ロンドン四重奏団(m&a)1950/1/27live・CD
前奏曲に風景と称する三楽章をはさみ舞曲で終わる表題性のある曲で、さほど長くない組曲だが、曲ごとの性格は結構異なる。晦渋な前奏曲からRVW的なものも含むしかし暗い二楽章ときて三楽章でははっきり特殊な音律を掲げた激しい音楽で、ブロッホらしいユダヤ性というのか、この曲は顕著ではないけれども、職人的な上手さにとどまらない個性が打ち付けられる。ブリッジ構造の中間楽章としての役割を果たしている。続けて仄暗く穏健な楽章、そして舞曲といいながら甘いメロディーやRVWのような軽やかな響きを伴う、あるいはミヨーの二番のように微妙な不協和音をわかりやすさと絡めて、ほとんど踊らないまま美しく新古典的に聞かせる。フランス的(イギリス的)といってもいいだろう。奏者のせいなのかもしれない。演奏自体難度はそれほどなく、この団体が見せ場を作るところに欠けるものの、三楽章、五楽章はブロッホのわかりやすい面を押し出し、この作曲家のイデオロギーを通り越した只者でなさを感じるに良いし、演奏もモノラルの古いものだが一応聞ける。
前奏曲に風景と称する三楽章をはさみ舞曲で終わる表題性のある曲で、さほど長くない組曲だが、曲ごとの性格は結構異なる。晦渋な前奏曲からRVW的なものも含むしかし暗い二楽章ときて三楽章でははっきり特殊な音律を掲げた激しい音楽で、ブロッホらしいユダヤ性というのか、この曲は顕著ではないけれども、職人的な上手さにとどまらない個性が打ち付けられる。ブリッジ構造の中間楽章としての役割を果たしている。続けて仄暗く穏健な楽章、そして舞曲といいながら甘いメロディーやRVWのような軽やかな響きを伴う、あるいはミヨーの二番のように微妙な不協和音をわかりやすさと絡めて、ほとんど踊らないまま美しく新古典的に聞かせる。フランス的(イギリス的)といってもいいだろう。奏者のせいなのかもしれない。演奏自体難度はそれほどなく、この団体が見せ場を作るところに欠けるものの、三楽章、五楽章はブロッホのわかりやすい面を押し出し、この作曲家のイデオロギーを通り越した只者でなさを感じるに良いし、演奏もモノラルの古いものだが一応聞ける。