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時代を読む~若手論客に聞く(2)政治学者・中島岳志さん(上)まるで共産主義体制

2014年01月04日 | スクラップ

 

 

 


自民党が政権に返り咲き1年が経過した。その振る舞いを政治学者の中島岳志さん(38)は「保守思想が批判してきた共産主義体制のようだ」と批判する。安倍晋三政権が推し進めようとする憲法改正や集団的自衛権の行使容認、そして強行採決された特定秘密保護法案に靖国神社参拝、拡大を続ける格差社会-。「決める政治」が見落とす、あるいは見て見ぬふりをするものとは。

 

■保守から逸脱


 安倍内閣は保守政権と言われるが、僕からすれば全くの逸脱で、どんどんと離れていくように見える。

 

保守思想の根本は、近代啓蒙(けいもう)主義などに基づいた革命思想に対する反発。ベースにあるのはエリートや、何人かの人間の理性によって、世の中が良くなるという完成可能性に対する批判です。

 

人間はどうしようもない誤謬(ごびゅう)や知的・倫理的限界を持っている。だから、保守は個の理性を超えた価値を見いだそうとする。過去に多くの人が集団的に、かつ時間をかけ、そして歴史の風雪に耐えながら形成されてきた集合的な経験知に依拠しようとする。世の中はどんどんと変わっていく。だから単なる反動ではなく、徐々に変化させていく。保守するための改革、永遠の微調整というのを積極的に受け入れるのが、保守の考え方です。

 

ところが安倍政権は世論の反対を押し切り成立させた特定秘密保護法の決定過程からも明らかなように、大きな変革を上から断行しようとする。自分と立場の違う人たちの言葉に耳を傾けるのではなく、自分にとって都合のいい人たちの言うことだけを聞いて、独断的に物事を進めていく。

 

この姿はまさに、保守が20世紀をかけて批判し続けてきた、共産主義体制そのもの。あなた方は中国共産党政権を批判しているけども、本当はああいうふうになりたいんじゃないかと言いたい。

 

前の第1次安倍内閣と今の安倍さんは、ずいぶん違うと思います。前はいろんな人の言うことを聞きすぎて、足を引っ張られたと思っているんでしょう。

 

 

 

 

■ポピュリスト


 安倍首相は極めてあざといポピュリスト(大衆迎合主義者)です。「世論」という言葉には本来、二つの意味があった。「パブリックオピニオン(公的な意見)」を輿論(よろん)、「ポピュラーセンチメント(大衆的な気分)」を世論(せろん)と呼び、区別してきた。安倍さんが依拠しようとしているのは明らかに大衆的気分、つまり世論の方です。

 

いろいろな意見を聞きながら自分自身の葛藤を経て方向性を見いだすより、気分的なものに乗ってある層の支持を集めながら、独断的に物事を進めようとする。そういう独裁的な方向を、安倍さんは無自覚に歩んでいる。

 

 

 

 

■浮遊する個人


 これは日本政治に20年にわたって横たわってきた問題です。小泉純一郎元首相に始まり、橋下徹・大阪市長のブームもそうだし、繰り返しやってきた。

 

社会が流動化し、底が抜け、みんなが大衆的な気分に偏って、社会的な中間的な立場・居場所がなくなり、特にテレビ的なポピュリズムに一体化していく。

 

人間は本来、「トポス的な存在」です。トポスというのは「自分が生きていくための役割があると実感できる場所」です。トポスを失った大衆社会は、みんな自分の存在意義が分からず、人は大勢いるのに個々人は孤独だという問題を抱える。

 

意味付けを失い、ただ個人として浮遊しているような社会は極めて熱狂的になりやすく、過去の経験知に学ばず、他の人が言うことには耳を傾けない。社会学者が言うところの「カーニバル化した社会」です。瞬間的熱狂、断片的熱狂が繰り返し表出し、そこに何らかのイデオロギーや思想は存在しない。

 

だから、いま社会全体に右傾化が起きていると言われているが、それよりみんなで盛り上がれるネタで「祭り」が起きている状態に近い。保守にはこういう熱狂的社会に対する違和感が強くあるはずなのに、安倍さんはむしろ乗っかろうとする。だから彼は、ネットやフェイスブックをやって、誰かを攻撃したりしていますよね。

 

 

 

 

■大衆との対決


 メディアは時に、その大衆的な気分に対決する覚悟を持たなければならない。世論が中国との戦争を支持しているからといって、礼賛するかといったら違うわけでしょう。

 

