セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。
セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。
※20世紀ウラ・クラシック!<最新版>は2019/5をもって更新終了いたしました。ホームページ(ジオシティーズ)についても3月に閉鎖しております。ご愛顧ありがとうございました。
新規記事についてはFC2ブログ<本拠地>(まとめブログ)に追加継続しております。よろしくお願いいたします。
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20世紀に発表された知られざる末流ロマン派クラシック音楽を中心に、「たくさん、幅広く」をモットーに続けている音盤感想ブログです。作曲と同時代の録音、演奏家のものに特に重心を置いています。
1音源1記事(まれに複数記事)とし、おおむね寸評レベルの短文です。物量優先です。更新はランダムですが、すでに20年近くの蓄積がありますので、ホームページやまとめブログ含めご愛顧よろしくお願いいたします。

(音源評の見方)
◎:おすすめ、○:聴いて損は無し、無印:機会があれば、△:イマイチ、×:私の感性にはあいませんでした (2016年まで)※現在は○のみつけております
***
◆データについては原則「評価、指揮者、楽団名、ソリスト名、(録音媒体のレーベル名)、録音年月日等、媒体種別(SP、LP、CD、DVD他)」の順に書いています。一部前後しています。
例:「○ノイマン指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)1979/4/24-28・CD」の意味は、
評価○、レーベル名SUPRAPHON、録音年月日1979/4/24-28、媒体種別CD(ほかはそのまま)
◆弦楽四重奏団に関しては現在「×××四重奏団」に統一表記しています(団体によって「弦楽」が入ったり入らなかったりして検索時に混乱するため。弦楽以外は記述します)。古い記事はその限りではありません。
◆媒体種別については原盤不明瞭な場合、とくに記述していないものもあります。WEB配信音源はそれとわかるような記述をします。CD-R盤(裏青盤)かどうかは最近は権利問題のグレーなことも加味し記述していません(以前はレーベル名の横に付加して表記)。
◆youtubeにある正体不明の未発音源(動画)はyoutubeをレーベル名として書くこともあります。ただ、権利上の問題をクリアしていないものが多いようで、すぐに削除されることが多く消極的です。
◆指揮者、楽団名、録音年月日については基本的に「音盤に記載されているもの」を記載します(疑義発生時は確認の上必要な場合のみ本文中に記載し程度によって修正します)。ほぼ確定している偽物については真偽両方併記、もしくは?や「伝」をつけて記述します。日本語表記については慣用的表現・個人的に馴染みのある表現を優先します。
◆略称の使用については常識の範囲内で行いますが特に統一はしません(面倒ですので)。たとえばレーベル名でm&aとある場合はmusic&arts、DAとある場合はDisco Archivia、SLSはyves saint laurent studioです。オーケストラではフランス国立放送管弦楽団とその関連団体、フランス盤で昔「国立管弦楽団」とだけ表記されていた団体、ある時期までの後継団体は「ORTF」と統一表記しています(非常に煩雑ですので)。
◆最新以外の記事に記載されているデータのアップデート・修正は原則行わず、FC2で辞書的にまとめている「まとめブログ」のデータのみ修正追記していくこととします。http://20urakura.blog67.fc2.com/(2009/3追記2010/3修正)
◆本ブログのカテゴリ(作曲家)分けについてはほとんど行っていません。「まとめブログ」をご参照ください。(2016追記)
◆一時期(~2018/2)は過去記事の再アップをしておりました。標題に☆が入っている記事は過去ないしホームページからの再掲・再度編集版記事です。
※最新のご注意について(毎月ていど更新)>コチラ
