俺は絵が下手だ。
ちゅーか、俺の描く絵には『下手』のオーラが常にただよう。
じっくり見るまでもなく、パッと見で、本当に自分でもガッカリするほどヘタクソで泣きたくなる。
うまい絵とへたな絵の境界は、ただの受け手の感性である。
絵そのものに上手いも下手も無い。
と、虚勢をはってみても下手な絵は下手だ。
才能が無いと言ってしまえばソレまでの事を、納得して了解して諦めて、漫画を描く事を一度は辞めた。
今日は、古い友人が家に訪ねてきた。
自分の時間が減るので、少し迷惑でぶっちゃけ来て欲しくなかったが、客人なのでソレ相応にもてなす。
友人に告白する。
「最近、また絵を描きだしたんだ」
そう言って、パソコンを立ち上げてハード・ディスクに保存してあるデータ化した絵を披露する。
1枚目を見たとたんに面倒になったのか、古い友人は言った。
「スライド・ショーにして」
複数の絵を自動的に連続してモニターに流す。
友人の目はモニターに向いてない。ほとんど俺に目線がいき、自分のおしゃべりに熱中している。
たまにチラチラとモニターながめる程度だ。
きっと古い友人にとり、真面目に見るに値する価値も無い絵なのだろう。
その場では感想もなく、帰り間際に古い友人が言った。
「内山の絵は小学生の投稿レベルだよね。最近の小学校の高学年くらいなら、もっとうまい絵を描くよ。まずは模写からはじめたら」
適確な指摘ありがとう。
俺も、俺の絵は、読者コーナーの投稿並みとは思っていたが、小学生高学年レベルだとまでは思わなかった。
本音を言うなら殴り殺してやろうかと思ったが、絵が下手なのは本当なのでやめた。
彼はまったく絵が描けない。
絵を描かない人間の言う事は貴重な『一般論』である。
ようするに、彼の指摘は『世間の目』そのものなのだ。
世間の目で見るなら、悲しいかな俺の絵は見る価値も無いヘタクソな絵だ。
パッと見からして、見る価値もない下手のオーラがただよっているのだろう。
真実に打ちのめされる。
なにもかもあきらめきれたなら、らくになれるだろうに。
ちゅーか、俺の描く絵には『下手』のオーラが常にただよう。
じっくり見るまでもなく、パッと見で、本当に自分でもガッカリするほどヘタクソで泣きたくなる。
うまい絵とへたな絵の境界は、ただの受け手の感性である。
絵そのものに上手いも下手も無い。
と、虚勢をはってみても下手な絵は下手だ。
才能が無いと言ってしまえばソレまでの事を、納得して了解して諦めて、漫画を描く事を一度は辞めた。
今日は、古い友人が家に訪ねてきた。
自分の時間が減るので、少し迷惑でぶっちゃけ来て欲しくなかったが、客人なのでソレ相応にもてなす。
友人に告白する。
「最近、また絵を描きだしたんだ」
そう言って、パソコンを立ち上げてハード・ディスクに保存してあるデータ化した絵を披露する。
1枚目を見たとたんに面倒になったのか、古い友人は言った。
「スライド・ショーにして」
複数の絵を自動的に連続してモニターに流す。
友人の目はモニターに向いてない。ほとんど俺に目線がいき、自分のおしゃべりに熱中している。
たまにチラチラとモニターながめる程度だ。
きっと古い友人にとり、真面目に見るに値する価値も無い絵なのだろう。
その場では感想もなく、帰り間際に古い友人が言った。
「内山の絵は小学生の投稿レベルだよね。最近の小学校の高学年くらいなら、もっとうまい絵を描くよ。まずは模写からはじめたら」
適確な指摘ありがとう。
俺も、俺の絵は、読者コーナーの投稿並みとは思っていたが、小学生高学年レベルだとまでは思わなかった。
本音を言うなら殴り殺してやろうかと思ったが、絵が下手なのは本当なのでやめた。
彼はまったく絵が描けない。
絵を描かない人間の言う事は貴重な『一般論』である。
ようするに、彼の指摘は『世間の目』そのものなのだ。
世間の目で見るなら、悲しいかな俺の絵は見る価値も無いヘタクソな絵だ。
パッと見からして、見る価値もない下手のオーラがただよっているのだろう。
真実に打ちのめされる。
なにもかもあきらめきれたなら、らくになれるだろうに。
うちの次男の絵とか もっと下手。
(↑小学校六年)
教室の外にはってある 絵を見ていておもうのは
上手い子の絵には 肘と膝があるということだ
うちのこが 膝あるいは肘 をかくようになるには
さらに 80年くらい必要だと 思われる
でも、まぁこの微妙なさじ加減の慰めの言葉は、らしいって言えば、らしい慰めです。