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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

福沢諭吉の英文翻訳法:読者のために訳すということ 2/2

2018年11月21日 | 福沢諭吉と英語のつきあい

福沢諭吉の英文翻訳法:読者のために訳すということ 2/2

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また少々長いですが、福沢さんの文章を見てみましょう。

開国以前すでに翻訳版行の物理書なきにあらざれども、多くは上流学者の需(もとめ)に応ずるものにして、その文章の正雅高尚なるとともに難字もまた少なからず、かつ翻訳の体裁もっぱら原書の原字を誤るなからんことに注意したるがために、我国俗間の耳目に解しがたきものあり。たとえば、物の柔軟なるを表するにあたかもボートル(英語バタ)に似たりと直(じか)に原字のまゝに翻訳するがごとき、訳し得て真を誤らざれども、生来ボートルの何物かを知らざる日本人はこれを見て解するを得ず。よって余はその原字を無頓着に付し来たり、ボートルと記すべきところに味噌の文字を用ふることに立案して、(......) (全集第一巻 緒言 p.34)

福沢式の翻訳では、やわらかいものを表わす比喩にバター(オランダ語で「ボートル」)を用いているところを味噌にするわけです。細かい点は顧みず、しかし全体の意味をあやまたず、口語で伝えるのが福沢の翻訳哲学でした。一字一句の「正確さ」に拘るのは学者の見得であると福沢には映っていたのでしょう。伝わってなんぼです。このような翻訳術は、大阪の緒方洪庵の塾で習得したように伺えます。

緒方洪庵福沢によると、当時、江戸には杉田成卿、大阪には緒方洪庵という蘭学の「両大関」がいたそうですが、杉田は「(------)翻訳するに用意周到一字一句もいやしくもせず、原文のままに翻訳するの流儀なれば、字句文章きわめて高尚にして俗臭を脱し、ちょっと手にとりて読み下したるのみにては容易に解すべからず」という流儀。一方緒方は、こう言ったそうです。現代語にしてみましょう。

「翻訳というものはそもそも原文を読めない人のためにするものです。なのに、むやみに難しい漢字を使って、一回ぐらい読んだのではちんぷんかんぶん、読み返しても分からん、というのがありますねえ。原文に引きずられてむりやり漢字を当てはめるのがいけないんですよ。ひどい場合、訳と原文を照らし合わせないと分からないというしまつ。冗談じゃありませんよ。」

ある日、学友の坪井信良という人が緒方先生に翻訳の添削を頼んだことがありました。その一部始終をそばで見ていた福沢はこう述べています。

先生の机上には原書なくしてただ翻訳草稿を添削するのみ。原書を見ずして翻訳書に筆を下すはけだし先生一人ならん。その文事に大胆なることおおむねかくのごとし。

福沢に向かっては、ある日こう言いました。「君は医者の世界には関係ない男だ。何度も言うようだけど、文字に疎い武家を相手にするのだから難しい漢字をみだりにつかっちゃいかんよ」、(あと原文です云々と警(いまし)められたる先生の注意周到、父の子を訓(おしふ)るもただならず、余は深くこれを心に銘じて爾来かつて忘れたることなし(-----)と、言うから筋金入りです。

適塾緒方と福沢に共通する翻訳の考えの礎にあるはなんでしょう。日本人でも西洋人でも考えの基本は同じだから通じるはずだという信念です。細かい点に拘るのは、僻目かもしれませんが、そういう人間に対する信頼感が欠けているからでしょう。味噌かバターか、そんなところで悩んだり、避けたりしません。洋食であろうと和食であろうと、栄養になればいいという思いっきりが両者にあるのです。しかし、栄養はしっかり与えます。読み手を択ばず、媚びず、見下さず、伝えるべきは伝える、その意思大胆にして周到、これを福沢は緒方から学んだと言えるでしょう。

翻訳に限らず福沢の態度は、読み手を択ばず、媚びず、見下さず、という姿勢に貫かれています。ある日、後年著名な政治家になった尾崎行雄が、初めて新聞記者になって、福沢に挨拶に来たときのエピソードを小林秀雄が紹介しています。

(------) (尾崎は福沢に)君は誰を目当てに書くつもりかと聞かれた。もちろん、天下の識者のために説かうと思ってゐると答へると、福沢は、鼻をほじりながら、自分はいつも猿に読んでもらふつもりで書いてゐる、と言ったので、尾崎は憤慨したといふ話がある。(1962年)

