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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

マーラー:交響曲第5番~Ⅳ.

2011年11月29日 | マーラー
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1982/11/26live

恐らく既出のコンピレーションと同じ音源。比べ音質は悪い。ただ、演奏はスヴェトラが好んだマーラーの、スヴェトラが好みそうな旋律音楽の、スヴェトラが一番脂の乗り切ったソヴィエト末期前夜の演奏だけあって聴き応えがある。ドイツ式の剛健さもフランス式の軽やかさも併せ持ちなおパワフルなロシア式の伝統を継ぐこの組み合わせに昇華されており、分厚い弦楽合奏の迫力に、迫力ではあるのに、じんとくる。○。
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マーラー:交響曲第5番

2011年11月21日 | マーラー
ドラティ指揮ストックホルム・フィル(HAYDN HOUSE:CD-R/NHN)1973/9/14-15・LP

ドラティのこの組み合わせはシベリウスがあったかと思うがどういうわけか四角四面の能面みたいな演奏でとにかくインテンポで遅い。ホーレンシュタイン晩年のスタジオ録音かと迷うほどのつまらなさなのだ。このオケのブラスの響きはしっかり届いてくる。それにかぎらず技術はバランスのとれたそこそこのもの。だが、解釈に特徴がない。ホーレンシュタインの鋭い切り込みや重さに比肩しない。ある意味現代的な冷静な演奏だ。ドラティ??結局終楽章コーダの突然のテンポアップにどんちゃんで初めてドラティだとわかる。あと楽しみかたとしては終楽章にてひたすら旋律を奏でるバイオリンと線的に絡み合う、対旋律の数々に傾聴してみることか。見通しがよいのでマーラーの書法の簡潔な魅力が非常にわかりやすい。だが久しぶりに無印。
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マーラー:交響曲第3番

2011年11月21日 | マーラー
○ルートゲルス(Ms)マルティノン指揮ORTF、cho(cascavelle,INA)1973/10/3live・CD

マーラーイヤー記念でフランスから出るとは思わなかったが存命中はマーラー指揮者として活躍していたマルティノンによる新発掘の3番である。シカゴ時代とはオケの違いもあり印象が異なる。まず響きが軽い!ペットあたりの音色はマーラーに似つかわしくないハスッパな響きで、1楽章より「それでいいのか??」と思わせる。そういう透明感をまといながら全体にきわめて見通しがよく、そこから見える構造は立体的である。明快であるがゆえに奇怪な解釈も目立ってしまう。シェルヒェンとまではいかないが、奇妙な強調、奇妙な伸縮、奇妙な「ズレ」、いずれもいわゆる中欧系マーラー指揮者のものとは異なる視座にあるように思う。やはり「作曲家指揮者」なのだ。第一部終了で拍手が入り、2楽章以降第二部は一気に通して演奏されるが、解釈は第一部が最も面白く、終楽章までくるとまともになる。熱狂は呼ばないが、幸福な楽章は幸福な音がふさわしい。8・10番にも通じるマルティノン独特の盤だが、○。
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マーラー:交響曲第5番

