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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

マーラー:交響曲「大地の歌」

2009年09月06日 | マーラー
○クラソワ(A)ブラシュト(T)シェイナ指揮プラハ国立歌劇場管弦楽団(aulide:cd-r)1960/5/29live

雄弁で感情豊かなソリストが聞きものの演奏。技巧的にも安定し、チェコ語だからこそ板についた感情を出せているのかもしれない。ワルター壮年期張りの指揮にアマチュアレベルのオケ(技術的にばらけすぎである)、しかし内燃率が高く表出意欲は満点。力強く突き進み、ボリュームある音は好きな向きには好ましいものだろう。たんに下手くそと聞くか30年代頃に遡ったような珍しい音源ととるか、録音が戦時中並に悪いのもあってけしてオススメはしない。客席反応は静か。
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マーラー:交響曲第9番

2009年09月02日 | マーラー
○マゼール指揮NYP(NYP)2008/6/4-13live

ついに完結したマゼールNYPライヴ全集、といってもMP3ネット配信だけのようだ。最近のマゼールの精細に欠く締まらない部分と流れで無難に聴ける部分が・・・悪口になってしまった・・・よく認識できるシリーズとなっている。amazon.comとemusicは日本ではダウンロード規制がかかっているもののinstantencoreなどはアカウントを作れば可能なようである。この曲も何度もの記録の継ぎ接ぎにもかかわらず(それほどクリアな録音でないせいもあるが)1楽章は雑な弦をはじめとしてオケにかなりのばらつきがみられ、解釈自体も殆どケレン味のない、弛緩しただけで粘らない長大演奏になっている。2楽章でテンポアップしアンサンブルも統制がとれて、やっとほっとできる。聴き所はやっぱり4楽章、常時精細に欠くNYPのヴァイオリンパートがここぞとばかりに歌いまくる。その音色の一体感は、NYPらしさでもあるが、他の楽章でもやってくれ、と言いたくなるほど。マゼールもブーレズもそうだが晩年になるに従いいい意味でも悪い意味でも個性が薄れ、往年のファンは離れてしまった感があるが、「それなり」に楽しめる、昔の意味での巨匠性は無いけれど格は感じられそれなりに聞きとおせてしまう点で現代のファンを掴んでいるのだろう。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2009年07月20日 | マーラー
○ホーレンシュタイン指揮フィンランド放送交響楽団(WME,DA/CD-R)1968/9/21live

悲劇的の演奏には定評のあった、マーラーの大曲ではクレンペラーと肩を並べる堅牢で構築的な録音を遺したホーレンシュタインのこれはかなりいいほうの演奏。後年けっこう間延びした緩い演奏もした人だが、ポテンシャルの高いオケを使っていることもあり集中力の途切れない厳しく男らしい音楽が続く。中間楽章にはやや潤いが足りないが両端楽章の威容は聳え立つような、1楽章は特にこなれた解釈が冴え渡り聴き応えがある。人工的な構成でテンポ設定など難しい音楽だが緩徐主題など無味乾燥にもロマンチシズムにも偏らず違和感の無い模範的な表現でぐいぐいと引っ張っている。VOX録音のVSO時代はまだウィーンで活躍していた頃の情趣が別の魅力を発揮していたが、ここではとにかく冷徹な峻厳さが支配しており、そこで更に何かを言っている、クレンペラー的と言ったのはまさにそこのせめぎあいが「ここでは成功している」というところで、クレンペラーでもライヴ録音では失敗があるのと同様ホーレンシュタインでも正規録音では詰まらない地味な演奏に堕しているものもある、この演奏の終演後の反応のよさはムラのある指揮者のここでは成功していることを裏付けている。ただやはり、緩徐楽章など平板で魅力はない。○。
Comments (4)
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マーラー:交響曲「大地の歌」

2009年06月18日 | マーラー
○リタ・ゴール(Msp)ケネス・マク・ドナルド(T)セバスティアン指揮ORTF(INA,Le Chant Du Monde,Harmonia Mundi)1969ブザンソン音楽祭live・LP

