墨汁日記

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ぶっちゃけ

2006-07-30 20:07:55 | 日本語
 片付けられない性格よりは、ぶっちゃけられない性格の方がまだマシだなと思うが、ぶっちゃけ言って「ぶっちゃけ」ってなんだ?

 「ぶっちゃけ」の「ぶっ」は、「ぶっ壊す」だとか「ぶっ飛ばす」などの「ぶっ」と同じくただの接頭語でグリコのオマケにすぎない。一粒100メートルの威力を持つ言葉の本体は「ちゃけ」にある。
 「ぶっ」てのは、とても力強い接頭語で、「ぶっちゃけ」という言葉を流行らせたのは関西人の岡村隆史であるが、どこか関東的なにおいのする言葉だなと思う。

 「打ち壊す」ってのが京都風な正統の日本語であるなら、「ぶち壊す」は田舎臭いが力のある表現だ。
 本来は「打ち」と言うべきがなまって「ぶち」になり、力強い「ぶち壊す」となる。
 気の短い関東の人によって「ぶち」さえも「ぶっ」と短縮され「ぶっ壊す」となると、さらにスピード感まで出てくる。

 ところで、山口県の人は形容詞のあたまになんでも「ぶち」をつける。
 たしか若いとき交遊のあった山口県人も「ぶち」を愛用していたと記憶している。「ぶちすごい」とか「ぶち美しい」とか「ぶち麗しい」とか言ってたような言ってなかったような曖昧な記憶がある。

 「ぶっちゃけ」の「ぶっ」が接頭語なのは解った。じゃあ「ちゃけ」ってなんなのと聞かれるならめんどくさいが説明せねばなるまい。
 「打ち明ける」というかなり正統な日本語が「ぶっちゃけ」の語源であろうと言うのがもっぱら巷の説だ。
 本当は「打ち明ける」をさらに強調した表現になりたかったので、それで「ぶちあける」になろうとしたが、なんとなく言いにくいので浸透しないうちに、「ぶちまける」や「ぶっ散らかす」のニュアンスなんかもなんとなく加わって「ぶっちゃけ」が完成したと思われる。
「この大バカヤロぉ! お前の馬鹿さかげんには父ちゃん情けなくて涙でてくらぁ」の『あばれはっちゃく』の自由奔放な悪ガキのイメージも「ぶっちゃけ」の成立にまた一役かっていると想像する。
 ようするに基本の意味は接頭語プラス動詞の「打ち明ける」のハイ・グレード版なわけなのだが、「ぶっちゃけ」の「ちゃけ」は雰囲気的な言葉でまったくどうしようもなく動詞なんかではない、いろんな意味や気持ちのつまった複合語だ。動詞でない証拠に命令形にできない。「ちゃけろ!」と命令されてもどうしていいのかまったくわからないはずだ。

 「ぶっちゃけ」の意味は「打ち明ける」的な告白よりも、さらにオープンに心のオブラード全解放せよという意味だ。
 何もかもを包み隠さず全開オープンが「ぶっちゃけ」の心だとおもう。
 少しも隠してはならぬ。
 それが「ぶっちゃけ」の意味だろう。だから、簡単に「ぶっちゃけ」とかいう連中がなんとなく許せない、ぜんぜんまったくぶっちゃけてもいないくせに平気でぶっちゃけとか言う。それでぶっちゃけているつもりなのかとイライラする。
 さらに自分はまったくぶっちゃけるつもりもないくせに、飲み会などで他人に「ぶっちゃけ」を強要する人間を見ると怒りを覚える。
 フルチンである。
 フルチンこそ「ぶっちゃけ」である。
 フルチンで泣きながら告白こそ真の「ぶっちゃけ」だ。
 それ以外は「ぶっちゃけ」と認めぬ。


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