2011年10月28日 | マーラー
○ホーレンシュタイン指揮BPO(放送)1961/8/31エジンバラ音楽祭live

ホーレンシュタインとベルリン・フィルの関係は古い。1920年代のブルックナー7番は最初期の録音として認知されている(マーラーの歌曲も録音している)。ユダヤ系であり、奇しくもある意味似たスタイルを持つクレンペラー同様、亡命後は自分のオケを持たない不遇の時代を長く過ごしたが、これまたクレンペラー同様VSOとのVOX録音が大量に残されていることは幸いである。共にマーラーとブルックナーの十字軍であり現代音楽擁護者だった。ホーレンシュタイン自身はウィーン育ちで(マーラーを聴く機会もあったが逃している)指揮デビューもVSOとの巨人他だった。そういう意味で柔和なワルツ表現に通じていたが、既にBSOのシェフとしても拠点にしていたベルリンにてフルトヴェングラーのアシスタントの座を獲得し、25年から29年までベルリン・フィルを振る機会を得ている。憧れのフルトヴェングラーとの経験が男らしい剛直性と肉感的アプローチといった個性に取り込まれたことは言うまでも無いだろう。アカデミックな研鑽を積んではいるものの、複雑な近現代曲を直感的に掌握し振る才能には若くして定評があった。晩年頻繁にイギリスに呼ばれるようになったが、BBC企画による59年3月20日「千人」を無経験のままほぼ一発で演奏し上げ大成功をおさめたことが大
きい(近年マーラー再評価の標となった)。VOX録音時代にはフルトヴェングラー様のスケールの大きい有機的表現が特徴的で、ロマン性が強かったが、同時にコントラストの強さ、すさまじいフォルテッシモも持ち味であった。晩年にはそれらは巨大な理知的構造の中に取り込まれるが、ライヴでは凄まじいものも残した。5番はその一つである。

ベルリン・フィルがカラヤンの指揮下に入ってからまだ7年程度とあって楽団にはフルトヴェングラーの匂いが残る。とくに弦楽器だ。ホーレンシュタインによってより厳しく統制されてはいるが、とにかく音が均質で融合し、響くとまるで一本の大きな楽器のように強靭になり、かつ自在に動く。また管楽器についてはカラヤンの要求に従い増強が図られていた時期であり異常な「肺活量」を要求するこの曲ではいい方向に働いている。それらセクション同士のアンサンブルは訓練されバランスよく強固で、そこらの「突出オケ」とはわけが違う。

前置きが長くなった。一楽章はホーレンシュタイン後年のやや遅いテンポの中にドラマティックなアーティキュレーションを盛り込んでいく。しかしこれよりも2楽章の凄まじいロマン性に瞠目する。目まぐるしく変わる悲劇的曲想を柔軟で有機的な横の流れのうえでびしっつ、びしっと決めていく。ラジオ放送録音なのでモノラル末期盤同様多少は録音マジックを割り引いて聞かねばならないが、それでもバス音域楽器の底強さは音楽を揺り動かし弦楽中声部の太い響きとがっしり組み合っている。マーラーなのでわりと掛け合い数珠繋ぎのアンサンブルになる場面が多いが、もうベルリン・フィルを使うのは反則、というか、音量的にも音質的にもブラスと弦が対等に渡り合っているのが凄い。マイクはあれだけ吼えるホルンに近い位置にもあり、ちょっと不自然な点録音設備でよくバランスをとっているということもあるかもしれない。どんな指揮者でも楽曲でもベルリン・フィルを使うと名演になる。これは真理であり、ホーレンシュタインの若干形式主義的な堅苦しいマトリクスも、その空間にみちっと音を詰めてくれて、骨皮に血肉を与えるとまでいうとホーレンシュタインのことではなくなるが、それに近い「補完」をしてくれる。いや逆にホーレンシュタインとBPOだからこそこの奇跡が生まれたのだ。とにかく、2、続いて3楽章も気分の浮き沈みの激しいドラマが演出され揺り動かされる。ファーストホルンの物凄い息の長さにも着目。ホーレンシュタインの面目躍如たる完璧なウィンナーワルツもじっくり聴くべき。すばらしいリズム感だ。決してテンポに影響させないのが凄い。