尾崎行雄小林はこのエピソードを評して次のように述べます。

彼は大衆の機嫌など取るやうな人ではなかったが、また侮辱したり、皮肉を言ったりする女々しい人でもなかったであろう。恐らく彼の胸底には、啓蒙の困難についての、人に言ひ難い苦しさが、畳み込まれてゐただろう。さう想へば面白い話である。

福沢は言葉の使い方が面白い。「猿に読んでもらふ」という言い方で、自分は機嫌もとらないし侮辱もしない、ということを逆説的に述べるのです。一筋縄ではいかない仕事だという苦渋も伝えて、響くものがあります。しかも暗黙のうちに、「あなた、読者をばかにしていないかい」という攻撃が含まれています。こういうエピソードから小林は福沢はたんなる啓蒙家ではないということを確かめたのでしょう。ここでは、翻訳を含め読者に分かってもらうということに情熱を注いだ福沢の姿勢の例として引用しました。福沢の、この、ちょっと行き過ぎたかのようなpractical joke(いたずら心))については、『福沢諭吉の愉快な英語修行』で触れたいと思います。

註1:冒頭の写真は1868年、明治元年です。まだ幕臣のはずですが、福沢の髪型は医師のような総髪です。もう辞める、ということでしょうか。

註2:明治23年の第一回総選挙で尾崎が当選した際、訪れた尾崎に、祝いの言葉の代わりに次の文を書いた紙を渡したそうです。「道楽に発端し、有志と称す馬鹿の骨頂、議員となり売りつくす先祖伝来の田、勝ち得たり一年八百円。」





 

 


福沢諭吉の英文翻訳法:読者のために訳すということ1/2

2018年11月16日 | 福沢諭吉と英語のつきあい

福沢諭吉の英文翻訳法:読者のために訳すということ 1/2

窮理図解口絵まずは、少し長いですが、翻訳がさかんになってきた当時のようすを福沢さんがどう観察していたかを『福沢諭吉全集・緒言』に見てみましょう。多少古い日本語ですが、たぶん中学生でも分かると思います。

 (------) その後江戸に来たりて種々の著訳を試みるに至りても、つとめて難解の文字を避けて平易を主とするの一事はかつて念頭を去らず、同時に江戸の洋学社会を見るに、著訳の書もとより多くしていずれも仮名交じりの文体なれども、ややもすれ漢語を用ひて行文の正雅なるを貴び、これがために著訳者は原書文法を読み砕きて文意を解するは容易なれども穏当の訳字を得ること難しくして、学者の苦みはもっぱらこの辺にあるのみ。その事情を丸出しに云へば、漢学流行の世の中に洋説を説くに文の俗なるは見苦しとて、云はば漢学者に向(むかっ)て容(かたち)を装(よそ)ふものゝごとし。(全集:昭和33年版、p.6)
 
最期に「漢学者に向かってかたちを装ふごとし」と述べているとは、何を意味するのでしょう。自らの体裁を整えるということは、他者ではなく自分のことだけを考えていることを意味します。つまり、福沢の批判の骨子は、異なる人への伝達の意思が乏しいという点です。当時の「内向き」のようすはつぎのようなエピソードにも現れています。
 
(------) 友人が書中の一原字を指摘し、ときにこの字を何と訳して穏やかならん、「あてはめる」と云う字であるが、さて訳語には困る、君はこれまで毎度訳したることもあらんが、こんな字に出逢ふたときは何とするやとの相談に、余は大いに笑ひ、君は今訳語に困ると口に言ひならがその口はすでに適当なる語を吐いて原字を訳したるにあらずや、君の言はるゝごとく、「あてはめる」とはまことに穏なる日本語にして申し分なき訳字なり、僕なれば直ちにこの日本語をもって原字を訳すつもりなり(-----)。(全集、p.9)
 
福沢 子供では、福沢はどのように翻訳の工夫をしたのでしょうか。
 
(-----) 山出しの下女をして障子越に聞かしむるもその何の書たるを知るくらいにあらざれば余が本位にあらずとて、文を草して漢学者などの校正を求めざるはもちろん、ことさらに文字にとぼしき家の婦人子供らへ命じて必ず一度は草稿を読ませ、その分からぬと訴(うったう)るところに必ず漢語のむつかしきものあるを発見してこれを改めたること多し。(全集、p.6)
 