ステレオだが録音は少し雑味があると感じるかもしれない。セバスチャンはバルトークなど知られるが例えばアンチェルのショスタコ7番のような醒めたテンションを持っており、しかし曲が曲だけに客観的な面も感じさせる。結果として速くインテンポ気味ではあるが、オーソドックスな表現といったところか。マーラーは10番1楽章のみがよく知られているがあれともちょっと違っているのは、恐らく歌曲伴奏という意識があるからなのかも。ORTFもボリュームのある、それでいて精度の高い音楽を提示してはいるが、特筆できるような色は出してきていない。独唱者に関してはともに正直それほど魅力的なマーラー歌いとは感じない。特にテノールは彫りが浅く表層的で、痩せぎすの若者のような歌になっている。リタ・ゴールはマーラーと意識して歌っている感じがしない。「告別」も無難という感じはするが、詠嘆の表現も余り粘ることが無く、セバスティアンの即物性とある意味合致してはいるのだが、何か違和感がある。全般普通に聴けるライヴではあるものの、マーラー指揮者のそれを期待するのはお門違いか。
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マーラー:交響曲「大地の歌」

2009年04月09日 | マーラー
○ザンデルリンク指揮ロス・フィル、ネス(A)ジョーンズ(T)(LANNE:CD-R)1989/3/12ドロシー・チャンドラー・パヴィリオンlive

聴衆はやけに沸くのだが、演奏はゆったりした法悦的なテンポよりもフォームが崩れず熱しない音楽、そつない整え方が気になる。ザンデルリンク壮年期にみられた情緒もなく、このロマンティックなオケをもってしても伝わってこない。録音がぼんやりとしステレオではあるが悪いせいもあるだろう。歌唱はオーソドックスに巧く、告別の末端にいたるまで楽しめるのだが・・・そういえばオケの精度も妙に高い。ちょっと緊張し過ぎた演奏ということなのか。耽溺するでもなく、すっと透明感を売るでもなく、以前に流行った客観スタイルを保ちつつ、多少ロマンティックにやったふう。○。
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マーラー:連作歌曲集「亡き子をしのぶ歌」

2009年04月08日 | マーラー
○ファスベンダー(Ms)チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル("0""0""0"classics:CD-R/topazio)1983/6/30live・CD

放送音源らしきノイズが僅かに入りキンキンいう箇所も少しあるがほぼ明晰なステレオ録音、チェリらしい巨視的な響きを聴き取ることが可能である。歌唱の注意深い情感表現もさることながらチェリの響きへのこだわりが決して神経質なのではなく、なめらかなレガート表現を伴って初めて音楽的なふくらみを持ったものとして成立している。抑制的で柔らかく十分マーラーのロマン派的側面を感じ取ることが可能だ。聴き応えがある。マーラーの中期以降の歌曲はバックオケの比重が重いので、当然独唱だけではなく指揮者やオケにかかっているところがある。曲に起因して一部チープな街頭音楽ふう煩さも無きにしも非ずだが、おおむね大地の歌以降を思わせる無駄無く書き込まれた管弦楽を、如何に「重くさせずに」表現するかがこの演奏の鍵であったように思う。それは成功であり、チェリがマーラーを嫌い記録としてはこれしか残さなかったのは(演奏自体は9番か大地をやっているはずである)ちょっと残念であった。海賊盤でcdrはそのコピー。盤質は悪い。○。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2009年03月19日 | マーラー
○ワルター指揮ロンドン・フィル(TESTAMENT他)1947/11/6live・CD

国内代理店売りしているためレーベルを「他」という書き方にした。非常に激烈なワルター壮年期そのままの演奏で10年遡ったような感じがする。ただ、ロンドンの聴衆は騙されない。拍手は冷静でよく聞くとブラヴォが混ざる程度である。かなり高精度で終楽章のコーダなどワルターにしても異様な迫力ある力感をぶつけてきていながら、全般には醒めた音で生硬さを感じさせる。音色の綾やスムーズな横の流れの作りがワルターらしくないというか、最初ボストン交響楽団の演奏かと思ったくらい機械的な作り方が目立ち入り込めない。3楽章冒頭のコンバスソロからしても中途半端な表現で、決してこのオケと相性がよくなかったことを伺わせる。ただ、技術的には凄い。BBC交響楽団の調子のいいときのようで、ボールトの曇りをオケから一切取り去ったような明快さは、この指揮者が同時期にトスカニーニ的演奏を求められていたのではないかと推察させる。バンスタ的起伏もバンスタに増して人工的、、、更にこの演奏、録音が極端に悪い。ノイズ慣れしていないとまず、聴くに耐えないだろう。演奏的に精度を求めるなら、あるいは30年代的なワルター解釈を求めるなら(そしてウィーン風を求め「ない」なら)薦めてもいいが、まずもってマニア向け。個人的にはワルターでも歌心の少ない特異な高精度志向とリアルな世界観が作られている点興味深かった。○。

Mahler: Symphony No.1 "Titan"; R.Strauss: Tod und Verklarung Op.24 / Bruno Walter, LPO, etc
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マーラー:交響曲第9番

