○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(da:cd-r他)1947/4/8live
恐らく既出盤と同じ。同時期アメリカで主流の強靭なトスカニーニスタイルにロシア式の重い歌謡的表現を載せたような、クーセヴィツキーの典型的芸風による演奏で、1楽章の序奏部など短いなりにしっとりやらなければバランスが悪いところ、さっさと主部に入ってしまう性急さを感じるし、その後も主旋律がうねるように粘着するロシア節でラフマニノフの望郷の念の篭ったなつかしさを演出するべきものであるところ、スピードが常に速くインテンポ気味にきこえてしまうため、いくら起伏をつけて没入指揮をしてみても、生身の楽曲のうねりが剥き出しに聞こえてくるような、したがって才気の衰えが感じられる部分はそのまま魅力なく聞こえてしまう。旋律に魅力がない、リズムが単調、常套的構成、アンサンブルに新味がない、そういったところだ。クーセヴィツキーの芸風自体がちょっと聴きワンパターンに陥りがちなせいもあるかもしれない。
とにかく私はどうもこの曲の演奏はハッキリ好悪が分かれてしまう。これは悪のほうというわけなのである。アメリカナイズされたラフマニノフ自身、切り詰めすぎたような曲なので、もっと雄大に、旋律も上下に振幅を持たせるだけではなくたっぷり時間をかけてほしい、詠嘆の表現もほしい。○にはしておく。録音もよくないのでこじんまりと感じたのかもしれない。
※2008/7/2の記事です
恐らく既出盤と同じ。同時期アメリカで主流の強靭なトスカニーニスタイルにロシア式の重い歌謡的表現を載せたような、クーセヴィツキーの典型的芸風による演奏で、1楽章の序奏部など短いなりにしっとりやらなければバランスが悪いところ、さっさと主部に入ってしまう性急さを感じるし、その後も主旋律がうねるように粘着するロシア節でラフマニノフの望郷の念の篭ったなつかしさを演出するべきものであるところ、スピードが常に速くインテンポ気味にきこえてしまうため、いくら起伏をつけて没入指揮をしてみても、生身の楽曲のうねりが剥き出しに聞こえてくるような、したがって才気の衰えが感じられる部分はそのまま魅力なく聞こえてしまう。旋律に魅力がない、リズムが単調、常套的構成、アンサンブルに新味がない、そういったところだ。クーセヴィツキーの芸風自体がちょっと聴きワンパターンに陥りがちなせいもあるかもしれない。
とにかく私はどうもこの曲の演奏はハッキリ好悪が分かれてしまう。これは悪のほうというわけなのである。アメリカナイズされたラフマニノフ自身、切り詰めすぎたような曲なので、もっと雄大に、旋律も上下に振幅を持たせるだけではなくたっぷり時間をかけてほしい、詠嘆の表現もほしい。○にはしておく。録音もよくないのでこじんまりと感じたのかもしれない。
※2008/7/2の記事です