たとえば、
 
万有の材料云々 → 有り会いの品々云々
これを知らざるに坐する → これを知らざるの不調法なり / このことを心得違したる不行き届きなり
 
今から見ると書き換えられた方の文も時代劇にでてくるような日本語で古めかしいですが、つとめて口語を用いる努力をしていることが伺えます。その努力を支えるのは伝達への意思です。「少年のときより漢文に慣れたる自身の習慣を改めて俗に従はんとするはずいぶん骨の折れたることなり。」と福沢は述べています。
 
少し長い思想書を訳すときはどうするのでしょう。数回前のブログで引用した例に再度登場を願います。

(『西洋事情外編』)

Society is, therefore, entitled by all means consistent with humanity to discourage, and even to punish the idle.

故に人間交際の道を全(まっとう)せんには、懶惰(らんだ)を制して之を止(とど)めざるべからず。あるいはこれを罰するもまた仁の術と云うべし。

threforeそれゆえ、(be) entitled to~する資格がある、means手段、(be) cnsisitent with~と矛盾しない  discourageやる気をなくさせる、punish罰する、 the idle怠け者

福沢明六社「それゆえ、社会というものは、人間性と矛盾しないあらゆる手段を用いて、怠惰な人に注意を促し、罰することさえ許されるのである」とでも訳すのが現代風の訳ですが、「福沢の訳は意訳ですね」という反応がまわりから返ってきました。しかし、意味をずらした意訳かというとさにあらず。英語と日本語の単語の対応関係は外しますが、よく見ると正確な「意訳」であることが分かります。大学受験では嫌われる訳ですが…。

まず、「社会」ですが、社会なるものは存在するのでしょうか。人工的な操作概念であることを私たちは忘れているのではないでしょうか。他の例でいえば、「消費者」(consumer)があります。「主婦」という言い方と違って、消費者という分類の人はいません。どの人も消費者であり生産者です。消費者という概念を使うと経済現象が説明しやすいのでそう言っているだけです。社会については、じっさいにあるのは、人々が交わるという動作があるのみです。このことに気が付かせてくれるだけでも現在、福沢を読む価値があるというものです!。近いうちに「明治維新は英語学習にとって過去にあらず」というタイトルでもつけるべきコラムをアップロウドします。

この英文テキストでは、「操作概念」であるsocietyという名詞を主語にして、道徳的価値の基準(is entitled to ---)であることを動詞で表わしているわけです。こうした使い方は日本にはありません。そこで、福沢は、まず、人間交際という動作をしめす単語を用いて、それを道徳的価値の基準にするために、わざわざ「道」を導入します。そして、そのうえで、「まっとうせんには」という表現で、目的と手段に表現に変えているわけです。

原文の英語:主語+動詞

福沢の日本語:目的となる行為+手段

このように構造を転換しているのですが、都合のいいように意味を変えているわけではありません。現代の英語学習でも、The news made Chiko angry.を「その知らせを聞いてチコは怒った」というのと訳すのは受験でも「許されて」いますが、同じことです。

ところで、be entitled to。これは、canとshouldを合わせたような意味ですが、この動詞句を、「これを止めるべからず」、「もまた仁の道といふべし」と分けて訳しています。仁の道は言い過ぎではないか、それこそ意訳ではないかと言われそうですが、もう一度原文を見てください。by all means consistent with humanity(人間性に矛盾しないあらゆる手段を用いて)の部分を工夫して訳したものだと分かります。しかもevenを使って示した、より強い方に「仁の道」を用いている点にも注意をしたいです。

なにより、普通の現代語訳より文に力があるように感じられませんか。次回は、このような翻訳法がどうやしなわれたかをさっと見てみます。緒方洪庵の塾で学んだことが多いようです。

註:一番上の写真は、物理学の入門書『訓蒙・窮理図解』の口絵。

註:真ん中は、同書、気圧の差によって茶碗が手のひらから落ちない実験。

註:一番下の写真は明六社の集会の模様。後列、背の高い人が福沢。

2/2へつづく 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

諭吉さんの英語修行 付録:福沢の英文手紙(1862)

2018年10月14日 | 福沢諭吉と英語のつきあい

諭吉さんの英語修行 付録:福沢の英文手紙(1862)

以下の写真は福沢諭吉が、1862年、日本への帰路、セイロンから、フランス人に宛て書いた手紙です。活字に写したものも含め、ネット上にアップロウドされていたのを拝借しました。写真の右側が切れていますが、下に活字への写しがあります。活字に写してくださった方に感謝します。