メディアは単に報道だけではなく、政治というアリーナの一つのプレーヤー。自分たちの意思と主体を持ち、政治はこうあるべきという公論の場をつくるべき。僕は客観的報道なんて信用していない。何かを書くこととは、何かを書かないこと。「これは書きにくい」と思うことは有識者に言わせて、その有識者だってチョイスしているでしょう。

 

そのことを踏まえ、いわゆる多数派である意見に違うんじゃないかと言う役割もある。マス(大衆)にすり寄ることがマスメディアではなく、マスの側が「気分」で間違いを犯しているのではないかと思ったら、それを指摘するのも大切な役割。われわれ政治学者と同じ。マスを恐れるな、迎合するな、すり寄るなということです。

 

 

 

 

■永遠の微調整


 こうした大衆的な気分によって専制的政治を支える「群衆」から、公的な意見を持った「公衆」になるために必要なのが、僕は「中間領域」というものになると言っている。NPOでも習い事でも、複数の人間集団に所属しているという重要性です。

 

意見や考えが違う人たちと、さまざまなプロセスを経て合意形成していく場が社会の中にどれだけあるか。意見の違う他者と折り合う、それが政治というもの。でもいまはそういう、国家と個人の間にある空間がすっからかんになっている。これをとにかくさまざまな形で、創り出していくしかない。

 

これからは成長社会ではなく、成熟社会へ向かう。どう考えても、もう経済成長は望めない。小規模化しながら、成熟へと向かっていくしかない。つまりお金はそんなに稼いでいないけども、どこか充実していて、生きがいがあって、自分の役割があって、という社会に向かっていくしかない。

 

民主主義は、ちゃんとやろうとすると本当に面倒な制度です。どこかにものすごい答えを持っている大思想家がいるなんて、幻想にすぎない。僕らが長い間積み重ねてきた経験知の方が、案外まともなんです。

 

僕たちだって生活が激変すると困るでしょう。次は車買うためにお金貯めてとか、ちょっとずつですよね、生活が変わっていくのって。結論は一歩一歩で地味ですが、漸進的前進こそが保守思想の根本。だから僕は、永遠の微調整しか信じません。

 

 

 

 


◆なかじま・たけし 1975年、大阪府生まれ。政治学者。北海道大准教授。2005年の「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞受賞。言論誌「表現者」「週刊金曜日」で編集委員を務め、近著に「保守のヒント」「血盟団事件」「『リベラル保守』宣言」など。

 

 

 

 


かながわしんぶん 2014年1月3日(金)13時0分配信 カナロコ by 神奈川新聞

 


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危険はらむ国家主義

 

 

時代を読む~若手論客に聞く(3)政治学者・中島岳志さん(下)
カナロコ by 神奈川新聞 1月4日(土)13時0分配信

 

 

 

 


■拡大する格差

 

  安倍政権の考え方は金融緩和をして、お金が出回ると、全体の景気がよくなり、失業率が回復し、格差社会がなくなっていくと。税収も増え、それを社会保障に充てるから、経済発展と社会保障が両輪で進んでいくという理論。けれど全然、そうならないですよね。

 


   なぜかというと企業が賃上げをしないから。いまの経営者にはまず株主、内部留保という思考があって、従業員への再分配に発想がいかない。賃上げは人材の流失を防ぐとき。彼は稼げるから、惜しいと。つまりいま、賃上げは一部の人たちだけのものになっている。

 


   景気回復、株価上昇というが、失業率も有効求人倍率も若干よくなった程度。その「若干」もブラック企業や非正規の不安定な雇用が拡大しただけで、ほとんどの人にメリットがない。

 

 

 

 

■未来失う若者

 

  ただ安倍さんへの支持は20~30代が非常に高い。昨年の参院選の際には、取材で「若者は右傾化しているのか」という質問を受けたが、僕の結論は違う。

 


   例えば「あなたは幸せか」という質問に対し、かつてはグラフが年代別に右肩上がりだった。つまり若者ほど自分は不幸せで、高齢者は幸せだと考えていた。それがいまはナイキ(U字)型になっている。

 


   人が幸福だと感じるのは、未来を失っているときです。いまより自分の人生が良くなるというビジョンが描けないときに、いまを抱きしめようとする。高齢者がなんで幸せかというと、もう先がないからですよね。

 


   いまの若者はスマートフォンが使えて、多少ゲームができて、小さい家だけれど、それなりにやっていける、それで充実していると思わないと、やっていけない。いまを抱きしめて「いや、いいっす」「自分には無理」とか、その態度が保守的に見えるんです。海外に行きたがらないのもそう。

 


