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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

小野田寛郎さん(2)

2014年03月04日 | 小野田寛郎さん

  小野田寛郎さん(2)

英語教育とは関係ありませんが、文ではなく、語り方や表情で伝わることについて、一言。

小野田さんの語り口
2005年の、戸井十月によるインタビュー中心の番組から。
http://www.youtube.com/watch?v=I55pGrmbX1c

「みんな豊かになったからそれでいいんじゃないの、って。と云うのは、もう結局、そう言って自分に言い聞かせているだけですよね。」

小野田さんの語り口には、「ですよね」が目立ちます。英語の、Qustion tag、付加疑問に対応する表現です。仏語を学んでいる時、「おしつけがましい」から連発するなと教えられましたが、不思議と、小野田さんの「ですよね」には押し付けがましさが感じられません。

「心理的にはね、だれも命のかかることはやりたくないんですよね。」


「日本の天皇と、よその、外国の天子とは、ずいぶんかっこう、ちがいますよね。だから、自分たち、民族が作った1つの、あのお…、国の形、いわゆる、国体というか、1つの国の形なんですよね。」

このように、「ですよね」という語尾が目立ちますが、「ですよね」を連発した、かつてのニュースキャスター、のKの押し付けがましさが感じられません。

Kの言い方はこうです。「僕はそれが本当に全然わからないんですよね。」(K)、「 やっぱりお金ってある種使うためにあるような気がするんですよね。」(K)。「僕が」、「気がする」という主観的な気分を述べる文脈で、「ですよね」と使 うのは、語法として変なのですが、ある種の感情(ナルシズムでしょうか)に捉われているので気がつかない、とういう印象を受けます。

小野田さんの、「ですよね」には、「当然であるので言うまでもない」、しかし、「私は当然だと思うが、人がそう思わないのなら、それはそれで結構です よ」、という気持ちを伝える姿勢が現れています。あえて自分を語ろうとはしなかったが、求めたら淡々と語ったという、突き放したような小野田さんの姿勢の 現れではいないかと思います。
小野田 インタビュー


小野田さんの発言の語り口や、表情自体が表現が豊かです。ですから、上のように文字にしてみると、伝わらない部分が残ってしまいます。01:38:23 で、ブラジルに来るとどういう気持ちかと問われて、「ほっとする」と述べていますが、、関西のイントネーションで答えている、その時の表情は、文字では伝 わらないものを伝えています。(東京のイントネーションで「ほっとします」と言わないと失礼になるのですが、関西弁だと自然です。)

 


小野田寛郎さん (1)

2014年03月04日 | 小野田寛郎さん

 英語教育から少し外れますが…。

小野田寛郎さん(1)

1月16日、小野田さんが亡くなって、日本の新聞より外国の新聞の方が熱心に訃報を出しているようです。ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポストという、米国の新聞(リベラル系)の記事を読んでみました。

NYT(140125) http://www.nytimes.com/2014/01/18/world/asia/hiroo-onoda-imperial-japanese-army-officer-dies-at-91.html?smid=tw-share&_r=0

WP(140125) http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/hiroo-onoda-japanese-soldier-who-hid-in-philippine-jungle-for-29-years-dies-at-91/2014/01/17/7016d806-7f8b-11e3-93c1-0e888170b723_story.html

しかし、内容は、①日本の文化、歴史についての型にはまった偏見、②小野田さんの人間に迫ってない、という特徴が顕著であると思え、私はあまり感銘は受けませんでした。

"To many Japanese at the time, he embodied prewar virtues of endurance, obedience, and sacrifice" (=発見当時の日本人にとっては、小野田は忍耐、従属、自己犠牲というような戦前の価値を体現した存在であった。)

---という調子です。

読んだ上で、これらの長い記事が書かれた理由を推測すると、「浦島太郎、または、リップ・ヴァン・ウィンクルが、現代都市に忽然と現れた物語」だから、面白かろう、ということです。

しかし、なぜ、①島に留まったか、なぜ、②呼びかけに応じなかったのか、なぜ、③出てきたか、なぜ、④ブラジルへ行ったか、なぜ、⑤教育活動をしたか、これらは、全く伝わりません。

小野田さんについて知りたい方は、ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門優秀賞を受賞した、戸井十月(昨年7月に死去)の1時間50分のインタビュー中心のドキュメンタリーを見てみるとよいでしょう。

「わがまま」で、competitive(負けん気が強い)人間が、一方で、「らしく」振舞うことを基軸に据える、という生き方が浮かび上がって来ます。

小野田さんは、アイロニーと諦念の混ざった語り口で自己を複眼的に語ります。物事を両面から捉える発言が多いので、理解するためには注意深く聴く必要 があります。

インタビューアーは典型的な「戦後の子」。何をどう訊いていいか分からないと様子ですが、そういう人を小野田さんにぶつけるという企画なのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=I55pGrmbX1c
英語の字幕を求めるコメントが二つありました。だれかに作りませんか。

小野田さんの1974年来の基本的自己認識は「自分は戦犯である」ということでした。また、戦友を死なせたことに関連し、「だから、なんか生きてるっていうことはあまりうれしくないのね」と若いタレントを相手に、微笑みながら述べている場面があります。

http://www.youtube.com/watch?v=uWa5QMud7PI 2分15秒

そのタレントの反応はいかに…。





戦前の駐米大使 斉藤博(8) 未完

2014年03月04日 | 駐米大使:斉藤博 1886 - 1939

 

斉藤博(8) 未完  飛ばして9へお進みください

9には、歴史的に貴重な動画へのリンクが4つあります。2021・8.10


ふたたび、斉藤博です。

以下の英文をお読みください。
Everyone knows that relations between Japan and China are strained, especially in the East China Sea. Japan has been exercising utmost restraint.

訳:日本と中国の関係、とりわけ東シナ海においての両国の関係がが緊張しているということは全ての人が知っている。日本は最大限に抑制した姿勢をとっている。

これは何時書かれたものでしょう。斉藤博の連載を読んだあとに読むと、1930年代のものだと思ってしまいそうですが、2014年1月5日に英国紙、デイリーテレグラフに駐英大使が寄稿した記事の冒頭部分です。

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