鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

連載中の「ぷらっとウオーク」などをまとめました。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・地球を蹂躙する人間(*)、土佐の叡智は(〇)

2016-12-15 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

地球を蹂躙する人間(*)、土佐の叡智は(〇)  

                                       情報プラットフォーム、No.351、12(2016)

 エッセイ「ぷらっとウオーク」を初めて本誌に書かせていただいたのは2000年5月(No.176)であり、14年を越えて続き、その合計は175編に上る。この最終稿では表題のように(*と〇)で集約してみる。

 

*行く川の流れは絶えずして しかももとの水にはあらず よどみに浮かぶ泡(うたかた)は・・・久しくとどまりたるためし無し(「方丈記」、鴨長明著)⇒No.248{「エントロピー」では読んでもらえないか?}

*エネルギーが豊富な時、エネルギーを多く使う生物種が優位に立つが、エネルギーが乏しい時は、エネルギー消費が最小の種のみが生き残れる。(「豊かな石油時代が終わる~人類は何処へ行くのか」、日本工学アカデミー編、2004)⇒No.241 {この暑さは地球温暖化の影響か?}

*「マデイラ島(Madeira)」を「木の島」と訳すのは不適切。鬱蒼たる高木・巨木を樹木ではなく、金を生む木材としか見ることが出来なかった紛れもない証拠である。(「森と文明」、ジョン・バーリン著、安田喜憲訳、晶文社、1994)→三角貿易の帆船の建造⇒No.

239{自然遺産、マデイラ島の照葉樹林}

*他の世界から隔絶されていることを知っている島民であれば、小さな島の有限の資源に依存していることは百も承知していたに違いない。必須の資源を完全に枯渇させるまで消費し続けたのである。次第に未開状態に逆戻りしていった。(「緑の世界史」、クライブ・ポンティング著、石弘之訳、朝日選書、1994)→イースター島、モアイ倒し戦争⇒No.238{人口密度、50人/km2}

*今、我々が直面しているグローバリゼーションとは何か? それは持続可能なものだろうか? 違う。それは長期にわたって持ちこたえられるものだろうか? 絶対にそうではない。誰が新しい世界を建設していくのだろうか? それは地球に住む男と女である。彼らの武器は何だろうか? アイデアと意識の高さだ。それはユートピアなのだろうか? いや違う。(「帝国主義のグローバリゼーション」、フィデル・カストロの演説)⇒No.211{キューバを見たい}、No.302、{人間社会もメタボでなければ}

*永遠に続く登山というものはない。登った山は降りなければならないのである。(「下山の思想」、五木寛之著、幻冬舎新書、2011)→+経済成長率は続かない。⇒No.298{右肩下がりの下山の先は}

*私は、19世紀の喪に立ち会っているのだ。一つの時代が終わろうとしていた。(「ココ・シャネル 閉ざされた時代に自由の翼を」、NHKBS、2015)⇒No.330{あなたは二十世紀の喪に服したか}

*地球上には未開拓の空間も、搾取できる開発途上の対象もなくなりつつある。(「資本主義の終焉と歴史の危機」、水野和夫著、集英社新書、2014)⇒No.330{あなたは二十世紀の喪に服したか}

*動けない植物は、動ける動物以上に、この地球上で繁栄している。何処にでもある太陽光、炭酸ガス、水を資源とし、贅沢な機能を排除して、必要最小限のエネルギーで種の系統を維持する手段を選んでいる。(「植物の生存戦略『じっとしているという知恵』に学ぶ」、朝日新聞社、2007)⇒No.248 {『エントロピー』では読んで貰えないか?} ;No.201 {切り詰めて生きる}

*資本主義の致命的欠陥は、富の分配が公平に行えない仕組みであり、貧富の差がますます拡がっていくことである。(「21世紀の資本」、トマ・ピケティ著、邦訳、みすず書房、2014)⇒No.330 {あなたは二十世紀の喪に服したか}

*私たちは、今人類の歴史のなかで、最も「豊かな」生活をしていると思い込んでいる。昔の生活ときたらそれはひどかったと、皆がそう思っている。宮沢賢治はそうではないとはっきりと言っている。彼は自然を慈しむ目を持ち、自然に対して畏敬の念を持っていた。(「エントロピー」、藤田裕幸ら著、現代書館、1985)→人間になった人類が地球の破壊を始めた。⇒No.241 {この暑さは地球温暖化の影響?}

 

〇男女に定員を「割り当てる」クオータ制や、男女の「等価性を維持する」パリテ制を採用することで議会の男女比を保つ方法がある。→地方議会から⇒No.336  {本当の男女共同参画社会に向けて}

〇科学者であり文学者でもあった寺田寅彦のように、また何にでも好奇心一杯の牧野富太郎のように、柔軟性を持ってほしい。暗記一辺倒の受験勉強の仕組みの中で、受験科目を限定して文系・理系の概念ができてしまったのである。→固定観念の排除⇒Mo.282 {理系・文系は受験科目だけにしよう}

〇玄関から、直接、子ども部屋へ、書斎へ行ける間取りは最悪である。「ただいま」、「お帰りなさい」の家族間の挨拶が気軽にできる造りをイメージして欲しい。「頂きます」、「ご馳走様」、そして「おはよう」、「お休みなさい」の挨拶が家族を豊かに育ててくれる。挨拶の習慣はご近所さんを増やしていく。⇒No.236 {出会うチャンスが多い造りほどよい};No258 {モーニングって何です?}

〇「高知 広域・広領域 博物科学館」を創ろうとする提案である。点在する様々な領域の施設や企業活動を通じて、科学・技術だけではなく、歴史・文化に関わる活動にも広げたいのである。→ボランティアとしての地域活動、その組織化の一助にも。⇒No.316 {初夢 高知博物科学館ネットワーク}

〇土佐には無人島の鳥島で生き抜いた先人たちの事例がある。野村長平やジョン万次郎の生き方を調べてみよう。防災訓練は「逃げる」に集中しているが、その次に来る想定は、自然の中でご近所の方々と助け合って「生き延びる」である。⇒No.314{大災害後のサバイバルのために}

 

長年にわたりご愛読をいただいたことに、そして土佐の高知を私の故郷と認めて下さったことに、そして私に生き甲斐を与えて下さったことに感謝いたします。

 註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@gol.com 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

