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外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

伊藤博文はどれくらい英語ができたか。2/3

2016年09月18日 | シリーズ:日本人の英語

 

伊藤博文はどれくらい英語ができたか。2/3

 4カ国連合艦隊の攻撃前には、伊藤は英国公使、オールコック、通訳、アーネスト・サトーと交渉し、戦後の講和交渉では高杉晋作の通訳を務めました。その後も、武器取引、外国人殺傷事件の通訳、交渉係を担当する間に、1968年の明治維新を迎えます。

1864年の第一次長州征伐に際しては、「私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、一番に高杉さんの元に駆けつけたことだろう」と語っています。逆に言うと、その後の維新の動乱を通しても、英雄的な活躍はあまりしなかったということです。歴史には、アイゼンハワー米国大統領のように、戦時の英雄が戦後リーダーになる例が多いのですが、伊藤が総理大臣になった経緯はまったくそういうものではないようです。 


岩倉使節団維新後の海外渡航は頻繁です。1870年から71年にかけては貨幣制度調査のために渡米、1971年11月には、岩倉使節団の一員として再渡米。31歳の伊藤は、サンフランシスコで、「日の丸演説」と呼ばれる演説を英語で行いました。これが文書で残されている伊藤の英語力の、最初の証です。

以下は、1,200語からなる原稿の一部です。教科書のような模範的は英語です。 

Within a year a feudal system, firmly established many centuries ago, has been completely abolished, without firing a gun or shedding a drop of blood. These wonderful results have been accomplished by the united action of a Government and people, now pressing jointly forward in the peaceful paths of progress. What country in the middle ages broke down its feudal system without war?

「過去数世紀にわたって確立していた封建制度は、1年以内に完全に廃止されました。その間、一発の銃声もなく、一滴の血も流されませんでした。このすばらしい結果は政府と人民による共同の作業によって達成されたのです。今や、政府と人民は力を合わせて進歩を平和裏に達成することに余念がありません。世界のどこに、戦争を経ずして、中世の時代にあった一国がその封建制度を打ち破った例があるでしょうか。」 


イギリス公使館のフランシス・アダムズは「伊藤の英語は流暢だった」と述べています。ワシントンの日本代表部職員であったCharles Lanmanは『伊藤博文伝』で、「歓迎の辞に応えて伊藤副使ははっきりとした声で次の答辞を述べたので、聴衆はその言わんとするところをよく理解できた」と述べています。ネット上の記事を読むと、ナショナリスト的な気分での、「よくやった」という趣旨の論評がほとんどですが、まれに、「まあ、たいしたことはなかった」と言う意見も見つかります。原稿作成においては、Lanmanら、米国人との共同作業が行われたと思いますが、常識で考えますと、やはり、かなり上手に話せたのではないでしょうか。

若い伊藤博文そう考える理由は二つあります。一つ目の理由は、長州ファイヴ、英語での交渉、米国視察など、密度の高い英語経験があるということ。『福翁自伝』にみられる福沢諭吉の英語学習経験よりも、さしせまったものがあったでしょう。福沢の英語学習はあくまで知的探究心が原動力でした。

もっとも、海外経験が多くても、学習動機が少ない人は外国語能力が伸びませんが(特派員や外交官にそういう人が見られます)、若い頃から、そして、首相になったあとも英語学習の動機が大変強かったことを考えると、この時点で、大観衆を前に英語で演説をする自信がついていたことに不思議はありません。安倍首相も、米国議会での演説では、英語能力には不足はあっても、達人といわれた宮沢喜一などより、ずっとコミュニケイション能力を発揮したようですが、100年以上前の伊藤の演説の意義は、それと比べてみるとより分かります。

 演説は以下のように結ばれています。「日の丸演説」と呼ばれるゆえんです。

"The red disc in the centre of our national flag shall no longer appear like a wafer over a sealed empire, but henceforth be in fact what it is designed to be, the noble emblem of the rising sun, moving onward and upward amid the enlightened nations of the world." 

