「社会人」の英語教育はどうすれば効果的か。若き英語教師Aさんへ。1/3
今回、読みやすいように3部に小分けしました。
■「英語学習」の二つの立場
街には「英会話教室」の広告があふれています。2月の山手線車内の動画広告で一番多いのが「英会話教室」、次が「痩身」、その次が「ビール会社がスポンサーのお店の紹介」といったところでしょうか。書店には、これを買えばそれだけで英語力がつく、といったキャッチフレーズが踊っています。
一方で、いわゆる学校教育における英語というものがあって、こちらは、世間では、役に立たない、文法ばかりと言われがちです。しかし、こちらも、いくら世間で悪口を叩かれていても、大学入試という関門に必要なものなので、泰然自若といった風をしています。少なくともそんなふりをしているように見えます。
Aさんは高校、時々大学でもクラスを持っているそうですね。高校の教員の立場から見ると、塾や、「英会話学校」は、正規の教育活動の外にあって、あっても見ぬふりをする存在ではないですか。しかし、一方の「英会話学校」から見ると、「学校英語」なるものは役に立たないものだそうです。
どちらが正しいか?。双方ともに、ある程度の言い分があって、どちらも否定はしがたいです。「英会話学校」の側からいえば、学校での英語は試験のための英語で役に立たない、ということになります。確かに「大学に受かったときが一番英語ができた」と言う人がいまだに多い点などその証拠でしょう。一方、学校の英語の先生は、ハンバーガー店の店頭で”For here, or to go?”(「店内ですか、お持ち帰りですか」)に答えられるだけの英語ではおぼつかないでしょう、と言うでしょう。
じっさい、英会話学校や「英語本」は日本人の英語力を向上することを主目的としてはいません。ありていに言うと、手っ取り早いお金儲けが本音です。日本人の英語コンプレックスにつけこんで、不安を掻き立てるという点で、ある種の健康食品の販売と同じようなものです。加えて、とくゆうの「うまみ」があります。それは、効果がなくても学習者の責任に帰すことができるので、文句を言われる可能性がないということです。そのような場では学習に利害関係がしみ込んでしまい、学習環境が悪化しませんでしょうか。
かといって、こういう批判ばかりしていても始まりません。学校教育の現場でも、生徒たちは試験でよい点を取るという動機で学習している、ということはAさんも身に染みて分かっておられるでしょう。ひょっとしたら、あまりに当たり前になってしまっていて、生徒の学習動機など考えなくなってしまっているかもしれません。私としては、小田急線で男女の高校生が赤い下敷きを片手に、じっと単語集とにらめっこしているのを見ていると、あなた方は何のために英語を勉強しているですか、それ、面白いですかと尋ねたくなります。これでは、「英語力」を買い取るために英会話学校に高いお金を払って「取引」(?)をしている人たちと同じではないですか。
そう。学校英語の現場でも、いわゆる「英会話学校」でも、言葉の学習というがんらいの目的から外れている点で同じようなものです。どちらも、当面点数が上がるというような効果があるので、学習者は楽しくもない学習でも、疑うこともせずガンバってしまうのですが、これではいつか壁にぶつかります。学校の方では、試験後の学習意欲の減退、「英会話」の方では、いいかげんな英語で一生通してしまうとか。
だいたい、双方は対立しているように見えますが、お互いに敵を作って自分たちのアイデンティティを確かめ合っているのでは、とも私には見えます。うがちすぎでしょうか。革新派の新聞と保守系の新聞がお互いを非難しながら双方とも部数を増やすと似ていませんか。
ま、本題に戻りましょう。
■がんらいの英語学習
言葉は、相手の言っていること、書いていることを理解し、自分の考えていることを伝えて、はじめて言葉と言えるものです。手段なのです。「英語ができる」と言いますが、それだけでは、周りから褒められるかもしれませんが、意味がありません。理解する、伝えるという問題を解決することが言葉の学習の意味で、解決に向けて努力することこそが語学学習の面白さです。ネイティヴ並みに話せるとか、TOEICで満点を取るのが楽しいわけではありません。
学校英語の枠内でものを見ていると、「社会人」が英語学習をする際、「英語ができる」のを目的としていると、なんとなく思いこんでしまうかもしれません。しかし、じっさいに、社会人に英語を教えることに携わると、みなさん、英語のための英語学習はおかしいぞ、と気が付いているのが分かります。または、最初、もやもやした気分で「英語をやらなきゃ」というつもりで学習を始めても、すぐに、そのことに気づきます。社会生活は問題解決の連続です。何が襲ってくるかわかりません。その過程で、精神が「試験モード」から「問題解決モード」に変わっているのですね。英語という問題を解決することこそが面白いのだ、と気が付くのに時間はかかりません。「もっと早く気が付いていれば」というのがみなさんの共通した感想です。管理された学校教育が、いかに、いままで目を曇らせていたことか。
Aさんも機会をみつけて、学生と社会人の双方に教える機会をぜひ持っていただきたいです。そうすれば、以上で述べたことが、身に染みてわかることでしょう。そして、それを学校での英語学習の現場に持ち帰っていただきたいと思います。
次回は、社会人が英語を学習する際、英語以外の何かを目的とすべし、という点についての述べます。「え!。何を言っているの。英語学習が目的でしょ。」という声も聞こえてきそうですが、上に述べた社会人の学習者のみなさんは、その意味をすぐに分かってくれるでしょう。