鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

連載中の「ぷらっとウオーク」などをまとめました。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・本当の男女共同参画社会に向けて

2015-09-13 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

本当の男女共同参画社会に向けて       

                                             情報プラットフォーム、No.336、9月号、2015、掲載

  「男女共同参画社会基本法」は1999年(平成11年)6月23日に公布・施行され、その後、県庁にも男女共同参画課が設置された。その理念 と実際の仕事の内容を知ったときは複雑な思いであった。競馬の「斤量」を連想したのである。速い馬の斤量を重くして、競争を面白くする、迫力を持 たせるのである。この重さは、獲得賞金・過去の成績などで馬毎に異なる。出馬表には競走馬毎に58(kg)とか56(kg)と斤量が出ている。

  男性優位の現代社会では、社会的弱者とも言える女性を支え、支援するだけでは共同参画社会が実現できるとは思えない。強者に重しを背負わせな ければ実現は難しく、基本法が発効してから15年経っても大きな変化は起きていないことがそれを証明している。

  解決策の一つを家庭的視点で述べれば、"イケメンをイクメンにしよう"、"ジョチュウを減らしダンチュウを増やそう"となる。「夫に妻と同等 の産休・育休を義務づけ、出産にも立ち会うこと」というものである。勤務先の視点で言えば、「パタハラもマタハラもなくそう。そしてワーク・シェ アリングを徹底しよう」となる。担当者が休暇中はことが進まないのでは皆が、県民が迷惑である。夫婦共に産休・育休を分担し、高知県庁から始め て、その他の公的機関へ、そして民間企業へと広げていくことにする。これこそが本当の男女共同参画家庭であり、"イゴッソウを越えたハチキンの高 知" だからこその可能性の高い施策となるであろう。ここで、イクメンとは「育メン」、ダンチュウは「男厨」、パタハラは「父性(パタニティー)・ハラスメン ト」であり、マタハラと対になる。

  二つ目の解決策を社会的背景から見れば、県議会を始めとする市町村議会のアンバランスの解消である。フランスなどの地方議会のように、男女に定員を「割り 当てる」クオータ制(quota)や男女の「等価性を維持する」パリテ制(parite、parity)を採用することで男女比を保つ方法があ る。小選挙区制では男女に定員を割り振ることには馴染まない。一方で政党中心の比例代表制は名簿の順位を男女を交互に並べることで解決する。名簿 に女性候補者を規定のように揃えられない政党には、女性当選者が足りない分だけ、政党助成金を減額する方法もある。このような画期的な仕組みは、 当然のことながら、様々な反論を生み出す。共同参画推進派の論理は、人類は女性(はちきん)と男性(いごっそう)との異なる2分割から成ってお り、普遍的に男女の2つの混成である、と要約できる。これに対して反対派は、普遍性の名の下に男女の差を認めない論理を展開している。現職議員 (男性議員と置き換えても同じ)の既得権を死守するための理屈といっても良いだろう。

    定員37人の高知県議会をパリテ制で考えてみよう。欧州と異なり、無所属の候補者が多い我が国の場合、議席を男女に割り振るのが妥当であろう。まず、1人 区を廃止し、偶数定員の大選挙区に組み替える必要がある。従って、議員定数を36人とすれば、18人の女性議員が誕生することになる。県議会です ぐに進まないならば、1自治体・1選挙区の市町村議会から始めてはいかが。「時期尚早」の反論があれば、実行する価値があると考えよう。地方創生 の目玉として、高知を真の男女共同参画社会に仕立て上げたい。

  先のエッセイ{風が吹けば桶屋が儲かる}(本誌、No.310、7(2013))では、家族団欒の家庭が増えれば、離婚率が減り、少子化に歯 止めが掛かり、非行率は低下し、心豊かな故郷創生になるとしている。向こう三軒両隣のお付き合いも深まり、子どもも年寄りも元気な地域となり、U ターンやIターンも次第に増え、生活基盤としての高知県への関心も高まり、従来の低い投票率は解消するだろう。男女共同参画で始まる地方創生の提 案である。

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp 

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情報プラットフォーム、No.299   8月号、2012  「特殊な交渉術」は極秘事項 

情報プラットフォーム、No.300   9月号、2012  高知県高坂学園生涯老人大学

情報プラットフォーム、No.301  10月号、2012  働き詰めで貯めた1億円

情報プラットフォーム、No.302  11月号、2012  人間社会もメタボでなければ

情報プラットフォーム、No.303  12月号、2012  南国土佐にやって来て

 

 

上にそのままスライドすると、1枚目につづきます。

高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」の事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。     HN:鈴木朝夫



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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・南国土佐にやって来て

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

南国土佐にやって来て

                                                                       情報プラットフォーム、No.303、12月号、2012、掲載

 20年程前に縁もゆかりもなかった土佐の高知に深く関わるようになった。東京工業大学を定年退職して、北海道大学に赴任した直後のことで ある。新千歳-羽田-高知と乗り継いで往復することが多くなった。工科系大学計画策定委員会委員になったのである。そして、高知工科大学に本 格的に関わることが濃厚になった時点(1993年)で、見ておかなければの思いで、第2回を迎えるYOSAKOIソーラン祭りを見に行った。 その迫力に圧倒された。仕掛け人の長谷川岳さん
にもお会いし、その思いを伺う機会も持てた。


  翌年には本場の土佐の高知のよさこい鳴子踊りを見ることができた。委員会の開催日程をよさこいの祭りに合わせてくれたのである。開学した らすぐに工科大連を作ろうと決心した。開学の1年前には、高知から橋本大二郎知事を団長とする使節団がアメリカに向かった。同行した私の役割 はMIT(マサチュセッツ工科大学)との姉妹校提携の予備交渉だった。よさこい踊り子隊の指導に付いてきた荒谷深雪さんに教わり、ボストンの マーケット広場で踊ることになった。
よさこい踊りを踊りながら、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」との関係が分からなくなっていた。


 ペギー葉山さんの生演奏を聴いたのは、高校3年生か、大学1年生(1950年か1951年)の時と思っている。そのとき「南国土佐を後にして」が曲目に あったかどうかは定かではない。ご経歴を検索してみると1952年にキングレコードから
デビューとある。それ以前は米軍キャンプ回りをしてい たとのことで、その時代にも歌っていたのだろうか。私が生演奏を聴いたのは府中刑務所の講堂であった。戦後の混乱が収まり始めた頃であり、コ カコーラ、リグレイのチュウインガム、ハーシーのチョコレートに憧れていた時代でもある。父は府中刑務所長であった。規律を保ちながらも、収 容者には心のゆとりが必要との考えから、娯楽・観劇やスポーツを取り入れる先駆的な活動をしていた。その手始めがペギー葉山の公演だったよう に思う。大勢の受刑者が規則正しく整然と床に座っている。その最後尾に、隠れるように座った。


