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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

NHKの優れた科学番組『考えるカラス』を中一生に教わる

2016年06月19日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

NHKの優れた科学番組『考えるカラス』を中一生に教わる

米国、英国にはじつに優れた、数学、科学の学習番組があります。英語字幕のつくものもあり、英語教材としてときおり使います。

カーンアカデミー何が優れているかというと、論理が明快、重要な点に焦点が当たっている、適切な繰り返しがある、テンポがよい、などの言葉がすぐ浮かんできます。その代表は、銀行員のカーンさんが、ユーチューブでいとこの家庭教師のつもりで開始した①「カーン・アカデミー」、それに、アンダーセンさんという高校の先生の、②「ボズマン・サイエンス」です。

①も、②も電子黒板を使い、授業の中継の形をとっていません。その分、無駄がありません。①は手書きで進みます。小学校の1年レベルから大学レベルまでの数学、物理、化学、経済学がメイン。②は、化学、物理、統計学です。アンダーセンさんの顔は隅に登場し、手書きではなく、資料や簡単な動画が順繰りに登場します。

さて、日本には、このような理系のよい講座があるかというと、はなはだ疑問でした。高校の先生らしい方が登場し、実験したり、白板に書いたりしてする講座は、たしかに、あるのですが、上に述べた基準、つまり、論理が明快、重要な点に焦点が当たっている、適切な繰り返しがある、テンポがよい、に照らしてみると、まだまだという感が否めません。先日、読売でしたっけ、理系の先生のコミュニケーション能力を高めようというので、漫才師による、科学、数学の先生対象の講座のことがでていましたが、問題の本質は漫才師の講演で解決できる性格のものではないと、私は思います。

ボズマンその点は、また詳述しなければならないと思いますが、ここでは、「日本人もなかなかやるではないか!」と思わせてくれた、NHKの講座を紹介しましょう。我々のスクールのたった一人の子供の生徒である、Nさんにじきじきに教わったものです。Nさんは、小学校4年のころから「英語deクッキング」や、英語で数学などで、ずっと教えてきて、4月からは中学2年になりました。学芸大付属の先生から教わったの、と中学1年のの終わりごろに伝授してくれました。

「考えるカラス」は、知識を伝えるものではありません。日常に見られる現象に対して「何故?」という気持ちを抱かせるのが目的です。「何故?」は、がんらい、子供はたくさんもっています。しかし、だんだん擦り切れていくものです。社会に適合させるように教育する過程で強制的に忘れさせられるのでしょう。圧倒的なその方向を少しでも食い止めるのがこの番組の目的であると、私は解釈しています。

考えるカラス10分間、全10回は終了しているようですが、ネットで自由に見られます。一回には、二つの問いが提示されます。

一つ目は、二つの影が近づくと二つの影がお互いに伸びてきてくっつくのは何故?。二つ目は、長いロウソクと短いロウソクを並べて火をつけて、一つのビーカーをかぶせると、どちらが先に消えるの?。

二つ目の問いには、番組の最期に答えを出します。しかし、語り手の蒼井優が、「その理由は...」と言いかけると、上からがしゃんとシャッターが下りて番組が終わってしまいます。あとは考えてください、という仕立てなのです。

考えるカラス 2本のロウソク10回見て、そこに含まれる20の問いに対して、私は半分ぐらいしか正解できませんでした。それも、りくつをあらかじめ知っているものが大半。皆さんも、さっそく試してみてください。

この番組が、なぜ優れているか、そして、NHKの優れた番組の伝統については、また後ほどお知らせします。

 


塾講師の心得:「利でもって釣り、学問へ導く」

2016年04月11日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

塾講師の心得:「利でもって釣り、学問へ導く」

私の周りにも、いわゆる塾、予備校の類で、口を糊している人が何人かいます。大学での職を得る前の腰掛、または、大学などの「堅気」の職が得られない連中、なんらかの理由で大きな会社を辞めた人たちなどです。

ギリシャこういうと、なにか社会のドロップアウトばかりのように聞こえますが、必ずしも、心持はすねている人ばかりではありません。ある英語の講師は、並の大学教員よりずっと英語力があるし、それどころかギリシャ・ローマ以来の西欧の伝統に対する理解が深い。ご多分にもれず、怪しげな予備校経営者につかまり、閉校、失職の憂き目に合うこともまれでないのですが、sense of humourを忘れずに、日々学問を深め、教わる側と人間的接触を維持することに余念がありません。

