湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ラフマニノフ:交響曲第3番

2019年02月21日 | ラフマニノフ
コンドラシン指揮チェコ・フィル(profil)1960/7/1live・CD

こんな録音があることを知らなかった。profilのコンドラシンボックスは新発掘が無いような感じだったのだが拾い物だ。録音は良くはないものの情報量がある。最初からゆったりした大構えに驚かされる。コンドラシンといえばドライ。即物的な解釈である。特に古いものは強引さのあまり音が掠れるのも厭わないし、ライヴではやらかしても平気である。併録のシンフォニック・ダンス(既出のモスクワ盤)はセッション録音のはずだがよく聞くと管楽器に怪しい音が聞こえたりする。これはしばしば一発録音してしまうロシア録音の特徴でもあるからコンドラシンだけのことではないが、それを雑味という言葉で片付けると、コンドラシンはけして雑味が少ない指揮者ではない。しかしこれはたぶんオケが良いのである。二楽章でフルートの縮緬ヴィヴラートの美しさ、クラリネットの音色、ほかブラスも安定し弦楽器は言わずもがな、すこし金属的な厚みある音が鋭く響くから、楽器によっては傾向に似た部分はあるにせよロシアオケとは異なり精度が高い。ゆったりと雄大に、なめらかに聴けるのは一楽章だけではなく全楽章の緩徐部で、三楽章のラフマニノフの真骨頂のようなロマンティックな第2主題はコンドラシンらしい力強さを加えとても迫力がある。三楽章といえばあの騎馬民族的な(解析的にではなく印象として騎馬民族的な)地を蹴るリズムは期待を裏切らない。万全なように茫洋と書いてきたが、終わってみて客席と同じく普通の拍手しか送れないのは、逆にコンドラシンの求心力がそこまで出ないからコンドラシンでなくても良いよね、ということで、コンドラシンはこれしか録音が無いと思われることからも、散漫な曲にはさほど魅力も感じていなかったのかもしれない。そういうことは職人的な印象となって伝わってしまう。私は好きだが、何度も聞くかというと他にもっとギュッと絞まったものを選ぶだろう。最晩年のシンフォニック・ダンスのわかりやすさとはかなり違う作品である。
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