   共学の経験もない男の子にとっては、憧れの人であり、初恋の人と言っても良い位である。その後、ご活躍の様子をテレビで拝見し、「ペギー葉山」とアナウン スが聞こえるたびにあの講堂を思い起こしていた。しかし、四国に行ったこともない私には、「よさこい節」も「南国土佐」も「ペギー葉山」と同 様に遠い存在であった。


 それから時が経ち、松尾徹人氏の後を受けて、昨年の暮れに高知県高坂学園生涯老人大学の学長に就任することになった。昨年発行された設立30周年記念誌「30年の歩み」によれば、記念式典にペギー葉山さんをお迎えしている。先日の
老大役員会の際に「南国土佐の歌碑を建てる会」に学内募金で集 まった基金の送呈式を行った。そして、歌碑モニュメントの除幕式の招待を受けた。11月3日(土)にペギー葉山さんをお迎えしての式典に出席 できた。あれから60年、この
機会が持てたことは夢のようであり、大感激である。


  第1回のよさこい祭りは1954年(昭和29年)である。本歌は「よさこい節」であり、多くの替え歌があり、「よさこい鳴子踊り」や「南 国土佐を後にして」に歌い継がれていったようである。そして名誉県民としての「ペギー葉山」が盛り上げて呉れた。日本各地に拡がった「よさこ い踊り」は数知れない。今年はペギー葉山さんの歌手生活60年の記念すべき年である。デビュー当時のお若い葉山さんを知っていることが私の自 慢の種である。

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・人間社会もメタボでなければ

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

人間社会もメタボでなければ

情報プラットフォーム、No.302、11月号2012、掲載


 今や「メタボ」は誰でも、どこでも使う単語になった。「メタボリック・シンドローム」の短縮形であるが、「メタボリック」や「メタボリズム(metabolism)」の短縮形ではない。メタボリズムは、循環や代謝を意味する生物学の用語である。代謝は、同化作用(アナボリズム、 anabolism) と異化作用(カタボリズム、catabolism) からなる。略称の「メタボ」は、代謝バランスの崩れからくる症候群(シンドローム)であり、高血圧、高脂血症、糖尿病、内臓脂肪型肥満などの生活習慣病を 指している。


  生命は生存・成長に必須の元素を含む食料を栄養源とし、水分、空気、それに太陽光などの外部エネルギーを利用して、体を構成する細胞に必 要な高分子や、生体機能に関わる物質に作り替えている。これが同化作用である。そして、
不要となった老廃物や熱は、呼気、汗、排便などとして 廃棄される。これが異化作用である。同化ではエネルギーが消費され、異化ではエネルギーの放出(拡散)が生ずる。両者がバランスしているのが 理想的な新陳代謝である。生命体は
このバランスの中で、今を生きているのである。同化作用で体内に貯め込む一方の状態が「メタボ」と俗称され ている現象である。


  我々が生活している人類社会も生命体と同じである。現代社会は「メタボ」である。エネルギーと資源を「同化」で大量に消費し、不必要に大 量に貯め込み、「異化」により必要以上に廃棄物として放出している。20世紀はガン細胞のように増殖・成長を続けるアナボリズム文明の時代と 定義できる。「右肩下りの下山の先は」(本誌、No.298、7(2012))で指摘したように、地球上には未開拓の新大陸はもう残されて おらず、石油ピークも過ぎている。これからの21世紀は「死と再生を繰り返すメタボリズム社会」として活力を維持しなければならない。20世 紀的発想の縛りから抜け出す必要がある。生命が細胞の死と機能の再生を繰り返すように、既得権の解消や規制の見直しが常に行われることにな る。


  新宮秀夫は「幸福ということ-エネルギー社会学の視点から」((1998/8)、NHKブックス838)で、佐和隆光の言葉を引用する形 で、「豊かな生活を維持しつつ、資源の大量採取、生産過程での資源の無駄遣い、使用ずみ製品の大量廃棄を回避する循環代謝型(メタボリズム) 文明を築くことが、21世紀を生きる人々に課せられた義務」と述べている。


  鎌田浩毅は「資源が分かればエネルギー問題が見える」((2012/6)、PHP新書808)で、「一万年前に始まったスットク型文明から首尾よく脱 出し、フロー型文明へ軟着陸することを目標とすべき」と述べている。ストック型とは、物質・資本の蓄積を意味し、それが始まった農業革命から 産業革命へと続く文明である。狩猟・採取の時代がフロー型である。


 メタボリズム社会に移行する転機は訪れるのだろうか。「省エネ・省資源」程度で片付く問題ではなく、持続可能な発展やゼロエミッションの標語はナンセンスである。下山の先をどのように思い描くのだろうか。参考になる答を出したのがキューバである。アメリカとは貿易封鎖の中で、ソビエト連邦が 崩壊し、大規模機械化農業に必須の石油と化学肥料が枯渇し、自給自足に、そして深刻な食料不足の状況に陥った。カストロは都市農業革命ともい える形でこの苦境を国民と共に乗り切っている({キューバを見たい}、本誌、No.211、4(2005))。どの国の政治家も経営者も経済 成長戦略を掲げ、民衆も緊縮財政は好まない。困ったことに「メタボ」願望なのである。フロー型社会は無理としても、本当の意味の、本来のメタ ボ社会を創り始めるにはどうすれば良いのだろうか?

