叙情音楽に聞こえる。ちゃんと旋律があったのだ、とかつ目する向きもいよう(それ以前にここまでルーセル聞いてる人っているのか?)。とにかくこの演奏、ステレオでいい録音ということもあって、抜群にいい。◎。

※2006/4/21の記事です
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ヴィラ・ロボス:序曲「熱帯雨林の夜明け」

2017年08月01日 | Weblog
作曲家指揮ORTF(ina)1954/6/5「ヴィラ・ロボスを讃えて」live(8/30放送)

Amazonデジタルとina.frは同じ音源と思われる。ブラジルの朝はずいぶん鈍重なものなのだなあ、と思わせる。この人に印象派的なものを期待するのは間違いで、構造をよく聴けばバッハが透けて見えるが、そのバッハ自体がいわゆる新古典主義の旗印とされた簡潔明快さというより、数学的な計算のもとに複雑な、緻密なものであるところを、ヴィラ・ロボスはさらにロマンティックな音楽観に沿って飾っているように感じる。正直この人に現代的な感覚におけるアマゾン感は無いが、フランスではそれでも異国情緒に聞き取れたのだろう。指揮はきわめてこなれている。
Comments (2)
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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

2017年08月01日 | Weblog
ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

録音がクリアではないが力強くこの曲では十分楽しめる。半音階的でワグナーの孫のような重厚なうねりから、ドスンドスン単調なリズムが重さはそのままに楽しげな音楽に転じていく。だがそこにはつねに地に足の着いた、浮つかない目の詰まった音響があり、ミュンシュはむしろそういった非フランス的な部分を交響曲のように展開させ耳を惹く。ブラヴォの嵐もさもありなんな、ルーセルにとってもミュンシュにとっても名作である。
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