アダージエットはいつものホーレンシュタインである。冷静で静謐。清澄で綺麗。よくドライブして歌わせるしアンサンブルは言わずもがなだが、個性という面では弱いし、こういう曲はロマンティックな即興指揮者の領分かもしれない。終楽章はアンサンブルの化け物だが、前記のとおり合奏でホールをとどろかせる場面はわりと少なく、数珠繋ぎの線的な書法による部分のが目立つ。ソロ表現になってくると楽器おのおのの個性が出る。オケ総体のパワーが一番の売り物であるベルリン・フィルにとってはやややりづらいのかもしれない。これはもう近年のBPOのうわさ話だが弦楽器奏者はもはやソロを演奏するような「作り」になっておらず、ギリギリ弓を押し付けるように弦を軋ませ、ノイジーな大音量の中に正しい音を情報量たっぷり盛り込むやり方をする。ノイズ部分はホールに「吸わせる」のだ。だからあのようなパワフルな演奏ができる、という見方である。俄かに信じがたいし一つの弾き方しかできない人間もいまどきいないと思うが。弦のソロはともかく、管楽器のソロにもそういうことがあるのかもしれない、と思うのはこういう楽章での「平凡ぶり」である。パワフルに合奏させる場面ではホーレンシュタインの面目躍如といった強靭なアタック、巨大なクレッシェンドが圧倒してくるわけだが、牧歌的にやり取りしているところでは、普通、である。暗い、とも言える。これは元からそういう音のオケだしピッチも低いのでしょうがない。あとこのあたりからノイズや撚れがかなり酷くなってくる。これは放送エアチェックを継ぎ接ぎしてなんとかレストアした音源(webにある)で、これ以上は正規化しないかぎり望めないようだ。ずーっとジャズが小さく混信している点も付記しておこう。形式的な表現をとるホーレンシュタインにしばし息をつくが、最後が近づくにつれ設計どおりか盛り上がりができてくる。リズムはより明瞭にマーチはリズミカルに、イキイキとしたクレンペラー、といったふうだ。うねるようなクライマックスからコーダの凱旋、一発ブラヴォーはもう何も言えない。そこまでの凡庸さを覆す勢いだ。総体としては○だが、中間楽章は◎。ホーレンシュタインの5番はこれしか無いと思う。
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マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」

2011年09月28日 | マーラー
○ディースカウ(B)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(放送)1959/3/18LIVE

音源はwebに出回っている有名なもの。状態は悪くノイジーだが、ディースカウの声は的確にとらえられている。安定した表現、悪く言えば起伏のない声だが意外と二曲目あたり軽妙にみせている。ナイフは管弦楽の見せ所だがワグナー的な重厚さが面白い。フランスふうのマーラーという評もあるようだがそこまではっきり管弦楽が聞こえないのでなんとも。○。レマン湖市民管弦楽団名義としているものもあるようだ。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2011年09月22日 | マーラー
○マゼール指揮NYP(NYP)2005/6/22-25live

NYPサイトから有料配信されているチクルスの中の一つ。相変わらず「壮大な」マーラーなわけで、弛緩とはいわないものの余りに遅すぎてついていけない部分がいくつかあるし、何故かきちんと(失礼)悲劇的ぽい気のあおり方をしている場面ももちろんある。きほん「詰まらない系」の悲劇的ではあるが、響きは的確で、「マーラー的なるもの」の本質をよく浮き彫りにしている。「ああ、マーラーの音ってこうだよね」ということを思い出させる。中声部の空疎な響き、半音階的な進行の中で微妙な不協和音の醸す特異性、そういった部分部分の再現へのこだわりはある。デフォルメに過ぎるところはあるが、全般はわりと「マーラーに忠実な演奏」だと感じた。1楽章提示部は当然繰り返す。2,3楽章は逆。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2011年09月21日 | マーラー
○アンドラーシュ・リゲティ指揮ハンガリー(テレコム)交響楽団(自主制作)2001/2live・CD

とにかく冒頭からスケルツォまでつんのめるような異常なテンポ。ドラティみたいなドライさはなくウェッティなのが印象に残る。スヴェトラ的な姑息なわざとらしさのない絶妙のロマン性がシェルヒェンにも似た表現主義ばりの起伏を落ち着かせる。一楽章提示部を繰り返しておきながら1から大カット。しかし曲構造のバランスはいい。オーソドックスともいえる3楽章からドラマティックなフィナーレはスピードの違和感も減り、あとはスコアに加えたとおぼしき派手な音を楽しもう。太鼓の音が変。音符の数も多くないか。木槌もずしゃっという重いながらも変な音。ブラスは録音のせいかもしれないが強力。弦は辛いとこも多いが健闘。しかしどういう専制君首指揮者だ?2001年2月だそ。○。次第に盛り上がる拍手に足踏みがローカリズムを感じさせる。これはけして興行主が発見し世界引きずり回すべきじゃないオケだ。技術的にもセンス的にもすばらしいからこそ。あ、誉めすぎた。基本はライヴでこの芸風、今の聴衆にはぐだぐだにきこえよう。1楽章がねえ。振り回しすぎ。。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2011年09月16日 | マーラー
○ドラティ指揮イスラエル・フィル(hilicon)163/10/27live・CD