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・働き詰めで貯めた1億円

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

働き詰めで貯めた1億円

情報プラットフォーム、No.301、10月号、2012、掲載


お会いする機会がなかったことは大変残念である。奨学金を設けたおばちゃんの話である。奨学金の名称は「公益信託森安記念大学院奨学生基金」。その森安キノヱさんは「一日一日を精いっぱい生きて」(1992、六甲出版) の題名で自伝を書いておられる。

易者に「肉親の縁はちっともありません。」と言われたように、母と姉を亡くし、父も亡くし、継母も、そしてご主人も早くに亡くしている。生まれは徳島だが、すぐに広島に移り、22才の時に酒屋を営む森安家に嫁いだ。夫の森安忠男さんは養子であり、両親をコレラ禍で亡くしていた。家業は振るわず、 神戸に出て叔父の家に間借。戦後に西宮で屋台の一杯飲み屋を始め、やがて近くのバラックの建物を買い、屋号を《ほろよい》とした。

  「お酒一杯に一皿の突出しを付けてね。お酒が二杯目になると突出しもまた違う品を付けて、三杯目はまたまた違う品という具合に工夫して、お客さんに喜んで もらって。」、「小さいときから鞄を下げて『有り難うございました。』といってお得意先回りするのが好きだった。自分がやっているからとか、人に雇われているからとは関係なくね。お客さんにも店の主人にも受けて、どこでも可愛がってもらえるんです。」、「私の人生のいろいろな節目と不動産 に関しては”角地”がついて回っているような気がしている。嫁いだ森安の家が広島の田中町、色町に入る角。神戸で最初に買った福原の店が新開地桜 筋の色町の角。

主人が亡くなった兵庫区の土地も角でしたし、荒田町のアパートも角でした。」  キノヱさんは、ご自分の住んでいた兵庫県と広島県の大学生を対象に『公益信託森安育英基金』(1億円づつ)を、ついで『中国残留孤児子弟育英森安基金』(1億円)を昭和61年以降に順次設立した。これについて「十年、二十年と経つ内にお墓は無縁仏となるだろう。森安の名前のついた育英基金設立に こだわった
一つがそれなんです。私が死んだ後は、そういう形でしか森安の名前を残せないと思ったからです。」とその思いを述べている。

キノヱさんは、大学院に進学しなければならないのに、奨学金が大学で打ち切りになることを知り、それは不条理と考えた。最後の1億円を投じて、平成3年に理工系大学院博士コースの3年間の『公益信託森安記念大学院奨学生基金』を設定したのである。運営委員長は、元・東京大学総長の林健太郎先生であ る。私は北大在籍として委員の末席を汚すことになった。一人あたり年額48万円の支給で、年間に4~5人、したがって年間事業費は600万円程度 になる。基金の運用益が見込めない時代であり、委員会での最初の審議は基金の使い方であった。キノヱさんの思いを後世に伝えられないことは残念で あるが、取り崩しはやむを得ないと判断したのである。単純計算で20年弱、100名の受給者になる。

  申請書には、公表論文や口頭発表のリスト、中心となる研究論文の要旨、今後の研究方針と計画、指導教員の推薦書に加えて、感想文を必須とした。神戸新聞 (平成4年2月5日付け)の「おばちゃんの奨学金、働き詰めでためた1億円、苦学生を助けたい、神戸の森安さん」の見出しが躍る記事を読んでの感 想であり、さらに最適なタイトルを考えるものである。人生観や哲学を垣間見ることが
できると考えたのである。そして森安おばちゃんから人生哲学を どのように学んだかを知ることができる。

この基金への応募者、そして受給者の、神戸新聞の記事を見た読者の、審査に関わった我々の記憶に残しておくこと、が森安さんの思いに報いることであろう。

この文章はそのような思い込めて書かせて頂いた。
 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・高知県高坂学園生涯老人大学

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

高知県高坂学園生涯老人大学

情報プラットフォーム、No.300、9月号、2012、掲載


  老人:(最初にこの大学を知ったときには、変な名前だなと感じた。「老人」、「年寄り」のように年齢を強調する表現ではなく、「シニア」、「シルバー」、 「高齢者」のように人生経験を尊重する表現が無難であるとの思い込みがあるためかも知れない。(鈴木))

30才:高知県高坂学園生涯老人大学は、昨年(2011年)10月にペギー葉山さんをお迎えして創立30周年記念式典を開いた。記念誌「30年の歩み」に よれば、県からの補助金が打ち切りになった時、自分たちで続けようと学生自らが運営・経営に当たる組織として1982年(昭和57年)に発足して いる。(「お上頼み」が当たり前の高度成長期の昭和の時代、この心意気は流石は「はちきん」、「いごっそう」と思わせる土佐の快挙である。(鈴 木))

  教室:入学資格は60才以上である。6つの組に分かれており、3つの組の教室が高知県人権啓発センター(県庁前)、残りの3つの組が高知市東部健康福祉センター(県立美術館の南)である。学生数は各組150人を超えて全体で1000人弱、平均年齢は77.8才である。

  学習日:例えば毎月の第2・第4火曜のように、学習日は月に2日であり、午前講義と午後講義がある。8月は夏休み、12月は冬休みである。月に4人の様々な分野の講師のお話が聞ける。講義時間の中で組総会、忘年会も開かれ、忘年会では隠し芸も披露される。この他に春の学外研修(日帰り)と秋の研修 旅行(一泊)がある。また、大学全体での修了式が3月中旬に、入学式が3月下旬と続いている。そして、総会が4月末に開かれる。

授業料:年間7,000円(前納)、春秋2回の研修旅行代、各組毎の諸雑費などである。

仕組み:この大学の最大の特徴は学生が自分達で行う運営にある。すべてが自主組織である。各組には、15名/班で、10班ほどの班が設けられ、班長が取り まとめている。各組単位で、講師を選んで授業構成を作る。研修旅行先も決めていく。運営委員会は各組選出の委員で構成され、5名の副委員長と1名 の運営委員長が選ばれる。会計および監事が各組に置かれている。年4回の講師選定委員会・組長会が開かれ、次の講義予定などを確認している。4月 末の全体総会では事業・会計報告・役員選出が行われる。

  新入生募集:期間は年末から1月末までである。同級生、お隣さん、昔の仕事仲間など顔見知りの勧誘で組が決まることもある。また、交通機関や駐車場の有無 などの通学の利便さが組を選ぶ基準になる。東は安芸市、西は土佐市、北は嶺北からも通学している。

  生涯:毎年全員落第であり、生涯を通して学生である。(超高齢化社会では、男性も女性も自律した『個』の確立が重要である。地域社会とつながりながら、 「孤立」ではなく「個立」することで、生き甲斐を感じながら、老いを楽しく生きることができる。(鈴木))

皆勤賞と長寿者、新入生:昨年度の皆勤賞は179名、米寿のお祝いを受けた長寿者は33名である。また今年度の入学者は96名
である。

学長:平成19年に松尾徹人氏が学長に就任した。創立30年記念式典を前に、6月のブログを最後に、あの世に旅立たれた。平成23年11月に鈴木朝夫が学 長に就任した。

  高坂:高知城の最初は大高坂山城である。河中(かわち)城、高智城と変わった。(前学長の申し送りは大変に光栄なことである。この大学で学生でないのは学 長だけ。でも、皆さんとご一緒に、高坂学園で好奇心を絶やさずに、元気老人としての生き方を楽しむつもりである。こんな素晴らしい学舎(まなび や)があるのは高知県だけである。(鈴木))