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高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ディープ・ラーニングの達成度、人工知能

2016-12-15 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

ディープ・ラーニングの達成度、人工知能  

                                        情報プラットフォーム、No.350、11(2016)

  最近の人工知能の開発と発展は目覚ましい。神経細胞の構造や動きをモデル化して、コンピューター技術に応用したものをニューロ・コンピューターと名付けている。このような人工知能(AI)には、さまざまなレベルがあり、「認識・思考過程を組み込んだ人工知能」、「多量のデータを処理できる人工知能」、そして「そのビッグデータから自動(深層)学習のできる人工知能」へと急速に進化している。これは「画像認識」、「運動の習熟」、「言語の意味の理解」と続くものである。その道のゲームの達人との対戦を見ても、チェスから将棋、そして囲碁へと複雑さが増すゲームに拡大して、人工知能が優位に立ちつつある。

 自動操縦の自動車が一般道を走行する時代はすぐそこに来ている。自動操縦の安定性・安全性は、運転を重ねる度に深層学習(ディープ・ラーニング)を繰り返し精度が上がっていく。しかし、自力で運転する喜びも温存しておく必要がある。「マナーを守ろう」の標語は無用となり、渋滞も解消するだろう。なお低確率であるが必ず発生する事故の法的安定性の確立が重要である。ドローンでの宅配便、豊かな心を持つ介護・介助ロボットの実用化もすぐそこにある。一方で、サイバー攻撃には、先制的に時々刻々と備えを確実にしておく必要がある。殺人ロボット兵器を作る残酷なサイコパスは身近に住んでいる。

 世の中のさまざまな物体(モノ)がインターネット機能を持ち、相互に連結した仕組みを「モノのインターネット(IoT)」と呼んでいる。これは脳神経の構造を模したアルゴリズムなのである。神経回路網(ニューラル・ネットワーク)は神経細胞(ニューロン)と神経細胞の接合部(シナプス)でできており、これらは多層化され、複雑に接続している。人間の「認知」と「行動」の仕組みを情報処理システムの観点からから考えてみる。目や耳などの「感覚」器官で受けた情報(意識)は、普遍的な判断基準を加えて「知覚」される。さらに経験や学習に基づく基準に照らして「認知」される。これらはさまざまな階層で「記憶」される。なお、記憶・記録の割り当ての場所は各段階に存在するが、詳しいことは不明である。

 手や足などの「運動(行動)」はそのレベルに応じて、起点が異なってくる。視覚空間と記憶空間の中を運動空間として身体運動を行うが、その判断基準はディープ・ラーニング(深層学習)の成果によるだろう。オリンピックの体操競技、例えば金メダリストの内村航平の演技を見ると、「知覚」による本能で即断演技をしているように思われる。「体で覚える」の表現は当を得ている。これに対して「豊かな感性」、「言語の理解」は脳のどの部分で、どのように培われているのだろうか。テレビ番組「プレバト!!」(MBS/TBS系)の俳句コーナーで、容赦ない毒舌で評価・添削する夏井いつきを見ていると、「知覚」、「認知」、「記憶」のすべてを活用して「磨かれた感性」が創造されているように思える。

 私の歩き始めの「すくみ足」を、意識改革によって解決する手段は前報で述べた。一方で、停止行動にも問題が出てくる。目的地の一歩手前で、手が先に出て、前のめりになってしまう。出入口のドア、これから座る椅子など、そこの到達点には目的がある。効果的な手順を即座に判断できなくなっている。

 現在のところ、神経変性疾患の有効な治療法はない。細胞病理学上の特徴は異常な構造の蛋白質の蓄積であり、これが情報伝達物質のドーパミンの十分な分泌を妨げていると考えられている。神経伝達物質を補うような錠剤(ドプス錠やドパコール錠)を服用している。病名は進行性核上性麻痺であり、進行を遅らせることしかないようである。大隅博士のノーベル医学生理学賞の成果(不必要な蛋白質を再生する機能)の実用化には時間が必要である。一方で、人工知能はディープ・ラーニング(深層学習)を重ねて、日を追うごとに知力・能力を増している。自動操縦電気自動車の普及はすぐそこである。ボディには優れたデザイン性が要求される。漫画王国高知の、中小企業こそ、ベンチャー企業こそが出番である。

 参考資料(人工知能など):

本誌、2016,6,No.345,P15  / 本誌、2016,7,No.346,No.346,P16

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ディープ・ラーニングの破綻、脳の機能

2016-12-15 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

ディープ・ラーニングの破綻、脳の機能   

                                           情報プラットフォーム、No.349,10(2016)

  私が「進行性核上性麻痺」と診断され、「要支援2」の認定を受けたのは2015年5月である。この病気は「神経変性疾患」の中の「パーキンソン症候群」の一つに分類される。これは先に{急速に『老人力』が増しているこの頃}(本誌、No.337、10(2015)で述べた。神経変性疾患とは認知症の原因となるアルツハイマー病(AD)、運動障害を引き起こすパーキンソン病(PD)、全身の麻痺を発症する筋萎縮性側索硬化症(ALS)などである。それぞれ侵される場所は、ADでは海馬の神経細胞(ニューロン)、PDでは黒質ドーパミン神経、ALSでは脊髄運動ニューロンである。

 進行性核上性麻痺の症状の特徴は、運動障害(すくみ足、易転倒性)、目の動きの障害(下向きの視線)、構音障害・嚥下障害、そして軽い認知症とある。発症から3年弱で車椅子、5年ほどで臥床状態になると記されている。まさに進行性である。私の現在の症状は「すくみ足」である。歩き始めの一歩が出ずに足が地面に張り付いたようになる傾向がある。最も気を付けるべきは転倒による外傷・骨折である。

 「足がすくむ」ときの状況を自己分析してみる。人の脳は、さまざまな情報を認知し、学習し、思考し、情感を育み、感性を磨き、理性を備えることなど、複雑な精神機能を受け持っている。生まれてからのディープ・ラーニング(深層学習)の蓄積が人柄・人格を形成する。運動のコントロールは、視覚からの現実の空間地図に加えて、時間的変動を含めた予測、過去の複雑な変化の記憶などに基づいて行われる。