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放送用録音の放送起こしか。録音は籠もり鄙びた音がするからライヴかと思った。その鄙びたところが冒頭からラストまでひたすら繰り返される動機を担う数々の楽器をもって懐かしくもハッキリと、これがディーリアスの曲であることを示している。ディーリアス好きからすると響きが薄いので満足できない曲かもしれないが、手軽な五分半という長さであればディーリアンならずともその世界の良さを味わうに程よく、これで音が良ければ、ライナーの曖昧さのない捌きがむしろディーリアスの考え抜かれた懐深さを浮き彫りにして良いと思う。ほんと、ボロディンふうの世界からここまで達するのに苦心があったろうというか、リヒャルト・シュトラウス等の楽器法と和声の巧みなところを取り込んで、民謡風のメロディを自然に軽やかに引き立てることに成功した(ゆえマンネリズムを持ち味にしてからは好悪別つと思われる)ディーリアスのロマンスに触れるには良い小品。前衛的な晦渋さに凝りだしてからの作風が好きな向きは物足りないか。ライナーのディーリアスは知る限りこれが2つ目だが、データ不整合なものの同一かどうかは確かめない。面倒なので。
LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。これはいかにもこの時代の前衛の響きを嗅いだ保守的な作曲家の作品という様子で、昔よく聴いたたぐいの半端な不協和音に半端に晦渋な書法、だが、クラヴサンという楽器の爽やかな響きによってそれらの「曇った要素」が比較的取り除かれているのがポイントだ。なのでずっと聴いていられる。このソリストの腕なのか楽器に工夫があるのかわからないがとても大きく響き、また実に細かく動き回り、終いにはシンセサイザー協奏曲を聴いている錯覚に陥る。録音の古いせいもあるだろう。編成を絞ったのは新古典主義を狙ったというよりクラヴサンとの音量差を無くすための配慮だろうが、この演奏はバランス良く聴けた。楽しめるかどうかは曲との相性次第。わたしは二度聴くことはないかな。七分半と十二分の二楽章構成だが二楽章はカデンツァを挟み4つの部分に分かれる。
LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。管楽器、ピアノ、打楽器とトランペットのための協奏曲第二番というのが原題であきらかにストラヴィンスキーの野蛮主義からきたお得意のエキゾチックな乱痴気さわぎ、三楽章ジオコーソは曲も演奏も出来がよくブラヴォも出るが植民地主義へのブーイングの方が多い。ミュートしたトランペットが旋律をとなえ(この曲はきほんソリストが高音で断続的なメロディをかなで、そのずっと下の音域で他が騒ぐ構造になっている)、一楽章は何も見なくても戦後ジョリヴェとわかるような騒ぎっぷりでジャズの要素はその後の楽章にも現れ諧謔的な雰囲気を支配的にするが、これは好きな人は楽器が絞られているぶん洗練されて特に好き、嫌いな人はまたかよという感じだろう。二楽章は東洋的なフレーズも表れる三分半、ジョリヴェが騒ぐだけではないという見本(支配的な位置の高音楽器がトランペット以外にもまわってくる)。三楽章はパーカッションの腕の見せ所でもはや何の何処の音楽を聴いているのかわからない。娯楽的でもスリリングでもある。悪くはない、赤道協奏曲のようにでかくて長ったらしいものを聴くより、限られた楽器によるこの曲で打楽器主義を娯楽的に楽しむのは悪くない。三つの楽章計で13分くらい。音色も腕も良いが録音が古いためパーカッションが派手に叩くと絡んでくる管楽器が小さくてバランスがとれない。それが原因で全般やや抑えめの演奏に聴こえなくもない。ところで指揮者は必要なのか、とふと思った。
サージェントらしい緩急ついたダイナミックな惑星で、トスカニーニスタイルよりもしっとりしているところはしっとりしているものの、おおむね客受けしそうな演奏で、オーソリティの地味なボールトやスペクタクル系のオーマンディよりも「惑星」そのものを楽しむのには向いている。録音瑕疵があり放送ノイズやステレオ録音の偏りが気になる個所が散見されるので、サージェントの惑星として決して上には置けない。火星でのブラスを中心とする「とちり」は看過できないほど多い。ただ、後半は安定してくる。BBC交響楽団ならではというものは何もないが、サージェントはおそらくイギリスの同時代指揮者でいちばん惑星が巧かったので、ほかで聞くのもいいと思う。