  連絡先:運営委員長 一柳喜久乃、(高知市桜馬場7-3-1103、電話088-873-0372);
      学長 鈴木朝夫、(香美市土佐山田町植718、電話0887-52-5154)

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・「特殊な交渉術」は極秘事項 

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

「特殊な交渉術」は極秘事項  

情報プラットフォーム、No.299、8月号、2012、掲載


どうしても好きになれない言葉がある。それは「特殊な」と言う単語であり、用法である。「特殊な材料を使って」とか、「特殊なカメラで撮影すると」のような使い方である。「吟味した材料を使って」なら、まだ許せる。

「赤外線カメラで撮影すると」あるいは「サーモグラフィを使って撮影すると」のよう にどうして言わないのだろうか。このことは{理系・文系は受験科目だけにしよう}(本誌、No.282、3(2011))で述べたことがある。何 故気になるのかを調べようと、思いつくままに「特殊」や「特殊な」の事例を並べてみた。


  特殊自動車は「特殊な構造で、特殊な作業に使用する車両であり、走行や運搬よりも、その特殊な作業機を使うことが目的の自動車」と定義されており、フォー クリフト、ロードローラ、ショベルローダなどが該当するのだが、よく分からない。

9か0ナンバーであり、とにもかくにも「特殊」である。運転・操作には大型(または小型)特殊免許が必要となる。農作業車もこれに入る。

車種を表す分類番号が8で始まる「8ナンバー車」が特種自動車であり、 「取付けた特定の機能を持つ作業機を運転席から操作できるもの」とある。例えば、救急車、タンクロ-リー、ゴミ収集車、現金輸送車、コンクリート 作業車などである。

特殊相対性理論と一般相対性理論、特殊鋼(合金鋼)と普通鋼(炭素鋼)、特殊法人(公的な役割の強いもの)と一般法人、特殊文 字(記号に類するもの)、特殊清掃(事件性のある遺体の処置)などが検索で出て来る。また、特殊部隊とは、通常戦力とは別個に編成され、特殊な訓 練を受け、特別な装備を持つ部隊とある。


  警察には特殊犯捜査係がある。「ジウ 警視庁特殊犯捜査係」はテレビ朝日の金曜ナイトドラマである。ジウは巨大犯罪組織「新世界秩序」に所属する金髪の少年。彼を追跡するのが警視庁特殊犯捜査 係の二人の女刑事という設定であ
る。

特殊犯捜査係(SIT)は、実際に各警察本部の刑事部捜査第一課に編成されている。また特殊犯罪とは人質立て 篭もり、誘拐、企業恐喝、業務上過失などである。


  このように見てくると、名詞としての「特殊」は、全体を区分けする中の一つの部分を指定しているようである。部分集合の表現であると言って良いだろう。

一 方でこれを形容動詞として、「特殊な」として使う場合には、単に別扱いをしているだけのように思える。思考停止を強要する「特殊な」の安易な用法と指摘したのはこのような場合である。この用法を逆手に取り、神秘性を深めるために、巧に利用している例がある。


  それはNHKのドキュメンタリー風の歴史テレビ番組「タイムスクープハンター」である。「タイムマシンで時代を遡って出会う人々にとって、私は時空を超え た存在です。接触する際には細心の注意が必要です。私の介在によって、この歴史を変えてしまうかも知れないのです。

彼らに取材を許してもらうためには、極秘事項となっている特殊な交渉術を用います。今回も無事密着取材することに成功しました。」と主人公は述べている。彼が属するタイムス クープ社のHPに特殊交渉術という項目がある。「ここにパスワードを入れても、Errorと出るので、特殊交渉術のことを知ることはできない。」 との設定である。


  「特殊なカメラ」の表現に抵抗を感じる理由は、「どうせ理解できないだろう」、「知らせる必要はないだろう」などの意図が感じられるからである。一方で、 サプリメントなどの栄養剤の宣伝では、理解出来るとも思えないカタカナの化学成分名が遠慮なく流れてくる。これが目に入らぬかの印籠のように効き目を権威づける企みが見え隠れしている。

 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・右肩下がりの下山の先は

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

右肩下がりの下山の先は

   情報プラットフォーム、No.298、7月号、2012、掲載


昨年の暮れにタイトルに惹かれて何気なく手にしたのは、五木寛之氏の「下山の思想」(2011/12、幻冬社新書)である。初めは、最近多くなっている中 高年の登山者への「下山」の注意を示した警告書、あるいは人生の峠を越した人々への
老いるための心構えを説いた内容と思っていた。

登山はまだでき ると自負していても、階段の上り下りに不安を感じる歳である。若い頃、深田久弥の「日本百名山」に憧れ、その60座を登っていた。登頂の思い出は アルバムに残っているが、苦しかった「下山」は記憶の中に鮮明に残している。

「下山の思想」を読んだ後に、鷲田精一氏の「『右肩下がりの時代』をどう生きるか」と題する論説が「潮」(2012/1)に掲載された。また、”NPO もったいない学会”から「石油文明が終わる~3・11後、日本はどう備える」(石井吉徳他著、2011/11)が出版されている。

これらを一つに 要約してみる。
  「石油ピークは既に過ぎており、使い勝手の良いエネルギー資源の観点からは、生産活動自体が下り坂になることは必然であり、経済指標は何れも前年度比マイ ナスの退却戦に入っている。これからは専門家と称する人への『お任せ』ではなく、各自が考え、意見を持つ『自立』の時が来たことを自覚しなければならない。下り行く先の未曾有の時代の姿を思い描き、どのように生きていくかを皆で考えるべきである。」

今の高齢者達の世代は、最高峰を目指した同志であった。戦後の日本の経済成長を、高品質・高効率・大量生産で担う戦士達であり、希望に満ちて大量消費を競ってきた仲間達であった。下山に際しては、固定観念を、既成概念、その価値観を捨て去る必要がある。

山を下るときの鉄則はグループをまとめ、落伍者を出さないことである。力量や経験の異なる混成部隊である。適度な休息を取り、食糧を分け合い、体を温め合うことが必要である。寒さが募る中では、眠らないことが必須である。サブリーダーの「しんがり」としての気配りは極めて重要である。そして、天 候、地形
などの環境変化を細心の注意と直感によって判断できる能力を持つリーダーの責任は更に重要である。人材の枯渇では?

