○バーンスタイン指揮クリーヴランド管弦楽団・合唱団、ブロッサム祝祭合唱団、ヘイウッド(S)ルートヴィヒ(Ms)(BELSONA CLASSICS:CD-R)1970/7/9ブロッサム音楽センター・セル追悼live
きわめてクリアなエアチェック録音で、放送録音特有のマイク配置というか、ソリストやフォアシュピーラーに近すぎて「肌のきめの粗さを否応にもカメラに写されてしまった”美人アスリート”のように」薄くへろへろに聞こえてしまう場面も少なくないが、それでもこのセルのオケをよくもまあ「崩し」、そして「再構築」したものだと思う。過渡的な芸風であり、終楽章の嵐のような表現はそれまでのNYPとのものを思わせる荒々しさを発揮して突っ走るし、前半楽章ではオケの音の透明感を利用してけっこう美的センスを発揮しようとしている反面非常に揺れまくりで独特のルバートの横溢するはちゃめちゃ演奏になっている。そこが一回性のライヴ、しかもこの特別な追悼演奏会にふさわしい異様な雰囲気を醸し、楽章単位で拍手が入るという戸惑うような場面も面白く聞ける。1楽章最後の雪崩落としで欠落があるが単なる音階の途中が抜けるだけなので気がつかない人は気がつかないだろう。既出盤と同じもののようだが、デジタル音源としてもこちらのほうがいい。過渡期芸風にくわえ、クリーヴランドが余りに汚されてるさまをマイナスして○以上にはならない。
きわめてクリアなエアチェック録音で、放送録音特有のマイク配置というか、ソリストやフォアシュピーラーに近すぎて「肌のきめの粗さを否応にもカメラに写されてしまった”美人アスリート”のように」薄くへろへろに聞こえてしまう場面も少なくないが、それでもこのセルのオケをよくもまあ「崩し」、そして「再構築」したものだと思う。過渡的な芸風であり、終楽章の嵐のような表現はそれまでのNYPとのものを思わせる荒々しさを発揮して突っ走るし、前半楽章ではオケの音の透明感を利用してけっこう美的センスを発揮しようとしている反面非常に揺れまくりで独特のルバートの横溢するはちゃめちゃ演奏になっている。そこが一回性のライヴ、しかもこの特別な追悼演奏会にふさわしい異様な雰囲気を醸し、楽章単位で拍手が入るという戸惑うような場面も面白く聞ける。1楽章最後の雪崩落としで欠落があるが単なる音階の途中が抜けるだけなので気がつかない人は気がつかないだろう。既出盤と同じもののようだが、デジタル音源としてもこちらのほうがいい。過渡期芸風にくわえ、クリーヴランドが余りに汚されてるさまをマイナスして○以上にはならない。