 「歩く」動作の目的は移動であるが、同時に複数の用事が頭の中で働いている。「ことのついでに」と言える思考作業である。複数の事象を同時に考えられないことが「すくみ足」の原因の一つと思われる。例えば、通路の仕切り(床の模様・配色の区切り、部屋の入口の仮想的な仕切り)で足が出なくなる。共同トイレのように、何度も通路が直角に曲がる構造では、すれ違い衝突の可能性を心配するのである。過去のそのような経験を覚えているのかもしれない。親切に通り路を作って下さると「有難うございます」と言ったまま動かなくなる。親切に早く応えようとする焦りの結果であろう。

転倒による怪我の不安のため、日常生活での運動量がどうしても不足がちになる。筋力維持の運動は不可欠と感じて、週3回、半日のリハビリに通っている。この7月で満1年になる。ここでは、ラジオ体操第一およびみんなの体操、口腔・嚥下体操とパタカラ体操、マシンによるトレーニング(レッグプレス、ローイングなど6種類)などを行う。途中で、水、ジュースなどの水分が補給される。これらの運動の中で私の病状にとって有効と思われるトレーニングは、手首・足首の曲げ・回転運動、指先の曲げ伸ばし運動、顔面・口腔の運動、そして大きな声での発声訓練である。なお、自宅では、仰向けでの体操、特にお尻上げ運動をしている。前かがみになりがちの姿勢改善に効果的である。

 特質すべきは、いつも笑顔で迎えてくれるスタッフ、膝を落として、目線を低くして声を掛けるスタッフである。送迎車のドライバーも素晴らしい。シートベルトの確認や帰宅の際の玄関ドアまでの安全確認に見落としはない。「ストレスはたまりませんか?」、「家へ帰ってから腹が立つようなことにはなりませんか?」と尋ねても笑顔である。高齢者・障害者の感情を理解し、共感するという基本が守られている。高齢化が進む高知県で、平均寿命を延ばそうとする高知県で「笑顔」を増やし続けることが大切である。

 危険を察知する注意力は、生まれて以来、さまざまな経験を積み、情報を集めて、試行錯誤の末に脳に蓄積され、記録された私の能力である。私の病変は積み上げてきたディープ・ラーニング(深層学習)の部分的な破綻と考えられる。本能として先祖から受け継いだ危険察知能力は強く残っていると思われる。

 すくみ足を防ぐために、歩き始めの第一歩に心掛けていることは、「歩幅を大きく、踵(かかと)から踏み込む」であり、加えて「胸を張って偉そうな姿勢になる」である。颯爽と歩きたいものである。

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅵ)、孫たち

2016-12-15 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅵ)、孫たち   

                                    情報プラットフォーム、No.348、9(2016)

初孫の樹(たつき)君は大好きな爺ちゃんと婆ちゃんの居る高知に頻繁にやって来た。高知での樹ちゃんのことは、2歳の時は{好奇心}(高知新聞、閑人調、1998/9/24)で述べた。3歳の時のことがこの文章であり、8歳の時のエピソードは{杉の大杉}(本誌、No.213、6(2005))で、13歳の時のことは{スラグの粘性、溶岩の粘性}(本誌、No.284、5(2011))で知ることができる。現在は憧れの航空整備士を目指して、所沢の国際航空専門学校の航空整備科に在学中である。

新幹線       (記:2001/7/9)

「鈴木家は絶滅危惧種みたいなもの。だから、レッド・データブックに登録する必要があるのよ。長男の夏志のところに男の子ができなければ絶滅するよ」とちえ子が言っていました。私には弟が居ますが、女の子が3人です。「嫁の敦子さんに圧力を掛けるようなことを言っては駄目」が私の言い分です。ずいぶん古風なことを言うと思いましたが、もっとも、ちえ子の実家はすでに絶滅が確定しているのです。彼女の実家は夏志を含めて、男の子は外孫ばかりです。

昨年、ちえ子が病床にあるとき、その待望の内孫が生まれました。男の子です。「おばあちゃんに代わって、赤ちゃんによろしく伝えてね」と樹ちゃんは頼まれました。栃木県の小山市の産院にお見舞いに行くことになりました。明日は新幹線に初めて乗れると興奮気味だったようです。空港から樹ちゃんの待つ東京駅に直行です。東京駅のプラットフォームの南側に立つと、東海道、東北、上越の新幹線の入線する車両の全部を見ることができます。700系、MAX、あきたこまちなどよく知っています。樹ちゃんは興奮の極に達しています。

東京から小山まで、大満足です。産院で赤ちゃんと一緒に写真を何枚も撮りましたが、滞在時間は20分程度でした。帰りの新幹線のことばかり考えています。小山に止まらない列車が風を起こし、唸りをあげて通過します。「すげえ!」の連続です。帰り着いてみると、少し元気がありません。「おれ、新幹線、見過ぎちゃったよ。熱があるらしい」と額に手を当てています。

ちえ子はこの内孫の崚斗くんを抱けませんでした。心残りだったと思います。

交通標識     (記:2001/7./9)

  おばあちゃんが入院した昨年の夏、3歳の樹ちゃんは高知で暮らしました。アンパンマン・ミュージアムには何度も行きました。香北町谷相のハーブ園、遊園地わんぱーく高知、あちこちに見えるたくさんの風車も見に行きました。そして毎日、病院へお見舞いに行きました。

 車で出かける時は、助手席のチャイルドシートが彼の指定席です。突然「あれは何だ」と指さしします。何を指しているのか分かりません。また、「あれは何だ」、「どれのこと」。「あれだよ」の繰り返しです。ようやく分かりました。お年寄りマークでした。彼にとっては初めて見る標識だったのです。初心者マークのことは知っています。似ているが違うと思ったのです。高知では特に多く見かけます。一応の説明で納得しましたが、「おじいちゃんは付けなくていいの」と次の質問が来ました。

 5.0tとある禁止標識に気が付きました。「あれは50キロ制限じゃないよね」との質問です。「ここは弱い木の橋でしょ。だから5トン以上の重いトラックなどは、通行禁止なんだよ」と説明します。「おれ、こんなの見たことないぜ。東京にはないのかな」と生意気なことを言います。このような標識も高知ならではと改めて気が付きました。交通標識のこと、鉄道のことなら、何でも知っています。ミニカーを300台も持っています。建設機械にも詳しく、馬力を表す型番まで知っています。彼は好奇心の塊です。

