◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(rococo)LIVE・LP
~この演奏が何故CD化されないのか腑に落ちません。音が悪すぎるということでしょうか・・・3番は2度もCD化しているのに。やはり直球勝負で、確かに肝心の3楽章など、しっとりした潤いに欠けます。驚嘆すべきカットの数々は言わずもがなです。しかし2、4楽章、轟音の中に織り交ぜられる憧れに満ちた歌い回しの美しさ、オケの素晴らしいアンサンブルと共感に満ちたフレージングはかつてのスヴェトラーノフでさえこうはいかなかったであろうと思います。抑制と激情がいずれも半端でなく高い場所でバランスをとっている。ボストンもとにかく巧い。ヨーロッパのトップクラス並だ(じっさい移民もいるのだろう)。ドイツオケのような中低弦の音色。チャイコフスキーの5番でも同様の印象を受けましたが、私の中では「法悦の詩」(CD化)と共に、クーセヴィツキーのライブ録音の頂点に位置するかけがえのないLPです。凄絶なブラヴォーの嵐に納得。
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送?交響楽団(MELODIYA)
まずびっくりしたのは演奏時間。50年代というと大きなカットが施されるのが普通な時代だったのに、この盤はカットがない。逆にそれで冗長感が感じられることも否定できないのだが・・・。私の盤はA面が壊滅的にダメ状態なので、1、2楽章については簡単に書きます。1楽章はマーラーかと思わんばかりの深い絶望から始まるが、すぐに憂愁の旋律が始まる。フレーズの流れに沿って自由に動くテンポの振幅がかなり大きく、今まで聞いたどの演奏よりも彫りが深く感じた。緩急かなり激しい。叙情的な旋律をひたすら低速で聞かせるのではなく、極端に速い部分を細かく交えてだらしない解釈になるのを避けている。ガウクの揺らしかたには特長があり、盛り上がりに向かってはかなりテンポを早め(アッチェランドではない、突然加速するのだ)頂点では最初は早め、次いで大きく減速しソリスティックな色気あるフレージングを施す。2楽章はしかし発音が甘くスケルツオ的な軽さや鋭さに欠けている感じもする(私のボロボロの盤面のせいかもしれないが)。中間部の叙情旋律の謡い込みは情緒たっぷりなフレージングが印象的。3楽章はなかなか聞かせる。クーセヴィツキーにも通じる骨太の叙情が分厚い弦と耽美的な木管によって紡がれる。曲と完全に一体化したガウク・フレージングのケレン味たっぷりの表現に尽きるのだが、音が明瞭なのでいやらしくはならない。ヴァイオリンの泣きの旋律、悲嘆と憧れに満ちたヴィブラートは必聴。啜り泣くピアニッシモから詠嘆するフォルテシモまで、録音がもっとよければ効果的ですばらしかったと思うのだが(でも私の盤ではこの楽章がいちばんマシ)、この盤の一番の聞き所と思う。このヴァイオリンの「うた」に比べればホルンや木管の表現はぽっかりあっさりといかにもロシア的なぶっきらぼうさを感じる(でもホルンの艶めいた響きは赤銅のような輝きをはなち秀逸だったが)。4楽章は誰が振っても聞けてしまう完成度の高い楽章なので、ガウクが飛び抜けてどうのこうの言うものはない。ヴァイオリンの音にバラケ感があるのはロシア流儀。個人的にはもっと鋭さがほしいが録音のせいかも。ほんと音飛びだらけでイヤになる我が盤。ムリヤリ強引に引っ張っていく力技のようなところも散見される演奏だが、おおむね期待どおりというか、まっとうな解釈である。比較的落ち着いたインテンポでひたすら突き進む方法はそれまでの楽章の手法とは印象を異にする。そのかわり音量変化はたっぷりだ。ガウクはよくすっと音量を落としてそのあと急激にクレッシェンドする、演歌的な歌いかたをするな、と思った。前半で3楽章主題が一瞬あらわれるところと、最後のクライマックスでは「歌うためのテンポダウン」がなされる。まあ、4楽章は全般普通と言えるかもしれない。1、3楽章が聞き物の演奏です。
○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(BOHEME他)CD
カットの嵐。解釈も嵐のよう。音が悪すぎ、独特の「読み」も裏目に出、すこぶる聞きにくい。他の曲の録音に比べてもかなり激しい表現で、それはそれでかなり面白いのだが、録音バランスの悪さが、同曲のききどころである各声部の掛け合いをわかりにくくしてしまった。マニア向けである。
コンドラシン指揮
○ACO("0""0""0"CLASSICS:CD-R)1980/8/29ロイヤル・アルバートホールLIVE
佳演だ。放送録音らしく少し雑音が入るが海賊盤スレスレだから仕方ない。直截な表現で知られるコンドラシンにしては、かなり表現の起伏が激しい所もある。特に第3楽章、デロデロに唄い込むが、強い発音と速めのインテンポがギチッと引き締めて違和感ゼロ。オケ自体の音はこれといった特徴に欠け、この指揮者らしく単彩で醒めたものだが、デュナーミクに情は篭っている。1楽章及び終楽章後半は凄まじい迫力。終演後のブラヴォはそれ以上に凄まじい。カット版(終楽章など少しびっくりする):16'56/8'02/11'31/11'25
ACO(RCO)1980/8/18live・CD
もしこの録音を目当てにRCO80年代ライヴ・ボックス(5巻)を買おうと思っているかたで、既に000classicsの裏青(29日プロムスライヴ)を持っているかたがいらっしゃったら、買う必要は無いと断言する。10年前だったら私も非常に後悔していたろう。正規録音から起こしたものではない云々但し書きがある以上文句は言えないのだが、録音状態が悪いのだ。ステレオだが遠く昔のFMエアチェックのような音で、音場がぼやけていて聴きづらい。この曲は内声で絡み合うトリッキーな弦楽アンサンブルが要になる部分が多い。しかしこれは、別録にくらべ強弱が大きくついているように感じるものの、その弱音部が聴こえないのだ。終楽章でブラスの下で短いフレーズの掛け合いをする箇所など、コンドラシンならではの手を抜かない厳しさが売りであるはずが・・・肝心なそこが聴こえないのである。上澄みの旋律だけ聴いていたらあほみたいな曲である。これが作曲家ラフマニノフそのものの魅力と言っていい構造的書法なのに。いくら別録にくらべメロウで上品で起伏の大きいロマンティックなふりが伺え、全体の響きもスケールアップしているように感じられるとしても、単純に曲を堪能しきれないのではしょうがない。こういうのはいくら新しくてもSP録音よりも悪いと言える。だいたいコンドラシンに上品さは必要ないし、デジタルな変化のインパクトこそコンドラシンだ。レンジが広すぎるのも「らしくない」。そして何よりソロミスの多さ、バラケの多さも気になる。終楽章が特に問題。集中力が落ち精彩に欠ける。別録が突進の末に一斉ブラヴォで終わるのにくらべ、一歩置いて普通の拍手で終わるも道理である。
解釈は基本的に同じ。特有の無茶なカットも同じ。驚くことに演奏時間もほぼ同じ。でも、これは資料的価値しか認められない。
○イワーノフ指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP
3楽章の感傷的な旋律がドラマで取り上げられ一時期よく聞かれていたが、寧ろドラマティックで構造的な両端楽章が聴きモノの交響曲。ステレオで良好録音。クーセヴィツキーを彷彿とさせる雄渾な演奏振りでヤワな演歌に流れない。ソヴィエトではベートーヴェン指揮者と言われていたというのがよくわかる。最後まで一貫してラフマニノフに対する態度を明確にしたとても輪郭のはっきりした首尾一貫性はガウクみたいな流れ方もスヴェトラ晩年みたいな横長の演奏にもいかずに、いつでも聴いて納得できる形でまとまっている。おすすめ。イワーノフはVISTA VERAのmelodiya復刻シリーズからチャイ5と1812年(後者はシチェドリンによるロシア国歌差し替え版)のカップリングCDが2008年7月発売された。高いけど。