今、日本の教育事情は、正規の公教育と、ウラ教育というべき塾、予備校の二本立てになっています。しかし、その現実を直視する議論はめったに見られません。たとえば、「受験教育の行き過ぎはいかん」と思いながら、子供には塾に行かせる、という行動様式が一般的ではないでしょうか。「矛盾しているではないか」と言う疑問があるということは、皆さん、分かっているのですが、あえてその「矛盾」には目を向けようとしません。もし問い詰められたら、苦し紛れに「現実と理想は違う」という反論が用意されています。たまには、子供には絶対に塾に行かせないという親もいます。私の知り合いの親は高校の数学の先生だった人で、決して塾に行くことが許されず、受験の際に不利だったとおしゃいます。なんだか、戦後、闇物資は一切口にせず餓死したと言われる裁判官を思い起こさせます。

受験勉強このような思考停止は、好ましくないと思います。塾、予備校の講師、経営者には、じっさい、教育の名を借りて、なんだか変なことを行っている人が多いことも確かです。その「変な」ということの内容はあまり言いたくありません。そういう人のなかで、上に挙げた先生は、けなげにがんばっています。しかし、現状は厳しい。彼も、心をゆがめることなく、ずっとよい先生であり続けてもらいたいと思います。

そこで、塾、予備校の講師、経営者はどういう考え、こころざしを持てばよいのか。少し考えてみました。それは、「利でもって釣り、学問に導く」ということです。

生徒が塾に来る理由、親が生徒に塾に行かせる理由は何か。それは「向学心」というものではないのは、皆さん分かっていることですネ...。それは、

<日本社会で一生、食うに困らない生活ができること、人に馬鹿にされない地位を得ること>

です。いわゆる「本音」です。誰も口にしませんが、この動機なくして、人は受験勉強に力を注ぐことはありません。そのためには、いくらお金をかけても、ずるをしても(ばれなければ)、東京大学などに入りたいと思うというのが実際のところでしょう。医学部に入りたいという動機もそうです。医療に関心があるから医師になるのだと、若い頃、私はナイーブに考えていましたが、どうもそれは、百歩譲っても「副次的な」理由のようです。

trigonometryしかし、しかしです。人間は上に挙げた動機に誇りを持つことはできません。人間は、上に挙げた動機以外に、心のどこかに「自尊心」というものの芽を持っています。そこが、生徒のsoft targetというべきところです。受験勉強に勤しむ過程で、三角関数で自然界の謎の一端が解けた、英語で18世紀、19世紀のモラリストの洞察に打たれる、新古今の歌人の心が垣間見える、こういう経験を持つことは実際あります。たしかに、これらに目覚めたところで、人に自慢できません。しかし、自分が一歩新しい世界に踏み出したという自覚を獲得するのです。

とはいえ、そこへ至るには、皮肉なことに「処世術」という入り口を通らねばなりません。そこで、塾、予備校講師、経営者は、生徒を「騙す」必要があるのです!。まあ、露骨ですが「東大入学を助けるゾ」など言う必要が生まれます。「これが出ます」などと言うと、生徒は必死にノートを取るでしょう。教える立場の者は、そう言ってもかまいません。そう言いながら、生徒がそこに、点数を取る以上の何かがあることを気づくように導くのです。これが、実際、日本社会におおぜい生息する講師たちの心構えであるべきはないでしょうか。「利でもって釣り、学問に導く」のです。

ここまで私がこのように書いても、じつは、説得力があまりないということも自覚しています。毎年の3月の週刊誌は、高校別の進学数で売上げを伸ばします。某新聞社系の週刊誌などとくにそうです。どうも、自分は受験での勝者なので、他の人より上だという記者ばかりなのでしょうか。口では「受験勉強の弊害」を述べながら、人々の学歴snobberyで、しっかり儲けていても許されると思っているのでしょう。