2009年01月23日 | マーラー
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(Lanne:CD-R)1973/11/2アムステルダムlive

奇しくもこのエントリをあげる直前に知人の訃報を聞いた。コンドラシンのマーラーを初めて聞いたのは、その知人よりダビングしてもらった9番のテープでである。。この盤は短時間だが酷い録音撚れ起因の歪みがいくつかあり、演奏精度的にも正規より落ちる。疲労がうかがえるが集中力は最後まで高く、特に3楽章の鋭いリズムと速いインテンポには瞠目させられる。ここで中間部のテンポをぐっと落としすぎると4楽章と全体バランスがおかしくなるという配慮から音量もテンポもそれほど落とさない演奏はままあるが、コンドラシンの新即物主義的方法が一番成功しているのはこの楽章だろう。即物的方法は感情的な1楽章や愉悦的な2楽章では余りメリットに働かない。あっさり、というより音のコントラストは強いのに無感情という殺伐とした印象を受ける。だが横に流れる歌謡性ではなく一つ一つの音圧とテヌート奏法でズンズンと踏み込んでくる4楽章には説得力があり、最後は大ブラヴォ。アムステルダムにコンドラシンが受容されたのはわかる気がする。○。
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マーラー:交響曲第2番「復活」

2008年12月12日 | マーラー
○クレツキ指揮ケルン放送交響楽団・スイス音楽祭管弦楽団他、ヴォイトヴィツィ(s)ファスベンダー(Ms)(rare moth:CD-R)1970年代live

クレツキのマーラーが次々と発掘されているがむらはある。これは派手さは無いが堂々たる演奏で感情的な超名演ではないにせよ職人的な色のつかない演奏として楽しめる。録音も最初が撚れるだけで明晰なステレオ。筆描きのようなしっかりしたアクセントある音がクレツキらしいが、違和感はなく、変な解釈というのは余り無い。録音がはっきりしていることもあるがレンジの広い表現でただそのダイナミズムを楽しめる。終楽章のソリストの絶唱も聞き物。○。
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マーラー:交響曲第9番

2008年12月06日 | マーラー
○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(LANNE:CD-R)1971/5/30プラハLIVE

録音はあまりよくはなく演奏的にも荒くて危なっかしい、精度が低いものだが、真に迫ったものはあり一気に聞かせる。MELODIYA盤よりわりと個性は薄く、コンドラシンらしい一貫した力技という特色は出ず、刹那的な激しさもマーラー的、という言葉で説明できる範囲なのだが4楽章だけは次元が違っていて、他楽章でも往年のロシアオケらしいボリュームと彫りの深さはあるが、ここにきていきなり即物的にテンポが速くなりコンドラシンらしさが前に出てくる。最初は軽すぎる気もしないでもないが、ホルンソロの音に確かにロシア奏法が聞かれたり、弦のうねるような重厚で滑らかな起伏のつらなりが往年のロシアの弦楽アンサンブルらしさを出してきて、かなり感情を揺り動かされるフィナーレになっている。それだけのせいでもなく、全般通して音さえよければかなりの名演だったことが想像された。○。

日本初演ライヴ(67)ただいまダンピング中(2008/12現在)




KONDRASHIN;
Kirill Kondrashin
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マーラー:交響曲第10番~Ⅰ、Ⅲ

2008年11月20日 | マーラー
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1959/12/3live

プルガトリオ付きなのが珍しい。クシェネク版か。一楽章は恐らく"0""0""0"classics(CD-R)既出のものと同じ(録音日表記は違うが演奏時間がほぼ同じ)だが、エアチェックノイズ含め音質は悪い。序奏部など一部を除き非常にドライで軽い独特の演奏。乾燥しており、インテンポで、音の迫力でのみ起伏が感じられる。こだわりが無い。ただ、若干こなれているというか一定の精度は保たれており、それなりの充足感が得られるところをみると慣れていないわけではなさそうだ。むしろ力感溢れるリズム表現が聞かれるプルガトリオのほうに魅力を感じた。ミュンシュらしくもない「マーラーになっている」。カップリングにフォレスターの歌唱による亡き子をしのぶ歌と若き日の歌という歌曲集が入っている。ミュンシュのマーラー歌曲伴奏はRCA正規録音がある。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2008年10月22日 | マーラー
○クレツキ指揮イスラエル・フィル(DA:CD-R他)1955