  我々山仲間は「山を征服した」との表現を使ったことは一度もない。頂上では「ありがとう」と山々に感謝し、「お陰さま」と仲間と握手をした。帰りも安全に 降ろして下さいのお願いが込められている。日本人が皆で最高峰に立ったとき、我々は「お陰さま」と感謝しただろうか。今からでも遅くない。振り返り、感謝を捧げようではないか。
 

さて、右肩下がりの道を下り行くその先は? 「となりのトトロ」で宮崎駿の描いたサツキとメイの家のような暮らしか。それとも、もう少し昔の宮沢賢治が理想郷とした里山の「イーハトーブ」だろうか。 もっと昔に戻り、武士も町民も風流を愛でた江戸時代の心の豊かさの中なのだろうか。

何れにしても、凄まじい速さで大量のエネルギーを消費することは、エントロピー増大を加速するだけである。地球温暖化はその一つの現れである。

  下山しながら、疲れてはいても懲りることなく、仲間と次の登山計画を語り合うのが常だった。この度は、次の登山計画を語れない「下山」かも知れない。私の 登山靴はすでに下山靴としての仕事も終えて下駄箱にある。もうこの歳では関係ないと思い、でも子供達・孫達の先行きは心配している。「下山の思想」は今や大ベストセラーに躍り出ている。


  参考:{『エントロピー』では読んで貰えないか?}(本誌、No248、
5(2008))、{この暑さは地球温暖化の影響?}(本誌、No241、 10(2007))

 

 

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鈴木朝夫 s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・高知工科大の効果は大

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

高知工科大の効果は大

情報プラットフォーム、No.297、6月号、2012、掲載

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  3組の「カップル」の話である。しかも「はちきん」の物語である。「工科大」の地域貢献を一面から示した実績報告でもある。

  はちきんの最初のお話。理系の、技術系の工科大学に「何故、文系が必要か」と抵抗が多い中で、開学3年目からの設置を目指して、大学院(修士・博士課程) 起業家コースの構想が動き出した。卒業して企業に就職するのが当然と考えるだけではなく、自分でビジネスを創り出す能力と気概を持つ人材の養成を 目指したのである。

  そんな時、入学したばかりの女子学生がアントレプレナー・クラブ(起業家クラブ)を作りたいと副学長室に私を尋ねてきた。早速の効果が現れたと嬉しいやら、吃驚するやらであった。折に触れて様々なアドバイスをしてきたが、国道195号線沿いにコンビニ「オーバック」が開店した。その社長が鈴木寛 子さん。
自叙伝(「うまれたときから花嫁修業~29歳元学生起業家のvirgin road 」文芸社、(2009/2))に詳しく経緯が出ている。昨年、結婚式の招待状を頂いた。新郎は工科大出身の年下の頼もしい青年である。新婦側の主賓として 祝辞を述べさせて頂いた。高知に工科大を創った効果は絶大であると自慢をした。

  2人目のはちきんのお話。高知工科大学は開学に先立ち、中学生・高校生を対象にサマー・サイエンス・スクールを開催していた。参加者には、体育館の天井か ら生卵を落としても割れない作品を作る宿題を課していた。落下傘方式、竹とんぼ方式、ばね釣り構造、緩衝材の利用、ゼリー状物質への封じ込め、など様々な工夫を見るのが楽しみであった。

  入学式の時、一人の女子学生が「私は生卵で賞を貰いました。それで工科大に行く決心が付いたのです」との挨拶。「あ、覚えています。『キレイデ賞』を取っ たのですね」と答えた。男子生徒の受賞が多い中で、梱包材で生卵を巻き、プチプチにマジックで丁寧に赤黄緑を塗った女性らしさを感じる作品は特に印象に残っていた。「猪野沢温泉が、母、沖野和賀子の実家です」とのこと。高知に来て直ぐの頃、吉井勇ゆかりの渓鬼荘に泊まったときがお母さまと の初対面である。その後、お付き合いを重ねてきた。そして、私たちの結婚披露宴を、橋本大二郎知事ご夫妻のご出席も頂いて、森林総合センター・森 の情報交流館で開いて下さった。なお、「キレイデ賞」の沖野沙耶香さんは最近結婚された。

  はちきん3人目のお話。山田の我が家のお隣さん。夜遅く「さようなら。お休みなさい」とお嬢さんの声、爆音を響かせて車高の低い改造車が暗闇の中に走り去 る。時が経ち、その声と爆音は、正月、ゴールデンウイーク、夏休みなどに限られるようになった。ある夜、帰宅した私たちと鉢合わせをした。薄暗い 中で「あ、先生」とお互いに吃驚である。

  大学進学を迷っていた彼は、父親と共に高知工科大学のオープンキャンパスにやって来た。こちらの意気込みが伝わったのか、工科大を気に入ってくれた。
入学 式にはご両親も高知まで来て下さった。しかし、入学後は学科が異なるので疎遠になっていた。卒業後、ソフト系企業に就職してからは、長期休暇の折に、あの車を飛ばして東京からやって来たのである。今、彼は父の経営する超精密加工プレスの会社に移っている。東京の結婚式には主賓で呼ばれた。 ({そのとうり でもね}、本誌、No.221、2月号(2006)を参照のこと)高知で勉強し、伴侶を見付けたのは平井圭一郎さん、お隣のお嬢さんは西岡恵さんである。

  高知工科大学を、出会いの場を、連携の場を高知に創って良かった、そんな思いを感じさせる3人の高知の女性を紹介させて頂いた。

 

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鈴木朝夫(すずき ともお)
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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録

 

高知工科大学でブログ教室 に関する記事

高知工科大学でまんぷく交流会(高知工科大学でのオフ会) 目次


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・インフラ、十年一昔、高知の変わり様

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

インフラ、十年一昔、高知の変わり様

情報プラットフォーム、No.233、5月号、2012、掲載


高知に15年前に来た時と今とを比べる。前回の{納豆、十年一昔、高知の変わり様}(No.232、5月号、(2012))の続編である。

 高知市内の東西の交通が、土電通りの他に、北環状道路、土佐道路と選択肢が増え、高速道も加わって便利さが増し、渋滞解消になっている。山田ま での「あけぼの街道」の開通が間近であり、「国道195号」の道標がすでに散見できる。南北方向の交通は、対面ではあるが五台山トンネルの完成 で、医療センターや高知新港へのアクセスが楽になった。高速道では、高知インターの開業があり、2008年の4車線化で川之江から南国までの19 のトンネル内の安全性が高まっている。また、県西部への延伸が少しづつ進んでいる。一方で、五台山の2本目のトンネル掘削は、高知龍馬空港へ、そ してさらに先への高規格道路の進捗を感じさせるに十分である。中山間地の道路整備も少しづつ進んでいる。