スヴェトラーノフ指揮:
○ボリショイ劇場管弦楽団
~スヴェトラーノフは近年円熟し、エキセントリックな色合いを緩める反面ppの表現を深めてきている。この曲の新録(来日したときのライヴ(東京芸術劇場)も、キャニオンの最新録音(1996発売)もそうだが)ロシア国立交響楽団によるものは、どうしてもこの旧録にみられる極限的アンサンブルと烈火の如きスピード、めくるめく音彩の変化に対して「弱み」をみせる。ファーストヴァイオリンの弱さもその原因のひとつだろうが、録音のせいもあるのだろう。私はこのボリショイ盤こそ、交響曲作家としてラフマニノフを最も尊敬しているという巨匠スヴェトラーノフの頂点だと思うが、それは同時にこの曲の数ある演奏記録の中でも、段違いに優れた盤であるということを意味する。弱音部や緩徐部の表現がややどぎついが、ムラヴィンスキー流儀のエコーとも思えるし、それはそれで良いのかもしれない。但しこの「弱点」、確実に克服されつつあるのは、来日ライヴの演奏で一目瞭然だった。恐らく今現在存命の指揮者のうち、今世紀前半の伝説的指揮者達と比肩しうるのは、この指揮者だけなのではないか、と思わせる実に巨大な、そしてとてつもなく深い「音楽」を創り上げつつあることがわかった。東京芸術劇場の広い会場はほぼ満席で、終演後のブラヴォーは無数に響き渡り、15分経ってもカーテンコールをせがむ人々の拍手は止まらなかった。本当に巨匠になってしまったのだ、と感じた。(1995記)
(補記)早くから知られた単独盤。国内盤CDも出ていた。若き?スヴェトラーノフのエキセントリックさを堪能できる。特に2楽章のギスギスした響きはすれっからしの聞き手にとっては“やれやれー!”といった感じ。
◎ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)
~録音が理想的。ほどよく残響がきいているため、オケの粗さが吸収され、まとまった音楽として非常に聞き易いものに仕上がっている。ボリショイの演奏をグレードアップさせた感じ。このくらいのバランスの演奏が一番いいと思う。名演。
◎ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM)1985/1/25LIVE
名演。表現の苛烈さとそれと感じさせない練り上げられたアンサンブルが素晴らしい。スヴェトラーノフ最盛期の覇気に満ちた演奏に酔ってしまう。どの楽章も印象的な場面が少なからずあるが、この演奏全体で特徴的なものといえばとりもなおさず終楽章のテンポだろう。異常に速くとられたテンポは私のようにこの楽章が大好きな人間にとってはこたえられない聞きごたえだ。しかもびっちり弾き込まれていて弛緩のシの字もない。カンペキである。このテンポで盛り上げられると最後のルバートがこの上なく効果的にひびく。終演後のブラヴォーの渦はロシアでの演奏では珍しい。スクリベンダムだしライヴなので録音状態は最高とは言えず、やや音場が狭い感もあるが、他演でも述べたとおり、このくらいの距離感があったほうがバランス良く聞こえていい。迫力は音量ボタンで出せばいい。また、ラフマニノフの描いたテクニカルな部分もこの演奏ではよく聞こえてくる。1楽章では対旋律が意外な魅力を発揮して対位法的効果がくっきり描き出されていたり、4楽章などでちらりと顕れるフーガ音形のじつに明瞭に効果的に整えられたひびきにはとても感銘を受けた。まあ、このての賛辞は山ほど付けられそうなので敢えてこれ以上は語るまい。晩年の悠揚とした演奏とは違う、非常に起伏の激しい解釈、その絶妙な解釈が血肉にまで染み付いた団員たちによる力感に満ちた音楽表現、そのもたらす忘我の時を楽しもう。録音にややマイナスを感じるが、メロディヤ録音と同等の聴感を受けたので同じ◎をつけておく。
NHK交響楽団2000/9/20 NHKCD
~穏やかな近年様式ではあるがN響奮闘。終楽章などはライブならではのルバートが随所にかかり熱狂を呼ぶ。無理して吠える金管に喝采。
○ロシア国立交響楽団(CANYON)
~キャニオンの全集盤から。スヴェトラーノフの録音は常に短時間(ほぼ一発録り?)らしい。玉石兎に角網羅的に録音せねばならなかったソヴィエト国立とのロシア音楽アンソロジーシリーズには、粗雑な出来上がりのものが少なからずある。特にグラズノフの新録など80年代後半、西側へ流出した弦楽器奏者の穴が埋められなかったのか、しなやかな機能性と量感溢れる音響で魅了したソヴィエト国立弦セクションの、見る影も無い演奏が見られるようになる。録音乏しいグラズノフの新録が出ると聞いて心待ちにしていたのが、聞いてあっさり拍子抜けした覚えがある。マイナー曲での奏者のやる気が無い演奏は、曲のイメージのためにも勘弁してもらいたいが、強固な使命感に燃えて悪化する状況下にも秘曲録音を続けた志の高さには深く敬意を示したい。
ライヴでお馴染みのチャイコフスキーなどオハコに関してはほぼ心配無く、スヴェトラーノフもそりゃ途中で指揮棒を降ろすわちゅうもんだが(そんくらい理解しろ当時の評論家!!)、数年前池袋でやったラフマニノフ2番(プラチナとはいかないまでも良い席の獲得は困難だった)では、いかにも弦楽器が“若く”、曲の要求する激しいアンサンブルが、すべからく甘いように聞こえた。肝心の中低弦は安心して聞けるレベルだったものの、弱体化久しいバイオリンパートはやはり薄かった。もっともあれは前述の通り、日本で演奏された最良の2番であったと思う。
この盤は名盤の誉れ高い国内盤で、賛美者の枚挙にいとまが無いが、私は“落ち着いてしまった”と感じた。個人的に思い入れのあるバルビローリ晩年を彷彿とさせる。音響が繊細なまでにコントロールされており、ややゆっくりめのテンポの中で各声部を効果的に引き立たせる計算が見られる。基本は客観主義であるものの、ロマン作曲家として情熱的な表現をよしとする資質を反映させた、一種破天荒な演奏を行う指揮者としての魅力は薄まっていると言わざるを得ない。但しスヴェトラーノフの天才が真の円熟を得てこのスタイルに至ったと見るのが大勢であろうし、すれっからしを相手にしては音楽の未来は無いから、これでいいのだろう。このチクルス録音もやはりほぼ一発であったようだが、アンソロジー後期の荒さは無く、カラヤン並みの統率力を見せ付けるものとなっている。
○フィルハーモニア管弦楽団(ica)1993/3/15live・CD
スヴェトラーノフ円熟期の十八番で終楽章後半の盛り上がりに熱狂的なブラボーも定番といっていいだろう。一楽章など内声がごちゃっとしてしまったりオケに弱みが感じられるがスヴェトラーノフの演奏らしいアバウトさで乗り切っている。このころからやけに透明感ある響きを志向していたように感じるがこれはオケが元々そうであるがため良さそうなものの、やや無個性で重みがないのは気になった。何と言っても聴かせどころは三楽章であり、止揚するテンポにはスヴェトラーノフの真骨頂たる歌心が感じられる。尊敬していたというバンスタ(アンコールはキャンディード序曲)とは違った粘着力を持つ音楽は一聴の価値あり。
キタエンコ指揮モスクワ・フィル(MELODIYA)
~サウンドとしてのラフマニノフを表現しきっている。これはこれで良い。
○プレトニョフ指揮ロシア国立管弦楽団(ドイツ・グラモフォン)/ロッテルダム・フィル(ライヴ、放送)
