言葉は正確に:「第三者委員会」という表現が何を意味するか
一つの言葉が、何重もの意味を持つということがあります。これは多義語ということではありません。homeには、①自宅、②自国という意味があります。これはhomeが多義語だということ。
しかし、feel at homeは、「くつろぐ」という意味ですが、この場合は、homeの別の意味があるといういうより、homeという単語が最初から持つ、あるふんいきが、feel at homeに「くつろぐ」という意味を与えている、といえるのではいないでしょうか。このように、単語が持つ、「二次的な」意味のことをコノテーション(conotation)と呼びます。ランダムハウス辞書には、A possible connotation of “home” is “warmth, comfort, and affection.” home と書いてあるそうです。「"home"の、コノテーションには、「暖かい」、「快適」、「愛情」がありうる。」という意味です。
元来、単語とは、ある音にある意味が「乗っかる」という構造を持っています。「乗っかるもの」と「乗せられているもの」という二重構造が単語の基本構造です。コノテーションとは、「乗っているものと、乗せられているもののセット」にさらに意味を乗せている、という仕組みになっています。
別の例を挙げると、「白い」。純粋、潔白というコノテーションを持つのが理解できます。第一、「潔白」というくらいですから。しかし、「乗っているものと、乗せられているもののセット」に、さらに乗せるのですから、ちょっと不安的です。コノテーションは、有る時代、ある知識や感情を共有している際に可能になります。「白い」とっても12世紀の日本なら、「平家」を意味しますしね。それに「頭が真っ白」というのは、現代的な俗語ですが、純粋、潔白とは異なるコノテーションを持っています。(左の図は同じ白が、少なくとも、3通りのコノテーションを持つことを示しています。)
さて、今回扱うのは、「第三者委員会」という言葉です。最近、この言葉が二つのニュースに現われました。一つは、ある新聞が誤報記事を出した後、設立したもの、もう一つは、ある大臣が辞任しあと、スキャンダルを調べさせるために設立したものです。皆さんは、これらの記事を見て、ああ、立派な新聞社だ、政治だ、潔い態度に頭が下がる、と思いますか。
「第三者委員会」という言葉には、じつは、事件を決着させ、禊(みそぎ)を済ませて生き残る手段だ、というコノテーションがあるのです。そうなんですか、という言われる空もおられるでしょう。たしかに、コノテーションは不安定なものですから、だれにも共有される意味ではないでしょうが、マスコミ、政治の世界では、通じるコノテーションになっています。
ノンフィクション作家の門田隆将さんは、前者の新聞の件に関して、次のように書いています。
そもそも第三者委員会とは、お役所や不祥事を起こした大企業などが、世間の非難をかわすために設置するものだ。いわば“ガス抜き”のための委員会である。ある程度厳しい意見を出してもらい、“真摯(しんし)”に反省する態度を示して国民の怒りを和らげ、「再出発」するためのものだ。設置の時点でシナリオと着地点は決まっている。
(なんのための「第三者委員会」か 門田隆将 産経10月19日)
こうした事情を考えると、マスコミ、政治の専門家以外には、門田さんが述べているようなコノテーションは通じないだろう、となめてかかっている、のではないかと思えてきます。
言葉の意味は重層的です。マスコミや政治家は、こうした言葉の持つ二重、三重もの意味をしっかり把握して、注意深く言葉を用いてもらいたいものです。門田さんがそう言ったからといって、「悪意を持って深読みをしないでください!」などと慌てて怒らないことです。