地形が急峻なこと、災害の多いこと、そして孤立しがちな地形であることなどの短所を長所に変えるように、多様な工夫の結果として高知県の土木技術が進んだ。地域に根ざした土建業者が各地に配置されている。沢筋の奥の集落に土建業者と自動車修理工場が一軒づつ必ずあるように思えた。「沢が崩れたと き、川下からだけではなく、上流からも復旧工事ができるようになっているのです」と
教えられた。公共投資が激減し、土建業の廃業や転業が相次ぐこ の頃では、こんなメリットも強調できなくなっていると思われる。

 浦戸の渡し(御畳瀬-種崎間)は無料であるが、2002年から四輪は載せなくなった。県外客の案内の目玉としていたのだが残念である。浦戸大 橋、仁淀川河口大橋、宇佐大橋などが無料化された中で、高知桂浜道路は有料で残されている。
県内では10ヶ所だった道の駅は21ヶ所に倍増してい る。一方で、廃墟と化したドライブインが各地に散見される。

高知に来て最初に住んだのが知寄町のマンションの11階であった。高知港がよく見えた。停泊中の大阪高知特急フェリーや東京-那智勝浦-高知を結ぶ「さんふらわあ」を眺めたものである。船腹に太陽のマークを付けた「さんふらわあ」は2001年10月に、大阪特急フェリーは2005年4月に廃止と なってしまった。1998年に供用が始まった明石海峡大橋の影響が大きかった。JR四国の特急南風も苦戦をしているようである。高知と京阪神を結 ぶ高速バスの料金が安く、所要時間にも差が無くなっている。高知空港は2004年に滑走路が2500mに延伸され、着陸時の安定性や安全性は大き く増したと思われる。

 県内中山間地で広く仕事をしている土木建設業の社長さんが携帯3社の電話をぶら下げていた。「圏外が多くてね」と嘆いていたのを思い出す。今で は何処を見ても、携帯3社の店舗が競い合い、丘の上には何処でも通信塔が立ち、圏外エリアは少なくなってきた。

 一方で、高齢化率の上昇を示すかのように、養護老人ホーム、ケアハウスなど老人福祉施設が開設され、葬祭会館も次々とオープンしている。石材業 の新装の展示場も増えている。反面で、ホテルや大規模宴会場を持つ施設は苦しいようである。結婚式やお客(高知流の宴会)の在り方が変わってきて いる。閉鎖されたところも多い。高知に来た頃は2次会・3次会が普通だったが、高齢化のせいか、景気が悪いためか、めっきり減っている。飲酒運転 の取り締まり強化に伴って、代行が急速に増えてきたのもこの10年である。

 大部分が外からの大きな力を受けながらの変わり様であるが、便利になったのか、不便なのか意見の分かれるところである。豊かさとは、幸せとは を、考え直す時に来ている。


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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録


鈴木朝夫のぷらっとウオーク・・・納豆、十年一昔、高知の変わり様

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

納豆、十年一昔、高知の変わり様

情報プラットフォーム、No.232、4月号、2012、掲載予定


 高知工科大学の創設に関わり高知に住み着いたのが平成9年(1997)4月であり、満15年になる。この「ぷらっとウオーク」の掲載が始まった のは平成14年(2002)5月からであり、十年一昔、総計120編に達している。テーマは様々である。読んだ方から、「好奇心旺盛ですね」と か、「あら探しが上手ですね」などと云われている。

 高知に来た時と15年後の今とを比べる。県別統計などからの引用ではなく、街を歩きながら、買い物をしながら、車を運転しながら、新聞・ニュー スを見聞きしながら気付いたことを、記憶の中から取りだして現在と比較する。まずは食から始めよう。

 高知にはコンビニエンス・ストアが殆ど無かった。地元資本のお弁当とコンビニを組み合わせた”24時間眠らない「如月」”が目に付くだけだっ た。今では、大手ブランドのフランチャイズ店が多くなっている。

それに対応してか、極端に多かった小さな喫茶店が激減している。{モーニングって 何です}(本誌No.258、3月号(2009)を参照して欲しい。ラーメン店は多かったが、一方で、そば屋とうどん屋は探すのに苦労した。特に そば屋は皆無に近かった。最近は讃岐うどんのチェーン店を多く見かけける様になっている。地元資本の焼肉店や居酒屋はかなり多いが、「食べ放題・ 飲み放題」は期待するほどではなかったようである。また、全国展開のファミリーレストランの勢力は、高知ではそれほど伸びていないようである。回 転寿司は10年前から増えているように思える。全国的な傾向であろうが、居酒屋の客層は酒臭いおじさん層から、家族連れに変化して来ている。

地元資本の店舗が少なくなっているのはスーパーマーケットである。その他に県外資本に押されているのは、家電量販店、パチンコ店などである。最近は県外資本のホームセンターの進出が目立っている。ドラッグ・ストアだけはまだ基本的には県内資本である。

スーパーの商品で大きく変化したものが一つある。関東地方と異なり、殆ど見かけることのなかった(糸引き)納豆が、商品棚の幅も広くなり、銘柄も豊富になっている。健康食品としてのテレビの影響が大きく、関東と関西との消費の差は縮まっているとのことである。ついでに、ダシ汁で食べるトコロテン には吃驚したが、最近は二杯酢や三杯酢のものも並べて売るようになった。なお、トコロテンの食べ方は地域によって様々である。

 グローバル化による変化も大きい。果物では、キーウイフルーツや、マンゴ、パパイア、アボカドなどのトロピカル・フルーツが普通に出回りだした のが2000年以降である。国産や高知県産も多くなっている。わらび茸などの名称で出ていたが、今ではエリンギとして名称が定着した茸も10年ほ ど前からである。

 2000年暮れに開業したイオン・モールの展開と西武デパート(2002年)とダイエー(2005年)の高知からの撤退、そして北環状道路周辺 の整備が客の流れを変えている。高知駅舎の高架化によって、北側一帯の開発が進み、高知インターから降りたとき、県都高知に到着と思わせる街並み に仕上がっている。

一方で、帯屋町商店街やはりまや橋界隈の往年の賑わいは無くなっている。それにも増して、高知市内、周辺都市の商店街の凋落ぶ りは見事と言って良い。シャッターの降りたまま、そこに画を描くことで盛り上げようとしている。でも、地元スーパーにある良心市は活況を呈してい る。まず、入り口付近にある「かかし市」、「ふるさと市」、「太陽市」などを見てから店内の買い物が始まるようである。

「この様なことがある」、 「見落している」、「10年前はこうだったよ」などと、お気づきの点を下記までお知らせ下さい。   

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録


鈴木朝夫のぷらっとウオーク・・・仁淀川河口大橋から見える源流の山々

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

仁淀川河口大橋から見える源流の山々

情報プラットフォーム、No.231、3月号、2012、掲載

仁淀川河口大橋から、仁淀川上流を見ると!