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅴ)、たたら  

2016-12-15 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅴ)、たたら      

                                           情報プラットフォーム、No.347,8(2016)

  「第1回たたらサミット」が東京工業大学の永田和宏先生の音頭で、東工大大岡山キャンパスで1998年に開催された。「第2回たたらサミット」は1998年に名古屋大学の黒田光太郎先生のお世話で、トヨタ産業技術記念館で行われた。その時、「第3回たたらサミット」を高知工科大学で2000年秋に引き受けることが決まってしまった。大学の立地する土佐山田町は土佐打ち刃物の主生産地として栄えた場所であり、その地に開設した工科大では開学以来、学園祭で「たたら製鉄」を続けていた(註)。これが評価された結果だと思われる。しかし、何基の「たたら操業」ができるのだろうかと心配の種は尽きなかった。

高知のたたら製鉄(記:2000/12/29)

学園祭・刃物祭りの時は毎年、家内のちえ子は工科大の先生の奥様方とご一緒に商工会の焼肉会場でボランティアとしてお手伝いするのを常としていましたが、たたらサミットのときの焼き肉は他の人に任せて、サミットの方を手伝うと言って呉れていました。

高知工科大学NEWS LETTER(Flying Fish)に「6基の炉でたたら製鉄競演(大学祭、刃物祭りに併せて第3回たたらサミット開催)」の見出しで掲載されました。高知新聞も大きく報道してくれました。10月21日(土)の講演会では250人の教室は8割以上の埋まり方、土佐にゆかりの方々の講演や4件の操業事例報告がありました。地元の方々はもちろんのこと、日刀保たたらの村下(むらげ)を務める木原明さんをはじめとする、日本各地の資料館、博物館の方々の参加もあり、大いに盛り上がりました。

22日(日)は、地元の土佐山田商工会(山下哲さんを村下とする土佐山田商工会の鍛冶屋・刃物屋さん達)、高知工科大学(中村市の岡田光紀さんを村下とする工科大生達)、それに東京工業大学、鈴鹿高専の各1基、徳島大の2基の合計6基、タイプの異なる6基の炉の操業は圧巻でした。工科大の学生は、グループごとに各炉の担当を決めて、事前の打ち合わせ、機材の調達・運搬・操業支援を行いました。イベントは大成功でした。

全ての企画を陰で支えてくれたのは朝吹美恵子さんを代表とする黒鉄会の皆さん、東工大の永田先生、名古屋大学の黒田先生など大勢の方々でした。関係者の宿泊は大学のゲストハウスと国道を斜めに隔てた大学から至近距離の温泉宿でした。前日の20日には、その「夢の温泉」で明日からの本番の準備と打ち合わせをいたしました。日本刀剣保存会のたたら操業の見学をメインとする出雲への旅行の思い出話、明日からの「たたらサミット」への期待などお酒の入った前夜祭は大いに盛り上がりました。

しかし、私にとっては大変辛い日々となりました。各地からの客人の送迎に加えて、ちえ子が救急車で緊急入院したのです。一部の方には伝えましたが、「たたらサミット」に集まった方々に黙っていることは耐え難いことでした。その後、すぐに娘の葉子と孫の樹ちゃんが東京から駆けつけてくれました。9月半ばに退院し、バリアフリーに改造した我が家での車椅子の生活が始まったばかりでした。車椅子で「学園祭」や「たたらサミット」に連れて行くつもりでした。工科大のスロープを自力で上がるのを楽しみにしていたのです。車椅子に乗り移れる乗用車などのカタログも取り寄せました。土佐山田教会の中山仰牧師さんにお持ちになっているそのような仕様の車を見せて頂きました。車椅子で行ける観光スポットなども調べました。ちえ子もこのような旅行を楽しみにしていました。

ちえ子は21世紀の手前の12月16日に力尽きました。一緒に歩いていたのに、一緒に登っていたのに、そこまで来ている21世紀なのに、何故、何故と。

註:{たたら製鉄}・{出雲のたたら}、本誌、No.184、1(2003)

 

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅳ)リムジン

2016-07-16 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅳ)リムジン  

                                      情報プラットフォーム、No.346、7(2016)

お遍路さん   (記;2001/7/8)

 四国八十八カ所巡りを始めました。ある時、あるお寺で、風呂敷に大量の納経帳を包んで添乗員がやってきました。「急いでいますので先にお願いします」と順番待ちの列の先頭に立ちます。観光客はバスから降りません。何のためのお遍路なのか分からなくなります。でも、私たちも大差ないことをしているように思えてきました。車でお遍路を続ける熱意はなくなりました。この事件は、お遍路さんのことを真剣に考える糸口を与えてくれました。仕事から解放されて、時間が取れるようになったら、何回かに分割してでも、歩き遍路をやろうとちえ子と約束しました。

 クリスチャンの彼女に、お遍路に対して抵抗がないのか尋ねました。自分の信仰と矛盾はしないとの答えでした。観光の一つと位置づけているのか、登山のように私に合わせているのか、1400㎞を歩くことに魅力を感じているのか、信仰の中で許容できる範囲なのかなど、詳しく聞きたいことがたくさんありました。でも、それ以上の詮索はしませんでした。

リムジンバス    (記:2001/8/11)

 高知を出たのは2000年3月10日、成田発でサンフランシスコに向かいます。大学の駐車場に車を置いて、工科大発9:00の高知空港行きのバスに乗ります。このバスに乗ったのは私達2人だけで、片道料金は500円でした。

 ナッシュビル空港から予約しておいたレンタカーで、Opryland Hotelに向かいます。このホテルは迷子になるほど巨大で、トロピカル・ガーデンを囲んで2800室もの客室、たくさんのホールや会議室があります。TMS(米国材料工学会)の講演大会がここで開かれます。その中に「シャービー教授引退記念シンポジウム」があります。ここで私も講演発表をし、Sherby先生ご夫妻にお会いし、有意義な楽しい数日を過ごすことができました。

 帰りは3月18日にシカゴ発、19日に予定よりも相当に遅れて成田に到着しました。荷物の特徴を聞いたエアラインの係が、いち早く我々の荷物を取り出してきます。税関を通り抜けると、荷物を持って羽田行きのリムジンまで走ってくれます。羽田からの高知行きの最終便に間に合いました。高知空港発20;30の工科大行きのバスに乗ります。我々2人だけです。この3月の一か月間だけ試験運行している土佐電鉄のバスです。アメリカでの会議に出席する私達のために運行してくれたように思えてなりません。

