なんで人を殺してはいけないのかと考えだすと分からなくなる。
まぁ「なんで」からはじまる質問の方法は問いのたて方が難しくて、たいていの「なんでなになになの?」という質問は、そもそもの問いのたて方が正しくない。
問いそのものが間違えているから、絶対に答えは出ない。
なんで自分は自分なんだろう。
とか、
なんで人は死ぬのだろう。
なんて問いに、答えは無い。
そんな質問には、
お前はお前だからお前なんだとか、
死ぬから死ぬんだとしか、もう答えようがない。
そういう質問は、なんで空は青いのってのと同等の質問である。
青い空は青いし、赤いポストは赤い。
なんでと問われても、まず何が疑問なのかが分からない。
例えば、なんで空が青いのだろう?
それは、青という色はなんで青と呼ばれるのかと言う問いなのか。
あるいはなんで、空は青く見えるかという問いなのか。
そもそも、なんで色なんてあるのという問いなのか。
なんでで質問がはじまると、回答者が質問者の問いの意味を推測しなくてはならなくなる。
だいたい「なんで」という問いかけから質問を始めるのは、あなたが大人であるならとてつもなく失礼な行為だ。回答者がどんな答えを出そうと、「なんで」は質問者が納得するまで永久に続く。そんなの許されるのは子供だけ。
そもそも、質問自体が、他人の思考を縛る。自分の質問で相手に考えさすって事は、相手の時間を奪う行為である。時は金なり。
だから、相手の時間を無意味な思索の為に奪うのは失礼である。
誰もが限られた人生の中で生きているのだ。
無限に考えていられるほど人生は長くない。
だから、質問は何を疑問に思っているかを、まず自分の中で整理してから、的確な質問をするべきであるし、また、安易に疑問をぶつけてはならない。
自分自身のみで考える時でさえ、「なんで」からはじまる疑問は避けた方が良いだろう。なんでからはじまる疑問は、疑問のたてかたそのものが間違えている可能性がある。まず何が疑問なのか整理して、問いをしぼるべき。
また、なになにとはなにか?
という問いたてもたいてい質問自体が間違えている可能性が高い。
まぁ「なんで」からはじまる質問の方法は問いのたて方が難しくて、たいていの「なんでなになになの?」という質問は、そもそもの問いのたて方が正しくない。
問いそのものが間違えているから、絶対に答えは出ない。
なんで自分は自分なんだろう。
とか、
なんで人は死ぬのだろう。
なんて問いに、答えは無い。
そんな質問には、
お前はお前だからお前なんだとか、
死ぬから死ぬんだとしか、もう答えようがない。
そういう質問は、なんで空は青いのってのと同等の質問である。
青い空は青いし、赤いポストは赤い。
なんでと問われても、まず何が疑問なのかが分からない。
例えば、なんで空が青いのだろう?
それは、青という色はなんで青と呼ばれるのかと言う問いなのか。
あるいはなんで、空は青く見えるかという問いなのか。
そもそも、なんで色なんてあるのという問いなのか。
なんでで質問がはじまると、回答者が質問者の問いの意味を推測しなくてはならなくなる。
だいたい「なんで」という問いかけから質問を始めるのは、あなたが大人であるならとてつもなく失礼な行為だ。回答者がどんな答えを出そうと、「なんで」は質問者が納得するまで永久に続く。そんなの許されるのは子供だけ。
そもそも、質問自体が、他人の思考を縛る。自分の質問で相手に考えさすって事は、相手の時間を奪う行為である。時は金なり。
だから、相手の時間を無意味な思索の為に奪うのは失礼である。
誰もが限られた人生の中で生きているのだ。
無限に考えていられるほど人生は長くない。
だから、質問は何を疑問に思っているかを、まず自分の中で整理してから、的確な質問をするべきであるし、また、安易に疑問をぶつけてはならない。
自分自身のみで考える時でさえ、「なんで」からはじまる疑問は避けた方が良いだろう。なんでからはじまる疑問は、疑問のたてかたそのものが間違えている可能性がある。まず何が疑問なのか整理して、問いをしぼるべき。
また、なになにとはなにか?
という問いたてもたいてい質問自体が間違えている可能性が高い。
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