確かに、説得力はないかもしれませんが、じつは、塾、予備校が、「利でもって、学問に導く」学校として、定着する可能性があった時代がありました。私個人の歴史感覚から言うのですが、それは、1965年頃から70年頃でしょうか。膨大の数の18歳の若者が、わけも分からず大学に殺到したころです。その頃、まだ、講師には、戦前の高等学校から大学で教育を受けた者が多くいました。国立大学の教員も、多く予備校に来て教えていました。

ロシュフーコーもし、その頃、先生と生徒の間に生じていたものを感じとった経営者が、「うちの予備校出の者は大学に入っても出来が違う」と言われたいという「野心」を持ったなら、「利で持って、学問に導く」学校として社会に認知される可能性があったと思います。(経営者には野心は必要。)フランスなどでは、このような受験準備過程が社会に容認されているようですから、できないことではなかったでしょう。

ところが、当時の経営者たちの考えは違ったようです。予備校、塾は、「賎業」である、ここでは手段を選ばず儲けて、できれば自分たちはもっと「偉い」大学の経営者などになりたいなどと思ったようです。自尊心より虚栄心が優先したのしょうか。一方、この頃から、国立大学の教員の受験産業でのアルバイトは禁止されます。急に、塾、予備校が「産業」になったのです。しかし、教育は産業でしょうか。基本的な問いは残ります。

やはり、説得力のない議論と成り果てました。







修正190801「文系学部廃止、転換通知」の波紋と反対論の弱点

2015年10月04日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

「文系学部廃止、転換通知」の波紋と反対論の弱点

2019年7月31日修正
地球儀

2015年9月30日(水)、10月1日(木)と続いて、文部省が国立大学に出した、教員養成系と人文社会科学系の組織の廃止や、社会的要請の高い分野への転換を求める通知について、評論が産経新聞に出ました。1日には評論の下の「談話室」にもその件についての投書がありました。

今後、この議論は深まると思いますので、平成27年の10月初頭の議論を、備忘録をかねて整理しておきたいと思います。このブログの、3回前には、西尾幹二さんの意見を紹介しました。

9月30日には、「解答乱麻」欄に、教育評論家の石井昌浩さんによる『文科省通知「文系廃止の波紋』、10月1日の「正論」欄には、社会学者の竹内洋さんによる『見過ごせぬ大学改革の副作用…「手術は成功したが患者は死んだ」となりはせぬか?』が掲載されました。(どちらも2019/08/01確認)

石井さんは、文科省の弁明は説得力が欠けていると述べています。通知の波紋に文科省は、「通知が直接には文系廃止を求めたものではなく、教員養成系学部で教員免許取得を卒業要件としない通称「ゼロ免過程」の廃止を求めたもので「舌足らずの説明」が誤解を招いた」として釈明している。少々分かりにくいですが、要するに教員免許を取らない教員養成課程はつぶすということです。この点について、「説得力に欠ける」として、以前からの政府、政府関連機関の発言を挙げ明確に反論しています。審議会での「提言」は、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。」とと述べています。更に安倍首相は、「もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な職業教育を行う。そうした新たな枠組みを、高等教育に取り込みたいと考えています」と語っています。この流れのもとに、先ほどの文科省の発言を理解すべきです。

文系 理系海外の報道機関、ウォールストリート・ジャーナル、アジア版(8月4日)では、「日本政府が理系人材を欲しがる産業界の意向を受け、人文・社会科学系の教養教育を犠牲にして国立大学の見直しを進めている」(産経9月7日)と報じている点を見ても、たんに「舌足らずだ」という言い訳は成り立たないと言えるでしょう。言語活動は受け取る側がどう受けとるかが要です。もちろん、一部のイデオロギーやコンプレックスで歪んだ意見による解釈はその比ではありませんが、その後の批判の声の広がりを考えると文科省の通達は十分批判の対象、少なくとも議論のテーマになりうるものでしょう。

つづけて、石井さんは、458字を費やして、立派な反対論を展開しています。

文科省通知は「大学とは何か」に必要な洞察を欠いている。文系と理系はもともと対立するものではない。文系、理系の違いを越え「知」を支える土壌が人文社会科学系の幅広い教養なのだ。(-----) 日本の未来を危うくする発想は速やかに見直すべきである。

力強くて格調の高い論調ですが、実用で押してくる議論にどれだけ対抗できるのだろうという思いがよぎります。が、今の段階の議論としては、「違和感」に留まるものであれ、理想論を文字にして表わすということが必要でしょうから、これでよしとしなければならないでしょう。

