湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ミャスコフスキー:交響曲第5番

2006年05月25日 | ミャスコフスキー
○イワーノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

ミャスコフスキーが半音階的なうねうねした音線と不思議に複雑?な和声とリズム等民族的要素のミクスチャーにより、独特の作風を確立した作品として特筆すべきものではある。ベートーヴェン指揮者で知られたイワーノフの力強い求心力と「やるときはやる」モスクワ放SOの実力がここに見事に結実している。作品的にもミャスコフスキーにしては(特に後半楽章)変化があり面白く、また冗長さも若干軽減されたものなのだが、こういうしっかりとした演奏で聞くとまるで別の作品に聞こえる。ミャスコフスキーの20番以前の交響曲はCD時代には無名指揮者かスヴェトラ先生(ロジェヴェン先生も録音してたかな)の演奏でしか知られることがなく、共に一発録りなどセッション時間がとれなかったせいか、乱雑だったり解釈に一貫性がなく(特にスヴェトラーノフの場合オケのソリスト重視の姿勢や時期的な弱体化はもちろん、独特の録音と特有の解釈ゆえ、曲の「本性」が見えず印象の好悪を分かつものになっている)拡散的な演奏になってしまっているがゆえ、不当な悪評価を与えてしまっていることが多いように感じる。イワーノフはミャスコフスキーをいくつか録音しており、私も全てを聞くことはできていないが、この作曲家についての先入観を覆す「意外と面白い交響曲を書く」印象に遷移することができた。発掘しがいのある作曲家であり、スヴェトラ先生が全集を録音で何とか残したがったのはわかる気がする。この曲について言えば西欧からの影響度を含めラフマニノフの1番の雰囲気によく似ている。フィナーレの最後などラフ3そっくりなフレーズも顔を出す。ラフマニノフの2番は別格にしても、他の管弦楽曲と比して決して劣るものではない。3楽章の民族的な浮き立つ雰囲気もペトログラード楽派風に前近代の常套手段に訴えるだけではなく複雑な要素をはらんでおり(やりようによってはわけがわからなくなるだろうが)、一筋縄じゃいかないところにプロコフィエフも共感したのだろうか。いずれにせよ、これは○だ。ミャスコフスキーというくくりで言えばオーマンディの21番に並ぶ◎。珍しく飽きない名演。

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