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湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ショーソン:交響曲

2018年08月11日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/4/7カーネギーホールlive

録音は思ったより悪くフランク楽派の爽やかな和声を楽しむことができない。オケ全体に力強さがあり、なるほどトスカニーニスタイルをさらに筋肉質にしていったような芸風なのだが、音楽性に疑問を投げ掛けられたと言われてなるほどと思えるような単調さもある。とにかく響きの美しさが聴こえない以上、単に力づくで推し進めるだけで、オケにはひたすら苛烈なアンサンブル、技術的欠点のなさが求められているような感じもする。磨くだけで出来上がりを想定していないような。曲も曲で構造重視でメロディなど単調であるから、これはちょっと不幸な取り合わせかもしれないが、正直「いつ終わるんだろう」と思ってしまった。耳の単純な人に受けるロジンスキのメリットを、曲が殺してしまった。
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ボロディン:「イーゴリ公」〜だったん人の踊り

2018年08月10日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1946/4/7カーネギーホールlive

合唱なし、フィナーレまで。ショーソンやモートン・グールドといったよくわからない組み合わせのコンサートを一枚におさめたもので40年代とは思えないクリアな抜けの良い音で驚くが、演奏は微笑ましい。この曲は剥き出しの木管ソロにより歌い継がれる前半部が最も有名で聞き映えするが、出てくるソリストが尽くとちっている。スピードが速すぎるのはむしろ後半部でとんでもないテンポに食いつくアンサンブル力(それと弦の底力)が良い感じだが、前半の微笑ましい感じは多分、アンコールだからだろう。熱気が戻れば演奏精度も上がる。激情はロジンスキの命なのだ。テンポはデジタルに変化し阿鼻叫喚度が高い、ロジンスキの育った環境を感じさせるものとなっている。中央アジアではないけど。
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シベリウス:交響曲第7番

2018年08月10日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1957/10/4live

モノラルで音も状態も悪いが演奏はミュンシュらしい力強いもので聴き応えがある。ミュンシュはシベリウスをあまりやらなかったがこれは共感をもってやっているように思える。オケをうねるようにドライヴし、細部まで攻撃的な発声を徹底し前のめりの姿勢でシベリウスの男らしい一面を非常にはっきり抉り出している。一寸聴きわからないマニアックな仕掛けを施す後期シベリウスだが、プロが普通にやればその効果的な書法をもって何もしなくても盛り上げることは可能だ。ミュンシュはシベリウスの引いた部分の美しさより、押している部分の説得力により真価をひたすら問うてくる。ラストのコーダ的な部分を含む「長大なディミヌエンド」はフランス物でみせる余韻のある響きから再び大きな山を作っている。これは構成的によくわからない印象をあたえ、好悪分かつかもしれない。聴衆反応は今ひとつだが、少なくともミュンシュはのっている。無茶苦茶歌っている。既出盤と同じ可能性はあるがデータはことなる。併録のマーラー10-1はMEMORIES、プロコフィエフ7はDAと同じ音源。後者録音はシベリウスより良くない。
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追記あり(新譜ご注意)YSLS:ミュンシュのマーラー10番1楽章ライヴ→一つしかありません

2018年08月10日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団


(000classics:CD-R/memories)1959/12/5LIVE・CD

これがディスコグラフィにも載ってるものですが、19分9秒。クルシェネク版。

(DA:CD-R)1959/12/3live

プルガトリオ付でありますが演奏時間はほとんど同じです。その組み合わせなのでクルシェネク版。聞いた感じも近い(まとめブログ記事参照)。データ不備の多いレーベル、下手すると月日まで偽る(というよりおおかたの疑盤同様放送日を演奏日と記載しているのでしょう)ことがあるので、1,2日のズレはまず同じものと考えていいと思います。稀に同じと思われるものでも録音方法、たとえば原盤かエアチェックかで音質が極度に違い全く別に聞えることはあります(クナッパーツブッシュBPOのブルックナー9番など)。

ここにもう一つ加わりました!