~DGで全集を完結させたプレトニョフは、繰り返しの省略版を使っている。上記ライヴはカットが認められる。棒は「寸止め」スタイルとでもいおうか、基本はギチギチシャープに鳴らし、淀みの淵から雲雀の空までニュアンス深く表現していくロシア・スタイルだが、野暮にならない寸前で棒を止め、そのぶん緊張感を倍増させるスタイル(少しクーセヴィツキー盤に似ている)は非常に格好が良い。最近非ロシア系の2番ばかり聴いていたので、懐かしさと安心感が個人的な心情に作用している可能性はあるが、(一応挙げておいた)後者の放送ライヴをふと聞いてみて、特に1楽章と2楽章冒頭、それに3楽章後半には、ちょっと最近無いカタルシスを得られた。…気が付くとDG盤を持ってレジにいた。この放送は数年前MDにとっておいたものだけれども、幸運にも録音されていた方は聞き直してみてほしい。特に集中力の高い1楽章に関しては、これ以上の演奏は無いようにさえ思う。オケも豊穣で力強いし、残響を抑えたティンパニの打撃が凄い!!ロシア系のオケでもないのに、この表現は何だろう、と思った。DG盤は却って穏健のように思う。それにしても、この指揮者を過小評価しすぎていたと反省した。ちなみにDG盤の1楽章はかなり抑え気味であるが、3楽章から4楽章の表現は明瞭なテクスチュアに憧れに満ちたフレージングをのせて出色だ。
オーマンディ指揮:
フィラデルフィア管弦楽団(旧録)
~作曲家晩年の友人であり交響的舞曲の表現に関してはお墨付きだったオーマンディの旧盤。シベリウスとも同様の仲だったというが、今は評価が高いとはいえない。確かに常套的で冷徹な棒であるが、モノ時代には瞠目するような目覚ましい録音も少なからずあった。作曲家最高の作品とされることも多い交響的舞曲の録音もリズム表現の瑞々しさや透明な感傷表現に魅力ある佳盤といえる。
○フィラデルフィア管弦楽団(新録、“全曲版”)
~カット無し、繰り返し無しの1976年録音。遂に邦盤でもCD復刻された(法悦の詩とのカップリング)。旧盤に比べて表現の幅、中身の濃さ、演奏の充実度が際立っている。ラフマニノフの理想としたサウンドはまさにこのようなものだったろう。どちらかといえば揺れの少ない現代的な演奏で、時期的にも「フィラデルフィア・サウンド」がやや衰えた頃なのにも関わらず、オーマンディの指揮のたしかさがラフマニノフ特有のリズミカルな対旋律をくっきりと浮き上がらせ、面白い事この上ない。ラフマニノフが自作の最良の表現者として称えた指揮者と楽団、白眉であり、同楽団による初演で知られる「シンフォニック・ダンス」よりも充実した録音だ。オーマンディ晩年の秀演である。(1996記)
以下は基本的に旧録でも変わらないが、率直で余り揺れの無い解釈(テンポも音色も)は曇りの無い透明な美感に溢れ、颯爽とした速さで駆け抜けるそう快さは特に終楽章で生きてくる。3楽章も余計な感傷性を差し挟まない分、クライマックスでの表現が目覚ましい効果を与える。もっと顕著なのは終楽章も終盤でかかる壮大なルバートで、ためにためての分、非常に効果的だ。開放弦による音色効果等、即物的といいつつも細かい解釈の独特は諸処に認められる。また、金管群の迫力と纏まりの良さは抜群だ。
しかし作曲家の最も信頼していた(但し解釈自体は好まなかったという話しもある)オーマンディが、晩年になって若きプレヴィンの影響下に<完全版>をレコーディングしたというのも面白い。それだけプレヴィン盤が優れているということでもあるのだが。
○ミネアポリス交響楽団(VICTOR)1934/1/18,19,22・SP
録音悪いにもかかわらず演奏は素晴らしく現代的で、冒頭ひとしきりの重さと弦のポルタメント奏法を除けば今でも通用しそうな充実ぶりである。この時期にしてはオケがとにかく巧い。オーマンディの芸風は決して確立していたとは思わないが、寧ろ前のめりの精力的な演奏ぶりは客受けしそうな感じである。2楽章の速さとキレには度肝を抜かれた。カット版だがそれほど違和感はない。なかなかのもの。
プレヴィン指揮
○ロンドン交響楽団(EMI)
カットが普通であった同曲の全曲版を取り上げ、再評価のきっかけを作った指揮者といわれる。たくさんあるのですが全部は聞いてないし、なんとも書けません。そのうち聴けたら総括します。すんません…
ミュンヒェン・フィル(EN LARMES:CD-R)2001/11/9LIVE
ブラヴォーはすごいが。あれあれ、といったかんじ。遅めのテンポに締まりの無い音、これがラフ2再発見者プレヴィンの演奏なのか、としばし耳を疑った。最初のうちは、チェリの振っていたときのようにがっしり構築的な演奏を指向するオケが、プレヴィンのやわらかい指揮とミスマッチの魅力を放っているように思えたが、あまりの「どっちつかずさ」にどっちらけてしまった。3楽章はさすがに映画音楽的でうまいのだが、過去の演奏と比べてどうなのか。私は、プレヴィンが退化してしまった、と思った。どっちつかずの中途半端な解釈、感情の起伏の無いのっぺりとした音楽、いろいろ罵詈雑言が出てきそうなのでこのへんにしておく。当然無印。
ウィーン・フィル(FKM:CD-R)1992/10/18LIVE
この人の音楽は端正でハメを外さな過ぎる。デュナーミクには独自の変化が付けられている箇所もあるが、ほとんど譜面にあることをそのまま音に仕上げたような、なんだか即席ラーメンのような味がする。ウィーン・フィルの音もいにしえの味はなく、弦には僅かに艶ある音を出している奏者もいるが、機能性が高まったぶん個性と自主性が失われている(パワーはあるが)。完全版というのも、とにかく、長いだけだ。その長さぶんの面白さが倍増していればいいのだけれど、逆だとサイアクだ。この人はけっして才能の無い人ではない。ただ、あまりにいろいろな曲に挑戦し続けてきたせいか、そつなくスマートに出来過ぎて味が出ないのだ。この曲のオーソリティとしてもっと面白い演奏をしていってほしい。私にはまったく引っかかりがありませんでした。終演後の拍手はふつう。この曲の最後はとにかく派手でブラヴォーが入り易いのだが、この演奏ではほとんどブラヴォーは聞こえない。さもありなん。無印。
○ウオレンスタイン指揮ロスアンゼルス・フィル(seraphim)1960EMI
~当然カット版(少し面白いカット 方法)。良く引き締まった、贅肉の無い即物的演奏。終止速いテンポで、表現の潤いに欠けるように思うかもしれない。クラリネットなど木管の音に特徴があり、ロシアオケのようにヴィ ブラートをかけず筆太に吹くところが特に3、4楽章に目立つ。音量感はある。 3楽章などいか にもぶっきらぼうだが、そこはかとない情趣を感じるのは録音のせいだろうか。ロス・フィル ・ヴァイオリンパートのアマチュア的謡い込み方には両論あろうが、個人的には好きな情熱の表現だ。フォルテに盛り上がるところで必ずアッチェランドがかかるところは、素人指揮っぽ いが特徴的。他では聴けないだろう。併録のペナリオ・ラインスドルフ組による協奏曲2番(19 61)は、輪をかけて即物的な巧緻な表現がすっきりとした印象を与え逆に聴きやすい。終楽章 のカデンツアがまるで単なる経過句のように短く弾き流されているのも面白い。総じて良い盤だと思う。
クレツキ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON,STEREO)
~清い響きとは無縁の無骨な解釈、しかし入念な演奏ぶりで、割合に楽しめる。クレツキの 独特な棒は言葉で説明するのが難しいが、たとえば盛り上がる箇所では波のようなルバート表現を極力避ける一方、妙なところで局所的に引き伸ばしてみたりする。 大極的に言って余り揺れの無い率直な解釈といえようものだけれども、ここでは1楽章や終楽章の最後くらいで出てくるのだが、クライマックスでかなり速度を上げて、 そのまま雪崩れ込むようにあっさり終結させたりするところも面白い。通常若干でもテンポ・ルバートがかかるような場所を、何も無いかのように通り過ぎてしまうのだ。 客観主義というより表現主義的というべきだろう。 シンバルなどの打楽器の破裂音に近い響かせ方など、アンセルメ時代に比べて荒々しさがある。
少なくともこのようなスタジオ録音では乱れも少なく、あいかわらずの録音の良さも含め 充分許容範囲内の演奏だ。
ザンデルリンク指揮
ベルリン・フィル
~たくさんあるのです。少なくともロシアオケ盤とヨーロッパオケ盤がある。全部は聞いてないし、なんとも書けません。そのうち聴けたら総括します。
1989・9・16ライヴ。ライヴでも全て繰り返し「有り」カット無しを貫いている。ベルリン・フィルの艶を生かしきれていない気もするが、ザンデルリンクのスタイルはおよそ艶とは無縁であるから仕方ない。ギスギス。だからやや飽きる…