あえて言えば、「「すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる」と昔から言われるように、最先端技術の知見でも時を経るにつれ陳腐化しがちなのが世の常である」という部分に現われているように、短期的な実用に、長期的な実用を対立させる議論が目立ちます。そうだとすると、哲学のような一切実用性を伴わない知的探求、いや、より正確には「実用性」自体も疑いの対象とする立場はどうなるでしょう。このことは、エッセイの最期に「普遍的な真理の探究より目先の短期的利益を優先させることは大学の知的衰弱を招くだけである。」と一言触れていてちょっと安心させてくれますが、その点では、数回前に引用した西尾幹二さんの「言語は人間存在そのものなのである」という議論の方が深いと思います。

もう一点気になるのは、上の引用部分を含め、括弧つきで「知」という語を2度用いている点です。私の記憶では、「知」というのは、80年代に、文系の書籍を売るために生み出された商業的ニュアンスが強い用語です。そこには、巧妙に、倫理的判断、価値判断をすることによって反感をもたれることを避けたい、という気持ちがあると感じ取るのは私だけでしょうか.

竹内洋一方、竹内洋さんの評論は、今回の表題である、文系対理系の対立には直接触れていませんが、官僚的な改革が死に至る病であるということを、以前からの例を挙げながら論じます。石井さんのエッセイと合わせて検討してみてください。



- 大学教員における校務の激増。

- 法科大学院の失敗。

- 大量の博士難民。

こうした失敗にも拘わらず改革案が出されるのは、「教育改革の成果は時間がかかり検証しにくいから」、一種のパフォーマンスになっている気配があり、それに対し、「ふりをする」適応策が生じ、「上に政策あれば、下に対策あり」式の対応も広がっていると述べています。

こういう改革案に振り回されている間に日本の大学生の自主的学習時間がきわめて少なくなっていて、結局は、「手術に成功したが患者は死んだ」という状態、大学の死に至るのではないか、という論理展開。

社会学、政治学のセンスの生きている議論だと思います。教育の議論は、①政府、委員会のレベル、②学校、学級のレベル、③一人一人の、教員、生徒のレベルの3つが混同されがちですが、3つを分ける議論をしないと話は進まない、というのは私の意見です。(これは教育に限らず言えることですが。) 政府が現場を知らないという自覚なしで介入することは百害あって一利なし、という結果に終わりがちです。

竹内さんは、対策として、「現場と対話する地道な大学改革になってほしいものである。」と、軽く述べていますが、そこにこそ問題を解く鍵があるでしょう。






映画『チップス先生、さようなら』(1939) 凡人になることの難しさ

2015年06月21日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

映画『チップス先生、さようなら』(1939) 凡人になることの難しさ


チップス先生さようなら英語ポスター学園ものの映画、『今を生きる』(1990)は、いまでも若い人の間で見られている映画ですが、1939年の「学園もの」、『チップス先生、さようなら』については知っている人は少ないようです。しかし、レンタルヴィデオ店には出回っているので、借りて見てみました。

当時の映画とて、現代映画のような映像や、「映画的時間」の工夫などはあまりありません。どちらかというと演劇的な要素が強い作品です。しかし、そこに描かれた、英国の一教員、チッピング、通称、チップス先生の教師生活の終始は、1939年でなければ理解できないという仕方で描かれているわけではありません。むしろ最近の映画の方がその時々の世相を知らなければ理解できないことに依存しているように思います。普遍的という言葉が自然と思い浮かびます。場合によっては1939年より21世紀の今の時代に生きる人により強く訴えるのではないかとさえ思えます。

『今を生きる』のキーティング先生は、天才です。それに対し、チップス先生は凡人です。いや、若いころは凡人でもなかったでしょう。この映画はチップス先生がいかに偉大なる凡人になるか、という過程が描かれていると言ってもよいかもしれません。


大学で学位を取り立てのチッピングは、ラテン語の学力、容姿ともに自信を持って就任することになります。しかし、ブルックフィールド校へ向かう列車のなかで、さっそく、泣いている新入生を慰めることができず、周りの生徒から疑いの目で見られます。