 横浜の我が家は東急田園都市線のたまプラーザでした。我が家に帰るとき、羽田空港で新横浜行きのリムジンに乗り、そこから市営地下鉄、そして東急線に乗り換えます。札幌に住んでいた時も、高知に住んでからも、戻るときはその路線でした。2年ほど前に新規路線が開設されました。リムジンバスの運行が、羽田空港―たまプラーザ駅間で始まったのです。片道料金は1100円ですが、時には乗り残しがでるほどの盛況です。便数もどんどん増えています。時間帯によっては15分毎に出ています。

 首都圏と地方との格差が拡がっていく典型的な例に思えます。我々が度々利用したエア・ニッポンの高知―札幌便が廃止になります。テレビが今そのことを報じています。同じように淋しい話です。

 いま思い起こすと、アメリカからの帰り、高知空港から土電バスに乗ったのは夢ではなかったかと思います。ちえ子はバスを降りなかったのでしょう。ちえ子が乗り換えたのは、銀河鉄道バスだったようです。今頃、どこかの星座を走っているのです。

註)Stanford大学名誉教授、Oreg D.Sherby氏は2015/11/9に90歳で逝去された。文部省在外研究員としてスタンフォード大学に滞在中(1974~1975)に彼には家族ぐるみでお世話になった。

 

ご感想、ご意見、耳寄りな情報をお聞かせ下さい。

鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp 

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718     Tel 0887-52-5154、

携帯 090-3461-6571  

 

 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。     HN:鈴木朝夫

 

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こんな祝う会も・・・鈴木朝夫先生の叙勲を祝う会 


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

2016-07-16 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 (2017年~ )

 

 

No.351、2017年1月、・・・物部川流域から新春のお慶びを申し上げます 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

 

No.340、1月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅰ)   

No.341、2月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅱ)   

No.342、3月号、2016・・・ 「一人ぼっち」と「二人でお茶を」

No.343、4月号、2016・・・感謝です。私の三度目の退職

No.344、5月号、2016・・・御礼、七人の高知の恩人

No.345、6月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅲ)、プリティ

No.346、7月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅳ)リムジン

No.347、8月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅴ)、たたら

No.348、9月号、2016・・・土佐の高知にありがとう(Ⅵ)、孫たち

No.349、10月号、2016・・・ディープ・ラーニングの破綻、脳の機能

No.350、11月号、2016・・・ディープ・ラーニングの達成度、人工知能

No.351、12月号、2016・・・地球を蹂躙する人間()、土佐の叡智は()   

 

 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅲ)、プリティ

2016-06-28 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅲ)、プリティ 

                                            情報プラットフォーム、No.345、6(2016)

 年の初めと大型連休に民放のBSJで「プリティ・ウーマン」が放映された。十数年前とは異なり2人で鑑賞した。なお、今回はタイトルを元の「土佐の高知にありがとう」に戻す。

プリティ・ウーマン  (記: 2001/10/1)

 去年の今頃は、退院してきたちえ子と一緒に、この我が家で月を眺めていました。今年(2001)のゴールデンウイークの頃には、一茶の「名月や 膳に這いよる 子があらば」を思い、名月の季節は来ないで欲しいと願っていました。(註:ちえ子の命日は2000/12/16)

       去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は照らせれど

                  相見し妹(いも)は いや年さかる

と柿本人麻呂は詠んでいます。昨夜の高知には、大雨に関する注意報が出ていました。当然ながら、宵待の月は見えませんでした。

 そんな土砂降りの雨の夜に電話が鳴りました。「映画『プリティ・ウーマン』を見たことありますか。世間的には、まったく不釣り合いなと感じさせる組み合わせのところが、私たちの場合と少し似ています。今そのビデオを見終わったところです。返すまで一週間ありますから、是非見て下さい」という彼女からの電話でした。「見ていません。でも、『マイ・フェア・レディー』の現代版のように思いますが」と答えました。

 夜来の雨も午前中には上がっていました。仕事を終わっての帰り道、彼女のお店に立ち寄ってそのビデオを借りてきました。今日は中秋の名月です。座っている食卓から月は見えませんが、庭は昼間のように明るくなっています。ガラス戸に近づいて、軒先を見上げれば、月は煌々と輝いています。わずかに残っている雲に時々顔を隠します。少し左側が薄くなっているように感じられます。本当の満月は明日の十六夜の月なのでしょうか。

 コップに注いだビールを呑みながら、ビデオのスタートボタンを押しました。リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが主演と出てきます。10年前の映画です。プライドを傷つけられたまま、一週間の契約が終わり、報酬も受け取らず、憤然として高級ホテルを出ていくビビアン。フランス映画ならここで終わりです。そんなはずはない。でも、そうだとすれば、彼女は何を伝えたいのだろうと不安がよぎります。

 イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガートの「カサブランカ」、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」などの別れを思い出します。ホットしました。「プリティ・ウーマン」はハッピーエンドのアメリカ映画でした。

 見終わった丁度その時、「見ていますか。私の部屋から月が良く見えます」と電話がありました。「いま、『プリティ・ウーマン』を見終わったところです。月も見ています」、「如何ですか」。一緒ではありませんが、いま同じ月を見ている人が確実に居るのです。いま同じ映画を見て、感動を語り合える人がいるのです。この巡り合わせを作り出してくれた演出者に「有難う」を言いたいのです。そして、ちえ子さん、私たちを見守って下さい。

 「私は今も山に登っています。私は高所恐怖症ではないのです。花束を持って非常階段を上がるとき、びくびくしないと駄目なのですか」、「デンタル・フロスを使っていますか」、「あれよりもっと大きい双発のジェット機しかないのです。ボーイング767型で我慢して下さい」、「ロータスでないのは残念だけど今度のドライブでは、私のレガシー・ランカスターを運転してください」,「ユニクロやダイエーには、最高級の得意さんとして丁寧に扱うよう話を付けておきましょう」などと冗談が次々と出てきます。 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・御礼、七人の高知の恩人 