Page 16. The Japanese in America by Charles Lanman  London : Longmans, Green, Reader and Dyer. 1872.

「私どもの国旗の中心に位置する赤い円形、これは、もう、わが帝国を封筒に押し込める赤い封蝋には見えることはなく、昇る太陽を象徴する高貴な刻印という、元来の意味として人々の目に映ることになるでしょう。これからは、世界の文明国に伍して、前進し、向上する旭日を意味することになるでしょう。」

3/3へつづく


伊藤博文はどれくらい英語ができたか。1/3

2016年09月18日 | シリーズ:日本人の英語

 

伊藤博文はどれくらい英語ができたか。1/3

伊藤博文伊藤博文が総理大臣になれたのは、英語力があったからだ、とういのは定説のようです。1885年(明治18年)、内閣総理大臣を選ぶ際、太政大臣であった三条実美を押す声も強かったにも拘わらず、井上馨の「これからの総理は赤電報(外電)を読めなくてはだめだ」という意見に、山県有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成することで、伊藤博文が選ばれたと言われています。

しかし、どの程度英語ができたのでしょうか。中学英語に毛の生えた程度だという人もいます。そこで、ちょいと調べてみました。

(お断り:出典については、まだ確かめていない点も残っています。)

 まだ、維新の表舞台に登場するずっと前から、伊藤は熱心に英語を学習していたようです。1858年から1859年にかけて、長崎の長州藩邸に住み込みながら、英語の特訓を受けたそうです。久米正雄『伊藤博文伝』(1931)には、グラバー邸で伊藤にあったドイツ人、トロチックが伊藤について触れているそうです。伊藤は」下手な英語で遠慮しないで話しかけてくるのでトロチックは当惑した」そうですが、「イトーは進んで外国人に接近したので英語が驚くほど進歩した。」と書いてあるとか。英語の本を読みながら長崎を散歩する姿をトロチックはたびたび見かけたそうです。

長州ファイヴ 1963年には、先ほどの井上馨の推挙によって、長州ファイヴの一員として英国へ留学することが叶います。幕府はまだ海外渡航を禁じていた時代です。途上、上海で船を乗りかえる際、「何を学びたいのか」との問いに、navy(海軍)というべきところ、navigation(航海術)と言ってしまったから(だそうですが)、英国まで水夫使いされて、それはひどい目にあったと、伊藤も後で述懐しているそうです。後の時代でも、高橋是清は、奴隷として売り飛ばされたのですから、当時としては不思議なことではなかったのでしょう。

 4ヶ月かけてロンドンに到着後、当時、国籍を問わず学べた唯一の大学、ユニヴァーシティ・コレッジ・オヴ・ロンドンで、英語、化学、数学など、英語で授業を受講、滞在先の、化学者、ウイリアムソン宅でも礼儀作法、英語を学びながら、ロンドンの博物館、工場、海軍施設などで見聞を広めました。この間、約6ヶ月。薩英戦争の報、4カ国連合艦隊の長州攻撃近しとの報道に接し、急遽、帰国することになります。

 この時期までの伊藤の英語力についての記録は見つけられませんが、上のとおりに英語経験を積んでいるとすると、そうとう英語力がついていると推定できます。中学英語レベルは超えているでしょう。

2/3へつづく


バーナードさん、「英会話は存在しない」から、別の記事へ。

2015年09月02日 | シリーズ:日本人の英語

バーナードさん、「英会話は存在しない」から、別の記事へ

英会話1

前編の記事

辞書学者、バーナードさんの「英会話は存在しない」の皮肉が分かる人がどれだけいるのか、という心配が頭をもたげます。日本に住む外国人は、よく見当違いの「日本批判」を行うことがありますが、一方、日本社会から一歩距離を置くことで、日本人の社会心理をよく言い当てることもあります。「英会話は存在しない」は、後者の典型だと思います。