1862年(文久2年)に福沢諭吉が参加した遣欧使節の旅の帰途で、セイロン島ガル港の船上で書いた手紙の前半(表)部分。©慶応義塾大学

当時福沢は27歳、オランダ語をあきらめ、英語学習を始めてからたった3年(!)ということになります。

こうした過去の文献を扱う場合、たいてい以下の二つの見方をしがちです。

⓵ さすが、○○の書いたものだからたいしたものだ。

② 「間違い」があるが当時の事情を考えると許される。

しかし、どちらも、現在の視点の見方で過去を見ていると言えるのではないでしょうか。

⓵に関しては、当時福沢は有名人ではない。その後、業績を上げることなく死んでしまったらこの言葉は成り立ちません。(ただ、現在われわれがこの手紙が読めるのは福沢が有名になったからです。)

②は、「現在の英語教育水準」という純国内的な価値基準基準をあてはめて判断している。「間違い」とは何を基準にして言うのでしょう。

こういう先入観をなるべく排してみると、何が見えてくるでしょう。

(1) 27歳の青年が、たいした学校教育も教科書もない状態で、ゼロから3年間で英語という外国語を学習した成果であるということ。

(2) 遣欧使節の下っ端であるにもかかわらず、訪問地で知り合った人と積極的な交流を図ろうとしているということ。

手紙を見ると、外国人に添削してもらった形跡がありません。そのため「間違い」もそのままです。(1)については、現在完了形について自分で規則を作ってしまっているようなのが目につきます。オランダ語の影響かどうか私には分かりません。(2)については、ろくな辞書もない状態でしょうが、船名の綴りなどあまり気にせず、ともかく返信したいという意気込みで書かれたと推測します。「間違えたら恥ずかしいから」という気持ちで「完璧な英文を人に頼んで書く」という態度ではないです。むしろ、自力で書いたということも相手に伝えようとしていたのではないかと思えます。

註:Léon de Rosny(レオン・ド・ロニー:1837-1914)は、東洋学者。当時通訳を務めた。東洋語学校、日本語初代教授。


活字への写し:(To Léon de Rosny)
  

下に試訳があります。

18 Dec.1862 

On board of the French steamer Europen

Point de Galle

With pleasure I have received your charming note including in the letter to D Matouki at Alexanderia, where we have arrived 17th November; of course I was obliged to answer for it directly, but as soon as we arrived at Alexandeira I have departed there to Suez with some of our officers taking care for the baggages before Ambassadores, so that I had no time to write the answer to you, I hope you would not be angry for it.

At 20th of November we have departed from Suez with French steamer Europen arrived at Adens 28th of said month staying there five daies departed from Aden 3d of december and arrived here (point de Galle) yesterday, supposing the voyage forward we shall be at Japan in 45 or 50 days more.

裏面 

On board I have not much official busyness to do, so I am now studing the French every day but in embrassment to understand it. 

That you are always in good health have the same feelings for Japan and for myself, is the hearty wish of
your upright friend 

Foucousawa Youkitchy

試訳:一部、推測も含みます。

1862年12月18日

フランスの汽船「Europen」船上にて。

Point de Galle(セイロンの町)より。

うれしいことに、アレキサンドリアで、D・Matoukiさんへの手紙に同封された魅力的なおメモを受け取りました。アレクサンドリアには11月17日に到着し、すぐにお返事をしなければならなかったことは言うまでもありませんが、アレキサンドリアに到着してまもなく、公使たちより前に積荷を運び出す作業があったので、何人かの成員とともにそこを発ち、スエズに向かいました。そのため、お返事を書く時間がありませんでした。遅れたことに御怒りでないことを願っております。

11月20日、フランスの気船「Europen」でスエズを発ち、その月の28日にはアデンに到着し、そこでは5日間滞在しました。12月の3日にアデンを発ち、ここ(Point de Galle)に昨日到着しました。これからの旅路を考えると、日本に着くまでにはさらに45日から50日かかりそうです。

(裏面)

船上、公務もあまりないので、今、日々フランス語を学習しております。しかし、理解に難渋しております。

かわらずお元気でありますことを、そして、日本国と私自身の健康にも、貴方に対する私の気持ちと同様の気持ちを持っていただけることを心から願っております。あなたの誠実な友より。
福沢諭吉