   だから背景にあるのは、輝ける未来の喪失だと思う。右傾化・保守化しているというより、いまがいま以上に良くなるというビジョンを描けないという現状の方が、大きいと思うんです。

 

 

 

 

■居場所がなく

 

 福田恆存(つねあり)という戦後保守を支えてきた評論家は、「人間は演劇的な存在だ」と言う。人間は何からも開放された自由というのを、本質では求めていない。社会の中で自分がいなければ時間が停滞したり、うまくいかないという役割を求めたりしている。それを演じ、その自己を味わいながら生きる。それが人間の本質なんだと。僕が大事にしている人間観です。福田が指摘しているのは、トポス(自分が必要とされる場所)の重要性なんですよね。

 


   非正規雇用や派遣労働は人を代替可能な他者として扱う。あなたではなく、Bさんでもいいですよと。2008年の秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大被告も、代替可能な存在として扱われ続け、いらだちを高めていた。

 


   社会の中ではじき飛ばされた人たちが、最後に何にアイデンティティーを見いだすか。それは能力を超えた、自己がどうあろうと変わらない、生まれ持った属性というものなんですよね。

 


   フリーライターの赤木智弘さんが、「30歳。フリーター。希望は戦争」という文章の中で書くのですが、彼は屈辱感を抱えているという。自分たちは「上の存在」に追いつくのは無理で、永遠に時給数百円で生きていくしかない。そんな人間に尊厳なんてない。だから「戦争になってガラガラポンしてほしい」というのが、彼の主張です。

 


   彼は「こんな僕たちがナショナリズムに向かうのはよく分かる」と言う。なぜなら日本人というだけで、例えば「在日コリアンより偉い」というアイデンティティーを獲得できるから。日本人であるというそれだけで、優越性が与えられるのがナショナリズムなら、トポスを失った彼らが行き着くのは、根無し草になった上での空虚なナショナリズムだというわけです。

 


   ただ浮遊したナショナリズムというのは、非常に危険です。絶対的な他者に対する、攻撃的なナショナリズムになりがちなので。

 

 

 

 

■偽りの平等性

 

  格差社会に苦しむ若者が、それを生み出す政権を支持するという皮肉は、小泉内閣のときに起きたループと同じだと思う。これをどう解くかというヒントは、二つあると考えている。

 


   一つはナショナリズム。

  小泉さんは排外主義的で、中国への強硬姿勢や靖国神社参拝をテコとして使った。ナショナリズムという問題を持ち出して排外的な感情をあおると、ホリエモンから格差社会で困っている人たちまでもが、同じ1票を持った日本人として「対中国」というものを語り合える場に立てる。

 


   つまり現実的な不平等を、架空の平等性によってゆがみを見えなくさせる。その装置としてナショナリズムがある。格差社会が広がれば広がるほど現実の不平等に粘土を塗り込み、架空の平等性を設定することで支持を集めようとする。格差を隠したい政治家にとっては、大変良い装置だということなんです。

 


   それが赤木さんの議論と重なる。「生まれ」にしか依拠できなくなった若者たちと、それを利用したい政治家がここで結びつく。つまり、不平等が拡大すればするほど、不平等を強いられている若者へ政治家が手を差し伸べる、という装置です。

 


   二つ目は新自由主義そのものの問題。

  新自由主義とは既得権益者の「引き下げ」です。つまり、目の前にいる少し自分より楽をして、得をしているように見える公務員などを攻撃し、権利が引き下げられるとざまをみろとなる。僕はこれを嗜虐(しぎゃく)的愉楽と言っている。

 


   ただ結果的にそれでまた不安定雇用が広がるので、皮肉にもブーメランのように彼らの後頭部にぶつかってくる。でもそれより誰かが引き下げられるのを見て、留飲を下げる。そういう引き下げデモクラシー的なところがある。

 


   安倍政権によって不利益をこうむっているのに、支持している層が存在するというパラドクス(矛盾)は、この2点にあるのだと思う。

 

 

 

 

■不安定を増長

 

  人にとって「安定」はとても重要です。予測可能な未来が設定できないと、人は将来に向けて投資ができない。安倍政権は経済のパイを活性化するためには競争が必要だと言うが、僕は安定だと思う。昨今のスピード感とか「決められる政治」というのは、この部分を劣化させてきたと思う。

 


   きちんと再配分をし、滑り台から落っこちても、ちゃんと安全網があり、だからこそいろいろなモノにチャレンジする活力が生まれる。そういう方向性に少なくとも自民党は行っていない。むしろ、不安定なものをますます増長させているとしか考えられない。

 

 

 


 
最終更新:1月4日(土)13時0分

こちらのページより転載。

 

 

 

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