レニングラード・フィル(DG)/フィルハーモニア管弦楽団(teldec)1989
~レニングラードの演奏ははっきりいって粗雑。解釈が武骨。妙なところも。弦楽器など、ムラヴィンスキーの統率力よどこへ、といった感じの演奏だ。比べてフィルハーモニア管の演奏はぐっとまろやかになっており、これもひとつの見識と思わせる。ただ、終楽章が遅すぎる!レニングラード・フィルとは1番も録れている(CD化済み)。
△ボールト指揮ロンドン・フィル(deccaほか)・LP
~1956年録音。ステレオ。カット有り。ボールトの“フィルハーモニック・プロムナードオーケストラ“時代の録音には名盤が多い。…しかしこの盤は印象に残らない。いつも乍ら直截な古典的解釈で、古物を彫刻するような指揮ぶりは、この「勢い」と「即興的解釈」が要となる曲にはそもそも合わないのではないか。4楽章のけして品格を失わないうえでの前進性や、3楽章後半の大きな曲作りにききどころはあるものの、敢えて探し出して聴くほどの価値があるかは疑問。一生懸命聞き取ろうとしない限り個性の感じられない演奏だ。
△ストコフスキ指揮ハリウッド・ボウル管弦楽団(music&arts他)1946/8/13放送LIVE
~これが録音が悪い!余り薦められない。全曲版と言われるが未検証。
ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(NICKSONほか)1947
~カットはクーセヴィツキー盤並に有り。2、3年前に相次いで復刻されたミネアポリス録音の嚆矢を飾ったもの(私はそのさらに数年前に出た表記のマイナーレーベル盤を聴いている)。録音はかなり悪い。オケもそれほど巧くはないが、流石ミトプー、起伏が激しい解釈にも関わらず、演奏はとてもこなれている。急激なリタルダンドによる独特のテンポ表現が散見され、特に2、3楽章は見事な効果を挙げている。3楽章は個人的に余り好きではない楽章だけれど、これは聞ける。ハリウッド・ギリギリの凄絶なロマンスは、この盤でしか聞けません。緩徐部の木管の密やかで寂しげな音も、耳について離れない。4楽章もかなり起伏が有るが、力強い響きにはクーセヴィツキー盤を彷彿とさせるものがあり(無論ボストンの強固な弦にはかなわないが)、最後も高揚感ひとしおだ。音さえ良ければ推薦できるのに…
パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)
~てらい無く素直な演奏。録音のせいだろうが、ハーモニーのバランスがこの時代にしては非常に良い。普通とカットの仕方が違うようだ。
○マゼール指揮ベルリン・フィル(DG)1983
~スタイルはキタエンコに似る。オケの力量と油の載ったマゼールの棒が水も切れるようなアンサンブルをかなでる。存外いい演奏なのだ。マゼールの全集は余り口辺に上らないが何故だろう。緩徐楽章よりアレグロ楽章を好む私としては終楽章におけるベルリン・フィルの強固な弦楽アンサンブルに拍手を送りたい。この組み合わせはシンフォニック・ダンスもすばらしい。
○ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA/EMI)1945/11/15
~これ、もうすぐCD化します(2003/9末)。手元のLPが非常に状態が悪いため、CDで買い直すつもりだけれども、演奏の概要は聞き取ることができる。かなり押せ押せごり押せのストレートな演奏で、ロジンスキ節炸裂、密度の濃い音響はラフマニノフのロシア風味をぐっと引き立てる。音が悪いからというわけではないが、クーセヴィツキー盤に似ているように思われた(もっともあっちはテンポがかなり揺れるが、作り上げる音の質が良く似ている)。4楽章はとくにテンポが全く揺れず、速いスピードでぐんぐん押し進むところが男らしい。対して3楽章は恐らくこの演奏の白眉とでも言うべきもので、昔のハリウッド映画を思わせるロマンチシズムに満ちた、しかしベタベタせずに男らしい情感溢れる表現が印象的だ。全般、この音質では○は上げられないけれども、CD化後を想定して上乗せ、○ひとつつけておく。ちなみに当然カット版で、独特のカットがびっくりさせる。カーネギーホール録音。一日で録りおえている。
ラトル指揮ベルリン・フィル(FKM:CD-R)1990/6/1LIVE
ライヴにしてはずいぶんと落ち着いた演奏ぶりだが、ヴァイオリンを始めとする弦楽器の震えるようなヴィブラートにベルリン・フィルを感じて萌える(←ちょっと使ってみました)。1楽章などブラスが鈍重だったりどうにも冴えない演奏ぶりだが、弦楽器はとくに緩徐主題においてとてもイイ音を出している。「熱い」とか「なまめかしい」とまでは行かないものの、特色有る音にはなっている。2楽章の中間部あたりから全オケにラトルの解釈が浸透してきたような感じがする。それは3楽章で頂点に達する。デロデロのこぶしをきかせた歌いっぷりは、発音こそ醒めた客観的な感じを受けるものの、テンポやデュナーミクのまるきり自由な伸縮が楽しい。まさにラフ2の3楽章、そのイメージ通りの演奏だ。この人もピアニッシモの表現が面白く、全音符で詠嘆を表現するときは限界までとことん伸ばしに伸ばす。全楽章の弱音部に言える事でもあるが静かな場面での繊細な音表現が巧い。4楽章はそれほどテンポが上がらずゆっくりしっかりといったふう。普通程度には盛り上がるが、やはり緩徐主題のリフレイン部分に魅力を感じる。総じてそれほど名演とは思えないが(録音がやや遠く茫洋としているせいもあるかも)、現代指揮者としては特筆すべき位置に置ける優れた技術を持った指揮者ということはわかる。ワタクシ的には無印。
○スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団(CAPITOL)
カット版だが大変に立派な演奏である。がっしりしたフォルムを保ち決して細かくは揺らさず、やや引いたテンポのうえにひたすら雄渾な筆致でロマンを描きあげてゆく。その名演ぶりの大半はピッツバーグの分厚い弦セクの力によるものだろう。決して技巧にすぐれた弦のオケではないのに、しかしここではリズミカルなアンサンブルの非常にしっかり構じられた演奏を繰り広げ、非常に憧れのこもった音でハリウッド映画音楽的な音色をきらめかせながら、しかしスタインバーグの要求する強く男らしい表現の中にそのロマン性を押し込めることにより、純音楽的表現と内面的感情の素晴らしくバランスのとれた格調の高い歌がつづられてゆく。ゆめゆめ演歌などと思わせない。よくあるロシアふうのお祭り騒ぎも嘆き節もなく、テンポ設定は巨視的にしかいじられず、1楽章では遅く客観的と感じたり終楽章では逆に即物主義的と感じるほど単純なアッチェルをかけ続けたり、そこがちょっと気になったので◎にはしなかったのだが、これらがあるからこそ個性的な演奏たりえているとも言える。ホーレンシュタインのやり方に似ていてもあの明らかに音色を犠牲にしてまで整えるドイツ式の表現手法とは違う、ロマンティックな音、アーティキュレーション付けを多用はしないが効果的に使って色めいた伽藍を打ち立てている。素晴らしい。○。決して巧いオケではないのだが、それでも素晴らしい。
~Ⅲ、Ⅱ
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1941/2/27live・CD
モントゥのシャープでドライヴ感溢れる演奏振りが伺える楽章抜粋の演奏記録。2楽章で勢いよく締めてなかなか爽快感がある。リズム感のよさが発揮されスピードとあいまってこの曲のぶよぶよな部分をなくしている。3楽章は曲自体がぶよぶよで出来上がっているために、凡庸に聴こえた(私はモントゥのチャイコでも同じような余りよくない印象を持っているので、これは解釈への好みにすぎないとは思う)。2006年12月発売のMUSIC&ARTSサンフランシスコ放送録音集成に収録。このボックスは反則だよお(昔に比べればコストパフォーマンスはいいとはいえこの数だとありがたみがない