数日前、読売新聞の夕刊に載ったエッセイに、この社会心理現象の傍証になる記述があったので紹介しましょう。著者は英語が話せ、外国人とも頻繁に話す方です。一対一ではなく、一つのグループに外国人と日本人が混ざっておしゃべりをしている場合を取り上げています。そういう場合、日本人同士が話すときは日本語になってしまうという例でした。そして、さらに言うには、日本人同士が英語で話すときは、気恥ずかしさを感じるということでした。「こっぱずかしい」などという表現を用いていたと思います。さらに進めて、このようなことを書いています。著者がヨーロッパに出かけたとき、非英語圏の数人と会話をする機会があったそうです。その場では、著者のみが英語しか話せないという状況でした。その際、著者を気遣ってほかのメンバーはみな英語で話したそうです。著者によれば、さすが欧州人は外国語の扱いに慣れていると。

私にもそういう場を経験したことが何度もあります。日本人は、日本語のできない外国人をほったらかして日本語で会話する傾向があります。なんでその外国人を孤立させるのかと私は思い、なるたけ、おぼつかない外国語で話したものです。

ABCここで気になるのは、「こっぱずかしい」と感じる心理です。この心理が著者だけなく、多くの日本人に共通するものだとしたら、これはある社会心理を物語っていると言えないでしょうか。

外国語で話すということが、意思の疎通を図るというだけでなく、何か特別の感情を伴うということです。数十年前ですが、パリなどに旅行する日本人は、日本人と会っても挨拶せず、目をそむけると言われていました。今はどうか知りませんが、その心理と同じものではないでしょうか。

「英会話」というのが、意思の疎通だけでなく、それ自体がある価値を持ったものだと見なされているのです。その価値は、「虚栄心」と呼ぶものと似たものでしょう。ですから、相手の日本人が自分に英語で話しているのを見ると、自分の虚栄心を鏡で映して見たような気がして、「こっぱずかしく」なるのでしょう。

パリの日本人バーナードさんが、「英会話は存在しない」と言ったときの「英会話」にはそんなイメージも含まれているのではないでしょうか。意思の疎通ではなく、ある種の自己満足のために行われているのが「英会話ブーム」であると。しかし、バーナードさんは単に日本人を皮肉っているだけではなさそうです。虚栄心という内向きの感情に捉われていると、正確に理解し、正確に伝えるという言語の本来の役割がおろそかになると警告しているのではないかと思います。

私がここで一言付け加えるとすれば、日本人の「気配り」とか、「おもてなし」とかは本当なのかな、という疑いです。もし隣にいる日本人に気取っていると思われたくないというエゴに捉われて、会話のグループにいる外国人を疎外するのは、むしろ、気配りが欠けている、ということではないでしょうか。

最近は、そういうことは少なくなったのでしょうか。パリの日本人観光客どうしも気軽に挨拶を交わせるようになったのでしょうか。

 

 

 

 


C・バーナード「英会話なるものは存在しない」の痛烈な皮肉

2015年07月18日 | シリーズ:日本人の英語

C・バーナード「英会話なるものは存在しない」の痛烈な皮肉

(この記事、2018年9月に小見出しを付けました)

昔から、日本人ねたのジョークというものがたくさんあって、そのなかでも特に有名なのは以下のものです。

沈没船ジョーク船が難破して、船長は乗客に船から海へ飛び込むよう要請したい。ドイツ人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、日本人の各乗客に船長はなんと言うか。

ドイツ人には、「命令だ、飛び込め」と言う。イギリス人には、「紳士なら飛び込め」という言う。アメリカ人には、「保険に入ってるからだいじょうぶだ」。フランス人には、「飛び込むな」。日本人には「皆さん飛び込みましたよ」。

英会話ジョーク

英語関連でも、いろいろあるようですが、昔、アメリカ人から英語を習っているとき、「君は、英検一級を取っていないから英語を話す資格ないのだ。」などというのが受けていました。