就任したてのチッッピングは、今で言う「学級崩壊」のようなことを引き起こします。そのあと、逆に厳しく出たために、、生徒をいたく失望させる場面も続きます。すっかり自信を失ったチッッピングには、さっそく教師を辞めなければならない危機が訪れます。辛くも教員しての道を歩み始めたチッピングは、しかし、必ずしも人気のある教師ではありませんでした。順当なら、出世コースの舎監(ハウスマスター)になるところ外されるという目にもあいます。

カメラは、失望の表情を浮かべるチッピングを捉えます。俳優には20代から80代までのチップスを一人の俳優に演じさせています。この映画で、『風とともに去りぬ』のクラーク・ゲイブルを押さえ。アカデミー男優賞を獲得したドーナットは終始抑えた表情で感情を表現します。最近の映画では激しい感情表現がなまのままで表現されることがありますが、この映画では、むしろ、抑えた表現であるからこそ効果的であることがよく分かります。英国の学校の特徴とされる体罰の場面もありますが、直接生徒を映さず、影だけで表現していることなども、この映画の表現の仕方が現れています。

ユーモアのセンスは英国の特徴だと言われますが、若きチッピングはまじめ一方で、ユーモアあふれる先生ではありませんでした。生徒に囲まれる先生を尻目に、チッピングが構内でそっけなくされる姿も映画は映し出します。


チップス 結婚転機は、アルプス旅行で知り合った女性と結婚し、生徒を自宅に招き暖かく接する妻から、ユーモアの大切さを教わることでした。厳格なチッピングが教室でラテン語の駄洒落を突然口にするので、生徒は大笑いです。チップスという愛称も妻にもらったものでした。この時からチッピングはチップスになります。

ところが、ユーモアのセンスは、出産に伴う妻の急死という悲しみに裏打ちされたものでした。しかもチップスは出世コースからは完全に外れます。たぶん、この頃からでしょう、心のなかにくすぶっていた野心と自信の炎がすっかり消えます。つまり、チップスは「凡人」になるのです。しかしそれと時を同じくして、生徒の間でチップスは尊敬惜く能わざる存在になるのです。

チップス 出席高齢になったチップスは退職勧告を受けることになります。そのとき、新任のヘッドマスター(校長)は、チップスの破れたガウンが構内の笑いものの種であること、ラテン語の新しい発音を導入しない点をなじります。それに対しチップスは、激昂し席を立ちます。こう言いながら...。(下に訳があります。)


-I know the world's changing, Dr. Ralston. I've seen the old traditions dying one by one. Grace, dignity, feeling for the past. All that matters today is a fat banking account. You're trying to run the school like a factory. . .. . .for turning out moneymaking snobs!

You've raised the fees, and the boys who really belong to Brookfield have been frozen out…, frozen out. Modern methods, intensive training, poppycock!

Give a boy a sense of humor and a sense of proportion, and he'll stand up to anything. I'm not going to retire. You can do what you  like about it.

「世界が変わりつつあるのは承知しています。ラルストン博士(校長)。古い伝統が一つ一つ死に絶えているじゃないですか。優雅さ、尊厳、過去への感覚。今、重んじられてるのは銀行にどれだけ金があるか、だけでしょう。あなたは学校を工場のように運営しようとしている。金儲けだけの俗物を生産しているんですよ。

学費を上げましたね。その結果、ほんとうにブルックフィールドにくるはずの生徒があきらめて、入ってこないのですよ。「現代的方法」ですかね。集中講座?、くだらん!。

少年にユーモアのセンスを教えるのです、均衡の感覚を身につけさせるのです。そうすれば、その子はどんな困苦にも立ち向かっていけます。私は辞任しませんよ。好きなようにしてくれ!。」


チップス 冒頭幸いにして、このころになると人望が集まっているチップスには、理事会も生徒も辞任に反対する声を上げます。あと5年はブルックフィールドで教えることなります。が、とうとう辞任の時期を迎えます。その頃になると、時代は急変します。ヴィクトリア女王の崩御、電話などの近代的装置の導入。なにより第一次世界大戦が勃発します。いったんは辞任したチップスは、人手不足のため呼び戻され、終戦まで校長代行を努めることになります。校長になる野心をもって就任したチップスですが、そのキャリアーの最後には、「校長代行」という、ある意味で「凡人」してのチップスにふさわしい地位を受け入れることとなります。