(SLS:CD-R)1959/12/4ボストンシンフォニーホールlive

※聴きました。ノイズの入り方からも000classics(MEMORIES)と同じ音源と思われます。音質も同じ。

YSL610T、2018/8新譜ですが、組み合わせはシベリウス7番とプロコフィエフ7番、DAでしか出ていなかったのではないでしょうか、20世紀音楽マニアには夢の詰め合わせです。ただ・・・SLSはデータ不備が多いんですね(情報量はあるんですが)。4日といいながら演奏時間は19分10秒・・・MEMORIESの5日演奏と1秒しか違わない!ただでさえ指揮者の相性の悪い作曲家なので、マーラーしか興味がないならいらないです。ダウンロード販売を始めたとのことですがカナダドル換算ではたいして安くならず、ジュエルケースなしで送料込なら何枚かまとめて現物買ったほうがいい。ただ、ジュエルケースなしは水没したものが来たことがあります。紙はふにゃふにゃでした。印刷ミスが来たことがあります(後者はどっちみち同じか)。

ちなみに

プロコフィエフはデータもDAと同じ。SLSは音質期待できないのですがDAよりはましな可能性に賭けます。

※聴きました。同じ音源と思われます。少しDAの方が遠い感がありますが音質は同じ。

シベリウスは1957/10/4となっています。既出は複数のCD-R(DA含む)、60年代のまったく違う日付が記されており、私は60年代として出ているものはすべて同じもので、CD-Rレーベルが意図的に誤記したと睨んでいるのですが(DA初出を後発が焼き直し数倍の値段で売っていました、今もそうですが大抵のCD-Rは国内産を海外盤と偽ったものです)、さすがに50年となると・・・これのために買いました。結果は半月後到着したあとで。

***

20世紀ウラクラ的に言えば、DAのみで出ていたものはこれで全部再発されたと思います。ヴォーン・ウィリアムズ8番(録音状態が極度に違い聴こえる音も違えば日付も違うので、まとめブログでは別としてありますがおそらくpristineの良好な録音と同じだと思います)プロコフィエフ7番シベリウス7番、そしてマーラー10番1,3楽章(3楽章もDA以外のCD-Rがコピー再発したと記憶してます)。ディスコグラフィでは正規盤以外をあまり追わなくなった、もしくは消してるようなのであてにできません。
Comments (2)
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ブラームス:ハンガリー舞曲第1番

2018年08月08日 | Weblog
チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/5/31live・CD

中間部はややダレるがメインの舞曲部分のドライヴ感!しなやかな流れのアーティキュレーション付け、スピーディーなスリルは後年よりこの頃のほうが上だろう。アンコールピース。大ブラヴォ。
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ブラームス:交響曲第1番

2018年08月08日 | Weblog
チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/5/31live・CD

チェリの過渡期、個人的に思うに一番脂の乗り切ったバランスの良い時期の得意曲。1楽章はオケのせいかメロウ。ガツンと響かせてほしい音が響き重視で調和的にひびき、きれいだが何かいききれない。2,3楽章はそういうスタイルに向く楽章で、いくぶん情緒的に揺れ聴かせる。4楽章は凄い。1楽章はフリだったのかと思わせる壮大な演奏で、しっかりガツンと響かせて形作る世界は緻密かつ繊細でもある。ブラームスって新古典だったんだよなあ、と改めて思わせる風の通るような明確な彫刻が清々しい。凄まじいブラヴォ。ここまで厳しく磨かれるオケも大変だっただろう(技術的瑕疵はあろうはずもない)。録音状態は決してよくはないが、ステレオの70年代放送レベル。ボックス収録。
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【チェリビダッケ】ミュンヘン・フィル自主制作ラヴェル集は一部初出?

2018年08月03日 | Weblog


わたしはチェリビダッケのラヴェルはきれいだがラヴェルの楽しさがないと思うくちです。まとめブログみればわかりますがどこがチェリビダッケのラヴェルがきらいなんだというくらい、海賊含めて沢山持ってはいるわけですが、まとめブログみればわかるとおり、とくに昔は「まるでクープラン交響曲だ」などと評しておりました。最近DOCUMENTSの海賊盤を掘り出して聴いてみたら、これがラヴェル自身の志向した響きの実験性を効果的に引き出した名演。最も名声を得た手兵ミュンヒェン・フィルとのものだけではないけど、さらにDVDやYoutubeの動画を見るにおよんで聴衆は賛否かもしれないがえらいことやってたんだなあと思いました。奇特な方はまとめブログで「チェリビダッケ指揮 ラヴェル」で検索してみてください。聴いた上で言ってます(十年以上前に)。