辞書学者のクリストファー・バーナードさんの、「英会話なるものは存在しない」というのもそうとう痛烈なジョークです。しかし、あまりに痛いところをついているので、その真意を理解しない人も多いようです。なんでおかしいの、という反応が返ってきそうです。

ジョークがなぜおかしいのか説明するほどユーモアのセンスが欠けている振る舞いはないと承知しながら、説明を試みましょう。この説明は、統計的、実証的なデータに支えられているものではないですが、私も数十年日本国に暮らしている経験から或る程度信憑性はあると思います。

福沢 米少女

福沢諭吉の時代の英語学習

遡ること150年、福沢諭吉たちが、オランダ語を捨てて、英語の学習に没頭していた頃のこと、言語、または言語学習は、読む、書く、聴く、話すの4つから成り立っていて、相互に関連するという常識は生きていました。それら4つのうちから、その時々の必要に合わせて軽重を考慮して学習していたようです。

リーディング中心の英語学習へ

明治期になってからは、工業、軍事の急速な成長を達成するために、ともかく英語を読む必要がありました。ですから、大学へ進む当時のリーダ(leaders)たちはリーディング(reading)を中心にしたのです。『我輩は猫である』の主人公の苦沙弥先生も「リッドル」の先生でした。必要があってリーダー(reader)を中心にしているのであって、必要とあらば英語を書くし、聴き、話すこともするでしょう、という常識は働いていたと思います。「英会話」がなにか特別なものという意識はなかったのではないでしょうか。

戦後の大衆的英語教育も明治期のまま

ところが、大学へ入る人の数が第二次世界大戦後、爆発的に増えたにも拘わらず、大学での英語は富国強兵時代のエリート教育のままでした。ということは、大学入試もリーディングが中心で、それが高校、中学へも広まっていくということを意味します。あるときまでの受験生は、学問習得のためだからリーディング中心の試験は当然だと思っていたし、外交官や商社員になる人は口語も学びました。単に用途が違うということで、相対的に見ていました。

苦行としての英語学習が生み出した錯誤

ところが、「爆発的増加」というのは社会に何も起こさないということの方が不思議で、「英語学習」にもおかしな変化がおきたようです。それは、教育のあまり高くない社会層(ま、私の場合のような)から急速に高等教育に参入してきた人々、つまり大半の大学生などに見られたのです。それは「英語」というものはなんだか難しいが、大学受験に必要なものだから学習するというものです。そこには、海外の文献を読むためという意識もなければ、さらに、英語が言語、つまり意思伝達の手段(言語にはそれ以外の目的もありますが...)だという意識もなかったようです。

学校の英語せめて、英語が言語だという意識があれば、文字と音声はちがうけれど両方大事だよね、という意識が生まれるのでしょうが、大学受験のための苦行としか考えていない人たちにとっては、「では英語で話してください」と言われると、今までの「苦行」はなんだったのか、というある種、"resentment"(憤慨)のような感情が生まれます。「6年間学んだのに話せないとは何事だ、○○のせいだ」という巷間、よく口にされる言葉に代表される意識です。

そういう人たちは、基本的に書物を読むという習慣もあまりないので、文字であれ、口頭であれ、何かを伝えるため、理解するため手段だという意識が乏しいです。「英会話」というのは、「学校で教えない」、全く異質な、ある能力であって、これまた、金を出し手に入れないと生活に差し支える、という目で見る傾向が強くなってきたのです。皮肉を言って申し訳ないですが、そういうふうに思う方は学校で英語をちゃんと学んでいなかった人が多いように思います。