2016-05-22 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

御礼、七人の高知の恩人         

                                             情報プラットフォーム、No.344.5(2016)

 公的な立場での多様な出会いはそれとして、ボランティア活動に誘って下さった方々、その活動を通じて知り合った方々から、高知の豊かさや楽しさをご教授頂いた。”土佐の高知にありがとう“とお礼を申し上げる代表としてこの七人の方を選ばせて頂いた。

 沖野和賀子さん そして 沖野誠一さん,今戸道子さん

 高知に来てすぐの夏に、猪野沢温泉の吉井勇ゆかりの渓鬼荘に2泊した。この時が、沖野和賀子さんとご母堂の今戸さんにお会いした最初である。一枝との再婚に当たり橋本知事夫妻をお呼びしての披露宴を企画したのは和賀子さんである。{予定調和とは「赤い糸で結ばれていること」}、鈴木夫妻を祝福する会での挨拶(2002/11/2)。お嬢さんの沖野沙耶香さんは高知工科大学に入学し、卒業された。{高知工科大学の効果は大}

(本誌、No.297、6(2012)。また、一枝の実家の新築は沖野建築にお願いした。NPO牧野の森(くるくる五台山)、四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクトなどが活動の場となった。

 坂本耕平さん そして 坂本規子さん

 初めは森の音楽会運営委員会委員長に請われ、森の情報交流館ネットワークなど次々に、そして最後に,各(鏡川、潮江、仁淀川、物部川など)こども祭実行委員会と続いた。数多くのグループ間の情報交流の役割を持つのが代表を務める高知ファンクラブである。{情報交流館ネットワーク}(本誌、No.287、8(2011))、{巨樹・巨木と古仏・名刹}(本誌、No.257、2(2009))、{地震発生3分間、災害後3時間、生き延びて3日間}

(NHKおはようネットワーク『防災マガジン』、2014/2/10、07;40、{森のこども祭、いつ、どこで&どのように}(本誌、No.331&No.332、4&5(2015))などで述べたように、活動内容は多面多次元的である。坂本耕平による被害者の会では最高顧問に就任するつもりでいる。

日和崎三郎さん

 高知県宇宙利用推進研究会(てんくろうの会)の仕掛人である。県内の18の蔵元、ひまわり乳業などの方々と親しくさせていただいた。{土佐の宇宙酒}(本誌、No.218、1(2005))、{夢}(本誌、No.232、1(2007))。花伝説プロジェクトでは、高知からひょうたん桜と稚木の桜が宇宙桜になった。{花伝説・宙へ!}(本誌、No.265、10(2009))

杉本昭壽さん

 メタンハイドレート開発研究会は彼の独創的な掘削法が発端にある。視点を変えたユニークな発想の持ち主である。{活力は土佐沖の海底より出づ}(本誌、No.280、1(2011)。

森崎さとさん

 南国ご免の「喫茶ともだち」の常連客。一枝さんとの出会いのチャンスを創出してくれた。最初のコメントは「調理の腕は抜群。毎日、美味しいものが食べられます」であった。

依光美代子さん そして 依光正隆さん

 一人だけになった正月、2001/1/7の夕方、家に帰ると車庫の梁にレジ袋がぶら下がっていた。森ときのこを愛する会への入会が同じ日の美代子さんからの「七草がゆ」の贈り物だった。

ご夫妻とご一緒に香美市合併記念ウオーキング(大栃~山田間(30㎞))を歩いた。

(故)島崎俊弘さん

 きのこの会の会長さん。最初から、「先生」でなく、「鈴木さん」と呼んでくださったのが嬉しかった。様々なキノコの入ったキノコ汁が美味しかった。{ウスキキヌガサタケ}

(本誌、No.203、8(2004)、{ネバネバ、ヌルヌル、ツルツル}(本誌、No.228、9(2006)) 

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・感謝です。私の三度目の退職

2016-05-14 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

感謝です。私の三度目の退職     

                                         情報プラットフォーム、No.343、4(2016)

 今年、2016年を、私の3度目の退職の年にしたいと考えている。1955年に大学を卒業し、その東京工業大学で、教育・研究・社会貢献に関わり、北海道大学に移った。高知に関わったのが、1993年に高知県工科大学計画策定委員会・設立準備委員会委員に任命されたときである。その高知工科大学を退職したのが2001年で、第1回目の退職である。

 続いて就任した県産業振興センター理事(プロジェクト・マネージャー)、そして県公安委員会委員(委員長)などの公職を退任したのが2006年である。2度目の退職になる。

 その後も現在まで、名刺に載せきれないほどの数の役職・名誉職が出てくる。昨年度当初の役職で見れば、高知県児童生徒表彰選定委員長、こうち産業振興基金(販路開拓支援事業等)助成対象事業審査会委員長、こうち農商工連携基金助成事業審査会委員長、高知県防災関連製品認定審査会委員長、四万十ブランド認定委員会委員長、香美市障碍者自立支援協議会委員、南国市産学官連携ビジネスプラン審議会委員長、南国市高齢者及び障害者虐待防止ネットワーク委員会委員などであり、これに高坂学園生涯老人大学学長が加わる。全体を眺めてみると、新産業・地域振興、教育・子育て、防災・減災・安全、健康・福祉、など行政の広い範囲に関わっている。

 ボランティア活動でも、森の情報交流館ネットワーク代表、高知県宇宙利用推進研究会(てんくろうの会)会長、高知県メタンハイドレート開発研究会代表、高知ファンクラブ代表、NPO牧野の森(くるくる五台山)理事長、各(鏡川、潮江、仁淀川、物部川、森の、木の)こども祭実行委員会委員長、防災用品普及ネットワーク高知代表、高知県エコデザイン協議会理事、高知県技術者協会理事、高知県森と緑の会顧問、高知県緑サポーター会顧問、地方仏研究会顧問、アサギマダラの里in秋葉山顧問、83(蜂さん、ハチミツ)プロジェクト顧問、高知県緑と水の会会員、森ときのこを愛する会会員、土佐塩の道保存会会員などがある。活動の範囲はさらに広がっており、対象は、子供から老人まで、過去から現在そして未来まで、空(宙)から海(底)まで、里山・里川・里海など、その多様性には“びっくりポン”である。お陰様で地縁が開け、高知での生き甲斐をたくさん頂くことができた。移住のハシリとしてその気にさせてくれた高知の方々に感謝である。