~この演奏が何故CD化されないのか腑に落ちません。音が悪すぎるということでしょうか・・・3番は2度もCD化しているのに。やはり直球勝負で、確かに肝心の3楽章など、しっとりした潤いに欠けます。驚嘆すべきカットの数々は言わずもがなです。しかし2、4楽章、轟音の中に織り交ぜられる憧れに満ちた歌い回しの美しさ、オケの素晴らしいアンサンブルと共感に満ちたフレージングはかつてのスヴェトラーノフでさえこうはいかなかったであろうと思います。抑制と激情がいずれも半端でなく高い場所でバランスをとっている。ボストンもとにかく巧い。ヨーロッパのトップクラス並だ(じっさい移民もいるのだろう)。ドイツオケのような中低弦の音色。チャイコフスキーの5番でも同様の印象を受けましたが、私の中では「法悦の詩」(CD化)と共に、クーセヴィツキーのライブ録音の頂点に位置するかけがえのないLPです。凄絶なブラヴォーの嵐に納得。
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送?交響楽団(MELODIYA)
まずびっくりしたのは演奏時間。50年代というと大きなカットが施されるのが普通な時代だったのに、この盤はカットがない。逆にそれで冗長感が感じられることも否定できないのだが・・・。私の盤はA面が壊滅的にダメ状態なので、1、2楽章については簡単に書きます。1楽章はマーラーかと思わんばかりの深い絶望から始まるが、すぐに憂愁の旋律が始まる。フレーズの流れに沿って自由に動くテンポの振幅がかなり大きく、今まで聞いたどの演奏よりも彫りが深く感じた。緩急かなり激しい。叙情的な旋律をひたすら低速で聞かせるのではなく、極端に速い部分を細かく交えてだらしない解釈になるのを避けている。ガウクの揺らしかたには特長があり、盛り上がりに向かってはかなりテンポを早め(アッチェランドではない、突然加速するのだ)頂点では最初は早め、次いで大きく減速しソリスティックな色気あるフレージングを施す。2楽章はしかし発音が甘くスケルツオ的な軽さや鋭さに欠けている感じもする(私のボロボロの盤面のせいかもしれないが)。中間部の叙情旋律の謡い込みは情緒たっぷりなフレージングが印象的。3楽章はなかなか聞かせる。クーセヴィツキーにも通じる骨太の叙情が分厚い弦と耽美的な木管によって紡がれる。曲と完全に一体化したガウク・フレージングのケレン味たっぷりの表現に尽きるのだが、音が明瞭なのでいやらしくはならない。ヴァイオリンの泣きの旋律、悲嘆と憧れに満ちたヴィブラートは必聴。啜り泣くピアニッシモから詠嘆するフォルテシモまで、録音がもっとよければ効果的ですばらしかったと思うのだが(でも私の盤ではこの楽章がいちばんマシ)、この盤の一番の聞き所と思う。このヴァイオリンの「うた」に比べればホルンや木管の表現はぽっかりあっさりといかにもロシア的なぶっきらぼうさを感じる(でもホルンの艶めいた響きは赤銅のような輝きをはなち秀逸だったが)。4楽章は誰が振っても聞けてしまう完成度の高い楽章なので、ガウクが飛び抜けてどうのこうの言うものはない。ヴァイオリンの音にバラケ感があるのはロシア流儀。個人的にはもっと鋭さがほしいが録音のせいかも。ほんと音飛びだらけでイヤになる我が盤。ムリヤリ強引に引っ張っていく力技のようなところも散見される演奏だが、おおむね期待どおりというか、まっとうな解釈である。比較的落ち着いたインテンポでひたすら突き進む方法はそれまでの楽章の手法とは印象を異にする。そのかわり音量変化はたっぷりだ。ガウクはよくすっと音量を落としてそのあと急激にクレッシェンドする、演歌的な歌いかたをするな、と思った。前半で3楽章主題が一瞬あらわれるところと、最後のクライマックスでは「歌うためのテンポダウン」がなされる。まあ、4楽章は全般普通と言えるかもしれない。1、3楽章が聞き物の演奏です。
○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(BOHEME他)CD
カットの嵐。解釈も嵐のよう。音が悪すぎ、独特の「読み」も裏目に出、すこぶる聞きにくい。他の曲の録音に比べてもかなり激しい表現で、それはそれでかなり面白いのだが、録音バランスの悪さが、同曲のききどころである各声部の掛け合いをわかりにくくしてしまった。マニア向けである。
コンドラシン指揮
○ACO("0""0""0"CLASSICS:CD-R)1980/8/29ロイヤル・アルバートホールLIVE
佳演だ。放送録音らしく少し雑音が入るが海賊盤スレスレだから仕方ない。直截な表現で知られるコンドラシンにしては、かなり表現の起伏が激しい所もある。特に第3楽章、デロデロに唄い込むが、強い発音と速めのインテンポがギチッと引き締めて違和感ゼロ。オケ自体の音はこれといった特徴に欠け、この指揮者らしく単彩で醒めたものだが、デュナーミクに情は篭っている。1楽章及び終楽章後半は凄まじい迫力。終演後のブラヴォはそれ以上に凄まじい。カット版(終楽章など少しびっくりする):16'56/8'02/11'31/11'25
ACO(RCO)1980/8/18live・CD
もしこの録音を目当てにRCO80年代ライヴ・ボックス(5巻)を買おうと思っているかたで、既に000classicsの裏青(29日プロムスライヴ)を持っているかたがいらっしゃったら、買う必要は無いと断言する。10年前だったら私も非常に後悔していたろう。正規録音から起こしたものではない云々但し書きがある以上文句は言えないのだが、録音状態が悪いのだ。ステレオだが遠く昔のFMエアチェックのような音で、音場がぼやけていて聴きづらい。この曲は内声で絡み合うトリッキーな弦楽アンサンブルが要になる部分が多い。しかしこれは、別録にくらべ強弱が大きくついているように感じるものの、その弱音部が聴こえないのだ。終楽章でブラスの下で短いフレーズの掛け合いをする箇所など、コンドラシンならではの手を抜かない厳しさが売りであるはずが・・・肝心なそこが聴こえないのである。上澄みの旋律だけ聴いていたらあほみたいな曲である。これが作曲家ラフマニノフそのものの魅力と言っていい構造的書法なのに。いくら別録にくらべメロウで上品で起伏の大きいロマンティックなふりが伺え、全体の響きもスケールアップしているように感じられるとしても、単純に曲を堪能しきれないのではしょうがない。こういうのはいくら新しくてもSP録音よりも悪いと言える。だいたいコンドラシンに上品さは必要ないし、デジタルな変化のインパクトこそコンドラシンだ。レンジが広すぎるのも「らしくない」。そして何よりソロミスの多さ、バラケの多さも気になる。終楽章が特に問題。集中力が落ち精彩に欠ける。別録が突進の末に一斉ブラヴォで終わるのにくらべ、一歩置いて普通の拍手で終わるも道理である。
解釈は基本的に同じ。特有の無茶なカットも同じ。驚くことに演奏時間もほぼ同じ。でも、これは資料的価値しか認められない。
○イワーノフ指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP
3楽章の感傷的な旋律がドラマで取り上げられ一時期よく聞かれていたが、寧ろドラマティックで構造的な両端楽章が聴きモノの交響曲。ステレオで良好録音。クーセヴィツキーを彷彿とさせる雄渾な演奏振りでヤワな演歌に流れない。ソヴィエトではベートーヴェン指揮者と言われていたというのがよくわかる。最後まで一貫してラフマニノフに対する態度を明確にしたとても輪郭のはっきりした首尾一貫性はガウクみたいな流れ方もスヴェトラ晩年みたいな横長の演奏にもいかずに、いつでも聴いて納得できる形でまとまっている。おすすめ。イワーノフはVISTA VERAのmelodiya復刻シリーズからチャイ5と1812年(後者はシチェドリンによるロシア国歌差し替え版)のカップリングCDが2008年7月発売された。高いけど。
スヴェトラーノフ指揮:
