鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

連載中の「ぷらっとウオーク」などをまとめました。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出 ③

2018-04-15 | 「ぷらっとウオーク」 2017年~

我が家のスキーと登山の思い出 ③     

                                                                                 高知ファンクラブ、No.190,3 (2018)

槍ヶ岳、初めての登山

本格的な登山にちえ子を誘ったのは、夏山シーズンも終わりに近い9月初頭の北アルプ

スである。裏銀座である。上高地から大滝山へ。大滝小屋はその季節にしては混み合っていた上に、夜半からはトイレに行くのも怖い大荒れの天気になっていた。翌朝は風雨も収まったが、蝶が岳から常念岳への縦走中は、視界が全く利かなかった。彼女のペースに合わせてゆっくりと歩く。槍ヶ岳の頂上がこの辺に見える筈と、見上げるような位置を指さすと「そんなに高いの。嘘だ」と半信半疑のちえ子である。

 突然、霧に動きが出て来る。指さした先に、槍ヶ岳の黒い山肌がチョット見え、また隠れる。やがて全貌が見えて来た。感動的だった。「あなたが自慢することではないでしょ」と言われながらも、あれが穂高、槍の隣は南岳と、興奮気味に説明をする。

大天井岳の山小屋が今日の目的地である。翌朝は快晴であるが、夜半に降った雪がうっすらと山全体を覆っている。昨日の山なってと今日の山は全くの別物である。慎重に雪の上に足跡を残しながら、縦走を続け燕岳から下山。その日は中房温泉でゆっくりと体を休めた。これ以来、ちえ子は山の魅力の虜になってしまったようである。最初の山行で、辛い目に遭うこともなく、山の気象の大部分を経験できたと言っても良い山行だった。

何度でも富士山、何度でも

「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」の諺があるが、富士山には、ほぼ3年に1度の割で

4回も登っている。富士登山を経験した留学生が卒業してしまうと、また、新しく入学して来た留学生達を中心として、鈴木研究室の学生を富士登山に誘っていた。韓国や中国を始めとする20人に近い留学生を、一度は登る「利口」にした勘定になっている。帰国した留学生達は日本の最高峰・富士山に登ったことを自慢にしている。国外でも、大いに羨ましがられ、尊敬されていると聞く。ちえ子と子供達は、異なるルートで、2度も富士登山に付き合って呉れた。

尾瀬ヶ原の山小屋

 「夕食の時にはスカートが要るでしょう。着替えはどうなるのかな」と準備に一生懸命である。「日数分だけの下着を持って行き、毎日着替える気なの。濡れた下着を持ち歩くことになるよ。登山のときに着替えは予備の下着の一組だけで十分。それに何故、登山にスカートが要るの」と反対する。家族4人で尾瀬に行く前日である。

 我々山仲間では、「荷物は可能な限り軽く、しかし必要なものはすべて持っている」を原則としている。複数の機能を持つ道具や衣服を工夫し、その出来映えをテントの中で自慢するのが、そしてそれを称賛する、賛美するのがしきたりであった。安全な登山のあるべき姿を創り出す原動力となればと思っている。

 至仏山に登り,尾瀬ヶ原を横切り、山小屋に着いた。「今晩、4人、お願いします」に対して、小屋の主は我々を上から下まで眺めて「あんた達、至仏山に登ってきただろう。靴の泥を落として入って」と言われて吃驚した。ここは山小屋なのに。

 夕食時間になり、食堂に出て見入ると、雰囲気はホテルのレストランである。女性の大部分がロングスカートで、登山のままのスタイルは、我々だけである。「貴方の登山はもう時代遅れになっているのが判らなの」と責められた。立派な浴室があり、トイレは水洗に変わっていた。今から20年も前の話である。現時点ではどうなっているだろうか。

最上階からの眺め、札幌と高知

高知に来る前に、3年間住んだ札幌での住まいは、地下鉄の自衛隊前駅の道路を隔てた駅前だった。次は終点の真駒内である。我が家の真下は、雪まつりの時の第2会場になる自衛隊真駒内基地である。駅から坂道の多い賃貸住宅は避けることにした。最上階の10階だったので、360度の展望が可能である。ここから見える山を全て登ろうと決心した。

 藻岩山はルートを変えて何回も登った。その時、山続きの硬石山にも登って来た、札幌岳、空沼岳、恵庭岳、樽前山とその横に並ぶ風不死岳にも登った。さらに北側の窓から遠くに見える暑寒別の山々にも行った。また、家からは見えないが大雪山系の旭岳や十勝岳にも、そして利尻富士にも登った。ちえ子も2、3の山を除いて一緒だった。

余談になるが、九州、屋久島の宮之浦岳の登山は、数回も試みたが何れも豪雨に遭遇し、引き返している。「一年に400日、雨が降る」と言われる原則を体験したのである。

 高知でも、最初は市内のマンションの最上階の11階に住んだ。南に竹林寺のある五台山と浦戸湾を挿んでの筆山、北には北山スカイラインが見える。もちろん北山は縦走した。登るべきは、四国の背中の山々である。千本山、剣山、次郎笈、三嶺、御在所山、矢筈山、梶が森、奥工石山、大座礼山、寒風山、伊予富士、稲叢山、横倉山、鶴松森、天狗高原などに登った。私にとって、剣山は深田久弥の選んだ日本百名山の中の60番目の山となった。

 新旧の地層が混ざり合い、植物の種類の豊富な横倉山は牧野富太郎の研究フィールドだった。横倉山も、その登山口にある「自然の森博物館」にも、何度も行った。大座礼山の尾根筋にある巨木のブナ林には感激した。登るにつれて照葉樹林から落葉樹林帯に変わるのが西日本の山の特徴と言える。稲叢山のあけぼのつつじが見事だった。

 鶴松森は四万十川の源流であるが、もう一つの源流、自然林の不入山にも行く必要がある。

吉野川の源流の瓶ケ森、そして四国最高峰の石鎚山にはぜひとも行く必要がある。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

 



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