湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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選んでいるからスパムではない・・・けどコピペ・・・

2009年01月28日 | Weblog
誰も指摘しないのかな。というか年齢層的なものなのか、ご本人から直接紹介いただいたと素直に感想を書いている人もいるみたいだけど、純正律の玉木宏樹氏の関係者が新刊の宣伝にいわゆるコメントスパム行為を行っているようだ。このかたの著書についてかなり前に書いたおぼえがあるが、例によって私は書名や著者名をぼかして書くことが多いので自分でも探し当てることができない。マニアックでおもしろかった、程度だと思うが、私ごときが四の五の言える相手ではないものの、その手段にはいささか違和感をおぼえる。

恐らく対象ブログ(BBS)を閲覧はしている、多忙なご本人でないにせよ関係者が・・・数はそんなに多くないから。そうしたうえでコメントをつけている。

・・・ただ、文章が「完全に」コピペなのである。更にコメントする対象記事がまったく「無関係」な場合が多いようなのである。

何らかの手段による無作為抽出、即ち宣伝スパムとみなされても仕方ない。

何故これに気がついたかといって、巡回しているブログの一つにたまたま氏の名義のコメントがついていたこともあるのだが、ここのブログに残っていたアクセスログに、google検索ワード「玉木宏樹&(書名)」というのがあったのである。

あれ?この人の名前と書名で記事書いたことなんてあったっけ?googleで検索しても出ないぞ?というのはよくあることだからまあいいとして、そもそもこういう検索をするというのは何か宣伝目的の場合がほとんどである。

そしてうちのアクセスにこの手合いは極端に少ない。護符のようにべたべた貼り付けたアフィリバナーのためだろうことは想像に難くない(前にも書いたがバナーでべたべた飾っている理由にはそういうのもある)。このブログ自体「スパムブログ」を「偽装」している・・・機械的に検索する人間(ロボット?)に対して。変な虫を寄せないためである。

うーん・・・うちはわりとコメントは厳しいがトラバはゆるいのでトラバで送ってくれれば載せるんだけど、その価値なしと思われたなら複雑な気分(;^^でもまあ、いいんだけどね。面倒だし。ネット上で生きながらえるためには永世中立を保つことは必要。そのためには余りメジャーどころに寄りかからないのが身のためである。このかたがメジャーどころかどうかは、「年齢によって」評価が分かれるところだろうが。

”作曲とヴァイオリン演奏の玉木宏樹です。”から始まるコメントに注目してみてください。WEBリテラシは難しいモンダイだ。
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7 Comments

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俺が指摘したいと思ったのは・・・ (けん)
2009-01-28 22:51:19
久石護さんって過去の作曲家よりも直接心に響く曲を作るのだなぁと思った事かな。
なんか過去の作曲家はやはり所詮過去の人かなって思った。
音楽はやっぱナマモノだよ。
バロック時代の即興性がやはり正しかったと思う。
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主観的なもの (管理人)
2009-01-29 09:25:36
人によりけり、時と場によりけりだと思います。久石氏の作品もけして万人に響くとは言い切れない。録音再生が音楽鑑賞の主流となっている現代、音そのものをとことん繰り返し見極めやすくなっているがゆえに、普遍的に受け入れられるものは極めて少なくなっていく。だからこそヲタク化しやすい世界、それがクラシカルな楽器の世界なのではないでしょうか。。
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思うに (けん)
2009-01-29 22:59:00
フィルタをかけすぎなのはクラシック愛好家かと。
新参者を拒否し、安定路線しか求めない。
弦楽のアンサンブルの良さを広く知らしめるのはやはり身近な人達だと思うよ。

この良さが分かるかよって態度ありありのクラシック音楽ってさ、結局限られた人しか聴いてないのだよ。
子供に静かに聴けと言わないと聴かないような音楽と何も言わなくても目を輝かせてうれしそうに聴く音楽。
入り口としてはどちらをと考えたらとふと思うのだよ。

弾く側としても普通に思うよ。
わざわざその音形をその楽器で弾かせる必要ないじゃないかって思う曲がありすぎ。
特に現代に近づくとね。
結局技巧だけに走り音楽の楽しみと言う事から離れているのじゃないかと思う。
ただ単に過去と違うのだと言う事だけを主張しているのではと思ったりする。
俺はそんな曲よりも久石さんとか川井さんとかの曲は優れているし、多くの人に賛同されていると思うよ。
少なくともクラシック愛好家よりも多いと思う。
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今日はいろいろと書きたい気分 (けん)
2009-01-29 23:17:21
愛好家はさ、例えばベートーヴェンの交響曲を聴きたいのではなく、だれそれの指揮の音盤のベートーベンの交響曲を聴きたいのだ。
音盤の再現こそが大事なのであって、即興性はあんまり認めてなさそ。
猫とかその発生のサイトを見てもそう思う。
音盤とは違うテンポで演奏をするとなぜか疑問を抱いているようだな。
変な存在だ。
生きた音盤再生装置を演奏家に求めている。
それがクラシック愛好家の大部分ではないかと思う。
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多様性 (管理人)
2009-01-30 01:14:53
うーん・・・それこそ現代のリスナーを狭く捉えすぎのような気もします。かつては確かにそういった人が目立ったと思います。でも現代は違うと思うのです。

私にとって一番打ちのめされた時、心底響くのはシェーンベルクの室内楽だったりします。でも普段は聴きません。時と場合です。録音音楽がこれほど世に溢れると、時と場合で曲や演奏を贅沢に選び聞き分けることが可能である、贅沢な時代だからこそ、聴き方も極めて多様化していると思います。即興性といっても実際には幅は限られます、今や無数に散在する録音音源を選び分けることでも十分「幅」は満たされる時代に来た、とネット配信時代を見て、思います。

基本は演奏したいけれど、できないからこそ色々な演奏を聴く。だれそれの指揮で聴きたいという根本には、だれそれはこう、これそれはどう、という多様性を見たうえで、嗜好性に照らして、ほんとはこうやりたい、自分にはできない、だからそれに近いものを、と探求を始める。けっこうまっとうなことにも思うのですが。

現在クラシック鑑賞を探求していると言える人間って、他のジャンルからの流入者が多いんじゃないでしょうか。凝り固まった人種は既に過去のものというか、風化寸前の状態で無視されている状況に思います。尼オケ人種なんてけっこうそれに近い感じもする。

その状況を前提に、突っ込んで考えて高踏的なことを傍若無人に言い放ちたい人種については、それならプロをめざせ、と。他ジャンルに比べ脇道の無い厳しい世界です。その覚悟がないなら、身の程をわきまえて楽しくやればいいのかなあと思います。

ジャズとか古臭いロックとか、やたらと細分化されたエレクトロだのなんだの、クラシックに負けず劣らず選民思想の強いカテゴリが多く存在します。音盤再生装置を求めるのは何もクラシックだけの傾向ではないし、かといってクラシックだけが自由でもない。
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アマオケ (けん)
2009-01-30 13:29:39
ちょっとね、アマオケに対する考えが偏向しすぎ。
あれは東京だけだよ。
地方は純粋。
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地方・・・ (管理人)
2009-01-30 14:25:54
まあ、それは環境ですから、接しようがない世界なので(;++

本題はそこではないのですが、先年一念発起して接触を試みたオケがまさにそうだったので、もう駄目だと思いました。
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