○ボリショイ劇場管弦楽団
~スヴェトラーノフは近年円熟し、エキセントリックな色合いを緩める反面ppの表現を深めてきている。この曲の新録(来日したときのライヴ(東京芸術劇場)も、キャニオンの最新録音(1996発売)もそうだが)ロシア国立交響楽団によるものは、どうしてもこの旧録にみられる極限的アンサンブルと烈火の如きスピード、めくるめく音彩の変化に対して「弱み」をみせる。ファーストヴァイオリンの弱さもその原因のひとつだろうが、録音のせいもあるのだろう。私はこのボリショイ盤こそ、交響曲作家としてラフマニノフを最も尊敬しているという巨匠スヴェトラーノフの頂点だと思うが、それは同時にこの曲の数ある演奏記録の中でも、段違いに優れた盤であるということを意味する。弱音部や緩徐部の表現がややどぎついが、ムラヴィンスキー流儀のエコーとも思えるし、それはそれで良いのかもしれない。但しこの「弱点」、確実に克服されつつあるのは、来日ライヴの演奏で一目瞭然だった。恐らく今現在存命の指揮者のうち、今世紀前半の伝説的指揮者達と比肩しうるのは、この指揮者だけなのではないか、と思わせる実に巨大な、そしてとてつもなく深い「音楽」を創り上げつつあることがわかった。東京芸術劇場の広い会場はほぼ満席で、終演後のブラヴォーは無数に響き渡り、15分経ってもカーテンコールをせがむ人々の拍手は止まらなかった。本当に巨匠になってしまったのだ、と感じた。(1995記)
(補記)早くから知られた単独盤。国内盤CDも出ていた。若き?スヴェトラーノフのエキセントリックさを堪能できる。特に2楽章のギスギスした響きはすれっからしの聞き手にとっては“やれやれー!”といった感じ。
◎ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)
~録音が理想的。ほどよく残響がきいているため、オケの粗さが吸収され、まとまった音楽として非常に聞き易いものに仕上がっている。ボリショイの演奏をグレードアップさせた感じ。このくらいのバランスの演奏が一番いいと思う。名演。
◎ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM)1985/1/25LIVE
名演。表現の苛烈さとそれと感じさせない練り上げられたアンサンブルが素晴らしい。スヴェトラーノフ最盛期の覇気に満ちた演奏に酔ってしまう。どの楽章も印象的な場面が少なからずあるが、この演奏全体で特徴的なものといえばとりもなおさず終楽章のテンポだろう。異常に速くとられたテンポは私のようにこの楽章が大好きな人間にとってはこたえられない聞きごたえだ。しかもびっちり弾き込まれていて弛緩のシの字もない。カンペキである。このテンポで盛り上げられると最後のルバートがこの上なく効果的にひびく。終演後のブラヴォーの渦はロシアでの演奏では珍しい。スクリベンダムだしライヴなので録音状態は最高とは言えず、やや音場が狭い感もあるが、他演でも述べたとおり、このくらいの距離感があったほうがバランス良く聞こえていい。迫力は音量ボタンで出せばいい。また、ラフマニノフの描いたテクニカルな部分もこの演奏ではよく聞こえてくる。1楽章では対旋律が意外な魅力を発揮して対位法的効果がくっきり描き出されていたり、4楽章などでちらりと顕れるフーガ音形のじつに明瞭に効果的に整えられたひびきにはとても感銘を受けた。まあ、このての賛辞は山ほど付けられそうなので敢えてこれ以上は語るまい。晩年の悠揚とした演奏とは違う、非常に起伏の激しい解釈、その絶妙な解釈が血肉にまで染み付いた団員たちによる力感に満ちた音楽表現、そのもたらす忘我の時を楽しもう。録音にややマイナスを感じるが、メロディヤ録音と同等の聴感を受けたので同じ◎をつけておく。
NHK交響楽団2000/9/20 NHKCD
~穏やかな近年様式ではあるがN響奮闘。終楽章などはライブならではのルバートが随所にかかり熱狂を呼ぶ。無理して吠える金管に喝采。
○ロシア国立交響楽団(CANYON)
~キャニオンの全集盤から。スヴェトラーノフの録音は常に短時間(ほぼ一発録り?)らしい。玉石兎に角網羅的に録音せねばならなかったソヴィエト国立とのロシア音楽アンソロジーシリーズには、粗雑な出来上がりのものが少なからずある。特にグラズノフの新録など80年代後半、西側へ流出した弦楽器奏者の穴が埋められなかったのか、しなやかな機能性と量感溢れる音響で魅了したソヴィエト国立弦セクションの、見る影も無い演奏が見られるようになる。録音乏しいグラズノフの新録が出ると聞いて心待ちにしていたのが、聞いてあっさり拍子抜けした覚えがある。マイナー曲での奏者のやる気が無い演奏は、曲のイメージのためにも勘弁してもらいたいが、強固な使命感に燃えて悪化する状況下にも秘曲録音を続けた志の高さには深く敬意を示したい。
ライヴでお馴染みのチャイコフスキーなどオハコに関してはほぼ心配無く、スヴェトラーノフもそりゃ途中で指揮棒を降ろすわちゅうもんだが(そんくらい理解しろ当時の評論家!!)、数年前池袋でやったラフマニノフ2番(プラチナとはいかないまでも良い席の獲得は困難だった)では、いかにも弦楽器が“若く”、曲の要求する激しいアンサンブルが、すべからく甘いように聞こえた。肝心の中低弦は安心して聞けるレベルだったものの、弱体化久しいバイオリンパートはやはり薄かった。もっともあれは前述の通り、日本で演奏された最良の2番であったと思う。
この盤は名盤の誉れ高い国内盤で、賛美者の枚挙にいとまが無いが、私は“落ち着いてしまった”と感じた。個人的に思い入れのあるバルビローリ晩年を彷彿とさせる。音響が繊細なまでにコントロールされており、ややゆっくりめのテンポの中で各声部を効果的に引き立たせる計算が見られる。基本は客観主義であるものの、ロマン作曲家として情熱的な表現をよしとする資質を反映させた、一種破天荒な演奏を行う指揮者としての魅力は薄まっていると言わざるを得ない。但しスヴェトラーノフの天才が真の円熟を得てこのスタイルに至ったと見るのが大勢であろうし、すれっからしを相手にしては音楽の未来は無いから、これでいいのだろう。このチクルス録音もやはりほぼ一発であったようだが、アンソロジー後期の荒さは無く、カラヤン並みの統率力を見せ付けるものとなっている。
○フィルハーモニア管弦楽団(ica)1993/3/15live・CD
スヴェトラーノフ円熟期の十八番で終楽章後半の盛り上がりに熱狂的なブラボーも定番といっていいだろう。一楽章など内声がごちゃっとしてしまったりオケに弱みが感じられるがスヴェトラーノフの演奏らしいアバウトさで乗り切っている。このころからやけに透明感ある響きを志向していたように感じるがこれはオケが元々そうであるがため良さそうなものの、やや無個性で重みがないのは気になった。何と言っても聴かせどころは三楽章であり、止揚するテンポにはスヴェトラーノフの真骨頂たる歌心が感じられる。尊敬していたというバンスタ(アンコールはキャンディード序曲)とは違った粘着力を持つ音楽は一聴の価値あり。
キタエンコ指揮モスクワ・フィル(MELODIYA)
~サウンドとしてのラフマニノフを表現しきっている。これはこれで良い。
○プレトニョフ指揮ロシア国立管弦楽団(ドイツ・グラモフォン)/ロッテルダム・フィル(ライヴ、放送)
~DGで全集を完結させたプレトニョフは、繰り返しの省略版を使っている。上記ライヴはカットが認められる。棒は「寸止め」スタイルとでもいおうか、基本はギチギチシャープに鳴らし、淀みの淵から雲雀の空までニュアンス深く表現していくロシア・スタイルだが、野暮にならない寸前で棒を止め、そのぶん緊張感を倍増させるスタイル(少しクーセヴィツキー盤に似ている)は非常に格好が良い。最近非ロシア系の2番ばかり聴いていたので、懐かしさと安心感が個人的な心情に作用している可能性はあるが、(一応挙げておいた)後者の放送ライヴをふと聞いてみて、特に1楽章と2楽章冒頭、それに3楽章後半には、ちょっと最近無いカタルシスを得られた。…気が付くとDG盤を持ってレジにいた。この放送は数年前MDにとっておいたものだけれども、幸運にも録音されていた方は聞き直してみてほしい。特に集中力の高い1楽章に関しては、これ以上の演奏は無いようにさえ思う。オケも豊穣で力強いし、残響を抑えたティンパニの打撃が凄い!!ロシア系のオケでもないのに、この表現は何だろう、と思った。DG盤は却って穏健のように思う。それにしても、この指揮者を過小評価しすぎていたと反省した。ちなみにDG盤の1楽章はかなり抑え気味であるが、3楽章から4楽章の表現は明瞭なテクスチュアに憧れに満ちたフレージングをのせて出色だ。