「仁淀川ファンクラブ」http://blog.goo.ne.jp/niyodog/e/3b92f0073776847ca772bb41416c1066

仁淀川の源流、石鎚連峰が白く雪をかぶって見えます!


  牧野富太郎ゆかりの「稚木(わかき)の桜」(佐川町)と武田勝頼伝説に関わる「ひょうたん桜」(仁淀川町)の種が宇宙から帰ってきた。北海道旭川から沖縄まで、地域の子供たちが拾った各地の14種類の桜の種が宇宙へ行ってきた。{花伝説・宙へ!}(本誌、No.265、10(2009))を参照し て頂きたい。

その中で、「稚木の桜」が未生から芽生えたその次の年に早くも花を咲かせた。宇宙桜の開花、第一号である。予想のように咲いてくれ た。
佐川町と仁淀川町の町長さんが、共催で桜まつりをやろうと相談している。私は吃驚して質問をした。「中間のコスモス公園の越知町は抜かすのですか。コスモスを漢字で書くと?」、「秋桜だ。」、「春と秋にさくら祭を皆でやろう。」となった。そして流域の交流と活性化を図る目的で、「仁淀川流域”宇宙 桜”の会」も結成された。

下流から、土佐市、高知市(旧春野町を含む)が加わり、いの町、日高村、佐川町、越知町、仁淀川町と連なっている。仁淀 川こども祭り+お国自慢大会を計画中である。流域のこどもに舞台で特産品の宣伝を行って貰う。毎年、開催場所は、下流へ、上流へと変えていく趣向 である。


  最近、仁淀川を取り上げた放送が多くなっている。「仁淀川 えい!」、「人と川の原風景」の魅力的なキャッチフレーズで仁淀川が放映された。四万十川に「最後の清流」の呼び名が付いたのもテレビのお陰である。仁淀 川を売り込むチャンスである。

仁淀川の源流は石鎚山系の南面の愛媛県側であり、土小屋の尾根が分水嶺となっている。その面河川は久万高原町を流れ下る。大渡ダムで高知県仁淀川町に入り、名前を仁淀川に変える。ここでは、市川家などのしだれ桜が、そして秋葉まつりが待っている。

分水嶺の北側は、旧小松町と旧西条市を分ける尾根が北に下がっており、ロープウェーのある登山道になっている。両側の沢が加茂川の源流であり、合流して黒瀬ダムとなり瀬戸内海に注ぐ。石鎚山に発して北に流れる水は河口まで名実ともに西条市に一元化された。
石鎚山系を源流とするもう一つの川は吉野川である。北から南に加茂川に沿って走る国道194号線は、西条市といの町(旧本川村)とを結ぶ寒風山トンネル で、四国の背骨の山を通り抜け、吉野川の上流域に入る。国道439号線(与作街道)に合流し、道の駅「木の香」を過ぎ、新大森トンネルで吉野川流 域を抜ければ、仁淀川流域のいの町(旧吾北村)に入る。道の駅「633美の里」で一休み。なお、「むささび」は194号+439号である。

西日本最高峰石鎚山を、清流度を競う仁淀川と伏流水を伴う加茂川を、あるいはそれらに沿った国道194号を、キーワードにして、瀬戸内の西条市と土佐湾の 高知市・土佐市を桜で連結したいと思って居る。

名古屋城から金沢兼六園までの桜並木を完成した例に倣って、流域に桜の名所、桜並木を増やしていく のはどうだろう。加茂川堤には武丈公園、面河川流域には法連寺の枝垂れ桜、西村大師堂の桜、仁淀川流域では、大渡ダム南岸、西地公園、伊野かんぽ の宿付近の桜堤など沢山見つかる。隠れた桜の名所を探し出すと同時に、隙間部分を見つけ出し、桜の名所を増やして行きたい。

ここには日本中の14 種類の宇宙桜も加えるのはどうだろう。各所の桜名所はこども祭りなどのイベント広場にも使いたい。

  「仁淀川流域"宇宙桜"の会」として、「星空と緑と清流の里」の久万高原町と「人がつどい まちが輝く 快適環境実感都市」の西条市とともに「さくら祭」や「こども祭」を開催できたら面白い。仁淀川河口大橋のアーチ状の中央部から石鎚山が見えたときは感激し た。こんな川は世界中探しても、滅多に見当たらない。桜で、宇宙桜で流域を飾ろう。

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録


鈴木朝夫のぷらっとウオーク・・・西条市観光アドバイザー

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

西条市観光アドバイザー

      情報プラットフォーム、No.230、2月号、2012、掲載

出典:西条市のホームページより「西条市観光情報」http://www.city.saijo.ehime.jp/kankou/kankoutop.htm

本谷公園の写真

出典:西条市のホームページ(トップページ)よりhttp://www.city.saijo.ehime.jp/index.htm


私の名刺の裏には幾つもの団体名と役職が書かれている。その中の一つに西条市生涯観光アドバイザーの肩書きがある。「ご出身は西条市ですか」と聞かれることもある。

愛媛県西条市新エネルギービジョン策定委員会委員に委嘱されたのは、高知に移り住んで2年目の平成10年6月のことであり、それまでは 西条市の名前も場所も知らなかった。委嘱を受けてから西条市を調べた。

一方で、金属工学が専門分野の私にとっての興味は別子銅山であり、住友グ ループの拠点でもある新居浜市は、住友金属鉱山(株)を中心とする工業地帯として学生時代から良く知っていた。

 西条市はその西隣にあり、エレクトロニクス・ビール・造船・重機工場などのある瀬戸内臨海工業地帯の一角、6万人規模の工業都市であることを 知った。

さらに石鎚山からの伏流水に恵まれ、自噴井の「うちぬき」がいたる所で見られるとある。

 西条市付近の地図を眺めて気が付いたことを、伊藤宏太郎市長に初対面のご挨拶の中で申し上げた。市長に就任されて一期目の半ばを過ぎた頃であ り、新しい取り組みに向かってのやる気一杯を感じ取れた。