 1932年生まれの私は、申年の今年、2016年10月10日で、満84歳になる。昨年の免許更新に際しては5回目の高齢者講習を受けた。免許返納も考えたが、先に延ばすことにした。その後、歩行機能に異常が出てきた。パーキンソン症候群(神経変性疾患)の一種と診断された。(註)階段に手すりを設置し、筋力低下を防ぐためにリハビリに通っている。転倒して大怪我をするようなことがあれば、皆様に大変なご迷惑をお掛けすることになる。

 3度目の退職を考える時にあるように思える。ただし、ボケは来ないどころか、頭はますます冴えている。この退職は、順次ご辞退を申しあげての軟着陸でいきたい。

 情報プラットフォームにエッセイを書き始めたのが2002年(本誌No.175,5(2002))である。最初は編集後記が欲しいとの発想で、職員が皆で、順番で、書いてもらうつもりだった。

続く人が出なかった。しかし、2004年度から「センター職員のひとりごと」の欄が設けられ、今では似顔絵付きで、仕事や趣味などの感想や提言が掲載されだした。目的の一つが果たされたと感じている。誰かに引き継いでもらう潮時かも知れない。しかし、「土佐の高知にありがとう」シリーズが整ってきた。今年度も順次掲載させて頂きたい。註){急速に「老人力」が増しているこの頃}、本誌、No.337、10(2015)

 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・「一人ぼっち」と「二人でお茶を」

2016-03-14 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

「一人ぼっち」と「二人でお茶を」       

                                       情報プラットフォーム、No.342、3月号、2016、掲載

  正月号と2月号に{土佐の高知にありがとう}と題して、「一人ぼっち」の時に記したメモを順次掲載している。3月号は(Ⅲ)になるが、あ えて別枠のタイトルを選んでいる。 

露の世は--ひとり暮らしに (記;2001/4/26)

  一茶の俳句に凄いのがあります。晩年の幼子、最愛の娘を亡くしたとき詠んだものです。      露の世は 露の世ながら さりながらこの世はそのようにはかない世であることは百も承知している。それでも、でも、なぜ、どうして、と考えてしまいます。今の私の心境です。

       春雨や 喰われ残りの 鴨が鳴

 秋に渡ってきたときは沢山いたのに、春になって北に帰るときは数が大幅に減っています。鴨鍋として喰われてしまったのです。一茶はどうして 自分だけが生きながらえているのだろうと考えています。一人、残されたことで非常に良く理解できる一句です。

       蝶とぶや この世に望み ないように

 目的があるような、ないような頼りない飛び方です。高知の方々は心配してくださって、時々賑やかな集まりに誘ってくれます。その一時が楽し ければ楽しいほど、我が家の鍵を開けるときは、望みがどこかへ消えてしまっていることがあります。

       名月や 膳に這いよる 子があらば

 最初の句と同じ状況です。可愛い我が子が居ない名月など、名月ではないと言っています。南に面した2階の寝室のダブルベッドから、満月も、 立待月も、寝待月も、新月もよく見えます。東京よりも高知の緯度が低いので、月はより高いところに居ます。 

星なればこそ--二本の赤い糸 (記;2002/4/1)

 偶然の幾つもの、幾つもの偶然の出会いの連鎖の結果が、今ここにあると思うと不思議です。全くお互いに関係なく生きてきました。一茶のよう に「星なればこそ」と考えざるを得ません。「赤い糸で結ばれていた」の考え方は予定調和そのものです。

       老いらくや 星なればこそ 妻迎

 そうだとすれば赤い糸は二本だったことになります。予備の一本が前からあったことになります。予備など言うこと自体が極めて不謹慎なことで す。でも知らなかったのです。

       五十婿 天窓をかくす 扇かな

 そんなとき、天窓(あたま)を扇で隠して、照れる程度でよいのでしょうか。五十どころかほとんど七十で、白髪ですから、黒く染めれば済むこ となのでしょうか。

      大の字に 寝て涼しさよ 寂しさよ

 この句は、涼しいから寂しいのだと言いたいのでしょう。良く理解できます。自棄になって涼しいと言っているようです。

       今までは 罪もあたらぬ 昼寝哉

 一緒に居ることに暑苦しさを感じ、気疲れしかかっているのでしょうか。それとも、罪にもならない昼寝はこりごりだと、遠慮しながらの昼寝を 楽しんでいるのでしょうか。他人だった人と今は一緒に居ることが煩わしいと言いたいのか、その煩わしさが生き甲斐なのか、どちらなのでしょう か。アイボのようなロボットならば、待機状態で静かにしてもらうこともできます。煩わしさが欲しかったのだと思います。煩わしいことを楽しん でいると思います。良き伴侶とは苦楽を共にできることでなければならないでしょう。

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅱ)

2016-02-09 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅱ)            

                                      情報プラットフォーム、No.341、2月号、2016、掲載

 

炊事と洗濯と掃除  (記;2001/4/26)

 食事や洗濯はどうしていますかと聞かれます。ほんとうに心配してくれているのです。そのように言われると、反抗心が出てきて、私は飯炊女、洗濯女と結婚していたのではありませんと口から出かかります。

 

巡り会わせ (記;2001/6/15)

 ようやくギブスの取れた5月中旬(1961)に、お見合いの話が持ち上がりました。まだまだ結婚する気はなかったのです。海外の山へ、あこがれのヒマラ ヤヘ行きたかったのです。ただ、このとき、怪我をして少し気が弱くなっていました。お見合いの場所は青山通り。でも、かき氷の旗が出ている団子屋 さんでした。この時、ちえ子さんは東京女子大学を卒業し、すぐに名古屋の金城学院に就職。英語を教えていました。両親のいる東京を離れて、縁もゆ かりもない名古屋に赴任するとは、勇気のある変な女の子だと思ったのでした。

  鳥海山に行ったのは3月の上旬でした。いつもの山仲間の2人と一緒です。羽越本線の吹浦駅を降りて山とは反対側の海に行きました。登山靴を海 水で濡らすためです。海抜ゼロから2236mまでの登山です。無人の営林署の小屋に1泊です。快晴の翌朝、スキーを横に乗せたザックを肩に,快調 に頂上を目指します。この山域には我々3人しかいません。頂上ではいつものように、握手をして「ありがとう」を交換します。山が許してくれたか ら、この仲間と巡り会えて一緒に協力したから、頂上に立てたのだという思いがこの握手には込められています。「山を征服した」は私たちの感覚では ありません。