オーマンディ指揮:
フィラデルフィア管弦楽団(旧録)
~作曲家晩年の友人であり交響的舞曲の表現に関してはお墨付きだったオーマンディの旧盤。シベリウスとも同様の仲だったというが、今は評価が高いとはいえない。確かに常套的で冷徹な棒であるが、モノ時代には瞠目するような目覚ましい録音も少なからずあった。作曲家最高の作品とされることも多い交響的舞曲の録音もリズム表現の瑞々しさや透明な感傷表現に魅力ある佳盤といえる。
○フィラデルフィア管弦楽団(新録、“全曲版”)
~カット無し、繰り返し無しの1976年録音。遂に邦盤でもCD復刻された(法悦の詩とのカップリング)。旧盤に比べて表現の幅、中身の濃さ、演奏の充実度が際立っている。ラフマニノフの理想としたサウンドはまさにこのようなものだったろう。どちらかといえば揺れの少ない現代的な演奏で、時期的にも「フィラデルフィア・サウンド」がやや衰えた頃なのにも関わらず、オーマンディの指揮のたしかさがラフマニノフ特有のリズミカルな対旋律をくっきりと浮き上がらせ、面白い事この上ない。ラフマニノフが自作の最良の表現者として称えた指揮者と楽団、白眉であり、同楽団による初演で知られる「シンフォニック・ダンス」よりも充実した録音だ。オーマンディ晩年の秀演である。(1996記)
以下は基本的に旧録でも変わらないが、率直で余り揺れの無い解釈(テンポも音色も)は曇りの無い透明な美感に溢れ、颯爽とした速さで駆け抜けるそう快さは特に終楽章で生きてくる。3楽章も余計な感傷性を差し挟まない分、クライマックスでの表現が目覚ましい効果を与える。もっと顕著なのは終楽章も終盤でかかる壮大なルバートで、ためにためての分、非常に効果的だ。開放弦による音色効果等、即物的といいつつも細かい解釈の独特は諸処に認められる。また、金管群の迫力と纏まりの良さは抜群だ。
しかし作曲家の最も信頼していた(但し解釈自体は好まなかったという話しもある)オーマンディが、晩年になって若きプレヴィンの影響下に<完全版>をレコーディングしたというのも面白い。それだけプレヴィン盤が優れているということでもあるのだが。
○ミネアポリス交響楽団(VICTOR)1934/1/18,19,22・SP
録音悪いにもかかわらず演奏は素晴らしく現代的で、冒頭ひとしきりの重さと弦のポルタメント奏法を除けば今でも通用しそうな充実ぶりである。この時期にしてはオケがとにかく巧い。オーマンディの芸風は決して確立していたとは思わないが、寧ろ前のめりの精力的な演奏ぶりは客受けしそうな感じである。2楽章の速さとキレには度肝を抜かれた。カット版だがそれほど違和感はない。なかなかのもの。
プレヴィン指揮
○ロンドン交響楽団(EMI)
カットが普通であった同曲の全曲版を取り上げ、再評価のきっかけを作った指揮者といわれる。たくさんあるのですが全部は聞いてないし、なんとも書けません。そのうち聴けたら総括します。すんません…
ミュンヒェン・フィル(EN LARMES:CD-R)2001/11/9LIVE
ブラヴォーはすごいが。あれあれ、といったかんじ。遅めのテンポに締まりの無い音、これがラフ2再発見者プレヴィンの演奏なのか、としばし耳を疑った。最初のうちは、チェリの振っていたときのようにがっしり構築的な演奏を指向するオケが、プレヴィンのやわらかい指揮とミスマッチの魅力を放っているように思えたが、あまりの「どっちつかずさ」にどっちらけてしまった。3楽章はさすがに映画音楽的でうまいのだが、過去の演奏と比べてどうなのか。私は、プレヴィンが退化してしまった、と思った。どっちつかずの中途半端な解釈、感情の起伏の無いのっぺりとした音楽、いろいろ罵詈雑言が出てきそうなのでこのへんにしておく。当然無印。
ウィーン・フィル(FKM:CD-R)1992/10/18LIVE
この人の音楽は端正でハメを外さな過ぎる。デュナーミクには独自の変化が付けられている箇所もあるが、ほとんど譜面にあることをそのまま音に仕上げたような、なんだか即席ラーメンのような味がする。ウィーン・フィルの音もいにしえの味はなく、弦には僅かに艶ある音を出している奏者もいるが、機能性が高まったぶん個性と自主性が失われている(パワーはあるが)。完全版というのも、とにかく、長いだけだ。その長さぶんの面白さが倍増していればいいのだけれど、逆だとサイアクだ。この人はけっして才能の無い人ではない。ただ、あまりにいろいろな曲に挑戦し続けてきたせいか、そつなくスマートに出来過ぎて味が出ないのだ。この曲のオーソリティとしてもっと面白い演奏をしていってほしい。私にはまったく引っかかりがありませんでした。終演後の拍手はふつう。この曲の最後はとにかく派手でブラヴォーが入り易いのだが、この演奏ではほとんどブラヴォーは聞こえない。さもありなん。無印。
○ウオレンスタイン指揮ロスアンゼルス・フィル(seraphim)1960EMI
~当然カット版(少し面白いカット 方法)。良く引き締まった、贅肉の無い即物的演奏。終止速いテンポで、表現の潤いに欠けるように思うかもしれない。クラリネットなど木管の音に特徴があり、ロシアオケのようにヴィ ブラートをかけず筆太に吹くところが特に3、4楽章に目立つ。音量感はある。 3楽章などいか にもぶっきらぼうだが、そこはかとない情趣を感じるのは録音のせいだろうか。ロス・フィル ・ヴァイオリンパートのアマチュア的謡い込み方には両論あろうが、個人的には好きな情熱の表現だ。フォルテに盛り上がるところで必ずアッチェランドがかかるところは、素人指揮っぽ いが特徴的。他では聴けないだろう。併録のペナリオ・ラインスドルフ組による協奏曲2番(19 61)は、輪をかけて即物的な巧緻な表現がすっきりとした印象を与え逆に聴きやすい。終楽章 のカデンツアがまるで単なる経過句のように短く弾き流されているのも面白い。総じて良い盤だと思う。
クレツキ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団(LONDON,STEREO)
~清い響きとは無縁の無骨な解釈、しかし入念な演奏ぶりで、割合に楽しめる。クレツキの 独特な棒は言葉で説明するのが難しいが、たとえば盛り上がる箇所では波のようなルバート表現を極力避ける一方、妙なところで局所的に引き伸ばしてみたりする。 大極的に言って余り揺れの無い率直な解釈といえようものだけれども、ここでは1楽章や終楽章の最後くらいで出てくるのだが、クライマックスでかなり速度を上げて、 そのまま雪崩れ込むようにあっさり終結させたりするところも面白い。通常若干でもテンポ・ルバートがかかるような場所を、何も無いかのように通り過ぎてしまうのだ。 客観主義というより表現主義的というべきだろう。 シンバルなどの打楽器の破裂音に近い響かせ方など、アンセルメ時代に比べて荒々しさがある。
少なくともこのようなスタジオ録音では乱れも少なく、あいかわらずの録音の良さも含め 充分許容範囲内の演奏だ。
ザンデルリンク指揮
ベルリン・フィル
~たくさんあるのです。少なくともロシアオケ盤とヨーロッパオケ盤がある。全部は聞いてないし、なんとも書けません。そのうち聴けたら総括します。
1989・9・16ライヴ。ライヴでも全て繰り返し「有り」カット無しを貫いている。ベルリン・フィルの艶を生かしきれていない気もするが、ザンデルリンクのスタイルはおよそ艶とは無縁であるから仕方ない。ギスギス。だからやや飽きる…