「一つの自治体が大きな川の源流から河口までの流域全てを管理できるところは多くない。 石鎚山頂上から瀬戸内海までの領域を持つ西条市は数少ない例である。」が気付いたことである。「そうなりますね。」と大変喜んで下さった。

委員に推薦して頂けたのは、東工大の金属工学科の先輩にあたる山内尚隆氏のお陰である。彼は日本セメント(現 太平洋セメント)土佐工場の工場長をされた方であり、父上は東工大の第5代学長を務められた山内俊吉先生である。高知工科大学の創設に際しては、終始的確 なアドバイスを頂いた。

委員会の時は、道幅の狭い国道194号線で西条市に向かうことが多かった。帰りには早朝にホテルを出て、隧道を越えた高知側の登山口から寒風山を目指したことがある。山頂で展望を楽しみ、桑瀬峠に戻り、返す刀で伊予富士に向かった。今では約5.5kmの新寒風山トンネルが完成し、道路整備も進み、 高知との時間距離は短縮されている。

その後、縁があって生涯観光アドバイザーの指名を頂いた。加茂川の河原で「いもたき」をご馳走になった。そして季節になると、沢山のかしわ肉や里芋、それにスープ付きの「いもたきセット」を心待ちするようになった。最近、高速道の部分閉鎖で一般道を走る機会があった。沿道に里芋畑が多いことに気付 いた。
調べて見ると、愛媛県の里芋の人口1万人当たりの生産高は、全国4位とある。最近、西条市が経団連を取り込んだ農業革新都市総合特区を立ち 上げて、貿易自由化に耐えうる集約農業の試行が話題となっている。


西条市から頂いた私の名刺は3種類。「西日本最高峰 石鎚山」、「日本一の名水うちぬき」、「豪華絢爛 西條まつり」とあり、それぞれに写真が付いている。
毎年10月に行われる「西条まつり」には、元禄絵巻さながらに70余台の屋台(だんじり)などが加茂川 の堤に勢揃いする様は壮観と聞いている。一度見に行かなければと思っている。

  (旧)東予市、丹原町、小松町を合わせて西条市の幅が拡がっている。加茂川本流も、支流もすべて加わり、名実共に西条市の加茂川になった。「ビバ・スポル ティアSAIJO」を始めとする複数の体育施設を有効に活用する合宿都市構想も、「鉄道歴史パーク in SAIJO」の0系新幹線電車とDF50型ディーゼル機関車の展示も素晴らしい。毎月送られてくる広報誌「さいじょう」からは地域の活気が感じられる。こ の活気を高知にも呼び込みたい。

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録


鈴木朝夫のぷらっとウオーク・・・無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか③

2012-12-17 | 「ぷらっとウオーク」 2012年~

無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか③
情報プラットフォーム、No.292、1月号、2012、掲載



  無重力下では浮遊することを利用して、液体からの真球の結晶を得ようとするもの、容器なしの無接触溶融により汚染のない結晶を得ようとするも の、液滴や気泡の動的挙動の研究等がある。

無重力下では熱対流がないために別のマランゴニ対流と呼ばれる現象が顕在化してくる。濃度差や温度差に よって液体の表面張力が異なることから界面や表面と内部に対流が生ずるのである。実験の成否は容器の材質に大きく依存する。


  素人にわかりやすい提案は、どちらかというとライフサイエンス実験の方に多いように思える。生物の持っている体内時計が宇宙ではどうなるか、 細胞の電気泳動法による分離、などがある。蜘蛛がどんな巣を張るかという子供の提案はすでに試みられている。

宇宙酔いなど生理的な現象に対して人 間はすぐに適応して平常に戻るが、骨も中のカルシウムは減少しつづけるという。寝たきり老人と同じ状況と思われる。将来の宇宙旅行にとって解決し ておかなければならない問題である。


  無重力下の実験を考えるとき注意すべきことを2、3述べておきたい。できればon-off操作程度で実験操作がやさしく簡単であること、簡単 な操作でも所期の目的の通りに成功に導くための装置・サンプルアセンブリーに工夫すること、万一の場合でも人体に危険を及ぼす可能性の少ない物質 を選ぶこと、装置・試料の総重量をできるだけ軽くすること、エネルギー消費が少ないことなどである。


  いずれにしても巨額の費用を賄えるほど優れたものが現在つくれるとは思えないのだから、すぐに役に立つ材料の製造を目標にして無重力下の実験 を考えることは得策ではない。無重力下で生ずるさまざまな現象を正確に把握し、物理的・化学的な考察を可能にするような基礎的な地道な提案を尊重 することが、回り道ではあるが近道ではないだろうか。


  結論は、残念ながら、重力下に置いた2次元的思考が中心の脳ミソではあまり良い考えは出てこないだろうということである。日常我々がなにげな く使っている動詞は縮退することを念頭に置くことも役に立つだろう。逆立ちして考えるのも発想の転換の一方法かも知れない。望ましいことは、脳ミ ソを無重力下に置いて考え直すことではないだろうか。


  また、ゆとりと遊びの心がユニークな発想の助けになると思われる。俳人や歌人をスペーシシャトルに乗せて日本文学の代表的表現形態である俳句 や和歌を詠んでもらうのはどうだろう。宇宙と地上でやり取りする連歌はどうだろう。


「地球は青かった」よりも素晴らしい表現がでてくることが期待 できる。このとき季題はどうなるだろうか。どんな動詞を使うだろうか。また、秋の夜長に決められた時間に人工の流れ星をスペースシャトルからつく り、日本中で鍵屋・玉屋と楽しむのはどうだろうと、酒のさかなとして会う人ごとに話している。

もちろん、スポンサーを捜すことはそれほど困難では ないだろう。大部分の人は面白いと言ってくれるが、「それは難しいだろう」と現実的になる人が多い中で、あるグラフィックデザイナーの反応が最高 であった。彼の答は「それは打ち上げ花火ではなくて、打ち下ろし花火ですね」であった。(完)

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 これらの発想は高知県宇宙利用推進研究会(てんくろうの会)に引き継がれている。皆さんの頭が柔らかくなったところで、今年はさらに楽しい初夢を創り出せないものか。

 

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鈴木朝夫(すずき ともお)
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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の講演・出版の記録