「一人ぼっち」と「二人でお茶を」
情報プラットフォーム、No.342、3月号、2016、掲載
正月号と2月号に{土佐の高知にありがとう}と題して、「一人ぼっち」の時に記したメモを順次掲載している。3月号は(Ⅲ)になるが、あ えて別枠のタイトルを選んでいる。
露の世は--ひとり暮らしに (記;2001/4/26)
一茶の俳句に凄いのがあります。晩年の幼子、最愛の娘を亡くしたとき詠んだものです。 露の世は 露の世ながら さりながらこの世はそのようにはかない世であることは百も承知している。それでも、でも、なぜ、どうして、と考えてしまいます。今の私の心境です。
春雨や 喰われ残りの 鴨が鳴
秋に渡ってきたときは沢山いたのに、春になって北に帰るときは数が大幅に減っています。鴨鍋として喰われてしまったのです。一茶はどうして 自分だけが生きながらえているのだろうと考えています。一人、残されたことで非常に良く理解できる一句です。
蝶とぶや この世に望み ないように
目的があるような、ないような頼りない飛び方です。高知の方々は心配してくださって、時々賑やかな集まりに誘ってくれます。その一時が楽し ければ楽しいほど、我が家の鍵を開けるときは、望みがどこかへ消えてしまっていることがあります。
名月や 膳に這いよる 子があらば
最初の句と同じ状況です。可愛い我が子が居ない名月など、名月ではないと言っています。南に面した2階の寝室のダブルベッドから、満月も、 立待月も、寝待月も、新月もよく見えます。東京よりも高知の緯度が低いので、月はより高いところに居ます。
星なればこそ--二本の赤い糸 (記;2002/4/1)
偶然の幾つもの、幾つもの偶然の出会いの連鎖の結果が、今ここにあると思うと不思議です。全くお互いに関係なく生きてきました。一茶のよう に「星なればこそ」と考えざるを得ません。「赤い糸で結ばれていた」の考え方は予定調和そのものです。
老いらくや 星なればこそ 妻迎
そうだとすれば赤い糸は二本だったことになります。予備の一本が前からあったことになります。予備など言うこと自体が極めて不謹慎なことで す。でも知らなかったのです。
五十婿 天窓をかくす 扇かな
そんなとき、天窓(あたま)を扇で隠して、照れる程度でよいのでしょうか。五十どころかほとんど七十で、白髪ですから、黒く染めれば済むこ となのでしょうか。
大の字に 寝て涼しさよ 寂しさよ
この句は、涼しいから寂しいのだと言いたいのでしょう。良く理解できます。自棄になって涼しいと言っているようです。
今までは 罪もあたらぬ 昼寝哉
一緒に居ることに暑苦しさを感じ、気疲れしかかっているのでしょうか。それとも、罪にもならない昼寝はこりごりだと、遠慮しながらの昼寝を 楽しんでいるのでしょうか。他人だった人と今は一緒に居ることが煩わしいと言いたいのか、その煩わしさが生き甲斐なのか、どちらなのでしょう か。アイボのようなロボットならば、待機状態で静かにしてもらうこともできます。煩わしさが欲しかったのだと思います。煩わしいことを楽しん でいると思います。良き伴侶とは苦楽を共にできることでなければならないでしょう。
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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)
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高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
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