レニングラード・フィル(DG)/フィルハーモニア管弦楽団(teldec)1989
~レニングラードの演奏ははっきりいって粗雑。解釈が武骨。妙なところも。弦楽器など、ムラヴィンスキーの統率力よどこへ、といった感じの演奏だ。比べてフィルハーモニア管の演奏はぐっとまろやかになっており、これもひとつの見識と思わせる。ただ、終楽章が遅すぎる!レニングラード・フィルとは1番も録れている(CD化済み)。
△ボールト指揮ロンドン・フィル(deccaほか)・LP
~1956年録音。ステレオ。カット有り。ボールトの“フィルハーモニック・プロムナードオーケストラ“時代の録音には名盤が多い。…しかしこの盤は印象に残らない。いつも乍ら直截な古典的解釈で、古物を彫刻するような指揮ぶりは、この「勢い」と「即興的解釈」が要となる曲にはそもそも合わないのではないか。4楽章のけして品格を失わないうえでの前進性や、3楽章後半の大きな曲作りにききどころはあるものの、敢えて探し出して聴くほどの価値があるかは疑問。一生懸命聞き取ろうとしない限り個性の感じられない演奏だ。
△ストコフスキ指揮ハリウッド・ボウル管弦楽団(music&arts他)1946/8/13放送LIVE
~これが録音が悪い!余り薦められない。全曲版と言われるが未検証。
ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(NICKSONほか)1947
~カットはクーセヴィツキー盤並に有り。2、3年前に相次いで復刻されたミネアポリス録音の嚆矢を飾ったもの(私はそのさらに数年前に出た表記のマイナーレーベル盤を聴いている)。録音はかなり悪い。オケもそれほど巧くはないが、流石ミトプー、起伏が激しい解釈にも関わらず、演奏はとてもこなれている。急激なリタルダンドによる独特のテンポ表現が散見され、特に2、3楽章は見事な効果を挙げている。3楽章は個人的に余り好きではない楽章だけれど、これは聞ける。ハリウッド・ギリギリの凄絶なロマンスは、この盤でしか聞けません。緩徐部の木管の密やかで寂しげな音も、耳について離れない。4楽章もかなり起伏が有るが、力強い響きにはクーセヴィツキー盤を彷彿とさせるものがあり(無論ボストンの強固な弦にはかなわないが)、最後も高揚感ひとしおだ。音さえ良ければ推薦できるのに…
パレー指揮デトロイト交響楽団(mercury)
~てらい無く素直な演奏。録音のせいだろうが、ハーモニーのバランスがこの時代にしては非常に良い。普通とカットの仕方が違うようだ。
○マゼール指揮ベルリン・フィル(DG)1983
~スタイルはキタエンコに似る。オケの力量と油の載ったマゼールの棒が水も切れるようなアンサンブルをかなでる。存外いい演奏なのだ。マゼールの全集は余り口辺に上らないが何故だろう。緩徐楽章よりアレグロ楽章を好む私としては終楽章におけるベルリン・フィルの強固な弦楽アンサンブルに拍手を送りたい。この組み合わせはシンフォニック・ダンスもすばらしい。
○ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィル(COLUMBIA/EMI)1945/11/15
~これ、もうすぐCD化します(2003/9末)。手元のLPが非常に状態が悪いため、CDで買い直すつもりだけれども、演奏の概要は聞き取ることができる。かなり押せ押せごり押せのストレートな演奏で、ロジンスキ節炸裂、密度の濃い音響はラフマニノフのロシア風味をぐっと引き立てる。音が悪いからというわけではないが、クーセヴィツキー盤に似ているように思われた(もっともあっちはテンポがかなり揺れるが、作り上げる音の質が良く似ている)。4楽章はとくにテンポが全く揺れず、速いスピードでぐんぐん押し進むところが男らしい。対して3楽章は恐らくこの演奏の白眉とでも言うべきもので、昔のハリウッド映画を思わせるロマンチシズムに満ちた、しかしベタベタせずに男らしい情感溢れる表現が印象的だ。全般、この音質では○は上げられないけれども、CD化後を想定して上乗せ、○ひとつつけておく。ちなみに当然カット版で、独特のカットがびっくりさせる。カーネギーホール録音。一日で録りおえている。
ラトル指揮ベルリン・フィル(FKM:CD-R)1990/6/1LIVE
ライヴにしてはずいぶんと落ち着いた演奏ぶりだが、ヴァイオリンを始めとする弦楽器の震えるようなヴィブラートにベルリン・フィルを感じて萌える(←ちょっと使ってみました)。1楽章などブラスが鈍重だったりどうにも冴えない演奏ぶりだが、弦楽器はとくに緩徐主題においてとてもイイ音を出している。「熱い」とか「なまめかしい」とまでは行かないものの、特色有る音にはなっている。2楽章の中間部あたりから全オケにラトルの解釈が浸透してきたような感じがする。それは3楽章で頂点に達する。デロデロのこぶしをきかせた歌いっぷりは、発音こそ醒めた客観的な感じを受けるものの、テンポやデュナーミクのまるきり自由な伸縮が楽しい。まさにラフ2の3楽章、そのイメージ通りの演奏だ。この人もピアニッシモの表現が面白く、全音符で詠嘆を表現するときは限界までとことん伸ばしに伸ばす。全楽章の弱音部に言える事でもあるが静かな場面での繊細な音表現が巧い。4楽章はそれほどテンポが上がらずゆっくりしっかりといったふう。普通程度には盛り上がるが、やはり緩徐主題のリフレイン部分に魅力を感じる。総じてそれほど名演とは思えないが(録音がやや遠く茫洋としているせいもあるかも)、現代指揮者としては特筆すべき位置に置ける優れた技術を持った指揮者ということはわかる。ワタクシ的には無印。
○スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団(CAPITOL)
カット版だが大変に立派な演奏である。がっしりしたフォルムを保ち決して細かくは揺らさず、やや引いたテンポのうえにひたすら雄渾な筆致でロマンを描きあげてゆく。その名演ぶりの大半はピッツバーグの分厚い弦セクの力によるものだろう。決して技巧にすぐれた弦のオケではないのに、しかしここではリズミカルなアンサンブルの非常にしっかり構じられた演奏を繰り広げ、非常に憧れのこもった音でハリウッド映画音楽的な音色をきらめかせながら、しかしスタインバーグの要求する強く男らしい表現の中にそのロマン性を押し込めることにより、純音楽的表現と内面的感情の素晴らしくバランスのとれた格調の高い歌がつづられてゆく。ゆめゆめ演歌などと思わせない。よくあるロシアふうのお祭り騒ぎも嘆き節もなく、テンポ設定は巨視的にしかいじられず、1楽章では遅く客観的と感じたり終楽章では逆に即物主義的と感じるほど単純なアッチェルをかけ続けたり、そこがちょっと気になったので◎にはしなかったのだが、これらがあるからこそ個性的な演奏たりえているとも言える。ホーレンシュタインのやり方に似ていてもあの明らかに音色を犠牲にしてまで整えるドイツ式の表現手法とは違う、ロマンティックな音、アーティキュレーション付けを多用はしないが効果的に使って色めいた伽藍を打ち立てている。素晴らしい。○。決して巧いオケではないのだが、それでも素晴らしい。
~Ⅲ、Ⅱ
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1941/2/27live・CD
モントゥのシャープでドライヴ感溢れる演奏振りが伺える楽章抜粋の演奏記録。2楽章で勢いよく締めてなかなか爽快感がある。リズム感のよさが発揮されスピードとあいまってこの曲のぶよぶよな部分をなくしている。3楽章は曲自体がぶよぶよで出来上がっているために、凡庸に聴こえた(私はモントゥのチャイコでも同じような余りよくない印象を持っているので、これは解釈への好みにすぎないとは思う)。2006年12月発売のMUSIC&ARTSサンフランシスコ放送録音集成に収録。このボックスは反則だよお(昔に比べればコストパフォーマンスはいいとはいえこの数だとありがたみがない