先入観のない指揮者だが第一印象は「端正」だった。ドイツ的などんくささのなさ。フランス的なグダグダもしくは裏返しの四角四面さはまったくない。こんなに自然な幻想をこの時代に振っていたというのは驚異的だ。もちろんブラームスでも使っていたイギリスオケの個性も反映されているだろう。個性より調和を重視する態度はワインガルトナーの非意志的な解釈にあっている。すんなり最後まできけてしまう。レコードも周到に作られており、SPなので音量操作は苦労したであろう(私の聞いているものは楽章にもよるがフォルテが弱いぶんピアノがよくききとれて細かく吟味できる)が、おおむね幻想のツボはおさえている。何かイデーがほしいひとにはすすめられない。しかし、まあ、youtu○eにもあるし、幻想好きでドイツ的な演奏の嫌いな人は聞いてみるとよい。迫力もそれなりにあり、推進力もなかなかのものである。電気録音初期とは思えない。
LP起こしとあるが放送音源であり初出かもしれない。尖鋭なとっつきづらい始まり方をするが終いにはフランセのように軽妙になる(フランセがイベールの息子と呼ばれたのだから逆)。有名な曲で同時代から録音が結構多いが、これはライヴ的な瑕疵がなくしっかりした伴奏、ソリストによるもので、録音状態的にパワーは求められないが、この時代の曲をこの時代の録音で聴いているという前提で聴けば楽しめる、そういう演奏といえば察せられるか。
LP起こし。颯爽としたテンポで軽く、素っ気なく進めていく。これもウーブラドゥらしさなのだろう。楽器の音色も意外とニュートラルでフランスの土着な感じがしない。音がこもって良くない、それはこういうスタイルの演奏にはマイナスに働く。いつのまにか終わっている、そういうまるでスナック菓子のような印象で終った。スナック菓子で良いのかもしれないが。
ソビエトだけではなく、世界の音楽を振ってくれてありがとう。
アノーソフさんと祝杯をあげて。
その新世界を愉しんでください。
Russian conductor Rozhdestvensky dies at 87 http://abc6onyourside.com/news/entertainment/russian-conductor-rozhdestvensky-dies-at-87
硬直したテンポ、激しいミスタッチ、コルトーだから後者は仕方がないが幻想を生むにはすこし曲馴染みが薄すぎたようだ。弱音での高音アルペジオには美質があらわれているが、強い音が尽くバランス悪く、ミスまみれ。まさに同時代の録音であり、しかも未発売つまりお蔵になった音源。クリアに復刻されたのはよかったが、こんなものか。このために高い二枚組を買うのはやめておきましょう。自分みたいに。
前奏曲に風景と称する三楽章をはさみ舞曲で終わる表題性のある曲で、さほど長くない組曲だが、曲ごとの性格は結構異なる。晦渋な前奏曲からRVW的なものも含むしかし暗い二楽章ときて三楽章でははっきり特殊な音律を掲げた激しい音楽で、ブロッホらしいユダヤ性というのか、この曲は顕著ではないけれども、職人的な上手さにとどまらない個性が打ち付けられる。ブリッジ構造の中間楽章としての役割を果たしている。続けて仄暗く穏健な楽章、そして舞曲といいながら甘いメロディーやRVWのような軽やかな響きを伴う、あるいはミヨーの二番のように微妙な不協和音をわかりやすさと絡めて、ほとんど踊らないまま美しく新古典的に聞かせる。フランス的(イギリス的)といってもいいだろう。奏者のせいなのかもしれない。演奏自体難度はそれほどなく、この団体が見せ場を作るところに欠けるものの、三楽章、五楽章はブロッホのわかりやすい面を押し出し、この作曲家のイデオロギーを通り越した只者でなさを感じるに良いし、演奏もモノラルの古いものだが一応聞ける。
