外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

Did you ever go to Kyoto?は「正しい」か、という問い 英語教師の通弊

2014年05月10日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

  Did you ever go to Kyoto?は「正しい」か、という問い 英語教師の通弊

英語教室

 

今回は、英語を初めとして、日本語も含め、、母国語を教える教員へ向けて書かれています。ですから、英語学習者には関係がない、と言ってもいいのですが...。

若干、皮肉が込められていることもあらかじめお断りしておきましょう。

過去の経験を訊く時、Have you ever been to Kyoto?と学校で習います。ところが、米国人が、いや、Did you ever go to Kyoto?でいいんだ、と言ったり、また、学校の「正誤問題が間違っている」ことを指摘しながら、「ここが変だぞ、日本人」と言うと、なんだか、日本人は、恐れ入りやの鬼子母神という心理状態になります。ひいては、「だから学校英語はだめなんだ」ということにもなりましょう。(このコラムのタイトルはトリッキーです。Did you ever to to Kyoto?に関する、言語学的課題がテーマではありません。Sorry...)

この思考過程はとてもよく知られているので、それを使って、それで「みすぎよすぎ」をする人たちがでてきます。いわく、「学校英語」はダメで、「正しい」のは○○だ」、「非実用的な英語」対「役に立つ英語」という対立心理です。

英米ときに、新手の話題もあります。Did you ever go to Kyoto?が米国、Have you ever been to Kyoto?が英国。つまり、「英国英語 対 米国英語」というコンセプトもなかなか魅力的です。

しかし、よく考えてください。そういう本、記事は誰が読むのでしょう。英語を学ぶ、日本人をはじめとする非英語諸国の人です。そういう読者は、「教えてくれてありがとうございます」と、素直にお金を払います。

一方、書き手の方の意識に注目してみましょう。この種の、英米比較記事を読む人は、英米人ではなく、英語学習者であることは分かっているはずです。しかも、そんな英米比較など、書いている本人にとって、とhave you everりわけ研究も、学識も必要がありません。(例外もあります。それは末尾の註で。)

ここまで考えると、あまり好ましくない、英語教師の心理が浮かび上がってきます。習う側が素直に受け入れることに乗じて、自分ににとっては当たり前のことについて、上から教えを垂れるという姿勢です。

それは言い過ぎだ、と言う人もおられるでしょう。しかし、再び、よく考えていただきたいのです。英国と米国で用法が違えば、英語を習う、非英語圏の国の人たちは、二重に学習しなければならなくなるのです!。

じっさいは、二重だけでは済みません!。米国でも、「私は3年東京に住んでいます」は、"I've been living in Tokyo for 3 years."であって、 "I'm living in Tokyo for 3 years"ではないのですから、英米の違いだけでなく、米国英語内での、現在完了形と過去形の、さらに複雑な違いを学習しなければならなくなります。口語と文語の違いもあります。習う方はこれだけ負担が増えるのです。

世界の英語言語は家元制度ではありません。米国流と英国流があるというような悠長な話ではありません(昔は、なんとなく、そう思われていませんでしたか?)。英語学習者は、米国に行くこともあるし英国に行くこともあるのです。学習者が遭遇するこのような困難には考慮が払われていません。

教える立場の人は、習う人が伸びてもらいたいと思うはずです。だったら、当然、英米の用法の分離のもたらす困難を、習う立場に立って顧慮するはずです。でも、私が最近、英字新聞で読んだ、英語教師によるこの種の記事には、「私の使う英語ではこうだ、ああだ」という自己主張こそあれ、そこには学習者の顔が見られませんでした。

そうなってしまう背景には、ひょっとしたら...、「英語を話すのは当然であり、話せないのはお前が悪い、あるいは、劣っているからだ」という心理が潜んでいるのではないか、と言ったら、被害妄想でしょうか。

母国語を教える人は気をつけなれればなりません。自分の使っている言語が絶対日本語教師だと思っていはいけないと。日本語を教える人にも言えることです。米国人、英国人の英語教師諸君にまず、言いたいのは、自分が当たり前と思っている母語以外の英語との違いを、ある程度勉強してから教壇に立ってほしい、ということです。最低限、「これは我が国でこう言うが、他国ではこうだ」と言うのが教師の親切というものです。義務でもあります。

さらに言えば、相手の国の言語を学ぶのも基本です。なぜなら英語を学ぶということは母国語と英語との違いを学ぶことですから。まさか、母国語は「決して減らない、楽に手に入れた資本」だという気持ちで教師になっているのではないでしょうね。「決して減らない、生まれつき持っている資本」で商売をしている、もう一つの、あの商売と同じになってしまいやしませんか。

註:220125 更新

この記事を書いてだいぶになりますが、以前、ここにBritish Councilによる演劇形式の洗練された英米語比較をリンクしておきました。残念ながら掲載終了となってしまったので、最近発見した、比較的ちゃんとした動画を一つ紹介します。British Councilにも文章形式の記事はあるのですが、こうしたものは動画で学習したいものです。これ以外にも英米語比較動画のサイトはたくさんあります。

How Are British English and American English Different?

https://www.youtube.com/watch?v=NdJQdt3xkFQ

How to understand the differences between British and American English - See more at: http://learnenglish.britishcouncil.org/en/how/how-understand-differences-between-british-and-american-english#sthash.fmnb3ZqC.dpuf
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今回、最近ある英字新聞に載った、英語学習欄の記事を素材にして書きました。自国語を他国で教える、ということは、一見、誰にでもできる易しい仕事です。しかし、楽そうであるからこそ、そこに、その人の人間性が現われてしまうのです。「ちょろいもんだい」と思っているか、「いや、そんなに簡単なことなのか」と自問自答しているかどうか、です。