ここ十年は新しい発掘盤は映像くらいしか聴いていないので、漏れがある可能性はありますが、以下所持盤から、9月発売のミュンヘン・フィルとのラヴェル集との対照です。オケの自主制作盤で音源も制作陣も海賊盤とは段違いですから、チェリビダッケが草葉の陰でどう思っているかは別にして、とりま買うことは止めません。個人的にミュンヘン・フィルの音は堅くて好きではないので、迷っています。HMVが販売元の宣伝文句を載せており、そこに初出の文字がないことはポイントです。いずれの曲もチェリビダッケ得意の十八番です。ライヴになります。

チェリビダッケ/ラヴェル『ダフニスとクロエ』第1、2組曲、ラ・ヴァルス
http://www.hmv.co.jp/fl/12/2480/1/

★ダフニスとクロエ第一組曲、第二組曲1987/6/21
:オーディオールAUDIORから出ていたデータ不詳盤と同じ?
★ラ・ヴァルス1979/6/20
:000classicsほかCD-Rレーベルから出ていた6/21と記載されたものと同じ?しかしえらく音が悪い
★クープランの墓(チェリビダッケお気に入りのようで物凄く沢山音源が残ってます)1984/4/18,19
:ミーティアMETEORから出ていたデータ不詳盤と同じ?但し海賊盤が二日分編集したとは思えず、放送エアチェックならともかく、どちらか一日のものであるとすると部分的に初出

ご参考に。
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(新譜ご注意)スヴェトラーノフのマーラー悲劇的オケ名不詳CD-R→N響です

2018年08月01日 | Weblog
※twitterの再掲

FKM-476/7(CD-R)はこれと同じだな。正規発売直前にオケ名不詳として売り抜ける海賊盤スタイル。N響じゃオケ名書けなかろう。規制前の足掻きか。恐らく国内焼き。

>交響曲第6番『悲劇的』 エフゲニー・スヴェトラーノフ&NHK交響楽団(2CD) http://www.hmv.co.jp/product/detail/8895161… @lt_hmvから

こういうものを昔はちゃんと買って比べてたが、もうそんな気は起きない。悲劇的はベルティーニのおかげで演るテクニシャンが爆増したから、好きな棒振り好きな楽団で聴くのがよし。スヴェトラーノフは相対的には無難です。ライヴの凄まじい指揮者なのでそこを求めるなら。このころN響凄かったですよ。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2018年08月01日 | Weblog
ブスタボ(Vn)ウンガー指揮ハノーファー北ドイツ放送交響楽団(meloclassic)1964/5/29live・CD

安心して聴ける正統なブルッフだ。音の古さや若干の荒さを除けばこれこそ同曲の規範といっていい。ブルッフのコンチェルトが個性を出してなんぼというような曲ではないので、解釈どうこうというものでもないから(それだけ完成度が高いのだ)何か書くのが難しいが、このソリストは中欧系のものであれば安心であろう。そういう音色でもある。繊細で憂いのあるものに向くかどうかは別。オケも不足ない。ライヴなら十分。
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フローラン・シュミット:詩篇第47番

2018年07月26日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮cho&ORTF、モイザン(msp)(SLS)1963シャンゼリゼ劇場live

1964/3/19放送のina音源と、貧弱な音質的に恐らく同じものだと思われるが、データが明記されており同じプログラムの別日かもしれないので一応手を出した。ちなみにドビュッシーとの組み合わせでそちらは初出と思われる。猥雑な音に、これはベートーヴェンを始めロシア物などロマン派も得意としたアンゲルブレシュトのこと、古臭いロマンティックなスタイルでいくのかと思いきやこれがフランス的なのである。響きが明快で、でもマルティノンのような透明感はなく、録音のせいでもあるかもしれないが一貫した姿勢は最後まで「まるでドビュッシー」「まるでスクリアビン」と思わせず、ああ、これはフランスの曲だ、と感じさせる。センシティブだが迫力は失わず、行進主題もキレを重視せずにまとめ、弾けやすそうなフレーズで弾けすぎないようにしてマルティノンの派手な演奏と違う正統派を主張するような感じだ。もちろんどちらも正統だと思う、このような複雑な曲なので。拍手は普通。繰り返すが録音はあまり良くないモノラルで、オケはミスこそ無いがキッチュである。
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フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