戦中、校長代行としてのチップスの言動はこの映画の山場です。戦争という人の感情を揺るがす怒涛のなかで、チップスの感情と言動がどう描かれるかDVDでご覧ください。

この映画の最後は、死の床にある孤独なチップスが、いや、周囲の人が孤独だと哀れんでいるチップスが、それらの人々に対し、I have thousands of children. All boys...という場面です。

チップスとコリー終わりの少し前ですが、チップス宅を訪れたコリー少年が去るときに、「チップス先生、さようなら」というせりふを残します。これが、映画の、あるいは原作のタイトルになっています。この少年は誰か。コリー少年は既に「学級崩壊」の主謀者として1870年に現われているではありませんか。ここに映画制作者のメッセージが現れています...。

ところで、ここで映画における「メッセージ」について一言。

映画における「メッセージ」とは、概して、映画を破壊しかねません。プロパガンダ映画が少数の例外を除いて無残なできになっているのを見れば分かることです。しかし、その「メッセージ」がある種の普遍性を持てば、その映画は時代を超えて残ることになります。この映画のなかには、次のようなテーマを見つけることができます。

生徒の騒動、 戦中の不服従、 敵への感情、 悲しみとユーモア、 危機とユーモア、 近代化と伝統

これらは、どの時代においても文芸作品や映画に、葛藤のテーマとして描かれうる主題です。しかし、そこに別の主観が入ると逆に、偽善性が目だつ主題でもあります。この映画ではそれらの描写に成功してるかどうか、これも皆さんが判断してください。

若きチップスとコリーところで、この映画が作られた時代、社会の特殊状況が反映されている部分もあります。つまり、「普遍的」でない部分です。その一つが、「チップス先生、さようなら」の、コリー少年です。コリー少年は、1870年に教室で暴れたコリーのひ孫という設定なのです。1870年のコリーも、「チップス先生、さようなら」というコリーも同じ俳優が演じているのです。ここに映画制作者のなんらかのメッセージが示されていることは明らかです。

チップスは4世代のコリーを教えているのですが、今の学校で、一人の教師が4世代にもわたる一家の出身者を教えるということがあるでしょうか。その点をとれば、これは「普遍性を欠いたメッセージ」と言うことができるでしょう。英国の上流階級の学校を描いた映画であって、民主主義の現代には合わないという意見も聞こえてきそうです。現代の学園ものでは、非行やモンスターペアレントが描かれることになるでしょう。1939年の映画制作者もたぶん、そのことはすでに分かっていたと思います。多くのアメリカ人からは冷たい反応を受けたかもしれません。しかし、それにも拘わらず、「変わらぬもの」があるということを示したかったのでしょう。


「変わらぬもの」は「普遍的なもの」とは一味違うようです。チップス先生は、『今をチップス生きる』のキーティング先生と違って、教科書を破る挙には出ません。ここでまた、皆さんに問いかけます。このような「変わらぬもの」は映画にして訴える価値があるのでしょうかと。それとも、時代遅れか。

製作者は、映画の冒頭で、老教師が若い教師にこのように語りかける場面を見せます。製作者のメッセージは明らかです。

We're in the heart of Englind, Mr. Jackson, and it's a heart that has a very gentle beat.




 

 


教育:Sさんの逝去に思う 日本型ノブレスオブリージュ

2014年10月05日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

教育:Sさんの逝去に思う 日本型ノブレスオブリージュ

Nobless obligeSさんは、今年7月92歳で亡くなりました。旧制第一高等学校から東大を経て、戦後エネルギー関連の企業で活躍し、とりわけ、日米関係にかかわることが多く、駐米生活は20年近くにもなるでしょうか。

私がSさんにお会いしたのは定年退職後、上智大学の社会人向け英語講座で、ともに「英会話」を学ぶ仲間としてでした。年末には仲間をみな、六本木のアメリカン・クラブに招いてくださるのが恒例でした。