  雪質の変化するところで足を取られ,不覚にも転倒します。捻挫したと思いました。これからの下りが思いやられるな、ここからは片足荷重の斜滑 降だけで降りられるだろうなどと,咄嗟に考えました。雪の消えるところまで来て,先に降りた仲間が呼んでくれたタクシーで駅に向かいます。夜行列 車で上野に戻り、母に電話を掛けて、病院に直行。くるぶしの骨折でした。仲間は返す刀でもうひと山と言って,途中下車して行きました。

  「あのとき足を折らなかったら、まだ結婚する気になっていなかっただろうね。あなたとの出会いもなかったかも知れないよ」と言うような話をす ると、ちえ子は「そんなこと言う必要のないことでしょう」と不機嫌になります。(ちえ子さんとの出会い)

 

 山田の家の模様替え (記;2002/3/31)

    二人が会ったときの話題はいつも今後の暮らしぶりです。「夏志さん(長男)や葉子さん(長女)が高知に来ても違和感を持たないで済むように、2階は以前と 変わらない風情と匂いを残す一方で、1階は二人の新しい生活に相応しい新しいコンセプトに変えていく」が一枝さんの基本的な構想です。休日には土 佐山田の家の模様替えの計画を一緒に練り始めました。インテリアの相談を繰り返し、最終的な注文も出しました。

  春の訪れとともに,庭の草花の手入れも一緒に始めました。季節は待ってくれません。今年は例年になく何事も早いようです。桜は咲き終わり、田 植えは始まっています。

  一枝さんのご両親にもお会いしました。名古屋から来る妹の慶子さんと、羽田から来る葉子さんと樹ちゃん(孫)を高知龍馬空港に出迎えました。 一枝さんの娘の明日香さんと共に,皆で楽しく夕食を取ることができました。向こう三軒両隣のご近所へのご挨拶も、皆で連れだって済ませました。一 緒に暮らすための地ならしが、流れに乗るようにどんどん進んでいきます。皆さんにありがとう。

 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。     HN:鈴木朝夫

 

 鈴木朝夫の講演・出版の記録 目次

こんな祝う会も・・・鈴木朝夫先生の叙勲を祝う会 


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅰ)

2016-01-12 | 「ぷらっとウオーク」 2016年~現在

土佐の高知にありがとう(Ⅰ)       

                                         情報プラットフォーム、No.340、1月号、2016、掲載

 高知に住み始めたのは1997年4月、今年(2016)の4月から20年目の年になる。高知に来て満4年になる直前の、2000年12月16日にちえ子 が骨髄ガンで急逝。意気消沈。2002年8月に一枝と再婚するまでの一人暮らしの時期、2001年4月~2002年4月の間、折に触れて「です、 ます」調でメモを残した。それらを順不同でご披露させていただきたい。

 

獅子座流星群 (記;2001/11/21)

 11月19日の月曜日を休暇にしました。この未明に獅子座流星群が見られるのです。一枝さんを観察に誘いました。スキーウエア、毛布などの防寒具、温か いコーヒーや食糧を持って近くの物部川河畔にある森林総合センターの高台に行きました。持っていった2つのデッキチェアーの背もたれを倒し、真上 を向いて流れ星を待ちました。今夜は期待できるぞと思わせる,長くて明るいのが11時半頃に1つ走りました。獅子座が南中する3時半頃まで、空で 繰り広げられるページェントを二人で見続けました。星が消えた後の白いすじが飛行機雲のように風に流される様子、星が消えた後も火の玉のように赤 く痕跡が残る様子、降り注ぐような流れ星、感動的な夜でした。

 富士山の二合目にちえ子とハレー彗星の流れ星を見に行ったのを思い出します。記憶に残るのは期待した流星雨ではなく、広大な駐車場のはずれにあ る自動販売機の明るさです。 

緑サポーター会

 (記;2001/12/4、情報交流館ネットワークだより第9号(2001))

 千本山の魚梁瀬杉保護林やトガサワラ保護林などを森林事務所の所長さんのご説明を頂きながら、見て回りました。写真場と言われる撮影に絶好の場所があります。スラリとした背の高い美人達が並んでいて「また人間達が私達を見に来たよ。ご苦労なこった」と会話を交わしているのが分かりました。巨木に 抱きついたり,幹を叩いてみたり、地面に寝ころんで樹冠を見上げたり、樹木との付き合い方は様々です。

  宿泊は馬路村魚梁瀬の満木荘。登山の疲れを温泉で癒やし,美人のママ手作りの山川の珍味で空腹を満たし、ほろ酔い加減の一次会、これで終わり と思いきや、中森道雄会長の狭い部屋で二次会が始まりました。樹木医の先生も女性会員も総勢20名が全員そろって団子兄弟。間伐が必要なくらいの 密植状態の中で、なが~いお話や、合いの手の入る話など、緑サポーターとなった想いをそれぞれが語り合いました。大きな実を実らせた二次会であ り,望年会でした。メイン・イベントは古木(こぼく)ではなくて、親睦(しんぼく)でした。来年の成長が楽しみです。 

手紙と携帯電話  (記;2001/12/5)

    婚約してからのちえ子さんとの意思疎通は手紙でした。彼女は名古屋で教鞭を執っていました。結婚までのほぼ一年間の往復の手紙は合計で100通ほどになり ます。結婚してから、これらを1つの段ボール箱にまとめて保管しましたが、読み返すことはありませんでした。お互いに気恥ずかしく、引越の時も開けないようにしていました。今も開けようとは思いません。40年ほど前のことです。(1961~1962)

    時代が変わったことを痛感します。一枝さんとのやり取りは携帯電話です。30件までは収容可能な着信履歴の90%は彼女からのもの、発信履歴の第1順位は 彼女へのものです。また、伝言メモも、受信・送信メールも圧倒的に彼女が多くなっています。これらは可愛らしい着信音で、他と区別しています。彼女も同じ着信音になっています。郵便受けの手紙をちらっとみて、封筒の姿・形でちえ子さんから来たなと判断するようなものです。

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

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