2018年07月26日 | Weblog
マルティノン指揮ORTF、ジュイノー指揮ORTF女声cho.(EMI他)1972/10・CD

第一部、第二部の全曲はかつてはきわめて珍しかった。爛熟しきった西欧音楽にドビュッシーやラヴェルを加えた同時代音楽の集大成的大作で本人も一部録音している通り代表作には違いない。この人の折衷様式はしばしば複雑で大規模すぎるものになるが、筋書きに沿って緩急つけたオーケストレーションは併録の詩篇と違い聞きやすく整理されている。意欲的であるもののイリヤ・ムーロメッツのグリエールをモダン化したような劇的な重苦しさは否めず、響きの整理されたフランスの音楽ではあるのだが、異色である。聴衆に支持されるわかりやすさや煽情性はフローランの良い面といえ、マルティノンはいっそう輪郭をはっきりさせ半音階的なうねりはわりとごまかすようにはっきりさせず流し、けっか音だけで十分楽しめる、飽きないものにしている。フローランは多様式的でこれとかピアノ協奏曲のようなスクリアビンふうの大言壮語ばかりしていたわけではない。室内楽にはロカイユ風組曲など気軽なサロン的小品も残している。
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フローラン・シュミット:詩篇第47番

2018年07月25日 | Weblog
ギオー(SP)リテーズ(ORG)クーロー指揮ORTFcho、マルティノン指揮ORTF(EMI他)1972/10・CD

フローラン・シュミットといったらこの盤というほど有名な録音の一つで今はどこから出ているのだろう。豊満で妖しいロマンスを振り撒く、それでいてワグナーらの影響はさほど感じさせないフローランの大作である(時間的には20分台)。時代なりの録音ではあるが、マルティノンらしい響きの清浄さを保ちながらしっかり末流ロマン派作品として盛りたて、楽曲の要求するまま効果的に、派手派手にやっている。スクリアビンを思わせるところも緻密で立体的な書法によりさらに説得力を増し、特にブラスの扱いは巧みで各セクションとのバランスがよく、半音階的な動きによるディーリアス的な色彩も、動きの細かさゆえか細くなるということのないように非常に巧緻に組み上げられているが、マルティノンはこの誇大妄想の塊を技術的に決して万全ではないにせよORTFから可能な最大限の表現を引き出して再現しており、あまりに編成が大きすぎて録音上オルガンが小さかったり合唱が狭かったりするものの、ロシア風の行進的なリズム表現から完全に中欧的なフィナーレへと導いていく騒々しいパッセージは、当時ステレオ録音ではこれが最上だったろう、と思う。録音に神経質でなければこれを最初に聴くとフローランの作風の一つをよく理解できるだろう。メロディストでもあるのだ。これが詩篇と言われると…
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オネゲル:交響曲第4番「バーゼルの喜び」

2018年07月19日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1959/3/7ボストンシンフォニーホールlive

