鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・(ふわっと’92) 25周年記念、羽田行?(1/3)

2017-11-03 | 「ぷらっとウオーク」 2017年~

(ふわっと’92) 25周年記念、羽田行?(1/3)

                                                                                   高知ファンクラブ、No.185,10(2017)

 第1次(微小重力)材料実験 ふわっと’92(FMPT) の 25周年記念パーティーを9月8日(金)に開催する旨の案内を、宇宙開発事業団(NASDA)の藤森義典様より頂いたとき、即座に残念だけど東京行きは無理だとの判断が先行した。転倒し易くなったのは2014年の夏頃であり、高知大学医学部付属病院で進行性核上性麻痺(パーキンソン症候群の一種)と診断されたのが2015年2月のことである。(註1)  要支援2の判定を2015年5月に、次いで2016年11月には要介護1の認定を受けた。病名の接頭語が示すように「進行性」であり、現在では長距離の移動には車椅子と介護支援が必要となっている。

毛利衛宇宙飛行士の搭乗する日本初の無重力宇宙実験が行われたのは、「ふわっと’92」の愛称が示すように1992年(9月12日~9月20日)である。この第1次材料実験は1988年の予定であったが、チャレンジャー号の事故(1986年) で4年以上も遅れた。定年60才の東工大に在職の最後の年度であり、1993年3月の退職前に辛うじて間に合ったのである。

妻 一枝は「私が付いて行くから、出席することにしては?」、「車椅子を押す一枝さんの体力負担だけではなく、人との精神的ストレスも相当なものだよ」、「もう一度、宇宙材料実験の感激を味わいたくないの。二度とない25周年の記念でしょう」の様な対話が、7月末にご案内を頂いてから繰り返された。一ヶ月前の8月上旬を過ぎようとする頃、「このパーティーに出席するだけで、それ以外のことは一切考えないことにしよう。そして、パーティー会場となるホテル メルパルク東京(芝公園) に宿泊の“東京1泊、2日間”のパックが取れれば行くことを決心しょう」、「往復のタクシー代もそれほどではない」との結論となった。

早速、“ANA楽パック(航空券+宿泊)”を申し込んだのだが、そのホテルに空き部屋がなかった。数分後に再挑戦してみると、キャンセルが1室でていた。これで東京行きを決心した。ANA566 (9/8(金)、高知発13:30)⇒ メルパルク(1泊)⇒ ANA565 (9/9(土)、羽田発13:35)とゆとり持たせた予約を確定できた。この日以降、気がかりな体調はとくに問題なく推移していた。今年は一枝の運転する車の助手席に座って、桑田山の雪割り桜に始まり、横波半島のオンツツジまで、花見三昧の春だった。歩くことが多くなければの思いがある。(註2)

我々の東京行を伝えるのは、娘の葉子と孫の樹ちゃんだけにしていた。樹ちゃんは、所沢にある国際航空専門学校の航空整備科に在学中であり、来年3月に卒業の予定である。彼が嬉しいニュースを持って、高知にやって来たのが夏休み始めの7月末である。第一志望のANAの整備関連企業への就職が確定したとの報告である。

出発当日の朝、突然、一枝が「良いことを思いついたわ。パーティで車椅子を押す役を樹ちゃんに頼むことにしようよ。樹ちゃんは、宇宙飛行士の毛利衛さん・向井千秋さん・土井隆雄さんに会えるでしょう。素晴らしい思い出ができるよ。航空機整備の仕事は宇宙開発と無関係ではない、やがて役に立つことがあるかもしれません」、「それは困る。あなたが高知から出てきた意味がなくなります。あなたに申し訳ないですよ」、「私は葉子ちゃんとディナーをするから大丈夫よ」のようなやり取りがあった。早速、幹事役の藤森さんにメールした。  

高知からの旅が始まった。介助・介護を必要とする乗客への対応が素晴らしい。チェックインで車椅子を「預け荷物」にすると、直ちにエアラインの車椅子が用意される。最優先の搭乗であり、座席はスーパー・シートのすぐ後方の通路側5H、中央5Jである。トイレに近い席でもある。なお、機種はB737であり、通路の右にABC、左にHJKがある。全ての乗客が降りてからで、最後になる。帰りの羽田空港でも同じように優先搭乗である。余裕を持って羽田に着いたので、SFCラウンジで休息した。搭乗時間前になると、車椅子を押すスタッフが来てくれる。羽田での高知行の搭乗口は非常に遠い西寄りの60番台が普通である。今回の搭乗口も67Aであり、車椅子でシートベルトを締めることが必須である。

押して貰う車椅子の上で「無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか」との命題が頭を過ぎって来る。(註3)身体機能が低下しても、無重力下では、車椅子も手すりも杖も不要であろう。我々、人類がすでに蓄積している微小重力下での生活体験を活用して、終末期ケアとしての、天空に近づけるホスピス、自立できるホスピスはどうだろうと考えたりした。

 註1:{ディープラーニングの破綻、脳の機能}、情報プラットフォーム、No.349,10(2016)

 註2:{ちびっこ島木彫館のオープンまで(1/2)}、高知ファンクラブ、No.182,8(2017);{ちびっこ島木彫館のオープンまで(2/2)}、同、No.183,9(2017)

註3:{無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか}、BOUNDARY、8(1987)p64~p66

;情報プラットフォーム、No.290,11(2011)、No.291,12(2011)、No.292,1(2012)

 

  

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )