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NHKオンライン: 時論公論  「憲法第25条と広がる貧困」

2010年05月09日 | スクラップ

2010年05月03日 (月)



■前説

こんばんは。時論公論です。きょう5月3日は憲法記念日です。憲法といいますと、第9条に関心が集まりがちですが、いま改めて注目を集めている条文があります。第25条、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、生存権を定めた条文です。雇用や家族の形態が大きく変化する一方で、時代の変化に社会保障制度が対応できず、貧困が広がり、多くの人の生存権が脅かされているからです。今夜は生存権と広がる貧困について考えます。




■広がる貧困


63年前のきょう、施行された日本国憲法。第25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。誰もが人間らしく生きられる社会を作るための条文です。しかし今、多くの人たちがその最も重要で、かつ基本的な権利を脅かされています。

国の研究機関が行った調査によりますと、経済的な理由で必要な食料を買えなかった経験のある世帯が全体の15.6%に上っていました。一人親世帯では、38%に達しています。子どもにご飯を十分食べさせられない家庭も少なくありません。埼玉県のある公立小学校の先生は、朝ごはんを食べずに学校に来て、おなかがすいて勉強できないと泣き出す子供がいると話していました。貧困は、命をも、脅かします。厚生労働省によりますと、国民健康保険の保険料を滞納して、保険証の返還を求められた世帯は去年、全国で31万世帯。10年足らずの間に3倍に増えました。健康保険証を持たない状態で亡くなった人は、2年間で少なくとも475人に上っていることがNHKの調査でわかっています。医療費の10割負担を恐れて、病院にかかることをひかえ、手遅れになった人が多いとみられています。






■貧困が広がった背景


なぜ、これほどまでに貧困が広がったのでしょうか。背景には、企業や家族形態の変化があります。日本では長い間、企業と家族が国の社会保障制度を補完する役割を果たしてきました。企業は、終身雇用で従業員を定年まで雇い、福利厚生で住む場所も安く提供し、働く人たちに安心を与えてきました。

しかし、90年代のなかばから、その姿を変え始めます。グローバル競争が広がる中、非正規雇用の労働者を増やし、人件費を削り始めたのです。何かあったときに、支えとなってきた家族も、核家族化や単身化が進み、いざというときに支える役割を果たせなくなっています。

一方で、失業したり、身体を病んだり、いざというときの国のセーフティネットは、企業が社員を守り、家族が支えあう社会を前提に設計されたままです。変化に対応できない、いわば穴だらけのネットは、雇用情勢が悪化し、大勢の非正規雇用の人たちが仕事を失っても支えることができずにいます。特別な人、ではなく、誰もがふとしたきっかけで貧困に陥りかねない社会になってきています。





■最低限の生活保障とは?


長妻厚生労働大臣は去年、国が保障すべき最低限度の生活とは何か、いわゆるナショナルミニマムについて、改めて考える検討会をスタートさせました。先月、この検討会で、厚生労働省は、収入が生活保護の水準を下回る低所得の世帯のうち、生活保護を受けていない世帯の推計値を初めて公表しました。

厚生労働省の国民生活基礎調査をもとにすると、
 全国で229万世帯。
 低所得でありながら、保護を受けていない世帯は68%。
 総務省の全国消費実態調査をもとにした場合は、45万世帯。
 保護を受けていない世帯は32%と推計されました。

異なる推計結果は統計の調査手法の違いによるものとみられますが、いずれにしましても、多くの世帯が、低所得でありながら、生活保護を受けずにいる実態が初めて明らかになりました。厚生労働省は今後、さらに詳細な分析を進めることにしています。


長妻厚生労働大臣は、「憲法25条の生存権から導き出されるものが具体的にどういうものなのか、きちんと合理的に見直すべきだ」と述べ、この時代における生存権の新たな指標を作る必要性を訴えています。その言葉通り、今後、貧困の実態をより正確に把握したうえで、社会保障制度をトータルに設計し直すことができるのか、しっかりと責任を果たしてほしいと思います。

 



■必要な視点 (1) "働く"ことを支える


では、生存権を保障し、誰もが安心して人間らしく生きられる社会を作っていくために、どんな視点が必要になるのでしょうか? 私は二つの視点が必要だと考えています。

一つは、"働く"ことを支える、という視点です。今、仕事とともに、住むところまで失い、暮らせなくなった人たちが、本来、社会保障制度の最後の砦であるはずの生活保護になだれこんでいます。生活保護は本来、自立を支援することを目的にした制度ですが、現状では、支援が十分ではないため、保護を受けると意欲まで奪ってしまいがちです。

そこで、保護を受ける前の段階で、職業訓練や丁寧な就労支援など社会的な投資をして、できるだけ、自らの力で所得を得て、自立できるように支援していく。

ただ、今の雇用環境では、働いて経済的に自立することは容易なことではありません。新たな支援が必要です。たとえば、通常の税額控除と合わせて、所得の低い世帯には現金を支給する、給付付き税額控除。少しでも多く働けばその分、手取りが増える仕組みですので、働く意欲を損なうことなく、家計を支援することができます。

このほか、安心して暮らしていけるようにするためには、住まいにかかる費用を公的に保障したり、最低賃金を引き上げて雇用の質をあげていく取り組みも必要です。いずれも、すでに政府が検討を始めているものです。働くことを支えることで、それぞれの人の力を最大限に引き出すことができれば、新たな雇用を創出する基盤作りにもつながります。社会保障への投資が経済成長の足かせになるのではなく、逆に経済を成長させる力にしていくという発想の転換です。具体的な制度設計を急いでほしいと思います。




■必要な視点 (2) "存在する権利"も保障

もうひとつの重要な視点、それは、生存権という言葉に含まれています。「生存」という言葉は、「生きる」ことと「存在する」こと、二つの言葉で成り立っています。社会に存在するということはつまり、社会とつながること、認められ、必要とされることです。

いま、貧困に陥るだけではなく、家族や地域、社会とのつながりを失い、孤立している人が増えています。社会とのつながりを取り戻し、社会の一員として存在することを支える取り組みの重要性にも目を向ける必要があると考えます。様々な支援の手が地域の中で無数に差し伸べられる社会にしない限り、生存権を保障することはできないと思います。




政府は去年、相対的貧困率が15.7%であることを初めて公表し、貧困の問題に取り組む姿勢を示しました。しかし、具体的にいつまでに何をするのかが見えてきません。イギリスでは10年前、当時のブレア首相が子供の貧困をなくすために、10年後、20年後の貧困率の削減目標を数字で示した上で様々な改革に取り組み、10年で子供の貧困率を20%削減させました。生存権という、憲法が定めた国民の権利。その権利を保障するのは、政府の義務です。貧困が広がり、多くの人の生存権が脅かされようとしているこの現状をいつまでにどう改善するのか。具体的な数値目標とともに、覚悟を持って、この課題に臨むことを求めます。







投稿者:後藤 千恵 | 投稿時間:23:57

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