イスラエル・フィル秘蔵音源のひとつとして正規発売されたもので、ドラティの悲劇的としては初の正規CD化ではないだろうか。しかし、音はかなり悪く、モノラルで音場が狭い、撚れているところがあるなどいわゆる骨董録音好きにしか許容できないような要素満点で、気になるかたには薦めない。演奏自体はいつものドラティにも増して荒れ狂う。つんのめり気味でものすごいテンポをとり、非力なオケをぶんぶん振り回してシェルヒェンのようなばらけかたを見せる場面もある。このオケは弦が美しいはずなのだが、なぜこの曲でこの薄さなのか理解できない。おそらくマイク位置とか単純な別の理由からだろう。いつもより多く揺らしております、というところがもうマーラー好きにはたまらないところもあり、古いスタイルのよさ、というものも感じさせる。わりと全楽章がよいが、しいていえば両端楽章か。○。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2011年09月07日 | マーラー
○ドラティ指揮クリーヴランド管弦楽団(放送)1977/3/31live

素晴らしい悲劇的の放送録音をいくつも残しているドラティの、最近CD化されたイスラエル録音を除けば殆どがアメリカオケとのもののひとつであるが、中でも名高いセルのオケとして、ウィーンの響きと高い機能性を誇ったクリーヴランド管弦楽団とのステレオ録音だ。状態はよいが内声はやや聞き取りづらい。基本的にトスカニーニを模したような直線的で乾いたドラマを描いていくスタイルで、マーラーでも保守的できわめてロマンチックな音楽であるのに、とくに緩徐部や楽章があまりに素早くまるで興味がないかのように音色も何も無く投げられていくのには唖然とさせられるが、ドラマティックな楽想、歌謡的な旋律の分厚い表現、スピード、それについていくオケ、ラッパは下品だしブラス走り気味だが、臨時記号だらけの細かい音階をひたすら高速で正確に刻み続ける弦が素晴らしい。セルのライブ録音にときおり聴かれた程度には音程ミスやアタックの甘さボウイングのずれなどなくはないが、ほぼブレイクなしに最後迄弛緩しない演奏ぶりは驚異的だ。クラシックを知らない人間がこんなライブをこの曲で聴いたら、圧倒され魅了されざるをえまい。精密で響きばかり気にする現代の演奏にはない熱いものがある。ハンマーがよく聴こえなかったがまあいい。○。
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マーラー:交響曲第9番

2011年08月10日 | マーラー
○ノリントン指揮シュツットガルト管弦楽団(BBC放送)2011/7/25プロムスlive

まさにノリントン。ノンヴィブラートを堅持する弦、鋭く突き刺すようなアーティキュレーションで煽るブラス、極端なテンポ変化に強いリズム表現。特に四楽章は物議を醸した演奏である。そのスピードとあいまってシェルヘンを彷彿とさせた。しかしシェルヒェンはヴィブラートで耽溺する。ノリントンはまったく、言い方は悪いが子供の演奏するように音色感のないノンヴィブ、プラスぶっきらぼうなブラスが興ざめさせる。でもうまく構成されていて、コンマスソロはヴィブラート解禁しているし、響きに神経質になることもなく、ライブ感を維持している。いつもの奇妙なノリントンではあるのだが、三楽章は水準以上に聴かせる。○にはしておく。オケが機能的で音色も比較的冷たいのが逆にノリントンにはあっている。

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マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