音が悪いかと思ったが最初だけ晦渋な曲のせいだった。このてのものにしては良好なステレオ。ディスコグラフィーになく初出と思われる。ミュンシュは同曲の録音自体ほとんど残していない(正式には67年のerato正規録音、ORTF)。50年代の録音では音楽の凝縮しリズミカルな最も油の乗り切ったミュンシュが聴けるが、まさしくこれもそうで、テンポの弛緩もなく即興的な揺らしもない(そういうことを許す隙あるスコアを書く作曲家ではないが)。切り詰められた音の詰まり交錯する新古典主義のパズルが、安心して聴けるものに仕上がっている。完璧主義者の作品はスコアだけ見ても楽しめるが、逆に演奏の優劣が如実にわかってしまう。これは安心である。ミュンシュは優れている。三楽章にあらわれるかなり露骨なポリリズムが完璧に揃っているのはミュンシュには珍しい。さらに面白いのがこの時代の良い音だけあって、ステレオセッション録音のラヴェルなどに聴かれる不協和音の、鋭敏でバランスの素晴らしい響きを、ここにも聴くことができることだ。不協和音は不協和音なりにバランスが必要で、オネゲルの場合ラヴェル同様にしっかり響くはずのバランスがいちいちある。ミュンシュが単純剛速球指揮者ではない証拠だ。ザッヒャーのためのこれは抒情的な曲であり、翳りある表現は殆ど手法的に部分に使われているだけで戦後的な愉しさや、50年代アメリカ風の垢抜けた前向きさ(トランペットなどはジャズ風のフレーズで必要以上に出してしまってるかも)、そこに末尾に象徴されるウィットが加わって、ハードなオネゲルを求めるなら肩透かしがあるかもしれない。逆に一般客には受けるだろう。ミヨーの1番を大人向けに構造的に書き直したようなものである(いやミヨーの散文的な牧歌とは別物だが)。客席反応は普通だがフェラスのブラコンが控えているからか。もっと嬉遊的なカラッとした演奏もできそうだが、ミュンシュの得意中の得意であったオネゲルの交響曲において、ズシッと重い触感はその5曲の流れにおいて全く妥当である。
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ウェーベルン:5つの楽章op.5

2018年07月18日 | Weblog
マデルナ指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団(SLS)1967/10/11live

元気溌剌のウェーベルン、というのも違う気がするが音がステレオですこぶる良いので覇気が漲ってきこえるだけだろう。緩徐楽章ではマデルナらしい現代音楽への見識を響きできける。このての音楽は「とにかく新しいものが聞きたい!」という需要にこたえるためにあり、この作品も演奏もその点で、現代の耳からすると半端なところはある。マーラーなのか、コンテンポラリーなのか。後者寄りの鋭敏で繊細な響きの演奏でないと、これだけ明晰でももやもやした印象しか残らないか。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年07月17日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ICA)1962エジンバラ音楽祭live・CD

ICAはあまり新譜を出さないが時折、完全初出のライヴや希少音源を発掘してくるので侮れない。メロウでねっとりしたジュリーニ、穏健なテンポ設定にロストロポーヴィチも合わせたように丁寧に弾いていく。技巧的には何の不安もないが、この盤はデュ・プレがメインとはいえ、「おまけ」扱いの音源である理由は録音の悪さだ。モノラルは言うに及ばずその中心点が左にずれ、環境雑音があり籠もっておりかつ一楽章に非常に耳障りな小さなパチパチノイズが入り続ける。パチパチというより圧縮失敗したデジタル音源のような嫌な音だ。ダイナミックで激しい演奏なら気にならないが緩やかテンポのカンタービレの指揮者のスタイルに沿った、一歩引いた演奏となるとそこに耳が行かざるを得ない。ボウイングの妙を「じっくり」聴かせるニ楽章はジュリーニとのセッションならではで、憂愁の音楽の演出はうまくいっている。ジュリーニのオケ繰りの上手さも光るが、陶酔的なテンポ設定に反してイタリアというよりドイツ風の堅牢な響きも特徴的。ドヴォルザークだからという面もあろう。録音ノイズも少ない。三楽章はノイズ復活するが、音楽が激しくなるとノイズが大きくなるのは圧縮音源にありがちなのでこれも元は圧縮音源なのだろうか。ただ一楽章ほどではない。ロストロポーヴィチの技巧を「じっくり」堪能できるテンポで、こういう解釈はスタジオでは詰まらなくなるのだが、ライヴだから一回性の緊張感がそうさせない。チェロが大きく捉えられているので細かく聴きたい向きでも他の録音瑕疵を押して聴く価値はある。オケも張り切った音が清々しい。このテンポだがライヴなので一、三楽章で各一箇所音を曖昧にとってしまったりニ楽章で一箇所とちったりはしているが、気づいたのはこのたった三箇所である。前者はマイクの問題かもしれない。三楽章はひたすらメロディを堪能すべし。コンマスとの絡みでのオケの量感が絶妙でここは絶品。フィルハーモニア管弦楽団の力量を知らしめ、他の指揮者がいかに無頓着に「二人のソロの絡み」にしてしまっているかがわかる。陶酔からしっかりテンポアップしてブラヴォのうちに終わる。
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