職を退いた後も、英語、歴史、源氏物語の学習に倦むことなく、最晩年の病床においても英語の文献を離さず、医師と喧嘩をしたそうです。この世代の方には、このようにある種の理想主義、悪く言うと「教養主義」というものがあって、揺るがぬものが芯に備わっている方が多いような印象を持ってきました。「そこが戦後世代と違う」という色眼鏡で見ている可能性もありますが...。

小島慶三もう一人、私がよく知っていた方は小島慶三さん。2008年に91歳で亡くられました。戦中に企画院でエネルギー政策に関わり、戦後通産省を経て、日本精工で活躍される傍ら、我が国の農業問題について多くの書を著された方です。埼玉の羽生市の足袋作りの家出身の秀才だったそうですが、「笈を背負い、」とご本人が生前、語っておられたように、故郷の期待を一身に受けて東京商科大学(現在の一ツ橋大学)へ進学されたのでしょう。

小島さんも、晩年失明されてからもなお、教え子の奥様に朗読してもらいながら最新の経済学などの勉強に励んでおられました。

こうした個人的な知己から得た経験により、私なりに日本型ノブレスオブリージュについて、「社会学的」な仮説を立てていました。彼らは、単に秀才だったというのではなく、田舎に勉強はできるが金銭的事情で進学できない人間を多く見て、進学できる幸運を噛み締めていたのではないか、と。戦後の、今に至る学歴エリートは、自分の地位は自分の力で得たと思っているのに対して、Sさんや、小島さんは、ある種の「負い目」というものを持ち、これが、選ばれし者の義務、つまり、ノブレス・オブリージュの意識を形成したのではないか、ということです。このブログによく登場する木下是雄さん(今年92歳で逝去)が書かれたエッセイにもそのことを感じさせる作品があります。

そんなことを考えて、あまり実証的ではないけれど...、などと思っていたら、まったく同じ意見を、社会学者が述べているので、我が意を得たり、というか、驚いたのです。少し前になりますが、産経新聞の『正論』欄に、竹内洋さんが書かれていました。以下に生々しい描写があります。

旧制高校帽子 それは、すでに旧制中学生のあたりに芽生えていた。街で丁稚(でっち)姿の小学校の同級生に出会う。勉強はできたが、貧乏ゆえに進学できなかった同級生である。丁稚となった同級生は、「恥ずかしい」姿を旧制中学生の元同級生にみられたくないと、隠れるようにして走り去る。彼は同級生の丁稚姿と自分から逃げていく様子に、恵まれなさゆえに苦労する多くの大衆の姿を重ねた。そして恵まれたがゆえにインテリやエリートになっていく自分に負い目を感じていく。

こういう経験を経て共産主義者になる人もいたのでしょう。一方で、家族、親類への義務から「主義者」には距離を持った方が多くいたのではないかと思います。下の話も印象的です。

いまでもこのようなエリートをめぐる文化がなくなったわけではない。私が尊敬するある経営者が、亡くなった同期の元同僚の思い出を語りながら、私にぽつりと言った。「彼が生きていれば、自分のようなものが今の地位にあるはずはない」。

竹内さんは、そのあと、こう続けます。

丁稚 店しかし、エリートを取り巻く環境は大きく変わった。進学競争は完全競争に近くなり、死者との共感も薄くなった。大衆は苦労する無告の民から自己の権利と主張に急なクレーマーと化した。弱者への負い目感情を醸し出した構造が消滅した。

竹内さんは今後のことについては述べていません。過去への哀惜の念にしかすぎない、という批判もあるかもしれません。しかし、社会学がほんとうに意味を持つためには、このような、「実証的」かどうか分からない、個人的経験による直観が元になければならないのではないかと思います。そのなかには、哀惜の念も含まれるでしょう。

今回、最後でテーマが別の方向に向かいそうなところで終わることになりました。しかも、竹内さんのエッセイに寄るとこ大でした。


註1:エリート律した「負い目」の喪失 社会学者 関西大学東京センター長・竹内洋 産経新聞『正論』 2014年5月26日

註2:ノブレス・オブリージュ:フランス語起源の英語。Noblesse oblige。直訳すると、「高貴であることは義務を課す」。主語+動詞の形の表現です。英国の上流階級の心構えを語る際によく使われる表現です。英国では、第一次世界大戦の死者の中で、上流社会の若者が占める割合が高かったということも、ノブレス・オブリージュに触れる際、よく語られる。