LP起こしだが見たことがない。音もこもり悪い。しかし演奏はきわめて明確な輪郭を持ち聴き応えがあり、ミヨーってキッチリやればしっかり聴こえるんだ(あたりまえだけど)、と膝を打った。挽歌ふうの暗いフレーズはすでにミヨー特有の世俗と芸術の融合した世界を象徴する。楽団のソリストを始めいずれの奏者もいかにもフランス往年の響きで魅了するが、そこにジャズの引用が入ってくると、まるで化けたかのようにアメリカになる。しっかりとジャズの音を出しているがそれは、さきほどのフランス風の憂いある音と同じものだ。音はジャズだがリズムは厳格に保つ。そうすることでガーシュウィンではなくミヨーになるのだよ、とウーブラドゥに教えられる心地がする。リズムの錯綜もウーブラドゥにかかると全く自然かつしっかり捉えられ、ジャズを用いながら野蛮主義のストラヴィンスキーのはっきり影響下にあることを認識させる。ウーブラドゥといえば兵士の物語だがこの捌きの旨さはこの人の個性なのだろう。一歩引いて整えるのではなく、積極的に表現させながらも統制をきかせまとめてしまう、非民主的な?この時代だからできたことかもしれない。op.81aで未だかつて感銘を受けたことはないが、最期の一音まで耳を離せなかった。録音マイナスで○はつけないけど。
この曲はスコアを見ていくと3楽章それぞれに奇妙な短い副題がついていてそれに沿った内容を緻密に反映していくさまが見て取れ、3楽章で議論につかれた四名が山に登るとご来光とともに「ビッグベン」の鐘が響き渡るといった趣向で、崇高にのぼりつめ白くなるスコアが期待させる。だが。一本一本はたしかにそれを期待させるのだが、四本で弾くと意図通りにならないのである。音が多すぎる。3楽章の鐘の音は本来は弦楽器に向かない。超越的な超高音で輝く陽光を描く・・・演奏にあたったことがない。弦楽器に向かないという意味ではアイヴズはほかにもありそうなところだが、ところでこの曲でもっとも面白いのはパロディだらけの2楽章「議論」だが、書法はともかくバルトーク的にひびくであろうこのエッジのきいた音楽が、パロディに邪魔されて諧謔的でしかない・・・アイヴズは3楽章を聴かせるための前提として卑俗な人間の議論がいかに意味がないかを描くべくあえてそうしているのだがそれだけではもったいない楽章だ・・・ゆえに他の「これはパロディです」という題名のピアノ三重奏曲中間楽章をはじめとする作品共通の「軽さ」で2番全体を支配する「コンコード・ソナタ」的な深刻さを損なっている。演奏は部分部分は美しかったり尖鋭だったり、曲通りのものになってはいるが、3楽章はやはり登り詰めなかった。
「信仰復興伝道会」なる副題がつくことがあるが宗教的なものは聴けば讃美歌まみれでわかるので書かない。バーナード・ハーマンの短いコメントがついているがそれを必要としないほど素晴らしい曲である。むかしアイヴズは「熱量で何とかしないと聴けたもんじゃない」作曲家という認識があり、ドラティの祝日交響曲などおすすめしていたのだが、それは旋律楽器をやっていたので旋律中心で聴く癖があっただけで、ノイズもふくめ本質的には「響きの作曲家」であるアイヴズを期待したうえで聴くのには、もっと引いた態度で整わない響きを整え整わないならそれ相応の理由を推測してそれに沿った形で盛り込んでいく、というやり方が向く。録音なら新しいにこしたことはない。それほど細かい部分は細かい(実演では聴こえないほどに)。この作品は旋律音楽で、ほかの作品に転用された要素を含む「わかりやすいコラージュ音楽」だが、ポリリズムやモザイク状の構成感などすでにアイヴズを構成する主要素が出ており、2番はそれをさらに突き詰めて非常にとっつきづらくなったが、1番ではおそらくドヴォルザーク後にアメリカに出現したカルテットで最良の作品といっていいほど美しく、出来が良い。改訂はあるようだが、交響曲なら習作である1番に相当するものの、2番までの個性は少なくとも含まれており、雰囲気では瞑想的な3番まで到達するものをふくめている。譜面は疎だがけっこう大きな曲で、のんべんだらりとやると飽きてしまうが、アイヴズのしのばせたワサビをこの楽団はクリアに浮き彫りにしていく。ここでそんな転調?とか、なんで唐突に楽想が変わる?といったところが、構成上はちゃんと意味がある「かのように」聴かせる。熱量が低いような書き方をしてしまったが、録音がクリアなステレオであり、その点で熱量が低いように聞こえるだけで、最後はしつこく盛り上がる。一度は聴いていい。