2011年03月14日 | マーラー
○コンドラシン指揮ACO(TAHRA)1979/11/29live・CD

素晴らしく律せられ、愉悦的で官能的。(この曲の演奏にありがちな)ねっとりした情感は感じ取れないものの、音楽的な完成度は非常に高い。終始テンポが速く、それがこのだらりとした長々しい楽曲の弱点を克服するための手法に聴こえてくる。ただ、4楽章も異常なスピードでさらりと通してしまうのは、この指揮者の特質とはいえちょっと納得のいかない部分もある。前後の楽章のアンサンブルが胸のすくものなだけに、夜の歌2はもっとコントラストをつけて粘着質にいってもらったほうが「らしい」と思う。それを割り引いて○。オケの精度の高さにはびっくりする。コンドラシンのライヴはけして精度が高いものばかりではないのだが。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」~Ⅰ、Ⅱ

2010年04月03日 | マーラー
○メータ指揮ジュネス・ミュージカル・ワールド・オーケストラ(AULIDE:CD-R)1973LIVE

オケはまるでバンスタ的な意思力を高い技術力とかけあわせ、壮年期メータの過激な攻撃性とあいまって、一時代前のマーラー像を提示する。これは楽しいというより印象深くなつかしい。ただ、録音が悪い。終始こもり、ハウリングも聞きづらい。細部がわからないのだ。一楽章あと拍手が入る。別日か。
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マーラー:交響曲第1番「巨人」

2009年12月24日 | マーラー
○テンシュテット指揮LPO(bbc,medici)1990/1/28ロイヤル・フェスティバルホールlive・CD

がっしりした骨格の大きな「巨人」・・・言葉面当たり前かもしれないが。ピリピリした空気が最後まで張り詰めてミスを許さず(細部まで一音たりとも外させない!正しい音、勉強になったりする)、どうにも身の置き所のないような堅苦しさが個人的には、ああテンシュテットだな、と。しかし壮大な伽藍が鳴動するようなフィナーレにはブラヴォの一斉咆哮も頷けた。喉頭癌からの生還直後ということもあるし元々「ブラヴォ慣れ」した国民性であることもあるけれど。ワルター的な滑らかな歌謡性は塵ほども無いが、クレンペラー様式とも違った現代ドイツふう表現、確かにマーラー指揮者であったのだろう安定した説得力。録音はいいことはいいが、標準的な正規CD録音と比べては落ちる。○。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2009年10月09日 | マーラー
○バルビローリ指揮ニュー・フィル(TESTAMENT)BBC放送、ロイヤルアルバートホール1967/8/16LIVE・CD

バルビライブとしてはすこぶる調子がいい。演奏上の瑕疵は皆無で、スタジオでは絶対ありえない荒れ狂う50年代的芸風で押し進めていく。反面個性は薄まっている。緩急起伏が余りあおられず、職人的でもある。しかしそれら引っくるめて録音の悪さが痛い。エアチェックではないか。音場は狭い。マイク起因であろう特殊打楽器の変に高い音の近さ、安定しない音像。ノイズがひどいところはまるでHUNT盤のようだ。とくに一楽章と四楽章クライマックスというかんじんな箇所が聴いてられないくらい。音量幅のなく立体感のないのも録音のせいかもしれない。ステレオエアチェックの悪いところが出て、位相が狂ってきこえたり。二から四中盤までは悪いなりに安定して聴き易いのだが。しかしじっさい特徴に欠ける部分もあったのだろう、聴衆反応も穏やか。○。
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マーラー:交響曲第5番

2009年09月08日 | マーラー
○P.スタインバーグ指揮ハーグ・フィル(AULIDE:CD-R)1998/6/14ハーグLive

やや無個性なオケに職人的な指揮者、というとマーラーでは余り受けないたぐいの演奏ととられようが、軽快なリズムに力強くしなやかなライン、エッジの立った明快な表現から立体的な音楽作り、そつなく見えて劇的な効果を与える、二世指揮者にとどまらぬ並ならぬ力を感じさせる熱演。ミスや事故は頻発するがライブを聴いているという前提においてはけして捨てたものではない。速いテンポに対し重量感ある響きや振幅の大きなうねりが整合性を保ったまま最後までしっかり盛り上がりを作る。大粒とは言わないが良い演奏。○。
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