英会話バーナードのジョークの意味

じつは、バーナードさんが指摘しているのは、このような日本的な、特別な「英会話」のこと、あるいは、口語英語に対する日本人の屈折した態度のことです。利に敏い商売人が、「英会話」というだけで商売になるということを悟るには時間がかかりませんでした。言語教育は、元来とりわけ商売のねたになるような性格のものではないのですが、日本人の弱みにつけこんだ(若干、差しさわりがありますが)というわけです。このコンプレックスがある限り彼らはお金を儲けることでしょう。たぶん、そのような商売人はそのことを自覚していると思います。「日本へ行けば、浮ついた宣伝でどしどし儲かるよ」、と。その意味で、じつは、バーナードさんの、本質をついた言葉は、彼らにとって迷惑千番でしょう。バーナードさん、駅のホームに立つ時は最前列はよしましょうよ。あ、ちょっと言い過ぎましたか。

バーナードさん関連、続編へのリンクです

 


再び、ピーターセンの新著から:現行の中学の英語教科書の問題

2015年03月14日 | シリーズ:日本人の英語

再び、ピーターセンの新著から:現行の中学の英語教科書の問題

 

教材作りで忙しくしばらくブログを放置しておいたら、「広告」が入れられてしまいました。その広告は、私と意見と相容れないものなので、これはいかんということで、これから毎週末には書き換えるようにします。

ピーターセン なぜ間違うのか玉大の冬学期に、ピーターセンの新著、『日本人の英語はなぜまちがうのか?』を取り上げて、この書に書かれていることの重要性を強調しました。

前回に触れたように、中学の教科書が間違っているということは由々しいことです。毎年大学受験のシーズンになると入試問題の誤りを指摘する記事が新聞にでますが、ことの重大さにかんしては、ピーターセンが指摘する点の方が比較にならないほど大きいと思います。大学入試で、出題の間違いによって被る被害は軽微なものです。出題の間違いが原因で試験のやり直しをするなど、無駄としか思えません。何人か被害を被った受験生がいたとしても、雪で転んで受験できなかったのと同じように、運が悪かったとして諦めていただいた方がよいでしょう。

ところが、語学学習の特異性から考えて、最初に触れる教科書の文が誤っているとその先ずっと学習者に悪影響を与えることになります。しかも全国規模で。数学など、他の教科と英語が違うのはその点です。他の教科では、なんらかの間違いがあっても、他の部分、後の学習で修正されやすいものですが、英語の教科書の最初の例文は、これからの学習の土台として、頭に定着するものです。学習者の「頭を修正する」ことはとても困難なことです。

ピーターセンは仮定法(subjunctive)を使うべきところで、仮定法を使わない例をいくつか挙げていました。ただでさえ、仮定法が、非欧米語である日本語を母国語とする人間にとって習得が難しいことを考慮すると、この問題がいかに大きいかが分かります。ピーターセンが挙げている教科書の文章の一つは以下の一節です。

Interviewer: ... Why did you stop singing?

Agnes: Because I wanted to study child psychology. It was very hard for me to be a singer and a student at the same time. So I decided to be a student.

まだ、歌手と学生を両立させることをしているわけではないので、仮の話として以下のように書く必要があります。

It would have been very hard for me to be a singer and a student at the same time. 

もし、学習指導要領に違反するということで、中学三年の教科書に仮定法を登場させることができないとしたら、仮定法が出ない話にすればよいと、常識は教えるわけですが、なぜ、こうした無理のある文を書くのか。日本人が英語をかってに変えていいのか。

どうも、日本人の発想の根底に「外国語は存在しない」という無意識的な前提があるのではないかと思いたくなります。「外国語は存在しない」ということは、「他者は存在しない」ということに通じてはいないでしょうか。そうだとすると、これからの日本人の外国語学習、また、もっとひろく外国人との付き合いにおいて、つまり外交において、いろいろな問題を引き起こすかもしれません。

いや、可能性の問題ではなく、実際、外国との言語のやりとりで日本人が外交上大きな失敗を犯した例があります。それは、次回に触れることにしましょう。

それから、もう一つ、先ほどのアグネスの一節の最後に、

So I decided to be a student.という文がありましたが、ピーターセンは冒頭のsoを取り除いています。これまた、大きな問題提起なので、追って、扱う予定です。

毎週末、更新をするよう努めましょう。