地震や津波に加えて、原発の被害が拡大している。震災で家がなくなったわけではないのに、地元を離れて避難しなければならない人たちの無念さは、どれほどのものであろう。
首都圏でも「乳児には水道水を飲ませないで」という呼びかけが行われ、多くの人が不安を感じている。診察室には早くも、「手を洗っても洗っても放射性物質がついている気がして」「水道水でいれたお茶を飲んだら吐き気がした」などと訴える人が訪れ始めている。「呼吸するだけで放射能に汚染されるのでは」と深い呼吸を控えているうちに、胸が苦しくなりパニック状態に陥った人もいた。
おそらくそれらは“気のせい”なのだが、だからといって軽く考えることはできない。場合によっては、本当に体調に変化が生じ、仕事や生活に支障が出てくることもある。
「こうなったらどうしよう」と悪いことを先取りして感じる「不安」は、私たちにとって最大の敵だ。気持ちを萎縮させ、冷静な判断ができなくなり、動きを止めたり衝動に走らせたりする。考えようによっては、実際に起きている困難以上に有害だともいえるのだ。
先日、被災地の方と直接、話をする機会があった。「東京では水道水を怖れる人がミネラルウオーターの買い占めている」と話すと、「こっちは水道が復旧しただけで大喜びなのに」と言われた。
たしかに、原発の状況は予断を許さず、今後、長期にわたって大気や土壌の汚染が続くことが懸念される。しかし、いま被災地を支えなければならない人たちまでが、不安からパニック状態に陥り、自分の生活を送ることさえできなくなる、というのは大きな問題だ。
原発の問題は、これからも目を見張り、耳をすまして注意を続けたい。ただ、ひとつ、覚えておいてほしいことがある。それは、いったん「不安」にとりつかれると、それは雪だるま式に増大し続け、私たちから思考力や判断力を奪ってしまう可能性がある、ということだ。「私の感じている『不安』は、必要以上に膨れすぎてはいないか」と、常に自分に問いかけて冷静さを取り戻す必要がある。
「水道水を飲んでよいかどうかという前に、その水がまだ出ないのだ」と言っている人たちも、いまだに被災地には大勢いる。そのことを心にとめながら、事態の推移を見守り、自分の態度を決めていきたい。
毎日新聞 2011年3月29日 地方版
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