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偏見に負けないHIV感染者=神戸支局・竹内良和

2008年10月11日 | スクラップ
◇「生き方主張しよう」



 同性間の性的接触でエイズウイルス(HIV)に感染した男性(35)が、近畿圏の学校で、感染者への理解や感染予防を訴える講演活動を続け、もうすぐ1年になる。私は彼への取材を通じて、逆境のなかでも前向きに生きる人間の強さや素晴らしさを改めて教えてもらっている。

 男性の愛称は「ちょふ」。講演活動を始めてからは「ちょふ(+)」と表記している。「+」には、HIV感染者であることや、「前向きに生きている」との意味が込められている。

 九州出身。20歳で上京し、グラフィックデザイナーとして長年働いた。現在は大阪府内のマンションでパートナーの男性と同居している。HIV感染を知ったのは03年のことで、この男性からの感染だった。

 取材のきっかけは昨年11月に来た一通のメールだった。「HIV感染者のちょふと申します。覚えてらっしゃいますか」

 彼とは05年に神戸であったエイズ国際会議の関連取材で知り合った。届いたメールは、大阪市立中学校から性教育の授業の講師に招かれ、初めて講演するとの内容だった。メディアに素顔をさらして活動するHIV感染者は国内では数人しかいない。「自分と接することで皆の気持ちが変わればいい」。大きな決断だった。

 翌月の講演。初めて見るHIV感染者の姿に、生徒らは目を丸くした。ちょふさんは自身の体験を笑顔で語った。母に感染を伝え、「私より早く死ぬなんて、そんな親不孝は許さない」と言われ落ち込んだことなど、ありのままをさらけ出した。

 多感な中学、高校生からは、こんな質問も投げられた。「付き合っている人がエイズだったらどうすればいいの?」。ちょふさんが「何も言わずに抱きしめてあげて。あなたが一番の理解者になるのだから」と答えると、生徒の表情が緩んだ。講演を聞いた男子中学生は言った。「HIV感染者でも同性愛者でも、人は人だ」。ちょふさんの気持ちはしっかり届いていた。

 その後、私は各地の講演に同行するようになった。今では、私に元気がなかったり愚痴を漏らしたりすると、ちょふさんはいつも電話で励ましてくれる。

 しかし、私は心のどこかで「本当はどんな人なのだろうか」と不安を抱いていた。それは、ちょふさんが世間で白眼視されている同性愛者で、世間が恐れるHIV感染者だからかもしれない。そんな気持ちを抱いてしまう小さな自分を変えたくて取材を続けていたのかもしれない。

 わだかまりは今年6月、大阪の大学での市民らとの懇談会でちょふさんが言った言葉で氷解した。「(感染)相手を恨まなかった。お母さんのような気持ちだった」。懐の深さに圧倒された。

 ちょふさんは、感染を知った時、「実は遊びました」と告げられた。パートナーは浮気相手から感染したHIVを、ちょふさんにうつしたというのだ。それでもちょふさんは「その人は感染を知っているの? 知らないなら、早く伝えてあげなきゃ」と心配した。「もめている場合じゃない。(パートナーは)体が弱いし、とにかく生きないと」。頭が下がる思いだった。

 ちょふさんは感染を機に「人間らしい生活とは何か」と考えるようになった。20代の半ば。高級外車に乗ってブランド品を買いあさり、クレジットカードの請求が毎月数十万円に上るような生活をしたこともある。しかし、社会からつまはじきにされる感染者の状況を見て、「表に出られない人の代わりにやらなくては」と、講演活動を始めた。

 HIV感染者を取り巻く現実は、正直言って厳しい。ちょふさんは派遣社員として働いていたが、微熱が数カ月続き、検査通院で欠勤がちになった。結局、今年6月に解雇された。上司には「持病」としか説明できなかった。今は失業保険で生計を立てる。

 以前、歯の詰め物が取れた時のこと。近所の歯科医院に行っても「感染者という理由で診療を断られるかもしれない」と不安に駆られた。専門の歯科医院を見つけるまでの3年間、詰め物が取れたままで過ごした。04年に開業歯科医ら500人を対象に厚生労働省研究班が行った調査では、28%が「医療者に感染する恐れがある」ことなどを理由に、HIV感染者の診療を「原則として断る」と回答している。

 だが、ちょふさんは言う。「世の中にはたくさんの差別や偏見があるが、相手は『知らない』のだから仕方ない。だからこそ、自分の生き方を主張して理解してもらえばいい」

 日本でエイズは、ようやく「死の病」ではなくなった。薬の服用で発症を抑えながら生活できる。感染者は未来が描けるようになった。それでもちょふさんは、就職面接をどう乗り切ろうかと、頭を抱える時もある。「感染者と言ったら断られるかもしれない。逆に、健康ですと言っても都合が悪い」。そんな時も「何とかなるでしょ」と笑って話す強さがある。

 「感染者になって、多くの人と仲良くなり、人生は素晴らしいと気づかせてくれた。HIVに感謝している」とちょふさん。夢はタイにエイズ孤児の学校を建てることだという。ぜひ実現させてほしい。

 講演依頼は大阪市のNPO・GINAのホームページ(http://www.npo-gina.org/)で受け付けている。




毎日新聞 2008年10月8日 大阪朝刊
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