板起こしで、恐らく正規録音の音源である(旧サイトに記載)。クレツキ・イスラエルフィルのマーラーは9番と共に最近CD化されていたような気がする。演奏は初期イスラエル・フィルというウィーン・フィル並みのボリューム感溢れる素晴らしい楽団によってしなやかな起伏を織り交ぜながら非常な盛り上がりをみせており、この指揮者とマーラーの相性のよさも感じさせる。奇を衒ってはいないのだが、たとえばロスバウトなどと比べて格段に印象的。感情を煽るような攻撃的な突進をみせる終楽章コーダで突然のカット、これだけは何度聴いても慣れない。○。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2008年10月22日 | マーラー
○ロスバウト指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1954/11/8・CD

TAHRAお得意の抱き合わせ商法である。すなわち散々既出のヘフリガーの歌った大地の歌とのカップリングで5000円以上也。CD-Rで出ていたものと同じかどうかわからないが、ノイズは少なく聴き易い音であるものの、モノラルで拡がりは無い。細部が不明瞭で分離が悪い。演奏はオーソドックスと言ったら悪いが、古いベルリン・フィルの雑さが1楽章には少し出るものの、あとは精度は維持され、素直でスコアに忠実であり、乱れなくて、表現主義のグロテスクに陥らない。3楽章冒頭はスコアに忠実にしっかり「下手に」弾かせようとしているが。しかし結局下手ではないし緩徐旋律もさらさらして粘らない。ライヴでないこともあって安定感がひときわありすぎる。

4楽章は盛り上がる。音楽自体がそうできているだけと言う事もできようが、ロスバウトはこういうやり方をすることがある。緩徐部ではベルリン・フィルが「お仕事」から「やる気(やる男ではない)」へと切り替えた感がひときわ強く、けして相性がよくない(と私は思う)ベルリン・フィルとの、珍しい幸福なアンサンブルぶりを聴くことが出来る。

ただ、傑出も突出もしない演奏であることは確か。

○。
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マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」

2008年10月09日 | マーラー
○ラインスドルフ指揮クリーヴランド管弦楽団他、チョーカシアン他(DA:CD-R)1976live

これが不思議な演奏で、後になればなるほどふつふつと感動が湧き上がってくる。第一部はやけに軽くスピーディで、この指揮者らしい即物的な職人性が際立って、マーラーらしくない、詰まらない演奏に聞こえるのだが、けして良くは無いステレオ・エアチェック録音のうえでも管弦楽・合唱そしてソリストの実に計算された緻密なアンサンブルが聞こえ、対位的構造の明快なさばきぶりに加えて、第一部も後半ではこの指揮者のルーツを思わせるリズミカルな処理の巧さが光ってくる。第一部終盤でもインテンポで軽い響きは変わらないがただ強いだけではない、意気を煽るような胸のすくリズムが高揚を呼び、既に大喝采が入る。もっと聴き所は第二部に一杯あるが、いちいち挙げていたらきりがない。とにかく声部間のバランスの整え方や、スコアの透けて見えるような「現代的な」処理ぶりが巧く(ソリスト含め速めのインテンポを基本としているからできたのかもしれないが)、そういった土壌の上にドラマが「自ずと」展開されてゆく様は、セルやカラヤンに似た美学の存在を感じる。だが決定的に違うのは「軽快さ」と「リズム処理の巧さ」。マーラー的な響きが徐々に引き出されていき、大地の歌を聴いているような恍惚のままにスピーディな終演を迎えると間髪入れずのブラヴォーの渦、これはちょっと異常なくらい長く続く。確かに名演だ。ただ、第一部にマーラーらしさが希薄かなあ、という点も含め○にとどめておく。
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マーラー:交響曲第3番

2008年10月02日 | マーラー
○スワロフスキー指揮ロス・フィル他、チョーカシアン(A)(WME:CD-R)1965/2/19live

超客観主義で響きの指揮者のイメージのある人だが、響きの重視やいたずらにテンポを動かさない冷静さを保ちつつも、実に偉大な演奏ぶりで終始聴衆を魅了し続けている。いちいち楽章間に拍手が鳴り止まず(第一部の終わりだけではない)、それは必ずしも指揮者に対してだけのものではないかもしれないけれども、ロス・フィルとは思えない粗さの無さも含め、録音状態が悪いのではっきりと断言はできないが、特別な演奏会だったことが伺える。ロスバウトを思わせるドイツ的な重厚な力み、けして音楽をさらさら前に流すことは無く真摯に最後まで立ち向かい、終楽章では感動的な盛り上がりを音楽的に作り上げる。特徴的ではないが、部分部分にはっと思わせる表現があり、たとえば1楽章はわりと率直な解釈でいながらコーダでのちょっと見得を切るようなアクセントの表現など実演ならではのものだろう。客席録音の模様。終演後のブラヴォも凄い。○。
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